女装男子は欲望に忠実
じきに入学式というわりに緊張感があまりない。中学校からの友人が同じクラスだったからだろう。
俺は指定された教室の指定された席に座った。机上にある、先輩がつけたのであろう傷を眺めて体育館に案内されるのを待っていた。
「俺トイレ行ってくる」
中学からの友人、晶太が言った。
答えるために顔を上げた。
そのとき、俺の瞳にとても美しい人が写った。
息を呑む。
茶色がかった長く艶のある髪を揺らし、細長い足を堂々と出しながら歩くその人に、俺は一目惚れをした。
強い意思を備えた瞳がかっこいい。しゅっとした顎やキリッとした眉が凛々しい。背が高い。かっこいい。綺麗。可愛い。
俺の方なんて見向きもせず横を通りすぎていった。
ふわりとばらまかれたバラ系の香りが鼻をついた。
その人は後ろにいた女子達と談笑を始めた。
「えええええめっちゃ美人!まさかあの子と同じクラス!?運よすぎるんだけど!」
トイレに行ったはずの晶太が耳元で叫んだ。
「ほ、ほんとだね」
いつもなら煩いな~なんて茶化すところだ。
でも、俺は気が抜けたようにそう返すことしかできなかった。
幸せだな~。
入学式の日に一目惚れをしたあの人は『後本娚』という。
俺の左斜め前の席だ。出席番号の奇跡に感謝。俺は四六時中後本さんを眺めることができた。
本当に綺麗だな~。個人的には髪の毛は短い方が似合うと思うけど。でも、長いのも似合ってしまうのはすごいな~。
後ろから肩をつつかれた。今はSHR中だ。先生が教卓で喋っている。
俺は先生の目を盗んで振り返った。
後ろの席は晶太だ。
「今日から体育始まるよな。俺すっかり忘れててさあ、体操服持ってきてないんだけど貸してくれるアテある?」
「3組の佐藤は?」
「もうLINEした。今日体育無いって。どうしよ」
晶太は頭を抱える。
しかも体育は一時間目だ。時間がない。
「体育教師って絶対怖いじゃあん。最初っから忘れるとか目えつけられるうう」
「これは?わざと制服濡らして保健室で着替えと称して体操服を借りる」
晶太がぱああっと顔を輝かせた。
「妙案じゃん!そうする!ありがとう!」
「どういたしまして」
晶太の体操服問題が解決したとき、丁度SHRも終わったようだった。
晶太はダッシュで教室を出ていった。
さて、俺も更衣室行くか。
目の前で後本さんが優雅に立ち上がった。すぐに女子たちが取り囲む。
背が高いので、後本さんの顔だけひとつ皆の頭の上に出ていた。
後本さんは皆に連れられながら笑顔で教室を出ていく。
「あの......」
体操服を持って後を追うと、女子たちは後本さんと共に女子更衣室に入っていった。
俺は伸ばしかけた手をおろした。
後本さんはいつも体育を見学していた。
黒い体操ジャージの団体の中に一人だけスカートを履いた姿は浮いていた。
「娚ちゃん身体弱いのかなあ」
グラウンドの端に立つ後本さんを見て晶太が言った。
「うーん、どうだろ」
「あんなに白いしほっそいし、病気かあ?」
「でも、結構筋肉質だよね」
高校に入学して初めての体育なので、内容はウォーミングアップ程度の球蹴りだった。
晶太は目を凝らす。
「見えねえ」
そう言うと、ボールを後本さんに向かって蹴った。
「すいませえん!」
そして偶然を装って後本さんの元に走っていった。
俺もついていく。
後本さんはゆるやかに自らに向かってくるボールを足で止めると、顔を上げて俺たちを見た。
「ありがとうございます」
晶太がヘラっと言った。
後本さんは首を少し傾けるとニッコリ笑った。
「頑張ってね」
そう言ってボールを蹴り返した。
かっこいい。
