新・第34話『世界を救う最強の矛』―「皆様、わたくしの後ろへ!」――自傷の雨をカチリと繋ぐ、気高き慈愛の防波堤―
――ウゥゥゥゥゥンッ!!! ギィィィィィンッ!!!
――ウゥゥゥゥゥンッ!!! ギィィィィィッ!!!
現代の戦場。
ダンジョン中層の広大な大部屋にて、包囲していたゴーレム五体を一網打尽にし、床に腰を抜かしていた若手冒険者パーティを救出したまさにその瞬間だった。
中層のエリア全域、そして遥か地上のギルド東京本部のエントランスにまで、過去三十年の探索史の中でも一度として鳴り響いたことのない、最大級の危険度を示す『超非常事態警告』のサイレンが、狂ったように赤魔力光の点滅と共に激しく鳴り響いた。
琴音がハッと視線を上げたその刹那、地の底のさらに奥底から、地球そのものが悲鳴を上げているかのような凄まじい大地鳴りが轟く。
回廊の奥を埋め尽くしていた闇が、ゆっくりと動いた。
――違う。闇ではない。
それは、数え切れない魔物の群れだった。
数千、数万、数十万という、視界の全てを文字通り黒く埋め尽くす異次元の数の魔物たちの群れだった。
その全ての瞳が禍々しい赤色に染まり、回廊の壁を粉々に叩き割り、天井の岩盤を崩落させながら、耳を裂くような狂暴な咆哮を上げて通路を埋め尽くしていく。 三十年の歴史の中でも数回しか観測されていない、人類滅亡のトリガー――『大氾濫』の発生だった。
「ひっ……うわあああ! なんだこれ、終わった、もう終わりだ!!」
「逃げろ! 上に逃げろ! 通路が全部魔物の肉壁で埋まって……逃げ道なんてどこにもないぞ!!」
大部屋の周囲からも、他の通路から逃げ惑ってきた大勢の探索者たちが次々と雪崩れ込んでくる。誰もが恐怖にガタガタと身体を震わせ、迫り来る魔物の津波を前に絶望の涙を流していた。
その絶対の絶望の景色を見つめた瞬間、白雪琴音の黒鉄のガントレットを構える両腕に、かつてないほどの鋭い、高潔な慈愛の光が宿った。
あの日、後衛の安全な場所でただ祈るだけで、透の命を救えなかった。あの日の凄惨な後悔の言霊が、彼女の魂を、その胸の奥を激しく突き動かす。もう二度と、あんな惨めな思いはしたくない。
琴音は静かに息を吸った。
透を失ったあの日の光景が、胸の奥をよぎる。
もう二度と、あんな後悔はしない。
そして
「皆様、取り乱してはなりません。」
「……全員、わたくしの後ろへ集まりなさい!」
「わたくしがここにいる限り、皆様には1本の指すら触れさせません。……さあ、早くわたくしの後ろへ!」
琴音は純白のドレスの裾を激しく翻すと、一瞬の躊躇もなく、逃げ惑う大勢の探索者たちの前に真っ正面から立ちはだかった。
丁寧すぎる敬語のまま、彼女は逃げ遅れた全ての人々を守る防波堤となるべく、押し寄せる数万の魔物の大群へ向けて、無骨な黒鉄のガントレットの拳を力強く構え直した。
――「バキィッ!!!!!!! ドゴォォォンッ!!!!」
音速を超える踏み込みと共に、琴音の黒鉄の拳が、突撃してきた魔物の先頭の肉体を真っ正面から粉々に粉砕した。
攻撃極振りの過剰なバフがかかった彼女の拳のあまりの出力に、自らの肉体が耐えきれず、白雪琴音の右腕の骨が、一撃目で生々しくバキバキに叩き折れた。
だが、彼女の放つ威力は1ミリも衰えない。
腕の骨が折れたその刹那、0.1秒の超高速ヒール【自己超再生】が完全自動で発動。衣服を汚すこともなく、肉体の内側からカチリと一瞬で骨が繋ぎ直される。
「う、うわああああッ!? 白雪さん、腕の骨が折れてるのに、なんで次の拳が出せるんだよぉぉおッ!!」
「嘘だろ……っ。白雪が一人で、俺たちの前に立って……っ!!」
彼女の後ろに集まった探索者たちは、至近距離で響く骨折の凄まじい破壊音に絶叫し、血の涙を流しながらも、彼女の背中を必死に見上げていた。彼女の衣服の奥からは常に骨が軋む音が聞こえる。しかし、その背中はどんな大盾よりも強固な安心感で彼らを包み込んでいた。
「グルゥゥゥアアオオオッ!!!」
凄まじい地鳴りと共に、白雪の身体のすぐ脇、彼女の拳の届かないほんの数センチ横を、地上(街)へと向かう無数の魔物たちの群れが黒い激流となって猛スピードですり抜けていった。
風圧で彼女の髪が激しく揺れ、魔物の荒い息遣いや獣臭がすぐそこまで迫る。その圧倒的な物量を前に、背後の探索者たちは「ひっ、すぐ横を魔物が通り過ぎていく……っ!」とパニックになりかける。
だが、白雪の目的は「魔物をここで食い止めること」では決してなかった。彼女の目的はどこまでも、「自らの後ろに集まった、この命を絶対に守り抜くこと」。
地上へと向かう魔物のことは、街の手前であの方が、師匠が必ずその無敵の盾で受け止めてくださる。その絶対の信頼があるからこそ、今の彼女は、自分のすぐ脇を通り抜けていく数万の魔物には目もくれず、ただ、自らの後ろの探索者たちへ牙を剥き、襲いかかろうとする魔物だけをその黒鉄の拳で徹底的に打ち砕くことだけに、全ての意識を極限まで集中させていた。
――ドガガガガガガガガガアンッ!!!!!
