Faille 9
――名前は、亜里沙。本名は仁神亜里沙。幼い頃から父親はその組の組長で、私は知らない男達からは「お嬢」と呼ばれてた。いざ私が危険にさらされるとその人達は私を命懸けで守ってくれる。父もその時はいつも私を死にもの狂いで守ってくれる。だから私が持ってる家族は皆正義のヒーローだと思ってた。
小学校に上がり、高学年になると私は異性に対して意識を持ち始めた。でも、なぜか男は全員怯えながら逃げていき、私には幼い彼氏さえも作れず、何か疑問を感じていた。だから父に相談してみると、許嫁の話になり、いずれ結婚できるということを宣言されて、その時はもの凄く嬉しかった。
私はよく刑事ドラマを見ていて、警察というものがもの凄く憧れの的でもあった。
父に私が警察官になりたいという事を申すと、なぜか不愛想な態度で何も言われなかった。褒められることも、叱られることも。その時、私は何かまずいことでも言ったのかと不安になってた。
そしてそんなある日、私が中学三年生になったときだ。その時は好きな人もいて、その上付き合っていた。
父に呼ばれ、組長室へ足を踏み入れ、そこには父が深刻な顔をしていた。
『亜里沙、そろそろお前も結婚できる歳だ』
『は、はい……』
『昔、お前には許嫁がいること、それは言ったよな?』
『はい』
すると背後にある扉が開き、そこには三つほど歳が離れた男の人がいた。
『この人は……?』
『お前の許嫁、水木 虎郎だ』
『と……とらお……さん?』
虎郎という男は白い派手なスーツを着ていて、オールバックをしていた。彼は亜里沙に深々と敬礼をした。
『何とぞ、宜しくお願いいたします』
私はその時、正直不安だった。こんな人と一生を預けてもいいのだろうかと。そして今の彼氏とはどう話をつければよかったのだろうと。
そして私はある日、見てしまった。父が自分の部下の指を、若頭の春成に切る事を命じていた一部始終を。
私は市役所へ行ってパソコンを使って自分の組の事について調べた。ブロックされているところもあったのであまり情報源がなく、色んな人たちに聞き込みした。
そして仁神組という名前を出すたびに聞かれる人間は怯えてしまう。ろくに聞くことはできなかった。
しかし人に聞かずとも、路地へ行けばすぐに分かった。自分がどんなに醜い人間だったのかくらい。
たまたま見たのだ。春成と虎郎が、私の彼氏に刃を向けているところを。
『おい、テメェ仁神組舐めてんのか? あ?』
『水木組なめてると、痛い目に遭うよ? 坊主』
水木組というのは初耳だった。
『ちょっと春成! 何やってんのよ!』
その時点で間違えていた。彼氏の前で、彼の名前を発したというのは。
当然彼はその時点で、私が春成や虎郎の仲間だということを認識してした。
『あ…亜里沙、お前まさか……』
『…………ごめん。本当にゴメン』
私は謝る事しかできなかった。
春成や虎郎を必死で止めたが、彼らが刃を下ろすことはまずなかった。どうやら彼氏は二人とぶつかり、彼から喧嘩を売ったらしい。だから悪いのは確かに彼の方だった。
でもあくまでも私の彼氏。止める義務はあった。
『止めて春成――!』
春成は、容赦なく私の彼氏の小指をちょん切った。その時の「ポトン」という音は、もう聞きたくなかった。
二人は去り、私は倒れている彼氏の肩を掴んだ。しかし、その手ははたかれ、人間に向ける目つきではないほどに睨まれた。
『まさか……ヤクザの娘だとは思わなかったよ……』
『ごめん……許して……私は生まれつきあそこで住んでた。だからそんな事をする人間が集まるところだとは思わなかったのよ!』
『黙れよ。俺は亜里沙のな、突っ張ったところが好きだっただけなんだよ。お前がヤクザの娘だなんて聞いてない。増してやお前の親戚に今、落とされた……。もう俺の視界にも入ってくるな人殺し』
彼は自身の指を押さえて私の元から去って行った。その瞬間、私はこの世の誰しもから見放された気分だった。
ヤクザと言うものがどれだけ悪い人間なのか、そしてどれだけ酷く醜い連中の集まりなのか、そして私の父がその酷く醜い連中のトップだということが思い知らされた。
――そしてそのトップの娘が、私だと言うことも同時に。
私の大切な人からも見離されたこの屈辱感は、半端じゃなかった。だから私は、その日で家から戻る事はなく、遠い遠いところまで、とにかく遠い場所まで逃げて行った。
仁神という名が届いていないところまで……とにかく!
