Faille 3
西南地区方面にある公園を見つけ、そこのベンチに腰をかけると、他方から声が聞こえた。
「……どうしてお前がここに………」
男は白いタンクトップを着ていて、筋肉はよく、金髪のモヒカンをしていた。なぜか信じられないと思うように焦っていた。
「…誰」
「もう忘れたのかよお前……。何でこんなとこで普通に座ってんだよ!?」
「だから誰だよ」
イラつくラインまで来た佳志はその場から立ち上がり、男に顔を近づけ、険悪に睨み始めた。
「お…俺のせいじゃないからな。それは覚えておけ。お前が築き上げた罪なんだからよぉ!」
「オメエ、いい加減にしねえと――」
気が付くと、二の腕にナイフが刺さっていた。モヒカンの男が刺したものだ。
悶絶し、片膝をつく佳志に彼は佳志の顔を蹴り上げた。
「俺の事忘れるなんて、いい度胸してんじゃねーか与謝野! 俺はな、五十嵐って奴だよ! テメェがやった事はな、俺にまで影響してんだよ!」
佳志は懸命に刺さったナイフを引っこ抜き、息を荒らしながらそのナイフを五十嵐と言う男に突き付けた。
「相変わらず元気のある野郎だなぁ! 忘れたか? 俺はテメェに負けたことがねえんだよ!」
「……そうかい。生憎俺はお前の事を覚えてないし関わった覚えもないんだよ」
「俺はなめんじゃねえぞ与謝野! お前は目障りなんだよいつも! 地区最強のこの俺様を! テメェは邪魔ばっかしやがるからなぁ!」
「何言ってるのか全然分からないなぁ……。オメエどこの薬入れたらそんな思い違いがでてくんだよ……」
「んだとコラァ! 薬はテメェが配ったんだろうが!」
沸点を越えた佳志は考える余裕もなく五十嵐の腹を前に蹴り、尻餅をついた彼を持っているナイフで首を狙った。
刃に写る五十嵐の表情は、半分あきらめかけていた。そして五十嵐の瞳に映る佳志の表情は、絶対に殺すと言った表情以外考えられなかった。
勢いよく下に振り下ろされたナイフを五十嵐は横に避け、刃の先が欠けた。ナイフは既に使い物にならない状態になったのだ。
その意外な状況に五十嵐は余裕を見せ、嫌気をさす笑みを見せた。
しかし佳志の顔はわずかにも変わらず、尻ポケットから何かを取り出した。
――ナイフだ。
折り畳み式で、刃を出す間に五十嵐は馬乗り状態からもがき続けたが、無駄な抵抗となってしまった。
佳志の表情、それは激怒を遥かに超えたかのような、それに加えて激しく見下すかのような、一言で現せば無気味であった。
その表情、そして刃物を両手で五十嵐を指そうとするその体制で佳志は口を開いた。
「ではココで問題」
「……ふぇ…?」
「凄く簡単だから、正解したら見逃してやるよ」
「……………」
「問題、今から死ぬのは与謝野佳志こと、俺? それとも五十嵐くんこと、君?」
「えっ……」
「ここで特別サービスのヒント。俺は今からでもオメエを首に刺してぶっ殺せる。オメエは馬乗りされてるから何の抵抗も出来ない」
「お……お前しか……」
「はい不正解」
そう言いながら佳志は容赦なく刃先を五十嵐の首に振り下ろす。
悲鳴さえも出せず五十嵐は目をつむってしまった。
しかし痛みはなく、恐る恐る目をゆっくり開けると、目の前に刃先があり、最終的に悲鳴を上げてしまった。
「解説がまだだったな。何でだと思う?」
「さ……さぁ……」
「お前はどうやら赤星高校で滅茶苦茶強いって感じだったな。それはつまり、強いって言いたいんだろ?」
「ま……まぁ、はい…」
「そして、俺はお前の事なんて満更知らないただのチンピラにしか過ぎない与太者だ。つまり俺は弱いんだよ。要するに、世間一般では弱肉強食ということで、お前は強く俺は弱い。だから俺が死ぬ、つまり負ける」
「でも今では俺の方が明らかに負けて――」
「当たり前じゃん。弱いから勝ったんだよバカ」
「意味分からねぇ……お前何が言いたいんだよ……」
「即ち、お前の負け。ということを殺す前に言い忘れてたんだよ」
「ちょっ――待っ……!」
佳志は刃物を上げて改めた状態でナイフを振りおろした。
しかしそれでも五十嵐は痛みを感じず、再び目を開けると、今度は佳志がいなくなっていた。目の前で立っているのは、1人の女性だった。
「アナタ大丈夫!?」
「えっ……」
五十嵐が後ろを振り返ると、転げた佳志の姿があった。
「テメエ……何すんだ……」
「やっぱりアンタを監視する義務があると思ったのよ。今みたいな感じになると大分厄介だから」