「後本さんは体育やらないんですか?」
「う~ん。私は......」
後本さんは少しどもってから答えた。
「足を怪我してて」
「そうなんすねえ!」
足を見てみたが、健康的な筋が綺麗に出ている。色は白いが決して血色が悪いわけではない。怪我をしているようには見えなかった。
「早く治るといいっすね!」
「うん。ありがとう」
後本さんはまた花のように優美で気高い微笑みを俺達に向けた。
俺達は顔を赤くしながらグラウンドに戻った。
「やっぱ美人だなあ」
「筋肉あったでしょ」
「顔しか見てなかった」
「あーらら。何のために蹴ったの」
体育が終わると、体操服を返しに晶太はダッシュで校舎に戻っていった。
俺も着替えなきゃ。
「後本、お前見学してたんだからボール片付けろ」
先生が後本さんに言っていた。
後本さんは素直に頷くと、人がはけた広いグラウンドに散らばったボールを一人で集め始めた。
俺は身近にあったボールを拾うとかごに入れた。
まだまだボールは散らばっている。
俺は駆け回ってボールを集めた。
最後の一個をかごに入れると、後本さんがかごの前で待っていた。
「手伝ってくれてありがとう」
「仮にも足怪我してるんだし一人じゃ大変だから」
「お礼にこれあげる」
後本さんはポケットから飴を取り出した。
「友達から貰ったんだけど、私今ダイエット中だから」
「今の体型で大丈夫だと思うけど」
「事情があるの」
「そっか」
俺はかごを体育倉庫に片付けた。
俺達は並んで校舎に歩いた。
男子更衣室は一階、女子更衣室は二階だ。
階段の前で後本さんが立ち止まる。
「ありがとね。えっと......」
「蒼真咲です」
「私は」
「後本娚さん」
「うん」
「クラスで一番に名前覚えました。あんまり綺麗な人だから」
後本さんは興味なさそうに「あっそ」と言って階段を登っていった。
俺は長髪を揺らしながら堂々と歩いていく後ろ姿に見惚れた。
おっと、はやく着替えないと。授業遅れちゃう。
そう思ったのもつかの間、キーンコーンカーンコーン、始業の鐘が鳴った。
ああ、間に合わなかった......。
ま、いっか。
俺は後本さんと話せた幸せを胸に更衣室に向かった。
教室に戻ると既に授業が始まっていた。当然か。
俺は抜き足差し足で後ろから入る。
ビチョビチョの制服を着た晶太が手を上げた。俺も手を上げて応える。
ずっと服借りてればいいのに。
「遅かったな。どした?」
「体育の片付けしてた」
あれ、後本さんも来てない。
左斜め前方の席は空だった。
どうしたんだろう。
「後本さん戻ってないの?」
「俺が来てからは見てないけど」
おかしいな。更衣室には荷物を取りにいくだけだからすぐ済むはずなのに。何かあったのかな。
「せんせー」
俺は立ち上がった。
「お腹痛いのでトイレ行ってきます」
「あ?ああ。お大事にな」
俺は先生の答えを聞く前に教室を出た。
一直線に女子更衣室に向かう。
更衣室の扉は閉まっていた。鍵は掛かっていない。
ノックをする。中からガタガタと音がした。
「すいません。入ります」
扉を開けて、入ってすぐに閉める。
そこには後本さんがいた。
ロッカーの上に立って、死角を何やら探っていた。
俺を見ると急いでロッカーから飛び降りた。
手には黒い塊を持っていた。
それはカメラだった。
「ここ女子更衣室なんだけど。何でいんの」
後本さんは顔を歪めて俺を睨んだ。
「遅いからもしかして後本さんに何かあったんじゃないかと思ったんだけど」
「だからって女子更衣室に入る?てかもう授業始まってるでしょ」
「うん。始まってる」
俺は後本さんが握っているカメラを見た。
