第二十話「桜花爛漫 ーおうからんまんー」 (後編) ②
葉月視点です。
ようやく桜と再会できました。
陰りを帯びた日光が、木々の間から差し込んでいる。自然ならではの優しい光によって、一種の神々しさすら感じる光景だ。
その光が照らしているものを、除けば。
「あの、これは一体……?」
踊り狂う猿、奇声を上げる猿、はては無防備に寝転がっている猿。
外敵であるはずの僕らに目も暮れず、乱痴気騒ぎに興じるその様子は、野性の動物としてあまりにも異様だった。
「心配いらないわ。泥酔してるだけだから」
「え、泥酔?」
「あらかじめ発酵させた果実で酔わせたのよ。下手に暴れられても面倒だしね」
果実で酔わせる。薬学に精通した、桜さんらしい戦法だ。毒針のイメージが強かったけど、頭脳を張り巡らせて戦う桜さんもかっこいい。
「すごいね。こんな数の猿を一人で捕まえるなんて」
「……運が良かっただけよ。それより、ほら。他の組に見つかる前に」
「あ、そうだね!」
僕は刀を抜き払い、酔いどれの猿たちをまとめて捕獲した。相当酔いが回っていたのだろう。風に巻き上げられる直前まで、どの猿も警戒一つなく、こっちが怖くなるくらいに呑気な有り様だった。
桜さんと合流した後、僕たちは再び二人で行動していた。再会の喜びに浸る間もなく、桜さんに急かされながらここに案内されて今に至る。
「葉月。体力の方は?」
「大丈夫。問題ないよ」
「じゃあ、このまま猿を探すわよ。確か、近くに穴場があったはず」
「穴場?」
「果実や木の実が豊富だけど、日当たりも足場も悪いから、人があまり寄り付かない場所なの。猿はもちろん、捕獲する側にとっても穴場というわけ」
「なるほど」
「小半刻ほど歩くけど、他の組に先を越されなければ、確実に数を稼げるはずよ」
他の組。桜さんの口から出たその響きには、冷静ながらも敵意があった。僕の全身にも緊張が走る。
「それって、他の組と遭遇する確率も……」
「上がるわね。だからこそ、早いうちに状況を確認しておいた方がいいわ」
「そうだね」
日が高くなってから一刻以上は経っている。今日の日没がタイムリミットだから、残り時間はもう一刻もない。
一度分断された僕たちは、おそらく他の組より遅れをとっている。
優勝を目指すなら、多少の危険を冒してでも、猿の個体数が多い場所に乗り込むしかないだろう。虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。
「ちなみに、落葉組と炭組は脱落済みだから、その二組は警戒しなくていいわよ」
「そうなの!? まさか、それも桜さんが?」
桜さんが、なぜか歯ぎしりをした。
「私の力じゃないわ。癪ではあるけど」
「そ、そうなんだ……?」
酔いどれの猿といい、脱落した二組といい、何やら事情がありそうだ。これ以上は突っ込んだらいけないような気がする。若干の気まずさを隅に置いて、僕たちは穴場を目指して歩き出した。
(あ、なんか曇ってきたかも)
空を覆う雲の色が濃くなっている。雨でも降るのだろうか。
説明の際に、雨が降っても試合は続行すると言っていたけど、天候が荒れたらそれも難しいだろう。このまま降らないことを祈るしかない。
桜さんの言う通り、三十分ほどで着いた。
だけど、遅かった。
「こ、これは……」
歩きながら、頭上を見上げる。
木々に、十数匹の猿がぶら下がっていた。
気を失っているのか、声を荒げて暴れる様子はない。さっきとは別の意味で、野性の猿としては異様だ。
「先手を取られたわね」
「誰かが罠を仕掛けたってこと?」
「えぇ。こんな凝った罠を仕掛けるやつは――――葉月!!」
「え? あ!?」
突然、桜さんに突き飛ばされた。
完全に無防備だった僕は、そのまま地面に投げ出される。
「さ、桜さ――――」
起き上がり、言葉を失った。桜さんの姿が消えたのだ。
いや違う。落とし穴だ。
桜さんの立っていた場所が崩れ落ちて、穴が開いている。
突き飛ばされなかったら、あそこに落ちていたのは…………僕だ。
「桜さん!!」
穴の方へと駆け出そうとした途端、足に何かが絡まった。
「え? うわっ!!」
