第八章・第七話 第七階層〈1〉
ザッバアァァァ~~~~~~ンっ。
通路に飛び込んだミカツ゛キたちを待っていたのは、赤い液体だった。
通路そのものが赤い液体に満たされていたのだ。
ミカツ゛キはカエデが包まれた繭を抱きかかえ、ハルムベルテを覆うヴァリアブルワイヤーを高速回転させながらその中を下降していた。
「なんだこの液体は?バイツ、成分分析」
『その必要はない。これは血液だ』
「なに?・・・血液?これが全て?通路を満たすほど大量の。何故だディ。なぜこんなに血液が・・・」
『ヘルが必要としているからだ。ここは〈聖煉の泉〉。ニヴルヘイムにいる彼女に献上する血液の、言わば貯蔵タンクだ』
「ヘル?」
『彼女はロキが自ら産んだ3姉妹の1人でニヴルヘイムを統治する者だ』
「なぜこれだけの血を?・・・」
『ヘルはロキが自分の妻の心臓を食べ、自らの体内に宿した娘だ。彼女はその呪いで身体の半身が腐っている』
「え?」
『彼女は、新鮮な血液に浸かっていると腐っている部分が治癒する。そう思い込んでいる』
「思い込む?」
『そうだ。実際はそのようなことをしても何も起きないし変わらない。だが彼女はそれが正しいと思い込み、他の意見に耳を貸そうとしない。それこそが、彼女にかけられた真の呪いだ』
「・・・っああああ~~~~~~~っ」
その時だった。
声にならない悲鳴のような、絞り出すような奇声があがった。
『ミカツ゛キっ』
その声の主はミカツ゛キだった。
ミカツ゛キが突然悶え苦しみ始めたのだ。
目、鼻、口、耳、そして爪先からも血が溢れ、それが、見えない力に吸い込まれるかのようにパワードスーツのジョイントの接合部分へと消えていく。
そしてそれは、機体の外、つまりは血の海へと吐き出されていた。
『しまった。しっかりしろミカツ゛キ。よく聞け。このままだと全身の血を全て抜かれるぞ。意識を失う前にここを出るしか助かる道はない』
だが、
〔警告。全方位から未確認物体が猛スピードで接近中。最接近中のものと、あと20秒で接触します〕
それは、レムリアを襲ったのと同じ蛇型や海竜型のモンスターの群れだった。
『この泉の、言わば掃除屋たちだ。ここに堕ちた不純物、つまり我々を排除しに来た』
「どちらに転んでも止まれば死ぬ。全てのエネルギーをワイヤーに回せ。最大加速で突っ切る」
〔了解〕
進路を塞ぐ怪物たちを鋼の掘削刀が次々に粉砕して行く。
だが、それによってほんの僅か回転速度が落ちた、その一瞬を敵は見逃さなかった。
その一瞬をついて、蛇型モンスターの群れが高速回転するワイヤーに縦横無尽に巻き付いて来たのだ。
無数の怪物たちが、その凄まじい力で回転力を相殺しようと締め上げる。
〔警告。ワイヤー全体に限界を超える過重がかかっています。これ以上回転を続けるとワイヤー自体が崩壊します。今すぐ回転を停止してください〕
「ワイヤー、パージ」
〔了解。ワイヤー、パージします〕
次の瞬間。
束ねられていたワイヤーが、風船が弾けるみたいにほどけていた。
ワイヤーを締め付けていたモンスターたちは、その力の掛け所を一瞬にして失ったために、バランスを崩し、自らが締め上げていた方向へ飛ばされていた。
その勢いのあまりの凄まじさに自らに制動をかけることが出来ず、互いに衝突し絡み合うモンスターたち。
その間をすり抜けるように小さな影が飛び出し降下して行く。
それは、漆黒の繭を抱くハルムベルテだった。
『ミカツ゛キ。もう少しで出口だ。気を失うな、意識を保て』
「・・・分かっている」
『このまま加速し、最大速度で次の階層へ飛び込め。その先にはプレゲトン川がある』
「分かった。バイツ。機関出力最大」
〔了解〕
その瞬間。ミカヅキたちは閉じ行く通路の扉をギリギリで抜けて次の階層に飛び込んでいた。
◆
そこは、薄赤色の液体に満たされた空間だった。
そして、そこに飛び込むのと同時にハルムベルテの全身が、凄まじい勢いで沸き立つ泡に呑み込まれていた。
〔警告。今、我々がいるのは超強酸性の液体の中です。このままだと、あと数分で機体が溶壊します。今すぐこの水域から脱出して下さい〕