後本さんは一瞬動揺したが、すぐに胸を張って口角を上げた。
「私の弱味を握った気になってる?」
後本さんはカメラを俺に向けた。
カシャリ。
シャッター音が鳴る。
「何で私はカメラを設置していたでしょう?女子の裸を盗撮して売り捌くクソヤロー?それともレズビアン?もしくはもっともっと変態なことしてるのかなあ」
後本さんの目は恍惚と光っていた。
「例えば、撮られて、コーフンしちゃうとか......」
後本さんは見せつけるようにゆっくりとスカートをたくしあげた。パンツが見えるか見えないかというところで止めると俺を見据えた。
「何て言いふらそうとしても関係ないよ。だって」
後本さんはカメラを振った。
「お前は女子更衣室に押し入って希代の美少女をレイプした変態ヤローなんだから!」
後本さんは勝ち誇ったように笑った。
外で物音がした。
俺は後ろの扉の鍵を閉める。
「言わないよ」
俺の言葉を聞くと、後本さんは真顔に戻った。
「そんなことしなくても言わないよ」
「ふうん。何で?」
「後本さんの事が好きだから」
クックックックっと、今度は圧し殺すように笑いだした。
「マジで顔がいいって得だわー。ククク。男って何でこう欲望に忠実なのかね。ホントだったら一発ヤらせてやってもいい回答だぜ。マジで。そーだ。盗撮バレたついでに教えてやるよ」
後本さんが腕を上げる。
そのまま自らの頭の上にもっていくと髪の毛を掴んだ。
ずるり。後本さんが手を下に引っ張ると、一緒に髪の毛も落ちていった。まるで頭皮が剥けるように、ごっそり髪の毛が剥けていく。
が、無くなっていく長髪の下にも髪の毛があった。
後本さんはニヤリと笑った。
「俺、男でしたー」
金髪の短い髪の毛だった。校則違反だ。
でも、やっぱり、短い方が似合ってる。
「知ってるよ」
「は?」
よく見ると隠れていた耳にピアスが付いていた。
これも校則違反だ。
「俺が男だって?知ってた?」
「うん」
「何で女装してるのかは分からなかったけど今分かった。女子の裸見るためだったんだね」
「それを知ってて言わないって?」
「うん」
「......いいのかよ」
「だめだよ」
「は?」
「でも、好きな人がやってたらそれすらも応援したくなっちゃうね」
照れてはにかんだ俺を後本さんが呆気にとられた顔で見つめた。
「あ?でも、俺が男って知ってんだよな」
「うん」
「なのに好きなのか?」
「うん」
「お前ホモかよ」
「うーん.....違うと思う。今まで好きになった人は女子だから」
「あっそ......まあ、でも、残念でした。分かってると思うけど俺女が好きだから」
「あ、うん。.....大丈夫。俺後本さん見てるだけで幸せだから」
「はあ......」
「それじゃあ。何にもないって分かったから俺授業に戻ります。このことは本当に誰にも言わないから安心して。じゃ」
「え、あ、おいっ」
教室に戻った頃には授業は半分が終わっていた。
ノートを見せてもらおうと晶太の机を覗くと、晶太は突っ伏して寝ていた。案の定ノートは真っ白だった。
あーらら。
俺も机に突っ伏して泣いた。
授業が終わるまで後本さんは帰ってこなかった。
翌日の放課後、後本さんに呼び止められた。
後本さんは俺の腕を掴むと校舎裏に引っ張った。
「ホントに誰にも言ってねんだな」
後本さんは片足に重心をかけて腕を組んだ。
鋭い目付きで俺を睨む。
失恋の痛みを乗り越えて新たに進んでいこうとしているのに。傷を抉ってくる。
かっこいいなあ。
「おい!聞いてんのか!」
「うん。聞いてる。言ってない」
「お前ホント変な奴だな」
「後本さんの方が変だよ」
「ま、否定はしないな」
