第一話 『陽色のヒーロー』、お前頭大丈夫か?
木漏れ日が揺れる森の中。
少年――レイは足を止めた。桃色のボサボサの髪が、ふわりと揺れる。
「……は?」
思わず、そんな間の抜けた声が漏れる。目の前の光景が、あまりにも理解不能だったからだ。一本の大木。その太い枝から。
一人の少年が逆さまにぶら下がっている。
ーーしかも。
「……全裸?」
丸いぐるぐる眼鏡の奥で、レイの目がわずかに見開かれた。逆さ吊りの少年。年はレイと同じくらいだろうか。
太陽を閉じ込めたような橙色の髪が、風に揺れる。 レイは無言で一歩後ずさる。関わってはいけない。本能が、全力で警鐘を鳴らしていた。
そのときだった。
「あっ!」
ぱちり、と。逆さまの少年と目が合った。まずい。レイがそう思った瞬間。
「こんにちは!」
少年は、太陽みたいな笑顔を浮かべて叫んだ。眩しい。いろいろな意味で。
「……」
答えない。というか、答えたくない。
そもそも、なぜ全裸で木に逆さ吊りになっている相手と会話を成立させなければならないのか。
意味がわからない。何事もなかったかのように視線を逸らし、くるりと踵を返した。面倒ごとには関わらない。それが、人生を平穏に生きるコツだ。
「あっ、ちょっと待って!」
後ろから慌てた声が飛んでくる。無視。
「好きでこの格好な訳じゃないから!」
無視。
「本当に!……別に気持ちいいとか思ってないぞ!」
全力で走った。
「ちょっ待っうわあああ!」
ブチィッ。
ドサァ!!!
ゴロゴロゴロ。
足元に転がってくる全裸男。
「いやぁー!助かった!!」
のそりと起き上がる。
「君が来てくれたおかげだ!」
眉をひそめる。
「オレは何もしてない!」
後退りながら言う。
「きっと出会えたのは運命だ!」
「ぜひお礼がしたい!」
パシッとレイの両手を掴む少年。隠すべきところが丸見えである。
ドスッ。
「グハッ!?」
レイは迷わずに膝を突き上げた。一撃が少年のみぞおちにめり込んだ。
「……っ」
思ったより効いたのか少年は蹲ってプルプルしている。
(よし、今のうちに!)
◇
「ハァッハァッ……」
膝を抱え、息を整える。レイは周りを見渡しホッと一息ついた。
「に、逃げ切れた!」
(なんだったんだあの変質者)
「なんで逃げるんだ!?」
ガサッ。
草むらを掻き分け、変質者が現れた。息一つ乱れていない。
「お前が変質者だからだよ!」
「なっ!?俺は怪しくない!」
心外とでも言う風に腕を広げる。思わず目を逸らす。
「……なんで追いかけてくんだよ?」
「金目のもんは何も持ってねぇぞ」
太もものナイフシースに手をかけた。
「お金?」
「そんなのどうでもいいよ!」
「だって俺はヒーローだから!」
少年はキラキラとした瞳をレイに向け、手を差し出す。
「あ?」
自分でもびっくりするほど、低い声が出た。
「意味わかんねぇよ」
警戒しながらジリジリと後退する。
「自己紹介が遅れたな!」
ふふん、と得意げに笑う少年。
「俺はヒイロ!」
「陽色のヒーロー、ヒイロだ!」
「君を救いにやってきた!」
◇
「はぁ?」
少年ーーヒイロは胸を張り、太陽のように笑った。木々の隙間から差し込む光が橙色の髪を照らし、その笑顔だけを見れば絵本に出てくる英雄そのものだった。レイはじり、と一歩後ずさる。足元の枯れ葉がかさりと鳴った。
「だって森で一人なんて危ない!」
ヒイロはまっすぐ手を差し出した。迷いも打算もない、純粋な善意だけがそこにある。
「安心して!」
「俺は困ってる人を放っておけないんだ!」
「君はもう俺が守ってあげる!」
レイのこめかみに、ぴくりと青筋が浮かんだ。
一秒。
二秒。
枯れ葉が一枚、二人の間を転がった。
そして。
「……お前は」
低い声が落ちた。
「オレのことが守らなくちゃいけないと思うほど弱く見えたのか?」
ヒイロは不思議そうに頭を傾ける。
「強いのか?」
その返事にギリ…と音を立てて歯を噛み締める。
その時だった。
ガサリ。
茂みの奥で何かが動いた。レイの怒りが一瞬で消えた。
「……っ」
耳を澄ます。一つではない。
足音が、三つ、四つ、五つ。
木々の間から、男たちがゆっくりと姿を現した。
汚れた革鎧。腰には剣。手には斧。
下卑た笑みを浮かべた男が口笛を吹く。
「へぇ……運がいいな」
「こんな森で弱っそうなガキ1匹」
「……ん?」
男たちの視線が、全裸のヒイロへ集まる。
「……なんだあいつ?」
「知らねぇ」
「変質者か?」
「変質者だな」
「違う! ヒーローだ!」
山賊たちは顔を見合わせ、腹を抱えて笑い出した。
「そんな情けない格好の英雄がいるかよ!」
ヒイロはムッとした顔をする。
山賊は剣を抜いた。
「ちょうど今趣味の悪いジジイが玩具を欲しがっててな」
「どっちも高く売れそうだ」
剣先をレイの顔に向ける山賊。レイは小さく笑う。問題ない。全員で五人。地形を使えば勝てる。
(奴らの服……)
ナイフを抜く。
(いい金になりそうだ)
「待て!」
ヒイロが一歩前へ出た。
「彼に手を出すな」
「このヒイロが相手だ!!」
そう言って片手を突き上げる。
そして振り返り、
「大丈夫だ!怖くない!なぜなら俺が守るから!」
レイは思わず白けた目を向ける。
「………はぁ」
武器も何もない。というか服もない。
そんな男が勝てるとは到底思えない。
(…まぁオレには関係ないか)
レイは素早く草むらへ身を伏せ、ヒイロを囮にするように姿を隠した。
(コイツがやられてからの方がやりやすい)
「舐めるなよ!」
山賊がライターを弾く。
カチッ。
灯ったのは、指先ほどの小さな火。
「――『火炎操作』」
次の瞬間、小さな火種が轟炎へと膨れ上がった。蛇のようにうねる炎が、一直線にヒイロへ襲いかかる。
「すげぇ! かっけぇ!」
ヒイロは歓声を上げながら、軽やかに身をひねって炎をかわす。掠めた火が髪先を焦がし、火花が散った。
「『風刃』ッ!!」
もう1人の男も手をかかげる。
ブォンッ!!
