第九章・第一話 絶体絶命
南極圏上空。
そこはまさに地獄と呼ぶに相応しい戦場だった。
全ての空を、鋼の巨人と双頭の鉄獣、そして双方の艦隊が埋め尽くしていた。
ブリガンダインが手にする武器でオルトロスを撃破したかと思えば、その向こうで別の人型兵器が複数のキメリウスに同時に襲い掛かられ、無惨に噛み砕かれ散っていくのが見える。
シェオール側の砲撃がレムリア側の戦艦を撃ち抜いたかと思えば、ワープアウトしたWDCが敵艦を真っ二つに押し潰し破砕する。
敵が味方を、味方が敵を撃破する。その爆発の炎が、命の灯火を呑み込むように大空に咲いては消えていく。
その真っ只中にレヴィアタンは浮いていた。
天と地をつなぐ塔と見間違うほど神々《こうごう》しい、黄金色に煌めく超巨大な円筒の柱。
それは、あまりに突然の出来事だった。
ガブリエルたちは、空間の歪みを察知するより早く、空を割って直上に姿を現したレヴィアタンが、一気に急降下し、進路上にいた敵も味方も、さらには神の封印さえも粉砕しながら地獄の底目掛けて落ちて行くのをただ見ていることしか出来なかった。
それより少し前、水素と反水素が激突した瞬間。
まさに危機一髪のところでエスペランサはワープしていた。
そして味方の洗脳が解けたことをディから聞かされていたガブリエルは救難信号を発信し、合流した味方の艦に乗り込んで、この戦場に再び舞い戻って来ていた。
そのガブリエルの眼前に、地の底から再び姿を現したレヴィアタンがいた。
「くっ。こんな時に、WDCは?」
「全て敵艦隊と交戦中です」
「全ての艦船に通達。全乗組員を速やかに脱出させた後、艦をレヴィアタンに特攻させろ」
「艦長。この状況でそんな命令は無謀を通り越して自殺行為です・・・」
「そんなことは分かってる。だが、今ヤツを沈めないと地球はどうなる・・・」
「艦長。あれを見てください」
オペレーターの少女がそう叫びながら手元のキィを叩く。すると、天井前面を占める巨大なモニターの映像が切り替わった。
「何だ、あれは?」
そこに映し出されていたのは、天空に直立の状態で静止するレヴィアタンの最下部、無数の刃が重なるように並ぶ場所だった。
そこから、上顎と下顎が飛び出したかのように、二股に別れた巨大なアームが姿を現していた。
それぞれのアームの先はトングのようになっていて、それが巨大な白銀色の、円筒形の物体を掴んでいた。
「上だ。あの白銀色の物体の上の部分を拡大しろ」
ガブリエルの命令を聞いた少女が素早くキィを叩き、映像を拡大させていく。
「最大倍率です」
「!」
白銀色の円筒の屋根に当たる部分には、その円周に沿って等間隔に13本の柱が立っていた。
直径が1メートル。高さが1.5メートルほどの柱に囲まれた空間の中に更に影が2つ見える。
「あれは?まさか?」
そう。それはカエデとミカヅキだった。
迫りくる敵機からの銃弾やを砲弾、ミサイルをカエデがディの触手を鞭にようにしならせて打ち落とし、ミカツ゛キが自らが装着するパワードスーツの兵装を使って敵機を迎撃していた。
「全機に通達。誰でもいい、2人を救助しろ・・・」
だが、そう叫ぶガブリエルの言葉はオペレーターの少女によって遮られていた。
「艦長。レヴィアタンの底を見てください」
「なに?」
『カエデ。直上」
「なに?」
カエデが直上を見ると、巨大な刃がびっしりと並ぶレヴィアタンの底から、無数の何かが、雨粒のように落ちて来るのが見えた。
「!」
それは人だった。
何百、何千という数の人間が、絶叫と共に、こちらに向かって落ちて来るのだ。
「くそっ」
カエデの両手に架かる組紐が爆発的な輝きを放った。
『よせカエデ。これは罠だっ』
だが、ディがそう叫ぶより早く、カエデはコートを無数に枝分かれさせながら伸ばし、落ちて来る人たちを次々に空中で受け止めえていた。
しかも、そのコートの先は、受け止めた人を包み込みながら丸く膨らむと触手から切り離され、次々に降下して行った。
