第二十話「桜花爛漫 ーおうからんまんー」 (後編) ①
花鶯視点です。
草をかき分け、のぞき込む。
何の変哲もない土色が広がっているだけだ。また別の場所を、同じようにのぞき込む。さっきからこの動作を繰り返している。
「こっちはないわね。菜飯は?」
「こちらもあらかた探し尽くしました」
「そっちはどう?」
蛍と李々が、首を横に振る。あっちも同じようだ。
葉月組が立ち去った後、私たちも解散して試合に戻るはずだったが、そこで蛍が悲鳴にも似た情けない声を上げた。
蛍が、土笛をどこかに落としたというのだ。
仕方がないので、私と菜飯はひとまずここに残り、蛍の土笛を探すことにした。
「本当にすみません。試合中にこんな……」
「いいわよ、もう。ほら、あっちの方も探して」
「あ、はい!」
蛍があたふたしながら、指差した方へと一目散に飛んでいった。
「本当、姫さまには甘いですねぇ」
李々がこちらに近づき、許可なく隣に腰を下ろしてきた。状況が状況だ。今はあえて何も言わないでおく。
「土笛がないなら、むしろ花鶯組にとっては好都合じゃないですか。探すふりをして土笛をかっさらうつもりなら、話は別ですけど」
「するわけないでしょう。なんでもありなら、正々堂々と戦うのも自由よ」
「あら、清廉潔白。さすがは巫女さまですね」
くすくすと、人を小馬鹿にしたような笑みで嗤う。いちいち腹の立つ女だ。
「言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ」
「別に何もございませんよ。わたしには、どうすることもできませんしね」
「は? 何言って――」
「失礼。あちらを探して参ります」
李々は立ち上がり、別の場所を探しにいった。結局何が言いたかったのよ!
「ん?」
視界の端に、土色の個体を見つけた。
手を伸ばし、祈るような気持ちでそれを掴み取る。
「あ――」
間違いない。確かに『蛍姫』と名が彫られている。紐もちゃんとついている。
「あった! あったわ!!」
全員の注目が私へと集まる。私としたことが、はしたない声を上げてしまった。
咳払いをし、変な空気を元に戻す。
そのまま蛍へと歩み寄り、土笛を「はい」と渡した。
「あぁ……よかったぁ……」
蛍が、土笛をぎゅっと胸に抱きしめた。
「花鶯さん、ありがとうございます」
「どういたしまして。もう落としたら駄目よ」
「はい!」
蛍がとびきりの笑顔と共に、土笛を首にかける。そこまで見届けて、ようやくほっと息をつけ――――
背筋が、ぞわりと震えた。
周囲から、無数の鳥が羽ばたき出す。
私と蛍は、反射的に『そこ』から距離を取った。
その直後に、私たちがいた場所に木が倒れ込んできた。地響きが耳をつんざき、全身を激しく揺さぶる。
土埃で悪くなった視界が晴れていき、そこで初めて視認して――戦慄した。
全身を覆う、黒茶の剛毛。
二本足による直立。
筋肉隆々かつ、巨木のような体躯。
逆三角の顔に、人の倍は大きな頭。
顔中に残る、歴戦の戦士を思わせる傷跡。
「うそ……!?」
昔話に出てくる、猿の姿をした化け物だ。一振りで木をなぎ倒し、雄叫びで地を揺るがすと言われているが、確かな情報はなく、生態全てが謎に包まれている。
しかし、今、目の前で木がなぎ倒された。得体の知れないこの化け物によって。
伝承がどこまで本当かは分からないが、人の手に負えない存在であるのは、火を見るよりも明らかだ。
だけど――――
「花鶯さま。やる気ですか?」
李々が歩み寄ってきた。
私は、化け猿を見据えたまま「当然でしょう」と即答する。
こいつからは、凄まじい『闘気』を感じる。
捕食か蹂躙か。目的は分からないけど、こんな化け物を野放しにしたら、間違いなく近隣の村に被害が出る。
巫女として、捨て置くわけにはいかない!
「菜飯、後ろをお願い!!」
「御意」
菜飯がうつむくと同時に、背中が割れた。
割れ目から黒い影が溢れだし、鉈の形を成していく。武器としての実体を得ると同時に、背中の割れ目が閉じた。菜飯の影は、情報収集のために人の形をとることが多いけど、彼が知っているものなら物体も作り出すことができる。
ちらりと蛍を横目に見る。
私と同様に、戦闘の構えを取っていた。
「蛍。李々と逃げなさい。ここは私たちで足止めするわ」
「花鶯さんを置いて逃げたくなどありません。それに、私だって巫女です」
敵を見据える蛍の目は、鋭い。
普段は押しが弱いくせに、こういう時の蛍は頑固だ。意地でも動こうとしない。
「……李々」
「言われずとも分かっていますよ。仕事ですからね。従者として、命にかえても姫さまをお守りします。菜飯さん。私にも同じのをお願いします」
「承知しました」
菜飯が背中から鉈を出し、李々に手渡す。私たちも、腰の小刀では心許ないので同じ鉈を作ってもらった。
場の空気がさらに張り詰める。
睨み合った末に、先に化け猿が走り出した。
怒濤の勢いで、私たちの横を素通りして。
「「はあああ!?」」
李々と声が重なり、顔を見合わせる。
速攻で互いに顔を背けた。よりによって、李々なんかと同調してしまった。
「追うわよ!!」
「はい!」
化け猿の背を追って走り出す。蛍たちも、私の後に続いた。
目的は私たちではない。
そして、無差別に暴れるわけでもない。
何がなんだか分からないけれど、どちらにしろ止めなければならない。
(それにしても、足場が悪い……っ!)
