2020年3月26日 ドラマチックデー シリアス長編 後編
2020年3月26日
あれからどれだけ時間が経ったのかわからない。イリスが目を覚ました時、そこには大切な二人の友人の顔が見えた。
聖美「良かった! 気がついた!」
アンジー「イリスちゃん! ……こんなボロボロになって……っ」
アンジーも聖美も心配と安心を飽和させるまで混ぜ合わせたような表情だった。
イリス「負けた……完全に。でも……留音……」
しっかり覚えている。留音はあの時、多分正気に戻りかけていた気がする。だからといってそれが勝ち筋につながるのかはわからない。なんせ。
イリス「完敗だった……もう為す術無し……」
何時間か気を失っていたにもかかわらず五人少女たちは追撃をしてきていない。相手にされていないということだ。
黙り込む二人。イリスのローブはズタズタになっており、明らかに低下した気力でそう言われたら二人共なんて言葉をかけていいのかわからない。だがイリスは帰ってきたのだ。そこから打開すること。少しでも力になりたいと、アンジーは戦いの詳細を求めた。
どんな状態で、何をすれば勝ちなのか。何ができればよかったのか。アンジーもまた擬態の達人と言えばそうなのだ。変化するとは少しでも理想のために変わること。打開策を求めるために、とにかく会話をして何か少しでも光を探す。
そしてアンジーの、ミニーズの出した答えは。
――――――――――――
再びの戦いの準備を終えて、もう一度五人少女の元へ戻ってきたイリス。そしてその隣には聖美。アンジーの姿はない。
留音「ほらな? 戻ってくるって言っただろ」
真凛「はぁー良かったぁ。さぁさぁイリスさん、しっかりお掃除をしないと! 聖美さんもいるー! お手伝いを呼んでくれたんですね! ほら衣玖さん、いっぱい汚しましょう~っ!」
先程来たときとは別のローブを着たイリスは静かに杖を握りしめた。これも前の戦いで使った柊の杖ではなく、即席にこしらえた別の杖である。
衣玖「それにしてもバカね。聖美も連れてくるなんて。戦うつもりで来たんでしょう? 足手まといなだけじゃない」
聖美「衣玖ちゃん……性格悪くても可愛いよ」
聖美は複雑な表情で、無理やり作った小さな笑顔を向けている。
留音「バカにしてんのかぁ? ……まぁいいや、どうせ敵わないんだからさ、さっさと真凛にこき使われときなよ。またあたしと戦って怖い思いしたくないだろ? なぁイリス? ぼろぼろ泣いちゃうかもしれないし」
留音はくけけけと不気味に笑った。
イリス「勝つつもりで来てる」
真凛「聖美さんでぇ?」
イリス「この子の特技、覚えてる?」
衣玖「……変顔? 嘘でしょ?」
そんなので? 衣玖は普段ならしないような見下したような鼻笑いをした。
聖美「嘘じゃないよぉ。私はこれでみんなと知り合えたんだもん……ばぁー!」
聖美はありったけの変顔を披露した。一度見たらそれからずっと思い出しただけで笑えてしまうような変顔。そんなの武器にならない。でも大真面目だった。ここで貰った隙にイリスが魔法を遂げる。そんな作戦である。
留音「あっひゃっひゃ!! ばっかじゃねーの! オラァ!」
留音は笑い、力が抜けている。とは言えその拳には殺意が込められているのだ。聖美の表情を笑いながらも、同時にイリスへ再び空間すらえぐり取るような鋭いストレートパンチを放った。
しかし障壁魔法はしっかり張り直されている。それも二重、三重どころではない。近くにいる聖美も含めて守れるように極太の障壁が準備されていた。その杖に込めた魔法も全て障壁魔法である。
聖美は障壁を破ろうとする留音の前に顔を持っていき、べろべろばー! と変顔を作り続けた。
しかし留音、あっはっはと大笑いしながら、両手をハンマーのように振り下ろし、体重を込めた蹴りを放つ。累計でたった4発。いくら厳重な障壁を張ろうとも、留音は4発の打撃のみでいとも簡単にそれを破ったのだ。
障壁が破れた衝撃で吹き飛ばされるイリスと聖美。イリスが聖美をかばって肩から地面につき、少し転がって止まった。
イリス「ぐぅっ……」
痛みにもがくイリス。聖美は心配してイリスの肩を撫でる。だがそこにゆっくりと留音が歩み寄る。
留音「ふひひひ……あぁー。ホント腹立つよなお前の変顔。おもしれーんだもん。くひひひ……」
