第三章 黄泉の国と禊(みそぎ)(数年後・南九州〜日向)
百越がもたらした土木の技と、この地に生きる縄文の知恵が溶け合い、九州南部の湿原には黄金色の稲穂が波打ち始めていた。しかし、大地の深部で蠢く古き怒りは、まだ終わってはいなかった。
鬼界カルデラの大噴火が残した地殻の傷痕——そのさらに深き場所で溜め込まれたマグマの圧力が、ついに限界を超えて破裂する。
突如として大地を揺るがした底鳴り。次の瞬間、霧島連山——新燃岳と御鉢の山頂が同時に天を突く火柱を上げた。
灼熱のマグマと、目に見えぬ有毒な火山ガス(亜硫酸ガス)が谷筋を伝って吹き出し、水路の建設と防災工事の真っ只中であった現場を容赦なく呑み込んでいく。
「熱い……! 水路を締め切れ! ガスの流れを変えるのだ!」
黒煙と毒灰が渦巻く極限状態のなか、最前線で民を鼓舞し、指揮を執っていたイザナミの身体を、急襲した熱風と火砕流が包み込んだ。
「イザナミーーっ!」
イザナギの血を吐くような絶叫が響く。炎の中に飛び込もうとする彼を、家臣たちは死に物狂いで取り押さえた。
命がけの治水・防災の営み(カグツチの火)と引き換えに、イザナミは凄惨な火傷を負い、その短い生涯を閉じたのだった。
愛する妻の唐突な死。そして、灰煙と毒気が立ち込め、足を踏み入れることすら叶わぬ地獄へと変貌した工事現場(黄泉の国)。
絶望に苛まれたイザナギは、亡き妻の面影を追い、制止を振り切ってガスの充満する深い谷底へと足を踏み入れようとした。しかし、そこに残されていたのは、ただ荒ぶる自然の猛威に引き裂かれた痛ましい遺骸と、腐敗の幻影だけであった。
「ウオオオオッ!」
身を割かれる激痛と無力感に苛まれながら、イザナギは大淀川の流れる東の海岸——日向(宮崎)へと決死の敗走を遂げた。
身体にこびりついた暗灰色の火山灰、肌を焼く硫黄と毒気の残滓。
宮崎の海岸(阿波岐原)へ辿り着いたイザナギは、波打ち際に崩れ落ち、波間に身を投げ出させて体中の穢れ(有害物質)を必死に海水で洗い流した。
ざぶん、ざぶん——。
冷たい海水が、彼の傷ついた皮膚を焼き、荒んだ心を削ぎ落としていく。
身体を拭い、泥に塗れた衣を脱ぎ捨て、精神的な再起を果たすための命がけの浄化作業。これこそが、のちに神道において最も尊ばれる儀式「禊」の真の始まりであった。
(白波の砕ける浜辺の片隅、潮風に混じってどこか米麹のような淡い芳香が掠め、濡れた黒い岩肌から一匹の黒い蝶がひらりと舞い上がって波間に消えた)
「……死んだ者を追いかけるのは、ここまでだ」
海水で目を洗ったイザナギの瞳に、再び静かで力強い光が宿る。
彼は自らの装飾品や測量器具を取り出し、次なる時代を担う若き指導者たちへと託す決意を固めたのだった。