だがそれは、カエデがコートを広げた瞬間に起きていた。
その一瞬を突いて、カエデたちの周りをぐるりと囲むように円周状に、空間に波紋が広がったのだ。
いや。それは、波紋が広がり始めた瞬間に起きていた。
波紋の中から、つまり全方位から、カエデ目掛けて銃弾の雨が浴びせられていた。
だが、カエデは無事だった。
いや。カエデ自身、自分の身に何が起きたのかを理解することが出来ていなかった。
何か生温かいものが、上からぽたぽたと滴り落ちて頬を流れていく。
「!」
その赤い液体が何か分かった時、カエデは全てを理解していた。
全方位から銃弾が撃ち込まれた時、カエデは自分でも気付かないうちに、背後から押し倒されていた。
そして、背後から押し倒したであろうその人物が自分に覆い被さっていたのだ。
その身を挺して自分を守る為に。
「ミカツ゛キっ」
カエデは、自分の頭にもたれかかるように項垂れるミカツ゛キの名を呼んだ。
だが、それより早く、ミカツ゛キは背後の波紋の中から姿を現した紅い鐵鋼獣の頭の、その強靭な顎に咥えられ、そのまま波紋の向こうへと引きずり込まれ姿を消していた。
「ミカツ゛キっ」
カエデが起き上がりながら振り返った。
その刹那。
カエデは両手首を斬り落とされていた。
「!」
見ると、波紋の中から長刀が突き出ていた。
そしてそれは、次の瞬間には、カエデの四肢を付け根から切断していた。
ドチャっ。
鈍い音と共に、前のめりになった勢いそのままに、カエデは大地に転がり落ちていた。
『カエデっ』
切断された箇所から夥しい量の血が噴き出し、辺り一面に血溜まりが広がっていく。
ディは瞬時に触手を収縮させ、切断された箇所にグルグルと巻き付けて止血した。
そう。それは、カエデが落下して来た人たちを救っている間に起きた、ほんの一瞬の出来事だった。
そして、カエデの四肢を一瞬にして斬り落とした長刀は、切断され、組紐に絡まるように宙を舞っていた両の手首を串刺しにしていた。
手首は、瞬きする間もなく切り裂かれて四散し、輝きを失った組紐のみが長刀に引っ掛かっていた。
空間の垂直面に広がる波紋から突き出た長刀が、押し出されるように伸びながら上を向いていく。
切っ先が上がるのに合わせて、組紐が刀の棟を滑り落ちていく。
そして組紐は、刀身を滑り落ち、波紋から姿を現した柄を握る手首にハマるように引っ掛かって止まっていた。
間髪を入れず、波紋からその柄を握る人影が姿を現した。
『白焔』
「艦長。白焔です」
「なに?」
そう。そこにいたのは、白衣の騎士団の鎧に身を包んだ白焔だった。
「全機に通達。白焔の位置情報を送る。誰でもいいからヤツを殺せ」
バババババババババババババババババっ。
次の瞬間。
ガブリエルの命令一下、敵陣を突破し、白銀の筒の上部にたどり着いた鋼鉄の人型兵器たちを悪夢が襲った。
ある機体は袈裟斬りにされ、ある機体は肩口に噛み付かれ首と右腕を喰い千切られた。
それだけではない。
それは、白焔に標準を合わせていた艦船の砲台さえも次々に破壊していった。
「この攻撃は、まさか?」
ガブリエルの悪い予感は的中していた。
波紋から姿を現した白焔は、何か巨大な金属製の、例えるなら大きく開かれた口のような紅い物体の中に立っていた。
彼に続いて波紋を大きく広げながら出現した物体。
爆炎の炎と煙が風に流され、白銀の筒の前に姿を現したそれは、ガブリエルたちにとっては眼前の白焔と同じ、いや、ブリガンダインのコアマスターたちにとっては彼以上に恐怖と死を感じさせる存在だった。
「ナベリウス。デリンジャーか」
そう。彼らの前に立ちはだかったのは、瀕死のミカツ゛キをその口に咥え波紋の向こうに連れ去った鋼鐵の獣、赤の艦隊艦長デリンジャー・バレルの愛機、シェオール側の兵器の中で唯一、獣型から人型への変形機構をもつ紅の鉄獣人ナベリウスだった。
波紋の中から出現したのが白焔だけではなかったのだ。
「ミカツ゛キは?」