「知らねえって言ってどっか行ったくせに、俺に関わってんじゃねぇぞクソアマァ!」
遂に佳志は罵声を放った。それはまるで化けの皮を脱いだ悪党と同じようなものであった。普段の彼の顔はどう見ても乱れ者ではないからだ。
五十嵐は素っ気ない声を出しながら逃げ去ってしまい、佳志は再び機嫌を損ね、亜里沙の胸ぐらを掴んだ。
「オメエ、何考えてんだ」
「何よ。アンタこそ何考えてんのよ。人を平気で刺すなんて、あり得ないわよ!」
「正当防衛って奴だよ。俺は刺され『た』んだよ。なのにアイツはまだ刺されてない」
「だからって殺していいなんて決まりなんてないのよ! 人を殺すっていうのがどれだけ残酷なことなのか、アンタ分かるの!?」
「そんなの分かったら世話ねえんだよ!」
佳志は亜里沙の頬を打ってしまった。彼女は倒れることもなく、黙っていた。
息を荒らす彼は「何とか言えよ」と叫び、亜里沙はゆっくりと佳志を睨んだ。
「………佳志。アンタ、可哀想な人間だよ」
意外な答えを出され、彼は一瞬圧倒され、焦慮した。なぜ自分がこんな事をよりにもよって女性に言われなくてはならないのだろうか。そう気を揉んだ。
「アンタは人を殺すことにさえ、重要性を感じていない。それに対する報いをアンタは受けているはず。なのに何で次、また日常茶飯事のように人を殺せるの?」
「オメエ……アリを踏んだ事、あるか? どうせ記憶にねえだろうよ」
佳志は徐々に冷笑化し始め、目線を亜里沙の瞳に向けた。
「俺はな、アリを踏み殺すなんて全然屁でも思ってねえよ。俺には関係のないことだからな」
「つまり、関係のない人間は平気で殺せるってこと?」
「あぁそうだよ。ムカつくんだよ、腹が立つんだよ。頭に来るんだよ! 俺に関わってくる奴全員ムカつくんだよ! オメエを含めてな! 何だよ初日から! オメエは正義の味方気取ってんじゃねえぞ! それを俺に、悪者に見せつけたいだけじゃねえのかよ! イライラするんだよそういうの!」
「………………」
亜里沙は言葉だけではなく、顔からでも察せれるくらいに『可哀想な人間』を見る表情になっていた。
彼女は一度深呼吸をし、ゆっくりと息を吐いた。
「平気で人を殺し、平気で女性の顔に泥を塗ろうとする。そして平気で人をゴミ扱いする」
「……………あ?」
「アンタみたいなクズ、生まれて初めて見たわ」
その亜里沙の目は、想像できない怒りを感じるほどに真剣であった。
「私が何で警察やってるか、知ってる?」
「知らねえよ」
「ヤクザやチンピラを牢に入れて報わせるためよ」
「そうかよ。なら今のオメエは評定ゼロだな、黄金美町の不良集団は全然廃止されてねえぞ?」
「そうね。でも、アンタはそんな不良集団、チンピラ、ヤクザよりも酷い人間」
「ンな事言って何か出るのかよ」
「何も出ないわ。ただ、今ので確信したのは私は正義、アンタは紛れもなく悪ってことだけよ」
「そうかい」
これ以上、何を話しても拉致があかないと推定した佳志は亜里沙に背を向け、立ち去ってしまった。
それ以来、亜里沙と佳志が会うことはなく、姿を消してから一週間が経った。結局悪者をどう説得しても、無駄な事は無駄であったと、亜里沙は色々後悔していた。
彼を懸命に病室へ運んだこと、彼にアイスコーヒーを渡した事。そして彼を少しでも部屋の畳を分けようと誘ったこと。これは全部、水の泡となってしまったということである。
事務所にて、異変に気付いた金司が亜里沙の元へ訪ねてきた。
「そういえば、佳志の姿が見えないんだが? 次の任務を報告しようとしたんだがアイツ、逃げたのかまさか?」
「知りません」
金司に顔さえ向けない亜里沙は続けてパソコンのキーボードを打ち続けた。
「お前、まさかアイツに何か気の障るような事したのか?」
「いえ別に。あの男は人を襲っていたので止めただけです」
「……………」
金司は黙って自分の部屋へ戻った。
亜里沙は心の奥底に残るモヤモヤに腹が立ち、強引にキーボードを打ち続けていた。
末にパソコンがフリーズし始め、イライラを抑えきれずに彼女は罵声を放ちながらパソコンを叩いた。
「何でこう、イライラするのかしら!」
勢いで彼女は署を出て、路上で途方に暮れてしまっていた。
――なぜ、私はこうもイライラしているのだろうか。なぜ、悪者の顔が頭から離れないのだろうか。
彼女は悔しささえ湧いてきてしまった。