「これがプレゲトン川」
『そうだ。これは第七階層、暴虐地獄の入口を衛るベヘモスが自らが吐き出した胃液によって生み出された宙に浮かぶ川だ。
だが、べヘモスはもういない。
この川も深さは数十キロメートルしかない。全速で突っ切れ』
「分かった」
さらに加速し、超強酸性の川の中を突き進むハルムベルテ。
だが、
〔警告。全方位より本機に高速で接近する物体を多数確認〕
「数は?」
〔数は確認できるだけで500。なおも増加中〕
「このまま敵の中央を突破する。敵の動きを予測して回避行動に移れ」
〔動きが速すぎて回避が間に合いません。接触します〕
ガガガガガガガガガガガガガガっ。
次の瞬間。
凄まじい衝撃がミカヅキを襲った。
周りを見ると、無数の小さな塊が全方位からハルムベルテとディの繭に喰らい付いていた。
そしてその後方からも、圧倒的な、そして絶望的な数の影が迫り来るのが見える。
それは、超高速で回転しながら迫る、全身が金属で形成されたクラゲの大群だった。
超高速で回転することで広かった触椀の先端にある鋭い刃が、草刈り機の回転刃のように牙を剥き、ハルムベルテとディの繭に襲い掛かった。
ガリガリガリガリガリガリガリガリっ。
〔警告。このままだと最外部装甲が破砕されます。今すぐこの水域から脱出して下さい〕
「川を抜けるまでの距離は?」
〔あと10キロメートル〕
「最外部装甲パージと同時にカマイタチを発射」
〔了解〕
ハルムベルテの至るところで火花が散り、クラゲを喰いつかせたままパージされた装甲が木っ端微塵に弾け飛んでいた。
それは、すぐ内側の装甲の肩と肘と手の甲、それと膝と足のつま先を結ぶ形で形成されたエネルギーの刃が、パージされた装甲を斬り裂きながら発射されたためだった。
水中のため、レーザーは本来の半分の威力さえ発揮することが出来なかった。
が、クラゲたちを一瞬パニックに陥れるには十分だった。
そしてまた一回り小さくなったハルムベルテは、その時すでに漆黒の繭を抱え、はるか下方を目指して全速で潜航を続けていた。
〔警告。全方位より敵接近中〕
「時間がない。全速力で振り切るぞ」
高速回転するクラゲや、ワニのような顎と金属の鱗を持つ小型の捕食魚を寄せ付けない速さで進むハルムベルテ。
「あと何キロだ?」
〔あと5キロメートル。警告。急速接近する敵影あり〕
「この速度で?もっと加速出来ないのか?」
〔この機体ではこれが限界です。敵、四方より接近〕
「カマイタチ」
〔了解〕
再び、ハルムベルテの肩と肘と手の甲、それと膝とつま先をつなぐ形で光りがつながり、三日月形の輝く刃となって四方向に向けて発射された。
だが、敵は無傷だった。
敵は長く鋭く尖ったドリルのような殻を持ち、その殻を回転させて水中を進むイカのような金属生命体で、そのドリルがハルムベルテが放ったレーザーを弾き飛ばしていた。
ドガガガガガっ。
鈍い衝撃音。
見ると、放射線状に拡げた蛇腹の触椀を反り返らせたイカが、その触椀の先端にある鋭い鈎爪でハルムベルテを捕らえ、超高速で回転するドリルで身動きのとれない獲物を串刺しにしようとしていた。
「高周波振動ソード」
〔ソード起動〕
ハルムベルテの両腕上腕部と肘、それから膝からつま先にかけての装甲がスライドして刃がせり出し、それが、文字通り目にも止まらぬほどの速さで振動し、刃から凄まじい勢いで沸き立つ泡をかき回しながら、両腕と足に巻き付く触椀を斬り裂いた。
[ギャギャギャギャギャギャ〜〜〜っ]
漆黒の繭を抱えたまま、自らを高速回転させるハルムベルテ。
肘からせり出した刃で、籠のように閉じ込める触椀と、四方から迫るドリルの先端を次々に斬り落とすと、ミカヅキは後ろに目もくれず降下を開始した。
「あと何キロだ?」
〔あと1キロメートル〕
「カウントダウン」
「水域脱出まであと900メートル。800メートル。700、600、・・・〕
朱黒く濁って何も見えなかった視界の先が、ぼんりと少しずつ明るくなっていく。