そして行き着いたところが黄金美町だった。もう歩くのに限界が生じ、立つこともできず、アスファルトに倒れ込むしかなかった。情けなかった。
汚れきっていた私に、手を差し伸べてくれた人。意識が朦朧だったので、その人の顔はもう覚えていないけど、若く見えた。
『お姉さん大丈夫かい?』
『………………』
私は何も答えれなかった。もう自分がヤクザだという事を、口走りたくなかったから。
『何か言ってみろよ。族長の彼女か?』
その人の問いはよく分からなかった。族長? 何なのそれ――。
『に………仁神の……娘………』
恐る恐る私はそう名乗った。でもその人は何も動揺せず、「そうか」と一言を言って私にパンをくれた。
『まぁ食えよ。めっちゃ腹すかしてるようだし』
その人は壁にもたれている私の横に座ってくれた。
『アンタ……私が怖くないの……?』
『何がだよ』
『私は……ヤクザの娘なのよ』
思い切って言うと、男はその場でゲラゲラと笑った。
『はは、面白え女だな。オメエつっぱりじゃなくてヤクザかよ』
『な…何よ。バカにしてるの?』
『別に。俺はただ、オメエがどこぞの暴走族の奴だと思ってただけだ。へぇーヤクザの娘か』
なぜかその人は私がその娘であることに感心していた。
『アンタ、本当に私が怖くないの?』
『何でたかがスジモンに怖がらなくちゃいけねえんだよ。俺には関係ねーし。それよりお前、どうしてこんなところで寝てたんだよ』
『………家出。もう絶対戻らないって誓ったのよ。あんな人殺しが集まるところなんて』
『へぇー。じゃあ住むところもないって訳だ。で、オメエはどうしたいんだよ。これから先』
『知らない。それよりアンタは何者なのよ』
『そんなん何者だって良いだろ。俺はヨシユキって奴だよ。お前は?』
『あ…亜里沙……』
するとヨシユキという男は私の手を掴み、どこかへ連れて行った。
『ちょ…ちょっと! 私の手に気安く触らないでよ!』
『いいじゃねえかよ。お前相当汚れてるし。そもそも何だよそのダッセー服!』
『えっ……』
改めて自分の服装を確かめると、さらしの上に白いコート、そして汚れた白いズボンしかはいていなかった。
『この俺がお前に服買ってやるよ。そういう変なのしか着たことねえだろ?』
図星だった。基本的にスーツ、制服、特攻服ぐらいしか着たことがない。
ショッピングセンターへ行き、お洒落なレディースの服屋へ行ったりし、似合うコーディネートをどんどん試着させてくれた。
『おー似合う似合う! オメエパーカーとか似合うじゃん。案外普通の人の格好の方がいいと思うよ』
『ほ…本当に?』
一般的な格好でも十分似合う。これは私にとっては人生で一番うれしかったに値するほどだった。
『じゃ……じゃあこのシャツとかは?』
『うん、お前にはそういうのが一番だな。まぁ見た目から割り出してるだけだからよく分かんないけどさ』
『えっと……その』
気に入ったパーカー、ショートパンツ、シャツ、シンプルなTシャツを全部買ってもらうのにはさすがに気が引けた。でも、凄く欲しかった。こんなに普通の女の子が着る様な服が私に似合うというのは、涙が出るほどの嬉しさだったからだ。
『いいよ別に。それ全部』
『え……いいの!? 本当に!?』
『うん。俺は別に構わねえよ』
『じゃ、じゃあ……。ご遠慮なく……』
結局本当に全部買ってくれたのだ。どこからそんな大金が出てきたのかはよく分からなかったが、とりあえず普通の社会人なのかと私は思ってた。
路上でヨシユキと二人で歩いていると、何故か凄く落ち着いた。私を受け入れてくれたからなのだろうか。それともそういう人だからだろうか。
『ねえ、アンタは何やってる人なの?』
『俺…か。俺は別に、ただのフリーターだよ』
『そんな余裕のない生活してどうして私なんかを助けたの?』
『助けるのに理由なんかねえだろ。この辺じゃ見かけない顔した女の子が路上で倒れてて、助けない奴がいるのかよ。いいか? ココは黄金美町だ。あんなところで寝てたらいつ襲われるか分かんねえんだぞ』
『そ……そうなんだ』
『うん。それよりお前、ヤクザの娘って語った割には結構人殺しとかを否定してたよな』
『そ……そうだけど。私はそういう人たちが一番嫌いなのよ』
『なら警察になればいいんじゃない? 亜里沙って見た感じ、髪さえ変えれば本当に普通の女の子に見えるようになるはずだし。普通の女を目指すんならそういう所から直した方がいいよ』
その後もその人は私に付き合ってくれて、美容室の代金も出してくれたのだ。