――バキバキバキバキバキィッ!!!!!
部屋中に響き渡る、自らの骨が砕け折れる凄まじい破壊音の連打。
白雪のすぐ脇を、無数の魔物の凶悪な爪や牙が、轟音を立てて次々とすり抜けていく。
しかし彼女は追わない。
自らの背後にいる探索者たちへと襲いかかる魔物だけを、黒鉄のガントレットの拳の連打で、真っ正面から全力で叩き潰し、吹き飛ばし、その足を強制的に止めさせていく。
自らの血は一滴も流さない気高さ。しかし、彼女の拳が魔物を徹底的に吹き飛ばし、撲殺するたびに、粉砕された魔物たちの悍ましい真っ赤な返り血の豪雨が、雨あられと彼女の全身へと降り注いでいく。
汚れ一つなかったはずの純白の戦闘ドレスが、そしてその絶世の美貌が、自分の血ではなく、敵の返り血だけで見る見るうちにドロドロの真っ赤に染め上げられていく。
「し、白雪……お前、自分の腕を折りながら、俺たちを守るために戦って……っ。ごめん、ごめんなさい……っ、俺たちを助けるために、こんな……っ!!」
「大丈夫です……っ。皆様は、わたくしの後ろにいてください。……わたくしが絶対に、死なせはしません……っ!!」
顔を真っ赤な返り血で染めながら、白雪は一切の苦痛をその瞳に見せず、後ろに集まった人々を安心させるように凛とした敬語で叫び返す。
自らの両腕と両脚の骨を、殴るたび、踏み込むたびにバキバキと折り、それを光の速度でカチリと繋ぎ直しながら、血塗れの姿でひたすら目の前の魔物を粉砕し続ける聖女。
その命を救うための圧倒的な執念の生放送を目撃したドローンのコメント欄は、画面の向こうから彼らの無事を祈る、何百万人のリスナーたちの本気の命がけの応援弾幕で、一瞬にして埋め尽くされ、大爆発を起こした!
『がんばれ!!! がんばれ白雪!!! 負けるなあああッ!!!』
『頼むから誰も死なないでくれ!! 全員生きて地上へ帰ってくれえええッ!!!』
『お願いだ神様、白雪を、後ろの若者たちを助けてくれよおおおッ!!!』
『すぐ脇をすり抜ける魔物の津波がヤバすぎるのに、白雪は後ろの奴らを守ることだけに集中してる……っ。なんて気高いんだ!!』
『後ろの奴ら、絶対に白雪の後ろから離れるなよ!! 彼女を信じてそこにいろ!!!』
『こんなにボロボロになりながら誰も見捨てないなんて……本物の聖女だよあんたは!!!』
『スパチャ¥10,000:がんばれえええええッ!!! 全員で生還してくれええええええッ!!!』
『頼む、頼む、頼む!!! 白雪の後ろが世界で一番安全な場所だ!!! 救い出してくれえええッ!!!』
「――はああああああッ!!!!」
世界中からの必死な祈りと大声援の弾幕が激流となって画面を埋め尽くす中、血塗れの聖女は、ガントレットに嵌め込まれた透のコア結晶を眩く輝かせ、大勢の探索者たちを自らの背中にすべて集めて庇い、すぐ脇をすり抜ける無数の魔物の津波の咆哮を背に浴びながらも、後ろの人々を守るためだけに拳を突き出し、世界を救う最強の矛として、
彼女の背中だけは、最後まで誰一人として越えさせなかった。孤独に、けれどどこまでも気高く戦い続けるのだった。




