マシューの夏季休暇
あっという間に夏季休暇に入り、アザリアは休み後半に開催されるお茶会に参加するため、早々に領地へと戻った。
マシューは、父親とその側近から連日領地経営の実務を学んでいた。
トートル家は、サンクタント家との繋がりが深く、侯爵家の領地経営の一端を担っている。
そのため、夏季休暇の間、父親に連れられてサンクタント家を訪れる日も多くあった。
父親は、侯爵との会合に参加し、その間マシューはエトハルトの元に行く。
それは次期当主と今から縁を結んでおけという下心からであったが、幼馴染としてすでに良好な関係を築いている彼らにとってそんなことは関係なく、マシューは普通に友人宅に遊びに来ているような感覚であった。
今日もマシューは、父親に連れられてサンクタント家を訪れていた。
当たり前のようにエトハルトの部屋に案内されたマシュー。
そこには、机に向かって熱心に何か書物をしているエトハルトの姿があった。
「何やってんだ?お前はもう領地経営を任されているのか?」
挨拶もせず、マシューは自分の部屋のようにくつろいでソファーに腰掛けると、用意された紅茶に口を付けながらエトハルトの背中に向かって問いかけた。
彼が見えないところで並々ならぬ努力を重ねていることを知っていたため、自分の前で必死になっている姿に少し驚いていたのだ。
そして、まだ実務を習っている段階の自分と比較して、焦る気持ちもあってつい尋ねてしまった。
「領地経営は少し前からやらされているけど、これはそれとは関係ないよ。」
エトハルトはマシューのことを見向きもせず、つらつらと書物を続けながら最低限の言葉だけを返した。
「そうなのか?お前が必死になることって他に何が…」
マシューは言葉を途中でやめた。
彼が何に対してこんなに必死な姿をしているのか勘付いてしまったからだ。
これは聞かない方がいい、そう思って言葉を止めたのだが気づくのが一歩遅かった。
「これはセラフィへの手紙だよ。」
やっぱり……
マシューはソファーに座ったまま項垂れた。
余計なことに口を出してしまったと後悔した。こいつのセラフィ関係の話を聞いても碌なことがない、経験則上そう思ってたからだ。
「お前、仮初って意味知ってるか…?」
気付いた時にはつい口に出してしまっていた。
マシューの悪い癖だ。触らない方が良いことなのに、親しい間柄の相手には口を出さずにはいられない。
粗雑に見えて心配性な彼は、根っからのおせっかいであった。
「いきなりどうしたの?もちろん知ってるよ。僕とセラフィの関係は形だけの婚約者だってことでしょ?」
「ならなんで、お前は婚約者でもない相手に手紙など書いてるんだ…………」
しかもそんなに必死に。
マシューは本当に訳がわからないという顔をして尋ねた。
エトハルトのセラフィに対する言動はすべて、愛しい人に向けるそれにしか見えなかった。
もう認めてしまえばいいのに…
そんなことすら思ってしまう。
だからこそ、彼が今、セラフィに対してどんな感情を抱いているのか知りたかったのだ。
「うーん…理由を聞かれると答えに困るね。なんとなく、1人で寂しい思いをしてないかなって、心配になったからかな?セラフィは大切な友人だから。」
「は………お前は友人になら誰でもそんな熱心に手紙を書くのかよ。俺やアザリアにも同じように思うか?」
「思わないね。」
「即答かよ…」
マシューは呆れてソファーに倒れ込むように寝そべった。相変わらず自由奔放な彼の発言に、もう座っている気力すら見当たらない。
「僕にとってセラフィは特別なんだ。単なる友人とは違う。彼女は親友だから。」
ようやくマシューの方を振り向いたエトハルトは、澄み切った瞳で言い切った。
相変わらずズレている幼馴染に、マシューはそういうことじゃないと言うように首を横に振った。
「そんなこと言って…もしセラフィ嬢が他の誰かとデートに行くって言ったらどうすんだよ。」
「はぁ?セラフィのことをデートに誘ったって?誰がそんなことを…」
エトハルトは地を這うような低い声で言った。
その顔は微笑んでいるものの、纏う空気はピリついており、室温まで下がって来た気がした。
「ちょっと待てっ!これは例え話だ!早とちりするな。お前はちゃんと人の話を聞け!」
勘違いで今にも暴発してしまいそうなエトハルトに、マシューは必死に止めに掛かった。
侯爵家の権力を使って彼に本気を出されたら、貴族の一つや二つ潰されかねない。
自分の失言で他人を路頭に迷わせるなど夢見が悪すぎる。
例え話であって事実ではないと何度も言い続けてようやくエトハルトは理解し、いつもの穏やかな彼へと戻った。
「なんだ、例え話か。それならそうと早く言ってくれたら良かったのに。」
「いや、結構最初の段階で俺は言い続けてたぞ…」
誤解が解け、エトハルトは平常心に戻ったが、マシューはぐったりと疲れ果てていた。
「ところで、マシュー」
「…なんだよ。」
にっこりと微笑んで自分の方を見てくるエトハルトに、嫌な予感しかしないマシューは、警戒心を露わにした。
子猫のように、見えない毛を逆立てている。
「君、いつからアザリア嬢のことを呼び捨てしてたのかな?随分と仲が良いんだね。」
「はっ………………………」
予想だにしなかったエトハルトの口撃に、マシューは柄にもなく焦って顔を赤くしてしまった。
例え話であったとしても、セラフィと他の男がデートするなどと言われたエトハルトはかなり根に持っていたのだ。
きっちりと仕返しの出来た彼は、それはそれは満足そうに微笑んでいた。




