3 ~地主と弟~
10月31日の昼ごろから夕方にかけて、レインボウスプレッド市の数割の土地を管理するといわれるレインボウウィード一族の屋敷には、土地目当ての者たちが集まり始めた。その中にはジャックとナオミの姿もあった。
多くは彼らのように単に土地がほしいとか資産運用目当てであるが、中には伝説にうたわれる未発見の生き物を捕まえようとか、言い伝えられるおぞましく変化した植物の標本を狙うものなど、変り種もいるようだ。言い伝えにある井戸に触らないことと、レインボウスプレッド市の出身でないことさえ満たせば誰でも良いということで、夜に締め切られるまでに10人以上の立候補者が集まった。
レインボウウィード家の現在の当主はアンブローズ氏で、ジェフリーとレジナルドという弟がいる。アンブローズ氏は代々受け継がれた一族の言い伝えを守り、古くからの伝説の舞台となった井戸を囲む森を管理してきた。アンブローズ氏の秘書は集まった候補者達に経緯を語った。
町が全く違う名前の小さな集落だった頃、井戸は町の周囲に広がる畑に囲まれた広場にあった。人々は広場に集まり、水を汲む女達の井戸端会議の場であったり、男達の休憩の場であったりと、いつも人で賑わう場所だったという。
そこへ落ちた隕石によって水質が汚染された。畑が使えなくなり、人々は畑を放棄して移動した。知らないものが汚染された水や植物で中毒死しないようにと、身寄りのないものや罪を犯したものを見張りとして小さなきこり小屋に押し込め、井戸の周りに木を植えさせた。そのときから、一帯はレインボウスプレッド(虹の沸き出でる場所)と呼ばれるようになり、いつしか正式な町名にもなった。
数世代ののち、新たな小屋の主を連行した人々は、七色に光る巨大化した植物の根元で死んでいる男と、それを悼むように囲む綿のようなものを見つけた。
綿状の存在は言った。人間は森に入ってはいけない。森は、おぞましく変化した植物と、どこからか発生した異形のものどもに支配されているのだと。自分たちも異形のもののひとつであると認めた上で、その綿状の存在は、人々と契約を交わした。当時あいまいだった土地の所有を当時の町長である事業家のものであると定め、代々管理を続けるべしと。
綿状の存在は人間の代わりに森の中を監視した。彼らが人々の前に再び現れるのは、土地を捨てるようなおぞましい事態が起こるときであると言い残した。
その事業家が初代レインボウウィード氏である。初代と当時若者だった2代目、幼い子供だった3代目は契約を守る事を第一とした。近現代になり人口が増え、周りの州や市町村で開拓競争が起こっても、レインボウ市はあの森の周辺に手をつけたのは数年ほど前で、出来る限り居住空間を森から離してある。
これまでの後継者達は皆、たとえ言い伝えを信じていなくても、人気取りや周りに押されて、あるいは手続きの煩雑さや森の広さのために、直接手を入れる事をしなかった。しかし、息子の居ないアンブローズ氏の跡を継ぐ弟ジェフリー氏は、森に手を入れる事を公言してはばからない。そこでアンブローズ氏は引退する前に、ジェフリーの影響を受けない他者に森を売り渡そうと考えたのだった。
既に一家の遺産は少しずつ弟のジェフリーのものとして扱われ始めている。ジェフリー氏は言い伝えや伝統などを嫌い、森を開いて高く売り払おうとしている。先日兄弟とその配偶者、息子たちは資産の分配について醜い諍いを繰り広げた末に、森についての取り決めをしたのだった。
『11月8日までに森の所有者がアンブローズ氏の決めた個人・団体や会社に決まらない場合、11月9日以降森の所有者をジェフリー氏に変更する。』
ジェフリー氏は変更のための手続きをできるだけ進めてしまっている。誰かがアンブローズ氏の懸念を払い去って森を買わなければ、ジェフリー氏が雇い入れた業者が土地に乗り込んでくるだろう。
名前に「虹の(レインボウ)」という名称が残っているとおり町にはまだ信心深い人々も多く、そうした人々にとってジェフリー氏の所業はまるで何も知らないよそ者が大切な故郷を蹂躪しているに等しいのだった。
そして、アンブローズ氏には、取り決め以外に早急に森を調査したい理由があった。彼は秘書に布をかぶせられた籐の籠を持ってこさせると、ゆっくりとふたを開け、中のものをそっと取り出し、掲げて見せた。ほんのり淡い黄緑色をした綿埃のような丸い塊だった。
「伝説の生き物が実在しているとは、興味深い!」
科学者だか研究者だかと名乗る候補者が、アンブローズ氏に駆け寄ろうとした。メイドや執事たちに取り押さえられ、別室に引きずられていった。