紐が、足首に巻き付いている。そう気付いた時には遅かった。どこからか紐が引っ張られ、そのまま仰向けに転倒する。
全身の痛みに悶えているうちに、近づいてきた人物に乗っかられた。動けない。
「さ、彩雲君っ?」
「やっぱザコだな。簡単に引っかかってやんのー」
ニヤニヤと嘲笑う彩雲君の手に、何かが握られている。
土笛だ。首にかける紐が切れている。
まさかと思い、首に手を当てる。
首にあるはずの紐の感触が、なかった。
「か、返し――っ」
土笛を取り返そうとした瞬間、顔面を押さえ付けられた。視界を遮られ、伸ばした手が空を切る。馬乗りにされている状態なので、体も上手く動かせない。
「バーカ!! 油断してる方が悪ぃんだ――よ!?」
突然、彩雲君が僕から離れた。体を起こして状況を確認する。
「その言葉、そっくりそのまま返すわ」
桜さんが、彩雲君を羽交い締めにしていた。見ているこっちが震え上がりそうな眼差しで、彼の細い首に針を押し当てている。
「まさか、こんな正面から土笛を狙うとはね……脱走の度に、警備の者を罠で翻弄してきただけあるわ。褒めてあげる」
桜さんの手には、紐の切れた土笛が握られていた。羽交い締めにする際に奪い返してくれたのだろう。
「てめ……放しやがれ!」
もがく彩雲君を見下ろしながら、桜さんがせせら笑った。
相手を小馬鹿にし、楽しむような笑顔。
初めて見るその勝ち気な表情に、思わず見惚れた。
「ついでに、あんたの土笛を奪ってやってもいいんだけど?」
「渡すわけねーだろ!! ざけんなこの毒女!!」
「でしょうね」
桜さんの表情から笑みが消える。
そして、彩雲君に針を突き付けたまま声を上げた。
「どうせ近くにいるのでしょう? この糞餓鬼の土笛を奪われたくなければ、今すぐ出てきてください」
「そいつは困るなぁ」
赤い髪が、桜さんの背にかかった。
その髪を払う勢いで、桜さんが後ろを見据えた。
「えっ、虹さ――――」
言葉を失った。
なんの前触れもなく、虹さんが姿を現した。気配も音もなく、さながら瞬間移動でもしてきたかのように、桜さんの背後に立っていたのだ。
しかも、虹さんの手には紐の切れた土笛があった。桜さんが取り返してくれたはずの、僕の土笛が。
(なんで? いつ? どうやって……?)
目の前の事実に、ゾッとした。
おそらく人ならざる力だ。そう分かっていても、恐ろしい。
土笛を見せつけてくる虹さんを、桜さんが「なるほど」と鋭く見据えた。
「土笛の紐を切ったのは貴女様ですね」
「その通り」
虹さんがあっさりと種明かしをした。そういえばあの会議で、虹さんは僕の手を縛っていた縄を、指を差しただけで切り落とした。
今回も同じだろう。虹さんが僕の土笛の紐を切って、彩雲君が奪い取ったのだ。
「だが、私がやったのはそれだけだ。猿どもを宙吊りにして囮にするのも、あんたらの動きを封じて土笛を奪ったのも、全部そいつの策だよ」
「それで、目的は?」
「他の組の無力化だが、たった今失敗した。そこの小猿が浮かれて、逆に人質になっちまったからな」
「誰が小猿だコラ!!」
「だが、ここであんたらをただ解放するのもつまらない。そこでだ」
虹さんは喚く彩雲君に構わず、僕を見た。
いかにも悪そうな笑みを浮かべて。
「私と勝負をしよう。葉月組と私、二対一のかくれんぼだ。鬼は葉月組。半刻以内に私を見つけられなければ、私が葉月の土笛を吹く」
「でも、今は猿探しでそれどころじゃ――」
「嫌なら強制しないよ。今ここで土笛を吹いて、あんたらを脱落させるだけだ」
脱落。その言葉が、全身に重くのしかかってきた。
「ちなみに」
虹さんが刀を抜いた。
僕たちが持っている小刀とは違う、一刀両断できそうな太刀だ。
「かくれんぼの最中も、猿狩りは続行すればいい。むしろ、どんどん狩りまくれ。こんな風に――なぁ!」
虹さんが刀を振るった。
刀身から暴風が巻き起こり、光が駆け抜ける。
反射的に腕で顔を庇うが、なんの意味もなかった。風に巻き上げられた髪が顔面にぶつかり、思わず目をつむる。
風が止んで、恐る恐る瞼を開いた。
僕たちの後ろで吊られていた猿たちが、一匹残らず消え去っていた。
(身動きが取れないとはいえ、一振りで……!)
