2.円環を描く瓶底眼鏡
お話を訊かせて下さい。お掛けになって。
そう促され、カウンターの隣のテーブルに座らされる代子。
そして向かいのバックヤード側に検査用眼鏡の男が座る。
男の背後には、白い人間並みのサイズの装置が、顎を乗せて双眼鏡の向こうに映し出される気球を覗き見るための検査機械が鎮座している。ちゃんと視力検査が出来る設備も整っているらしい。
「まず名刺をお渡ししておきます。私、こういう者です」
そう言いながら素早く名刺を差し出す男。
代子はそれを両手で受け取る。
眼鏡専門店『TEARDROP』店長
眼鏡屋・眼鏡職人
福江聯倶郎(FUKUE RENGURO)
名刺にはそう書かれていた。
「……眼鏡職人、でもあるんですね」
名刺に目を通した代子は興味深げに尋ねる。
「ええそうですね。やはりお客様の要望に完璧に答えるためには市販のレンズやフレームの加工装置ではカバーし切れない部分がございまして。そういったオーダーにも対処していきたいという決意表明のためにも、僭越ながら『眼鏡職人』と名乗らせていただいております」
「おお……。ちなみにいままでに作った特殊な眼鏡にはどういったものがあったんですか?」
「そう……、ですねぇ……?」
眼鏡屋兼眼鏡職人『福江聯倶郎』は検査用眼鏡越しの眼差しで天井を仰ぎ見て少し思案する。
複数のエピソードの中で『他人に話して大丈夫な話』を慎重に選定しているような仕草。代子が『引退』する前にも何度か業界人達が見せつけてきた態度。
「かなり特殊なものでしたら、ラフなパーティーなどでたまに星形のサングラスを掛けている方が居るじゃないですか?」
「星形のサングラス……。あー、たぶんわかります。プラスチックのフレームの大袈裟な感じの?」
「はい。そのサングラスに度を入れて欲しいという依頼がありまして」
「えぇ……? 出来るんですか、そんなの?」
「理屈の上ではそれほど難しくはないのですが、なにぶん通常の成型装置でそんな形にレンズを加工出来ませんから、手作業でレンズを成型せねばなりませんからね」
「ほぉ」
「もちろん、そこまで特別な仕様となるとその分料金も割高になってしまうのですが、お客様の求める眼鏡のために努力を惜しまないのが当店の目標です」
「……あの、急に話が変わって申し訳無いんですが」
「はい、なんですか?」
「その、あなたが掛けてらっしゃる眼鏡って、検査用の眼鏡ですよね?」
代子は、入店してから気になって気になって仕方が無かった質問を満を持して聯倶郎にぶつけた。
先程から聯倶郎は、その検査用眼鏡を外す素振りを一切見せない。
その事実と、その奇異な眼鏡を掛けたまま平然とビジネストークを続ける男の異様な様子に気が散って、話がうまく頭に入って来ないのだ。
「ああこれですか?」
聯倶郎は照れくさそうな笑い声を含ませながら自分の検査用眼鏡に手を添える。
「おっしゃる通りこれは検眼枠なんですけど自作の普段使い用でして」
「ふ、普段使い用……?」
というか、その検査用眼鏡って『検眼枠』って名称なんだ。初めて知った。
「はい、通常の、『検査用』の検眼枠は少々掛け心地に難がありますから、その点を私の顔の形に併せて調整しまして、枠部分のレンズの保持性を高めて振動でレンズが外れにくくしております。あっ、ちょっと失礼」
聯俱郎は不意に手の平をこちらに向けなにかを制止するような仕草を見せてから検眼枠の右目の方の枠に手を添え、上部から飛び出た取っ手のひとつを摘まみレンズを引き抜く。
カウンターの端に置いてある木箱に手を伸ばしそのレンズを中に収め、そのまま一枚別のレンズを取り出した。
その新たに取り出したレンズを、先程レンズを抜いた右目の枠に差し込んだ。
「失礼しました。視力が下がってしまったもので。度の高いレンズに入れ替えさせていただきました」
「えぇ……」
「パソコン仕事が長くなるとですね、どうしても視力が下がってしまうんですよ」
「視力って、そんなにすぐに下がるものなんですか……」
「普通は、成長期を過ぎるとあまり変動しないものなんですが、わたしの場合は体質ですかね? 逆に趣味の旅行で遠くの景色を長時間楽しんでいたら今度は目が良くなるんでレンズをたくさん外せるんですよ。久しぶりに旅行に行かないといけませんねぇ……」
「はぁ……」
正直、生返事するしかなかった。
視力が変動しやすい体質だから、度数を調整出来る検眼枠を普段使いしているということらしいが、そんな理屈では飲み込めないレベルで奇妙な様子に身構えさせられてしまう。
まだ、眼鏡専門店の店長としてのキャラ付けで検眼枠を掛けていると言われた方が救いがあった。この人は何故こんなものを掛けながら堂々と接客が出来るのだろうか?