あの普通の顔、普通の服装、普通の態度。これは化けの皮と感じた彼女はより一層寒気がくるぐらい気分が悪くなった。そう、彼の顔は普通なのである。特徴も何もない、オーソドックスな。普段はちょっと不愛想な男だと思っていても、中身は凶悪な悪漢。それが事実なのだ。
黄金美町では染髪、ピアス、派手な服装をする人間が非常に多く、その多くが非行に走る傾向なのである。即ち与謝野佳志はかなり珍しい部類に入る。染髪もせず、ピアスも、穴をあけた痕跡も、服装も実にノーマル。
亜里沙は酷く機嫌を損ね、容姿にも合わず目の前にあるゴミ箱を蹴り飛ばしてしまった。
そこに、1人の男が倒れたゴミ箱を丁寧に立て直し、こぼれた缶を一つ一つゴミ箱に入れた。亜里沙は見られたことに驚倒し、その場で謝った。
「ご、ごめんなさい! つい……」
男は残り一つの缶を持ち、笑顔で彼女に接した。
「いいですよこのくらい。僕はただ、女性がこの様な事をするのは少し似合わないのかと思っちゃいまして……」
「本当ごめんなさい。その缶、私に戻させてくだ――」
よく見ると、実に見たことのある顔だった。そう、化けの皮という顔を。
「アンタ……今まで何してたのよ!?」
驚倒して一歩下がり、彼に指差した。彼は首を傾げた。
「何って、学校の帰りですよ。えっと……どこかでお会いしました?」
「一週間前に散々世話焼かせたじゃない! ていうかアンタそんな笑顔かませるんだ! すっごく似合ってる反面より一層化けの皮に見えるわよ!」
「………あのう、おっしゃる意味が分からないんですけども。失礼ですが、どなたでしょうか……?」
「ふん、とぼけても無駄よ。そんなんで私の機嫌が直るとでも思った? その戦法じゃ私の機嫌は直らないわよ残念だったわねこのチンピラ!」
「………はい?」
「えっ……、だから、だから! じゃあアンタの名前は、一体何なのよ」
「あ、申し遅れました。与謝野佳志と申します。まぁたまたま会っただけなので、またいつかお会いしたら是非声かけてください」
そう彼は純粋な笑顔で彼女に自己紹介した。
同姓同名、同じ顔、同じ名前。そんな男に完全に初対面として接されると、さすがの彼女も顔を赤くしてしまった。
「あのう、熱出てますよ。僕薬局行って風邪薬買ってきますね」
心配そうな形相で彼は亜里沙の顔を伺った。
「アンタ……お金あるの?」
「え、お小遣いなら……」
尻ポケットを探る佳志だが、どこのポケットに手を突っ込んでも財布はなく、左ポケットには煙草とライターがあり、彼自身が酷く驚倒していた。
「なっ……何これ!? た…煙草? 何でこんなの僕持ってるんだ……」
「………………」
「あ、僕未成年なんですけども、一本も吸ってないですからね!」
「箱の中、見てみなさいよ」
覗くと、残り五本入っていた。しかもライターのオイルも消費していて、歯もそれなりに黄ばんでいることが分かる。
「えっと……これはその……」
佳志は苦笑いをするしかなかった。
「私、こう見えて一応警察なのよ」
彼女はそう強気で彼に手帳を見せつけた。それを見て青さめた彼は、何度も頭を下げ続けた。
「ごめんなさい! でも僕本当に吸ってないんです! 補導なんて、自分の人生に泥を塗る真似なんてしたくありません! 本当ごめんなさい!」
普通なら逆上して「うるせえ」などとかますはずが、ここまで懸命に謝罪をされると亜里沙も大分困ったものだった。
「えっと……、君本当に与謝野佳志っていうんだよね……?」
「はい! 家に生徒手帳あるんですけども」
「家はどこなの?」
「黄金美ネットカフェ店の中が一応、我が家になってます」
亜里沙は、家庭の事情を言おうとしない佳志にせっかくの機会と企み、その事を聞いてみた。
「家庭はどんな感じなの?」
「父親は……いないです」
「母子生活!?」
「いや、上の姉がいまして。何か僕、どこかでずっと眠ってた気がするんですよ……」
「そ…それって少年い――」
察していた亜里沙は、あえてその事を彼にいう事はなく、口をつぐんだ。今の佳志は、とても憎むべき人間ではないからだ。
「さっき家に帰ったら誰もいなかったし……。僕、どうかしちゃったんですかね。もう分からないですよ」
「そ、そんなことないわよ? どうかしてる訳……」
どう考えてもどうかしているのだ。分かり切っているにも関わらず嘘をついて励ます勇気は、とても彼女にはなかった。
何だかんだで2人は並んで路上を歩き、話をした。
――この二列で歩く感覚は前にも味わった気がするけど、人が変わるとこうも雰囲気も変わるのか――。
亜里沙はそう感心していた。