〔300、警告。本機をはるかに上回る速度で接近する巨大な影を確認。数2。接触まであと5、4、〕
「出力全開、オーバーヒートしてもいい。全てのエネルギーをスラスターに回せ」
〔敵影左右より接近。接触しま・・・〕
ミカヅキは迫り来る敵を迎撃すべく、降下しながら腕を交差させソードを構えた。
だが、そんなことに何の意味もなかった。
次の瞬間。
絶望が2人に襲い掛かった。
それは、超巨大な水棲竜だった。
ハルムベルテがアリに見えるぐらい巨大な顎を持つ2頭のそれが、1頭が左から上半身に、もう1頭が右から下半身に喰らい付いていた。
ハルムベルテが噛み合う牙の間に挟まれ、押し潰されていく。
〔警告。このままだと装甲への圧力過重が耐久限界を越え、本機体は圧壊します。今すぐ脱出して下さい〕
「分かってる」
だが、左右から巨大過ぎる牙にくわえられたハルムベルテは全く身動きがとれないでいた。
ディの繭への直撃をかわすために抱き締めていたため、手足も僅かしか動かせず、ソードを使って反撃することさえ儘ならない状態に陥っていた。
少しずつ、だが確実に、機体が押し潰されていく。
「水面まであと何メートルだ?」
〔あと30メートルです。オーバーブースター、コンパクトノヴァ、両ユニットを消失した今の機体ではこの状況に対処出来ません〕
「くそ、もう少しでここから抜け出せるのに」
『ミカヅキ、手を水面に向けて伸ばせるか?』
「バイツ。左腕装甲だけパージしろ」
〔それでは機体が・・・〕
「急げ」
小さな爆発音とともにジョイントがはずれる。
その一瞬をついて、ミカヅキは牙と牙の間から左腕を突き出した。
バキッ。
それは突き出すと同時に左上腕部が牙に押し潰され砕ける音だった。
いや、左腕は砕けていなかった。
砕けたのは牙の方だった。
ハルムベルテの左腕は、何か黒いものに包まれていて、それが、自らを圧壊しようとした牙を逆に削壊していたのだ。
左腕を包む黒いもの。
それはディだった。
繭から触手が伸びてハルムベルテの左腕にぐるぐるに巻き付いていた。
その先端から押し出されるように何かが出てくると、巻き付く触手が指に形を変え、何かを握っていた。
強酸性の液体に晒され、炭酸飲料の如く泡を立てる金属製のそれは、レムリアの医療室で意識を失っていたカエデに、ミカツ゛キが握らせた銃だった。
左手に形を変えた触手が握る銃が、30メートル先の水面に向けて引き金を引いた。
パンっ
強酸の液体の中を貫くように進む弾丸。
その推進力を凄まじい圧力が奪い、残り10メートルのところで弾丸を静止させた。
だが次の瞬間それは起こった。
2発目に撃ち出された弾丸が停止した弾丸に命中したのだ。
弾の後ろに弾を当てる。
本来なら当てられた方の弾はその衝撃で砕け散るはずだが、途方もない水圧のせいでそれを免れていた。
パンっ、パンっ、パンっ、パンっ。
撃ち出された弾丸が次々に前の弾に命中し、前の弾を押し出して行く。
パンっ。
そして全ての弾が一直線に並んだその時、最後の弾に押し出された最初の弾の切っ先がほんの数ミリメートル水面から顔を覗かせた。
ドォオオオオオオオオオオオオンっ。
水圧の呪縛から解放された先頭の弾丸が爆発し、それに巻き込まれた他の弾丸も轟音とともに爆発し、酸性の水を衝撃波で球状に爆散させていた。
そして、その爆発で水中にほんの一瞬出来た空洞から、つまり水面から滑り落ちるようにハルムベルテとそれをくわえる2頭の水棲竜が落下していた。
〔警告。このままだと激突します。今すぐ回避してください〕
「激突?何に?」
ミギャアァァァ〜〜〜〜〜〜っ。
次の瞬間。
水棲竜の、大気を切り裂かんばかりの絶叫が辺り一面に響き渡った。
それとともに大量の血が吹き出し、ハルムベルデは吐き出されていた。
そして、ミカヅキは見た。
第七階層をぐるりと囲む内壁一面から、中心で回転する心棒を目指すように巨大な木々が伸びていた。
深い霧に包まれた世界を刺し貫くかのように縦横無尽に伸びる木々たち。
水棲竜は、そのうちの1本から分かれた巨大な枝に突き刺さっていたのだ。
〈つつ゛く〉