しかし、客である代子の方もあまり人のことは言えない訳で、自分の奇妙な注文に応えてくれる人物としてはもしかしたら信頼に値するかもしれない。
「……それでは改めて、お客様のご要望の眼鏡の話なのですが」
聯俱郎は、ふざけているとしか思えない検眼枠顔で真面目な声色を出しながら話を戻す。
「漫画などにしばしば登場するレンズにぐるぐる渦巻きが描かれている眼鏡をお探しだということですが」
そもそも、自分の注文も勝るとも劣らずふざけているので他人の眼鏡を悪く言う権利など無いだろうけれど。
「……実在するのでしょうか、そういう眼鏡は?」
代子が問うと、聯倶郎は「ん~~~」と検眼枠越しの目を細めながら難しい顔をして、唸り声を上げて思案する。
「一応、『実在する』と言えるのでしょうか?」
その難しい顔のままなんともあやふやな言い方をする聯倶郎。
「ちょっと調べてみましょう。少々お待ち下さい」
そう言って聯俱郎はそのまま横を向き、傍のパソコンのキーボードを叩き始める。
ネットでなにかを検索しているらしい。
「これを、ご覧になってもらえませんか? 中に入ってもらって」
そう言いながら聯倶郎は代子をカウンターの内側に招き入れ、代子にパソコンのモニターに表示された画像を見せた。
画面に映されていたのは、眼鏡を掛けた女の子の画像だった。
ただ、その眼鏡には若干違和感があって、リムに沿ってレンズの内側に溝のようなものが何層も重なっている。
これは、眼鏡のレンズにそういう模様が描かれている訳ではなく、レンズになにかが映り込んでいるようなのだ。
「これがいわゆる『瓶底眼鏡』というものです」
「瓶底眼鏡……。聞いたことがある気がする単語です」
「はい。最近はあまり聞かれない言葉かもしれませんね」
そう頷きながら聯倶郎はモニターに映された眼鏡のレンズを指差す。
「このレンズは非常に太くてですねぇ、まるで牛乳瓶の底のように見えてしまうことから瓶底眼鏡と呼ばれるようになったものです。近年の技術進歩で屈折率の高いレンズが開発されここまで太いレンズは最近はあまり見られないようになりました。最近でも、非常に視力の低い方がこれぐらいの太さの眼鏡を利用してらっしゃることがありますが、かなり少数のケースですね」
「わたしも……、目は結構悪いんですけど、ここまで太いレンズは見たことありませんね……」
「ふむ。ちなみに、お客様がご質問なされていたレンズの中のぐるぐる巻きの正体はこれです」
そう言いながら聯倶郎は画面の眼鏡のフレームの内側、レンズに写る溝の層を指差した。
「レンズの太い側面自体がレンズに映り込んで何重もの像が連なってしまっているんですよ。瓶底眼鏡のぐるぐる模様は要するに漫画的な誇張的表現でレンズの側面がレンズ自体に映り込んでいる様子を簡略化したものだと考えられます」
「瞳は、ちゃんと見えてるんですね……」
「ん? なんですって?」
代子の呟きに、聯倶郎は妙に鋭く反応した。
「いやその、マンガに出てくるぐるぐるの、瓶底眼鏡を掛けたキャラクターって眼鏡を掛けてるとき、目が描かれていないことが多いじゃないですか? それで、そういう目が外側から見えなくなる眼鏡が実在しないのかなって思って、サングラスとか以外で」
「あ~、そうですね。極太の瓶底眼鏡でももちろん外側から目は見えます。瓶底眼鏡には無論、サングラスのような目を隠す性質はありません」