『お客さん、どうされますー?』
『え……えっと……』
初めて美容院に行ったので、私はどう頼めばいいのかよく分からなかった。
『あ! この子一般的な可愛らしい髪にしたいらしいので、それっぽいのお願いしまーす! まぁ最初は黒に戻すべきでしょうな! それからその長い髪切ればパーフェクトってとこだね』
ヨシユキの注文で、私はその通りに染められ、そしてバッサリ切られた。
髪色も金から黒になり、伸びていた髪も短くなり、そして服装もごく一般と化していた。
それを全体にある鏡に写る自分を見たら、私はその場で涙を流してしまった。ようやく自分自身を変えることができた。その喜びは、一生に一度なのかもしれないと思うくらいに。
私はヨシユキに多大なる感謝をした。何でこんなにも優しい人間と早く会わなかったのか、後悔するくらいに私は嬉しかった。
おまけに住むところがない私に、彼は白いアパートの302号室の半分を分けてくれた。私はそこで居候することになった。
『ありがとう、ヨシユキ』
『気にすんなよ別に』
『この借りはいつか返すわ』
『いいって! 俺が好きで奢ったんだし。まぁこの先オメエがどうしてくかは自分で決めな』
そして、彼としばらくずっと、その部屋で暮らしていた。ヨシユキは毎日私にカレーライスを作ってくれていた。しかもレトルトではない、彼自身が作った手作りカレーだ。
私はそのカレーライスを毎日、残さず食べだ。とても美味しかったからだ。どこまで優しい人なのか、よく分からなかった。言葉遣いはちょっと荒いかもしれないけど、彼がひそかに持っているその優しさは、私には理解できていた。
その人と一緒に暮らして数週間が経ち、私はいつの間にか彼に好意を持っている事に気が付いた。
だからいつもながら彼がカレーライスを作っている時に、私はある事を不安げに聞いた。
『ね……ねえ、ヨシユキ』
『んー?』
『え、えっと。アンタって、付き合ってる人とかって、いるの?』
それを聞いた時と、彼が口を開く時の2秒間はもの凄く長く感じた。
『いないよ。俺に彼女がいる訳ないじゃん。どうして?』
『え? え……えっと、いや、アンタって結構優しいし、彼女でもいるから優しくなれるのかなーとか思って……』
『ははは! ないない。俺は彼女歴と人生が比例してるから本当に』
『え!? 本当に言ってる!?』
『嘘言ってどうするんだよ』
そう、私は何かから解き放たれたかのような解放感を味わい、安心した。だから、もはや私は自然に彼へ自分の気持ちを伝えていた。
『私、ヨシユキが好きなの。こんな落ちこぼれの私を受け入れてくれたのは、今までヨシユキしかいなかった。だから、もしよかったら……』
最後の一言はさすがに恥ずかしかったが、ここまで言っておいて引くわけにはいかなかった。
『もし良かったら、私と付き合わ……ない?』
目を逸らしながらそう告白すると、彼はおたまを持ったまま、唖然としていた。
ヨシユキは一度火を消し、正座している私の前に片膝をついた。
『……ありがとね。俺がプロポーズされた事、これが初めてだったからさ』
『………………』
『でも、ゴメン……。本当にゴメン。俺は、もうすぐ牢の内に入らなきゃいけないんだ』
『え?』
『何年いるかは、分からない。だからしばらく俺は牢屋の中に入らなきゃいけないんだ』
『よ…ヨシユキは、何か重い罪でも犯したの!?』
『それは……言えない。亜里沙を悲しませることなんて、言えないからさ』
『どうしてよ! 私だって、ヤクザの娘だってちゃんと答えたのに! 何でアンタは………アンタは……!』
私は泣いた。そして彼の胸を何度も叩いた。
彼も泣いていた。でもなぜか、少し笑っていた。
ヨシユキは私を抱きしめてくれた。
『ありがとう。俺を受け入れてくれた人は、亜里沙だけだよ』
『何で……どうして私を助けてくれたのよ……』
『どうせ何もできなくなるくらいだったら、一人ぐらい助けてもいいだろ』
『……………』
私は最後に「ありがとう」とささやき、彼の背中に手を通した。
翌日、起きた時には既に彼はもういなくなっていた。きっと、もう連れて行かれたのだろう。
私は勿体ないくらいに幸せな一ヶ月を暮していたのか、と、夢から覚めた気分だった。
そして、その日から私は警察官になる事を心から誓った。彼が背中を押してくれたから、という、少しでもヨシユキがいたという証拠を残すため、そしてヨシユキが牢から出た時に、誰よりも早く迎えに行くために。
私はずっと待っていた――。




