2019年10月28日 人類滅亡の日
2019年10月28日
2011年10月28日。マヤ暦によると人類が終焉を迎える日だ、と世間は騒いでいた。
一節によればそれが世界最後の日であると同時に、人類がなにか新しい周期に入り進化する日でもある、と。
そんな眉唾な話をみんな本気で信じていたのか、まるで恐怖感をひた隠すようにマヤ暦について盛り上がり、映画にされたり、ワイドショーで取り上げられたり。2019年の今となっては誰もがそんな話を忘れているが、当時の世間の空気には私は辟易としていた。
世界の滅亡などあるわけがない。地球に巨大隕石が衝突する?マヤ文明が残したカレンダーが終わるとどこからともなく巨大隕石が現れるとでも言うのか。宇宙人に侵略される?なんということだ、星の数ほど、という、数え切れないものについて形容される"宇宙"の中から、何故先住民のいる惑星に侵略すると思うのか。自意識過剰すぎるのではないか。
世界が滅びるらしいその日も普通に会社に行き、出先の大きな営業で取り返しのつかない失敗をした私は、ほんとうに少しだけ、世界が滅びればいいのに、と考えた。そうすれば失敗を報告しないで済むし、上司にも怒られたり、失望されたりしないからだ。
でもそんな事を考えても仕方がない。少し落ち着いたら会社に戻って報告しなければならない。私は缶コーヒーを片手に公園のベンチに座って、ぼんやりと落ち込む気持ちを独り慰めた。
その視界の中に飛び込んできたのは、走り回る少女たちだ。年齢は10歳くらいだろうか。私には子供がいないから、詳しい年齢はわからない。10歳前後か、もう少し下なのか。でもとてものどかな光景で、私は視界の中でにぎやかに走り回る彼女たちに、いつしか自分の内面世界にトリップするような感覚に陥った。
思えば……一体いつからだっただろう、童心を忘れて、こうして仕事に生きるようになったのは。楽しいことなどほとんど無い。言われたことをこなして、お金をもらって、でもそれを使う暇の無い生活。たまに時間があれば少し良いものを食べたり、買っても買わなくてもいいようなモノを適当に買って、特に使わずに埃をかぶせる。
眼前で遊ぶ子どもたちのように、自由で楽しかった頃の自分は一体どこへ消えたのか。これが生きることだと言うのなら、それはあまりにも寂しいことなんじゃないか。私はそう思えて、少女たちに自分の楽しかった過去と、同時に人が辿り着くべき未来を見出していたのかもしれない。
でも少女たちにも事情というのはあるようだ。ニコニコと遊んでいた少女たちの様子が険悪になっていく。喧嘩が始まったのか、声を荒げて一人の金髪の元気そうな少女がこう言った。
「本当にうになんだよ!!うにになるんだ!」
そして次に答えたのは赤みがかった髪をした、奇妙な雰囲気を持つ少女だった。
「うにじゃないです!!うににはなりません!ぜったいやぁだー!」
声を荒げて、やれうにだうにじゃないだのと必死に口論を始めた。うに……。
「衣玖が作ってくれたんだ!プリンにしょうゆを垂らしたら本当にうにっぽい感じになったんだよ!!」
「しょうゆを垂らしたプリンはちょっとしょっぱいプリンですー!うにじゃありませんー!」
一体何の口論をしているのだろうか。そこにあざといまでにぱっつんヘアをした可愛らしいお嬢さんが入り込む。
「留音さん、あなたうに食べたことあるんですのー?」
「あるよ?!この前回転寿司で食べた!パパが一個食べてみるかって言ったから、変な見た目だけど食べた!あんまり美味しくなかった!だから味は知ってる!プリンにしょうゆを垂らしたやつはあんまり美味しくなかった!だからあれはうにだ!」
「それってあんまり美味しくなかった事を基準にお話していませんの?」
「そうですよー!それは味を知ってるって言いません―!」
話の内容はよくわからないが、この子達は本気でお互いに向き合っているように見える。そこに背の小さな女の子が入ってくる。髪の毛先が遊んでいて、独特な空気感を持っている少女だった。
「でもただのしょうゆじゃないのよっ、プリン専用に味を調整した磯っぽいしょうゆを作ったんだから!すごくうにっぽくなるの!未来のしょうゆなんだから!」