「だめです艦長。隊長のパワードスーツの反応もありません。生体信号も探知出来ません」
ガブリエルの問いかけに、オペレーターの少女は泣きそうな声でそう返すのが精一杯だった。
「あの波紋から出現したのは白焔とナベリウスだけか?誰か、ミカツ゛キを見た者はいないか?」
だが、そんなガブリエルの声も紅の鉄獣人の出現で半ばパニックになった者たちの耳には届いてはいなかった。
インカム越しに聞こえるのは悲鳴と怒号のみだった。
だが、そんな状況にあっても、敵影の姿を見てガブリエルはある疑問を抱いていた。
(奴らは何故ここに現れた?・・・カエデとミカツ゛キを仕留めるため?いや、違う。レヴィアタンを、いや、あの白銀の筒だけを守ることがヤツに与えられた命令だとしたら・・・。
それは、つまり・・・)
そう自問自答し、ガブリエルは命令を下した。
「全員に通達。あの白銀の筒を破壊しろ。それが無理なら筒を吊り下げているアームでもいい」
「艦長。それではカエデさんが・・・」
「これは最優先、いや、絶対命令だ」
「了解」
だが、既に空を埋め尽くす双頭の鋼鉄獣や戦闘爆撃機、戦艦やドリルミサイルまでもがレヴィアタンと白銀の筒の周りに集結しつつあり、レムリア側が追い詰められていることは誰の目にも明らかだった。
味方が次々に撃墜されていく。
「艦長。無理です。この状況では近付くことさえ出来ません」
「くそっ」
インカムから聞こえてくる悲痛な叫びに、ガブリエルはただ唇を噛み締めることしか出来なかった。
白焔がスッと手を上げる。
すると、どこからともなくアラストールが集まって来た。
その数は数千、いや数億に及び、あっという間に空が埋め尽くされていく。
それは、視界も進路も日の明かりさえも遮り、その場にいた全ての者たちに戦闘を続けることより、自らの命を守ることを優先させるほどの圧倒的な数だった。
それを見定めるように白焔が腕を降り下ろす。
その合図を待っていたかのように、視界の全てを覆っていたアラストールたちが螺旋を描きながら上昇して踵を返し、垂直に立つレヴィアタンの最上部に開いた穴目掛けて飛び込み始めた。
穴の中には、幾つもの歯車が絡み合いながら高速で回転しているのが見える。
アラストールたちは、そこに自ら飛び込み、グチャグチャに押し潰されながら歯車の奥へと飲み込まれていく。
だが、白銀の円筒の床に倒れるカエデにはそんなものは見えてはいなかった。
そして、朦朧とする意識の中で、カエデはあるものを見ていた。
自分がいる超巨大な円筒の上蓋に当たる場所。
それは半透明の素材で作られていて、足下を垣間見ることが出来ていた。
白銀の円筒の内部に何かがいるのだ。
そう。それは、「ある」のではなく「いる」のだ。
それは膜のようなものに包まれた超巨大な胎児だった。
教科書とか図鑑で見たことがある。
頭や手足が形作られ始めたばかりで、まだ目も耳もない、受精数ヶ月の胎児。
超巨大なそれが、眼下の筒の中にいた。
『まさか、これは』
「・・・これが、何か、わかるのか?・・・ディ」
「一度目は我らが初めて対峙したキエルの空だ」
その時だった。
血の海の中でひくっ、ひくっと痙攣しているカエデに対し、白焔が一方的に話し始めた。
「あの時お前は空中に浮かぶ水塊の中で、一瞬にして逆賊どもを自らの元に集め脱出させた。
そして二度目はワープ空間の中。やはりお前は制圧された戦艦の中で、捕虜になった家畜どもを一瞬にして自らの元に集め脱出した。
私の前で同じ手を二度使って、そのカラクリを見破れないとでも思ったか?
貴様はシラヌイのブリッジにわざと自艦を攻撃させた。
全ての粒子砲が制圧されたブロックを通って自らがいる場所に通じる穴を開けるようにな。
そして、そのコートから伸びる触手を穴から通し人質を掴んで救出したのだ。今と同じように」
その時だった。
辺り一面が突然暗くなり始めた。
天を見上げると、太陽が黒く欠けて行くのが見えた。
「ついに始まった」
〈つつ゛く〉