「そう、ですよね……」
わたしは、自分の声色に『落胆』の感情が隠れているのがバレない様に注意した。
いや、その配慮はすでに無駄かもしれない。
この奇怪な眼鏡屋はすでに、自分がなにを望んでこの店にやって来たのかバレているかもしれない。
「その、瓶底眼鏡に瞳を描かない往年の漫画家達の表現技法は、一種の印象主義的なものではないかと思っているのです」
「印象主義、ですか?」
「ええ、絵画などの表現技法と言うか、表現思想とでも言うんですかね? 19世紀末のフランスで生まれたもので、対象物を写実的にそのまま描くのではなく、色彩や光を重視し、画家が目で見て感じた『印象』を基に絵画を描くという手法です。漫画家がぐるぐる眼鏡に目を描かない理由は、眼鏡を掛けた人物の顔において眼鏡の存在感が極大化していてその下の『目』に対する印象が極端に薄くなってしまうから、その眼鏡を掛けている人に抱いた人物を印象主義的に描くと、眼鏡だけが顔面に残り、その奥の目は無いものとして扱われるのではないでしょうか?」
「印象に残らない目だから、省略される……」
「無論、目や瞳を書き込まないための体の良い言い訳で漫画的記号として利用されているだけという可能性もありますが、ただその省略手法は『眼鏡を掛けた人物』を印象主義的側面で捉える上であまりにも的確だった。実利的にも表現的にも理に適っていたから、いまでも残っている描き方なのでしょうね」
かなり独特な持論である。
というか、『漫画にたまに出てくるぐるぐる眼鏡』に対してここまで熱心に持論を展開されるとは思わず、代子は内心面喰っていた。
とは言えそもそも、話を振ったのは代子本人なのだが。
代子は、またカウンターの座席に戻り、正面の検眼枠の人物、福江聯倶郎の顔を改めて見据える。
年齢のほどはたぶん40歳前後、しかし体型は細身で肌も艶があり若々しい。面長で顔も整っていて髪を金髪に染めている。
しかし、それらの特徴はかなりしっかり観察しないと意識出来なかった情報で、聯倶郎が掛けている検眼枠の黒い外観とフレームに沿った目盛りがインパクトが有り過ぎるせいで、聯倶郎自身の顔の特徴が全く頭に入っていなかったのだ。
「確かに漫画で表現されているような、『目が映らなくなるぐるぐる眼鏡』というものは現実には存在しません」
聯倶郎は両手を重ねてカウンターに乗せ、自身の信じる尊い存在を語るように恭しい様子で言葉を響かせる。
「何故、ぐるぐる眼鏡に興味を持たれたのか、お聞かせ願えませんか? もしかしたら、当店でお力になれるかもしれません」
その眼差しは検眼枠越しに、代子の反応を観察する。
たぶん、聯倶郎も自分と同じように、代子の顔立ちを改めて観察しているのだ。
……これは自惚れではなく、職業者としての冷徹な客観性に基づいた自認なのだが、代子は自分の顔立ちが非常に可愛くてなおかつ整っていると思っている。
丸顔ではあるけど小顔で、目も大きなアーモンド形、鼻筋も綺麗で唇の形も整っている。
軽くブリーチしたショートボブの髪型にメイクもしっかり施しているので『愛嬌が見え隠れする綺麗なお姉さん感』はちゃんと出せているはずだ。
眼鏡屋に現れた女性、真山代子。
かつては『真壁白乃』という芸名でレコード会社からアイドルグループの一員としてデビュー。
9年間のアイドル活動ののちグループ解散に伴いアイドル活動を引退している人物である。