「なーりーまーせーんー!絶対ならない!未来のおしょうゆでもプリンはうににはなりませんー!」
赤みがかった髪の女の子は必死に反論をしている。なんだか少し……どっちでもいいのではないかと感じられるが。止めたほうがいいのだろうか。不審者扱いはごめんだが。
「でも本当にうにになるんだよ!なんかちょっと甘くて、でちょっとむぇってなる感じであんまりおいしくない!真凛も食べてみればわかるって!」
「やだ!絶対うにじゃないですもん!」
「うに!プリンうに!!」
「ちーがーう!」
こうやって誰かと、どうでもいいことで本気になれたのはもうどれくらい昔のことになるんだろう。私はそのやり取りに少しだけ微笑ましさを覚えながらも、でもやっぱり止めるべきなのかと思案して、彼女たちの方に近づいていった。
ただ……そこで私は、今日が人類滅亡の日だということを思い出すことになった。
「プリンは……うにの代わりにはなりませーん!」
赤み髪の少女が地団駄を踏むと、そこを中心に世界が振動を起こしたかのような錯覚に囚われた。私のいる場所まで地割れかなにかの前兆のような揺れが起きたのだ。大地殻変動だろうか。周りの人達もその揺れを感知して、最近のテレビでやたら終末論が取り上げられていることもあるせいか、みんな必要以上に騒いでいるようだった。
でも眼前の少女達は気にもとめていないで口論を続けている。
「あー!真凛はそうやってすぐ地球を人質に取るんだー!自分の意見が通らないからってそうやって地球を破壊しようとするー!はいせこー!せこせこ!」
金髪の子に真凛と呼ばれた女の子の足元をよく見ると、すっかり亀裂が入っていた。しかも横に伸びるような割れたタイプじゃない。その真凛を中心に地球の中心に向かって伸びるかのような、地を穿つ亀裂だ。当の本人は足を少し地面から浮かせて、亀裂に足を取られたりはしていない。
「ねぇ真凛、どうしてそんなにプリンうにのことうにじゃないっていうの?」
「どうしても何も、元々うにではありませんわよね?うにではありませんわ」
「だって……わたしね、今おうちでプリンを作る練習をしてるんだもん……出来たらあげたかったけど、おしょうゆ付けて食べられたらやだもん……」
「あ……それでプリンにしょうゆをかけるって言ったあたしの言葉が嫌だったんだ……」
金髪の少女は先程までのヒートアップした様子を取り下げて、両肩を重そうに落とした。
「それは……知らなかったの、ごめん。私達、真凛が手作りしたプリンにしょうゆかけて食べたりしないよ?プッテンプリンだけにしかプリンしょうゆ使わないから」
「……ホントですか?未来料理だって言って、変なことしない?」
「しないしない」
そんなやりとりをしている間にも揺れは大きくなって、公園から見える高層ビルから緊急避難のサイレンが聞こえてきている。反面、真凛という少女の表情は明るくなっていった。
「良かったぁ……それを聞いて安心しました^^」
「じゃあ地球壊したりしない?」
「あっ、そうでした……直さないと……」
真凛は地面にしゃがんで、入った亀裂をペタペタとなぞる。するとみるみるうちに地鳴りと揺れは収まって、その亀裂もすっかり元通りになっていった。その光景を到底受け入れることが出来なかった私は立ち尽くすのみで、そんな私にも気づかない少女たちはとりとめの無い話をしながら公園を出ていった。
「まったく。本当に真凛は地球壊しがちだなー」
「今日壊したらマヤ暦の予言通りになっちゃうんだから。気をつけてよね」
「えっ?マヤ・レキ?どなた?新キャラですの?予言キャラ?」
「えへへへ」
こんなやり取りを目の当たりにした私だけが知っている。マヤ暦の予言は間違っていなかった。一人の少女がうにプリンを原因に、たしかに地球を滅ぼす寸前のところまで行っていたのだ。
この次の月、私は仕事をやめた。いつ何があるかわからない。ほんの些細なことで日常は消えてしまうかもしれない。だから今を精一杯生きるために、もう少し自分が生きていると実感できる生き方を探すことに決めたのだ。