留音はまだ笑いを堪えられない。擬態虫は宿主の知性を乗っ取るため、宿主が面白いと思えば面白いのだ。聖美の変顔は確かに効いていた。しかしそれまでだ。笑い転げそうなほど笑っていても、殺意まで持つレベルの相手を止めることは出来なかった。
留音「はい残念。お前たちはもう終わり」
留音はすっかり表情を冷たく変えている。こんな顔を誰も見たことはない、悪意、殺意、狂気、それが無表情に近い顔で表現されている。聖美は恐怖を感じ、流石にもう表情を強張らせている。
しかしそこで肩を按えるイリスがニヒヒと笑う。そして震える聖美を安心させるように身を寄せながら、こう言った。
「どうかな。"ボク"たちの勝ちかも」
そこで真凛が表情を変えて立ち上がる。
真凛「あれ? "色が変わった"……?」
真凛は相手を"色"でみている。"魂の色"を認識している。だから相手が変装していようが、姿が見えなくなっていようがそこにいることがわかってしまう。
その真凛が見紛っていたのだ。その"イリス"は"アンジー"だ。女装を極めた男の娘。変化を極める、可能性の化け物。これまで培った化粧のスキルは、魂のレベルでイリスに"偽装"していた。ずっと近くにいたのだ、言動も心持ちも、アンジーにとって"偽装"の材料に昇華され、聖美の隣には本物と見紛うほどのイリスがいた。
真凛「じゃあ本物はどこ……!?」
留音にも衣玖にも状況がわかっていない。ここで異常事態に気づいたのは真凛だけだ。
イリス「わかっていたはずなのに」
どこからか、イリスはその作戦の成功を見ていた。アンジーが立てた作戦は完璧だ。三人で戦うこと。みんながみんなの特技を活かして。
アンジーは変装をしてイリスがそこにいると錯覚させる。それを援護するのが聖美の変顔。ふざけていると思われても良い、注意さえ引ければ。五人少女達はイリスに閃光の魔法を使わせないために動くはずだ、と。
事実、衣玖のマイクロブラックホールの虫もアンジーと聖美を囲むようにしていた。
だからもしイリスが背後から現れたら……それぞれの弱点は丸見えになる。
もう一つの勝機、それは転がった柊の杖。イリスの魔法が込められたそれは転送魔法の出口となり、転移によってイリスは一瞬の内に五人少女らの意識の外に現れ。
イリス「あたしには仲間がいるって……!」
短時間制御魔法。時間を圧縮した中で新たに作り上げた魔法を唱える。イリスの片腕は勝利の証を纏い。
イリス「貫け、極光!!」
届け! 魔力に想いを乗せたイリスの詠唱と共に突き出された腕から放たれるのは光の槍。これは炸裂して全方向に光を撒き散らす魔法ではなく、極細い強力な光が奔流のようになり、いくつもに分岐して対象に襲いかかる指向性かつ誘導力を備えた魔法だ。イリスの最も得意とする閃光の魔法を、今日に合わせて作り変えたのである。
留音「(しまっ……!)」
真凛「ぃやああああああ!」
衣玖「あああああああああ!!」
その光は的確に真凛と衣玖のうなじを捉え、擬態虫を焼き払ったのだ。衝撃に叫ぶ二人だが、すぐに肌の色が元の色に戻っていく。
しかし留音だけは違った。とんでもない速さだったはずの光の槍の魔法を"見てから回避した"のである。
イリス「(避けるなんて……腐っても留音か!)」
留音「やったな……イリス!!」
イリス「留音ェ!!」
留音は仲間の寄生体が消されたという怒りに任せて突進し、イリスは自分にもかけた障壁魔法でなんとか防ぐ。衝撃に地面が揺れた。
聖美「イリスちゃん!」
本気の留音の猛攻をなんとか防いではいるイリスだが、明らかに押されている。突破されるのは時間の問題だった。アンジーは周囲を見回し、何か打開策は無いかと探すが何も見当たらない。ただ、助けてくれそうなのは二人いる。すぐに気を失っている衣玖と真凛に駆け寄り、二人をゆすり起こそうとした。
イリスは短時間制御魔法を重ねて自分に付与することでなんとか余裕のない状態で留音のスピードに追従しながら、極短距離ワープ使って攻撃を躱し、致命傷を避けていた。
しかし時たま攻撃魔法を挟んでも、およそ勝てるビジョンが見えない。時間を稼ぐだけで精一杯だ。
だがそれで良かったのだ。アンジーが最初に衣玖を起こした。衣玖はすぐに状況を理解し、手元にある作った覚えの無いリモコンの、読んだことのない擬態虫の文字をも一瞬にして把握して、寄生されていた衣玖の作ったマイクロブラックホール虫を操り、操られている留音の顔の周りを鬱陶しく飛ばした。