地面がでこぼこしている上に、その先には下り坂。
全力疾走するにはやりづらい地形だ。対して化け猿は慣れているのか、難なく走り続けている。逃がしてしまえば、地の利で不利な私たちでは追いつけない。
「私が足を止めるわ!! その後をお願い!!」
地を蹴り、化け猿の前に降り立つ。
震脚!!
左足を上げ、化け猿の足めがけて踏みつける。
危機を察してか、化け猿は瞬時に足を引いた。代わりに地面を踏み抜き、乾いた音と共に足跡が刻まれる。
「ほあああああ!!」
発勁!!
地を踏み抜いた勢いのまま、右手を化け猿の胸に突き出した。
化け猿の体が揺らぐ。腕で威力を打ち消したようで、倒れることなく持ち堪えたが、それでもすぐには動けまい。
間髪を入れず、坂の上から蛍が飛び降りた。
「はあああああ!!」
蛍が鉈を構え、振り下ろす。
発勁で動けなくなった、化け猿を目掛け――――
化け猿が突如、地に伏せた。
「「えっ!?」」
蛍の鉈が空振りした。
挟み撃ちにしていた化け猿が、寝転んだまま坂を転がっていく。
(なんてこと! 動けないことを逆手に取られ――――)
迫り来る影に気付き、顔を上げる。
突然標的がいなくなったことで、その背後にいた蛍が、私の方へと落ちてくる。
「花鶯さん避けてええええ!!」
叫びながらもとっさに鉈を捨てた蛍だが、上手く体勢を立て直せないらしい。私も、即座に反応できなかった。
蛍とぶつかって体勢が崩れる。
そのまま、二人して坂を転がっていく。
「姫様!!」
菜飯の声と共に、影が視界の端をかすめた。
影で私たちを受け止めようとしたのだろうけど、間に合わなかった。もちろん、李々にもどうしようもできない。
為す術もなく、私と蛍は川に落ちた。
「――――けい、蛍っ!!」
水面から顔を出す。流されながらも、なんとか蛍を捕まえる。
「蛍、だいじょ――――」
頭でも打ったのか、蛍の反応がない。
全身から血の気が引き、呼吸が浅くなる。視界が揺らいでいく。
(…………しっかりなさい、花鶯!!)
唇を噛みしめ、己を叱咤する。
私は蛍を抱えながら、なんとか川から這い上がった。
蛍の呼吸を確認する。
問題ない。大怪我もなく、ただ気を失っているだけのようだ。
無事である事実にほっとする。全身の力が抜けそうだ。気の強化で死ぬことはないと分かっていても、恐ろしいものは恐ろしい。
「蛍、起きて」
ぺしぺしと丸い頬を軽く叩く。
瞼が、ゆっくりと開いた。
「…………あれ、花鶯さん?」
「蛍、大丈夫?」
「はい、なんとか…………は!!」
蛍が、顔を真っ赤にしながら飛び起きた。
「す、すみません!! 私、もしかして気絶してましたか!?」
「ほんの少しね。痛むところはない?」
「は、はい……ないです!! 元気です!! あの、李々さんと菜飯さんは――」
蛍が顔を上げ、絶句とした。
「…………あの」
「私たち、二人して川に流されてしまってね。完全にはぐれたわ」
「ど、どどどうしましょう!! 後で李々さんに叱られる!!」
「心配するのそこじゃないでしょう!?」
顔面蒼白で頭を抱える李々に、思わず突っ込んだ。あの性悪女、従者の分際で普段どんな接し方してるのよ。
「二人を探さないとですね」
「あの二人なら大丈夫よ。あっちには菜飯がいる。どんなことがあろうと、菜飯が私たちを見つけるから」
そう。菜飯なら絶対に私を見つける。
完璧で清廉潔白な、私の従者だから。
「むしろ探すのなら、あの化け猿の方よ。目的が分からないからこそ、あのまま放置するわけにはいかないわ」
「確かに、そうですね」
「とにかく、今は体を拭かないと」
「あ…………」
蛍が、呆気にとられたように口を開く。
川に流され、二人揃ってずぶ濡れの状態だ。これでは風邪を引いてしまう。
私たちはひとまず、濡れた服の後始末にとりかかった。
②に続きます。
化け猿はいずこに……?




