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1 鉄拳のスタンフと噴進鎚


 カン、カン、カン――。


 その山にはいつも火の音が響いている。

 そんな話を村娘から聞いたとき、スタンフは子犬のように駆け出していた。


「あの武器屋に……違いない!」


 もう20年も前のこと。

 当時、まだ一介の新兵にすぎなかったスタンフは、魔王軍による敗残兵狩りから辛くも逃れ、深い森をあてどなくさまよっていた。

 方向感覚は完全に喪失。

 喉は枯れ果て、足は徐々に動かなくなっていった。

 意識が遠のきかけた、そのときだった。


 カン、と。


 目も覚めるような音を聞いたのだった。

 それは火の音だった。

 金鎚を振り下ろすに合わせ、弾けた火花が鮮やかな赤い線を残して消えていく、力強い音。

 狩人でさえ立ち入らない深い森の奥に、その武器屋はひっそりと店を構えていた。


 あのとき、店主にねだってタダ同然で譲り受けた武器は今もスタンフの背中でずっしりとした存在感を放っている。

 妻が妬心を抱くほどに愛を注いだ、戦場の伴侶。

 スタンフの二つ名の由来にもなった、巨大な戦鎚――。


「しかし、凄まじい山野だな……」


 ミニペントリア大陸南部。

 グレナリャ紅国が有する紅蓮の荒野に『魔王』を称する巨大な魔物が現れ、大陸平定に乗り出してからもうだいぶ経つ。

 多くの同胞が戦火に散る中、スタンフは戦鎚とともに戦野を駆け、17年もの間に無数の魔物を屠ってきた。

 そんなスタンフをして額に汗せずにはいられなかった。


「はあ……、はあ」


 現地の古い言葉で「龍の果つる地」を意味するル・エンデベルグ山地。

 そこは山肌というより崖だった。

 ときおり出くわすヤギが横長の瞳孔に涼しい色を宿しているのが信じられないほどの、大岩壁。


 これは、武器屋を探して方々尋ね歩いているうちに知ったことだが、あの御仁は深山幽谷の地に好んで店を構える変わり者らしい。

 そのうえ、ずいぶんな気分屋で、ひと月と同じ場所にいないのだという。

 武器屋を探し当てるのに3年もの月日を要したのもそういった事情からだった。


「逃亡犯でも、もっとおとなしく、していようものを……」


 スタンフは束の間いかめしい顔を苦笑でゆるめ、そして、こわばってきた膝を叱咤した。


「急ごう。これ以上、前線を留守にはできぬ」


 そして、一昼夜寝る間も惜しんで歩き続け、スタンフは目を見開いた。


 夫婦めおとのように寄り添った大岩からひと筋の煙が立ち昇り、空へ溶けていく。

 そんな穏やかな風景の中に、長らく聴きたかったあの音が鋭く響いた。


「ようやく……!」


 疲れなど瞬きのうちに忘れ、スタンフは獣のごとく岩場を疾駆した。

 音が近くなり、そして、見たかった景色が目に飛び込んできた。


「武器屋……」


 というよりも露天商のような店構え。

 石を積み上げて作った手製の小さな炉の中で、陽光に優るとも劣らない火が燃え盛っている。

 夫婦岩を繋ぐようにかけられた看板。

 そこには『創作武器屋――』という字が躍る。

 その後に異国語とおぼしき文字が3つ続くが、見たこともない文字だった。

 それが屋号なのだろう。


「……」


 スタンフはホッと柔らかい息を吐き出した。

 店はともかく、この場所には一度も来たことがない。

 そのはずなのに、故郷に帰ってきたように感じるのは、


(ここが私の原点だからか)


 スタンフは急に歩き方を忘れたように立ち尽くした。

 そして、我が目を疑うことになった。

 炉の傍らで金鎚を振るう店主。

 その姿は20年前となんら変わっていなかった。

 星のない夜のような黒髪。

 おしろい代わりにすすを乗せた白磁の頬。

 横顔の造形は少女のそれである。


「武器屋殿。貴殿は変わらないな」


 しばし凍りつき、ようやく声を投げかけたが、武器屋は眉ひとつ動かさなかった。

 鉄を打つ手にも寸分の狂いさえ見られない。


「珍しいな。エルフの鍛冶師は」


「私はエルフじゃないよ。若作りなだけ」


 鈴を転がしたような幼い声だった。

 それでいて、古い鐘の音に似た深みのある声でもある。

 なるほど、言われてみれば耳は長くない。

 若作りとも少し違うように感じるが、20年前となんら変わらぬ姿はスタンフに大きな安堵を抱かせていた。


「それと鍛冶師でもないよ」


「ああ、そうであったな。武器屋と呼ばれるのを貴殿は好むのだったか」


「そ。私は武器しか商わない。……久しぶり、かな?」


 ようやく手を止め、顔を上げた。

 愛想程度の笑みもない顔がスタンフを真正面から見つめる。

 目が合った途端、胸がざわめいた。

 魔女に魅入られた、とでも言えばいいか。

 武器屋の黒い瞳は闇のようでもあり、幽玄の知性をたたえた光でもあった。


(少女……ではないな、やはり)


 今年40の節目を迎えたスタンフを幼子のように見つめる目。

 あれは、


(祖母の目……。いや、古の賢者とでも呼ぶべきか)


 スタンフは遅まきながら居住まいを正した。


「うむ。20年ほど前に一度世話になった」


「リピーターね」


「……りぴ?」


「しくじったね、古客が訪ねてくるなんて。ここに長居しすぎたよ。魔物も少ないし、森は果物でいっぱいだし、なんと言っても温泉が湧いていてね。半分定住してたよ」


 わずかな恥じらいを見せた武器屋の微笑には、年頃の町娘の片鱗がかすかに残されていた。


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