目に入る光をも、その虫は奪うのだ。留音は頻繁に視界を奪われ、攻撃力を激減させる上にイリスの衝撃魔法も数発受けることになった。大したダメージにはなっていないが大きな進歩である。
衣玖「よくわからないけど……ルーを止めればいいんでしょっ?」
確認する衣玖は既にその答えを得ているかのように、的確な行動のみを取り続けている。アンジーは泣きそうになりながら大きく頷く。
衣玖「真凛を起こさなきゃ……こんな小細工じゃルーにはすぐに突破されるわよ……」
衣玖の言葉通り、留音はだいたい二秒か三秒に一匹ずつ、マイクロブラックホール虫を潰していた。十数匹はつくられていたその虫だが、ほんの少し留音の動きを止めることしか出来ない。
アンジー「起きて! 真凛ちゃん! お願いだから!」
衣玖「真凛! セール! 汚れ! 掃除! 料理!」
アンジー「な、何言ってるの……っ?」
衣玖「気になったら目が覚めるかなって!」
目の前のイリスと留音は激しい戦いを繰り広げている。しかし留音は衣玖には手出ししなかった。最高の頭脳である衣玖は未だに寄生対象なのである。
聖美「そうだ……! 真凛ちゃん! 起きて! 虫がいるよっ、退治しなきゃ……! 真凛ちゃんの場所が汚されちゃう! 黒くてばっちぃ虫!」
駆け寄った聖美の言葉にピク、と真凛の眉が動き、やがて少しずつ目を開けていった。
真凛「あれ……わたしは……わっ、汚い服の留音さんがイリスさんと喧嘩してるー! や、やめてください~! 不良になっちゃったんですかぁ!?」
留音「糞が、真凛まで戻されたか……! イリス!! お前は殺す!!」
躊躇の無い言葉に、イリスはもうあの時の一瞬の留音の帰還をもう一度期待することは出来ないだろうと悟った。
殺されてたまるか。イリスはより強固な魔力で守りに徹した。殺されたら悔しいし、それに。
もし留音が正気に戻った時……自分を殺していたら絶対に悲しむ。だから。
イリス「ここでやられてたまるかぁ!!!」
留音「とっとと死にやがれぇッ!」
もはや急造した杖は真っ二つに折れている。伝達率の悪くなった魔力を、イリスは杖の二刀流とすることで器用に攻撃をいなすように防いでいた。
真凛「……こらァ゛ー!」
そこで真凛が怒声を発し、イリスの目の前の空間が急激に歪み始める。
留音「何!? うわっ」
留音はその空間の歪みに落ちるように吸い込まれていった。
真凛「友達に悪い言葉を使っちゃいけません! そこで反省しなさーい!」
真凛は留音を異空間に送ったのだ。真凛の破壊能力ほど多用はしないが、これも彼女の能力の一つだ。
聖美「……はぁぁ……」
アンジー「やった……」
イリス「ふぁ……」
戦いの終わり。防ぎきったイリスの勝ち。必死に戦ったミニーズはへたり込むのだった。
衣玖「何があったのかわからない。詳しく説明してくれる?」
ミニーズは真凛と衣玖に細かに説明した。大変な地球の状況について。留音がどうしてあんな状態だったのか。真凛は納得して、じゃあその虫を早く潰さないと! とワクワクした表情で言う。
イリス「光で焼けるから……あたしの魔法で倒せる」
真凛「えー。ぶちって潰すんじゃだめなんですね。仕方ない……」
真凛は少し残念そうに、異空間への穴を開いた。イリスはそこに閃光の魔法を放つ。留音の叫び声が聞こえた。衣玖と真凛の時と同様に擬態虫が消えた衝撃によるものだろう。真凛が異空間から連れ出した留音は気を失っていたがいつもの姿に戻っていた。
アンジー「よかった……解決だね……」
イリス「……留音」
イリスは眠る留音の手を少しの力で握る。留音の手の甲は少しだけ赤くなっていた。それはそうだろう、イリスの全力で張った障壁魔法を素手で殴っていたのだ。本当なら拳の骨が砕けていてもおかしくない。
疲れ切った表情で、イリスは留音の手の甲を撫でていた。留音が目を覚ましたら帰って、少し眠ろう。もうほとんど魔力は残っていない。魔法界で最上級の生物である邪古龍を倒した時ですらこんなに疲れたことはなかった。
これで解決だ。ミニーズはもう床が風に晒されているコンクリートでも関係ない。倒れ込んでしまっている。真凛はばっちいですよぉと気にして、そこに甘えた聖美は真凛に膝枕をしてもらっている。
衣玖とアンジーは作戦を立てていた。まずは雲を浄化して地球に擬態虫が来ないようにしないと。そんな事を話して……。