「お言葉ながら」
桜さんが口を開いた。規格外すぎるビームを前に臆するどころか、食ってかかるような勢いだ。やっぱり桜さんはすごい。
「私は今、彩雲を人質にとっている状態ですが」
「問題ないよ。彩雲はあんたらに預ける」
「はぁ!? テメーまた何言ってんだ!!」
虹さんのとんでもない発言に、彩雲君が抗議の声を上げた。そして当然の如く、桜さんは抗議の声を無視して「いいでしょう」と頷いた。
「葉月様がよろしければ、受けて立ちます」
「だそうだ。どうする、葉月?」
虹さんの一言で、全員の視線が僕へと向いた。彩雲君のみ獣のうなり声を上げている。めちゃめちゃ気まずいけど、そんなことは言っていられない。
「……分かりました。やりましょう」
「おい無視す――!!」
彩雲君が口を閉ざした。
桜さんが、彩雲君の首に針の先端を押しつけたのだ。ひえ……っ。
「ご安心ください。勝敗を決するまで、彩雲は責任をもってお預かりします」
「首に針を突きつけながら言う台詞じゃねーだろそれ!!」
「それは頼もしいな。よろしく頼む」
「テメーら……マジでふざけんなああああ!!」
そして現在。僕たちは、姿を消した虹さんを探し回っていた。めちゃめちゃ不機嫌な彩雲君を伴って。
「マジでありえねぇ! 二人一組だっつってんのに、人を犬や猫みてーにタライ回しにしやがって……クソがっ!!」
(他の人にも預けられたのか……)
彼の短気は日常茶飯事だけど、今回ばかりは同情する。
一方の桜さんは、そっちの事情など知るかと言わんばかりに「ぎゃんぎゃんとうるさいわね」と眉をひそめた。
「この状況が不満なら、いつまでも騒いでないで、あんたも虹様を探しなさい」
「…………ちっ。わぁったよ」
彩雲君は舌打ちしながらも、大人しく口を閉ざした。
「でも、彩雲君がいてくれて助かるよ。あちこち罠だらけで、僕たち二人だけじゃ安心して歩けないから」
「全部、こいつが仕掛けた罠だけどね。迷惑ったらありゃしない」
桜さんが、彩雲君を横目で見た。
また怒るかと思いきや、罠を仕掛けた本人は「まぁな」と胸を張り出した。
「オレのトラップはテンカイッピンだからな。猿もテメェらも敵じゃねー」
「その『とらっぷ』とやらで、猿も捕まえてくれるとありがたいんだけど」
「やなこった。他の組に肩入れなんかすっかよ」
「へぇ? 律儀なのね。日頃から虹様に文句ばかり言ってるのに」
「当然だろ。仲間なんだから」
彩雲君が言い切った。
当たり前のことだろと言わんばかりに、きっぱりと。
(こういうところなんだよなぁ)
短気なところばかり目立つけど、納得すれば言うことを聞く。素直なのだ。黄林さんの授業を共に受けて分かってきた、彩雲君の美点だ。
「あいつには借りができちまったからな。借りはきっちり返さねぇと――――」
言い終わる前に、彩雲君が固まった。
彩雲君だけじゃない。僕も、桜さんも、同じように静止した。
(…………なんだ、あれ)
生い茂る木々の向こうに、黒い何かがいた。
二足歩行の生き物だ。顔だけなら猿っぽいけど、それにしては巨体すぎる。木々の影で分かりづらいけど、毛むくじゃらなのは見てとれた。
熊かと思ったけど、それも違う。
分かるのは、とにかく得体の知れない化け物であることだけだ。
そしてなぜか、一目で分かるほどの敵意を感じた。
あの日、静国で向けられた殺意を思い起こさせるほどの、明確な敵意を。
③に続きます。