空気が裂け、見えない刃が木々を次々と切り裂く。
「さぁ、終わりだ!!」
巨漢が地を蹴る。正面から迫る巨大な斧。右では炎が渦を巻き、左では風刃が木々を薙ぐ。
逃げ場は、ない。
「死ねぇ!」
頭上高く斧を振りかぶる。
レイはナイフを抜いた。
(……終わった)
ガキィィンッ!!
耳をつんざく金属音。
やがて響いたのは、断末魔ではなく。
「痛い!」
怒りに満ちたヒイロの声だった。
「なっ……お前ッなんで!?」
その場にいる全員が固まった。ヒイロは頭から血を流していた。ダラダラと体を赤く染める。だが、どう見ても斧で殴られたとは思えないほどに軽い傷である。
「痛かったぞ!」
ドゴッ。
大男の体が吹き飛んだ。ドサリという音が聞こえると同時にようやく他の仲間が動き出した。熱波が爆ぜた。その射線上には、気絶した大男。
「危ない!」
ドカァン!!
次の瞬間。ヒイロは大男を抱えたまま、空中にいた。猛烈な炎が、彼らのいた地面を虚しく舐め回す。
「死ねやぁッ!」
キィィィン。
風が鳴いた。空中のヒイロへ、見えない刃が迫る。着地と同時に、ヒイロは大男を地面に転がした。すでに風の刃は目の前。ヒイロは足を踏み込み全身でそれを受ける。ブシャッと勢いよく血が吹き出した。だが何でもないようにヒイロはレイの方を向く。
「大丈夫か?当たらなかったか?」
その全身には、土と血が不気味に滴っていた。赤黒い顔面に爛々と光る橙色の瞳。
「ひ……、ひぃっ……!」
山賊のうちの1人が、恐怖のあまり腰を抜かして後ずさる。
「ば、化け物か……!? お前、本当に人間かよ!」
ヒイロは目を丸くした。
「化け物?」
そして、
誇らしげに胸を張る。
「違うぞ!」
「俺は――」
「ヒーローだ!」
その凄絶な光景を草むらからじっと見つめていたレイは、握ったナイフの手を冷や汗で濡らしていた。
(……なんなんだよ、コイツ)
強いとか、そういう次元の話ではない。常識が、世界の前提が、すべて通じない。全裸という異様な格好でありながら、理不尽なまでの暴威を振るう少年。
(オレは今まで、何人も強い奴を見てきた)
(でもーー)
(こんな奴は知らない)
血まみれの全裸男が、
太陽みたいに笑っていた。
◇
「いやー!疲れた!」
キラキラの笑顔を見せながら山賊を全員縄でぐるぐるに巻いていくヒイロ。
「……あ!服!」
今思い出したかのように焦り出す。近くの草をちぎり秘部を隠そうと試行錯誤し始めた。見ていられなくなったレイは山賊の服を数枚ひっぺがしヒイロに投げつける。
「お前、頭大丈夫か?」
「大丈夫だ!ありがとう!」
「……」
「そういえば、君の名前は?」
無視。
「なんだ?名前わかんないのか?」
「……もしかして君も記憶がないのか!?」
レイは山賊の荷物をまさぐる。
(君もって何だよ)
「お前なんかに教えたく無いだけだ」
出てきたのはロープ、水晶、ほんの少しの硬貨。
(チッあんま金持ってねぇじゃん)
(どこかにアジトがあるな。おそらくそこに財宝が)
「そっか!じゃあ俺が勝手につける!」
うーんと少し考えるように頭に手を当てる。
「とりあえずメガネで!」
「よろしくメガネ!」
「……」
「メガネはこの森で何してたんだ?」
先ほどまで木に吊るされていた男が聞く。ズボンを履くのに手間取っているのかカチャカチャという音が響く。レイは答えなかった。
(この男のでたらめな強さ…)
(使えるな)
「……まあ!こういうこともあるから森は1人で歩いたら危ないぞ」
少し、空が曇ってきた。
森に影が広がる。
「……そうだな」
返事をしてくれた嬉しさでヒイロは思わず服を着る手を止める。
「これからはーー」
ヒイロはくるりと振り返り思わず言葉を失う。
目の前にナイフが突きつけられていた。
「お前は困ってる人を放っておけねぇんだよな?」
「え、あ…ああ!」
ぐるぐるメガネがきらりと光る。
「なら、提案がある」
「……?」
ヒイロは固まったまま動かない。
「今からお前をコイツらに売る」
そう言って後ろの山賊を顎で指す。
「悪いな、金が必要なんだ」
ナイフを構えたままニヤリと笑う。
「オレを助けろよ、ヒーロー君?」