しかしまだ終わっていなかったのだ。真凛がふとしたタイミングで「あれ?」と上を見上げる。見上げた先は骨組みビルのコンクリート天井だが、真凛が見ているのはその更に彼方。宇宙である。
真凛「何か落ちてきています……なんだろう……」
イリスは眠っている留音の手を優しく地面に置き、全員で急いで骨組みビルの外の空き地へ出て上空を確認した。
地球への太陽光の光を奪う分厚い雲。それのせいで真凛の感覚が鈍っていたらしい、それはすぐに姿を表す。
雲を割って落ちてきたのは超巨大隕石である。あまりにも大きなそれは、落ちてきたと言うよりは確固たる目的意識を持って向かってきたというのが正しい。
衣玖「まずいわね。あの質量……ぶつかったら地球も粉々になるわ」
真凛「まぁまぁ。今消しちゃいますからぁ」
真凛はその隕石をじっと睨むと、隕石はねじれて消えていく。破壊されて消えたあとに残ったのは黒い紐状の、まるで黒い雨のような生物。隕石の影に潜んでいたのか、内部に寄生していたのか。
アンジー「あ、あれ……擬態虫じゃ……!」
そう、アンジーの読みどおりである。実は既に擬態虫の仲間は地球の近くの星にいたのだ。それがたった今大劣勢になったことを擬態虫同士の特殊な信号によって知り、地球外の擬態虫は総力を持って攻め込んできたのである。
この星には最強の五人がいる。乗っ取れば全宇宙での勝利につながる。ここで勝てるか勝てないか、擬態虫の存在の上で重要な分岐点となっているのだ。
その数は数え切れないほどである。黒い紐状の擬態虫はニョロニョロと空中から地表に向かってまっすぐ落ちていく。真凛が破壊の凝視を持って一グループずつ消してはいるが、あまりにも数が多すぎて間に合わない。
イリス「……やらなきゃ……」
イリスは転がっていた柊の杖に武器を持ち替えている。
ここに太陽の光は届かない。擬態虫は地面に届けばそこらを這って人間を乗っ取り、少しずつ寄生して最終的に五人少女に辿り着けば勝ち。
そして留音に寄生していた擬態虫からの情報から、今度は地球に住む全員を乗っ取れと指示されている。全てが別個体であり、また意識同一体である擬態虫は五人少女の寄生体から得た情報を持って地球に攻め込んできているのだ。
イリス「極光槍魔法……!」
再び擬態虫特効の魔法を放つイリス。しかし留音との戦いで消耗しきったイリスにはほんの一条の光を放つことしか出来なかった。これではばらまかれて落ちていく擬態虫を倒すことなど出来ない。
衣玖「ここから研究室までどれくらい……!? 真凛、みんな、私をうちの研究室まで守って。私があの雲を消して太陽の光を戻す!」
衣玖の家に戻るまで時間はあるだろうか。それに太陽を出せても地下に隠れる個体も現れるかもしれない。そうなればいずれ少しずつ乗っ取られ、最終的に衣玖が寄生されてしまえばまた同じことになってしまう。
やはり地表到達前に処理しなければならない。
だが無理だ。真凛の破壊はかなり早いが、それ以上に数が多い。見逃しの一匹でもうアウトなのだ。
イリスが持つ柊の杖にも力が籠もらない。がくっと膝の力が抜けてへたり込むイリスの肩を聖美とアンジーが支える。
アンジー「ボクたち……よくやったよね」
これはもうどうにもならない。そう悟ったアンジーが小さな声でイリスと、ミニーズとしての健闘を称えた。
聖美「うん……かっこよかったよね」
暗い雲から降り注ぐ黒い雨。それはひらひらと、ついに地表へと落ちていく。宇宙の終りへのカウントダウン。
しかし雨には虹がつきものだ。イリスたちが見上げる空に、それはそれは大きな虹がかかった。
空を、雲を、陰鬱さを何もかも薙ぎ払う虹の光。極光を超えた超極光。
無粋なまでに強い、強すぎるただの一撃。
イリス「……遅いわよ……」
それはみんなの頑張りが取り戻した一筋の光。最強を超えた、超最強の波動砲。
イリスは目を閉じクスリと笑って、そして後ろから聞こえてきたこんな声に頷くのだ。
留音「あれ、消しちゃっていいんだよなー?」
いつもの頼れる声。いつのまにか二階にあがっていた留音は両手を前に突き出して、子供が考えたようなレーザービームで地球に光を取り戻した。
切り裂かれた暗雲の隙間からは天使のはしごがかかり、空気を伝って撹拌する光は、黒い雨を地表に落ちる前に全て焼き消し去っていく。
その雲の向こうにある光を、ついに取り戻したのだ。
小さくて最弱の最強生物、擬態虫との戦いは"ミニーズ"の完全勝利で幕を閉じたのだった。