後本さんはポケットを探ると何かを俺に突き出した。
飴だった。
「これやるよ」
「何で?」
「女子がくれんだよ。俺糖質制限してんのに」
「飴一個ぐらいだったら大丈夫だと思うけど。寧ろ100キロくらいの方が女子か男子か分からないかもしれないし」
「バッカ。俺はチヤホヤされてんだよ。それに女子って菓子ばっか食ってんだぜ。飴ちゃん一個じゃ済まねーの」
俺は全身から脂肪を垂れ下がらせた太った後本さんを想像した。
「フフフ」
思わず笑いが漏れる。
その巨体で回りの人を薙ぎ倒して進んでいく姿は立派だ。
「おい今想像したか?俺の美貌を勝手に改変すんな。俺は醜くなったりしないからな」
「醜くなんかないよ。可愛いよ」
「はあ。そう思うのはお前だけだっつの」
飴をしまったとき、俺を呼ぶ声がした。
晶太だ。
「話は終わりだ。じゃあな」
後本さんは手を振ると去っていった。俺は手を振り返した。
後本さんと入れ違いで晶太が来た。
「ん?あ?え?もしかして今娚ちゃんと一緒にいた?」
「うん」
「え?何何何何してた?」
「飴貰ってた」
「なんで」
「太りたくないからだって」
「意味分からん。俺にくれればいいのに。つかマジ娚ちゃん可愛いよな」
「うん」
「俺告白してみよっかなー」
「後本さんに?」
「うん」
「後本さんのこと好きなの?」
「そりゃああんな美女誰でも好きだろ。あんな人と付き合えたら最高じゃね?」
「そうだね」
晶太後本さんのこと好きなんだ。
あ!でもどうしよう。後本さんが女子だって勘違いしてる!
「ごめんちょっと用あるから先帰るっ」
俺は走り出した。
今ならまだ近くにいるはず!
俺は校門に向かった。
すると、後本さんが女子達に囲まれながら丁度正門を出ていくところだった。
「後本さん!」
俺の声に反応して振り返った後本さんの腕を俺は掴んだ。
「大切な話があるのでちょっといいですか!」
騒ぐ女子達の中から後本さんを引っ張り出す。
人気のない路地まで連れていく。
後本さんは黙って着いてきた。
「さっきの今で何」
「ごめん後本さんが男ってこと誰にも言わないって約束したんだけど、言います」
「はあ!?何でだよ!」
「晶太が後本さんのこと好きで、告白するって言ってて。晶太後本さんが男子って知らないからこのままだと失恋しちゃうんだよ」
「あきた?」
「えーっと、俺の友達で、前に後本さんにボール取って貰った人」
「......あーあ。あいつすっげえ口軽そう」
「誰にも言わないようにちゃんと言っておくから。ごめん」
「ダメに決まってんだろ」
「ごめん」
「はあ!?絶対言うな!俺のこと好きなんだろ!?」
「ごめん。後本さんのことは好きだけど晶太は親友だから」
後本さんは眉間に深い皺を作り、目をひくつかせながら俺を睨んだ。このままだと殴られる勢いだ。
俺は一礼すると逃げるようにその場から走り去った。
明日学校で晶太に言おう。
あ、そういえば俺後本さんに脅されてたんだった。もしかしたら明日には俺は強姦クソヤロウ、に、なってるのかな。
晶太に話があったので早めに学校に来た。
教室に着くと数人しか生徒はいなかった。しかしなにかおかしい。
教室を見回すと殆どの生徒と目が合うのだ。
皆が俺を見ている。
俺は笑顔で「おはよう」と言ってみたが、皆何故か顔を赤らめて目を逸らす。
やっぱり強姦クソヤロウになったのか。
でも、なんか違う感じがする。
「さくさくさくさくさくさくさくさくううううううううううう!!!」
既に登校していた晶太が飛び付いてきた。
「これこれこれこれグループライン!見たか!?」
晶太はただならぬ様子でスマホの画面を見せてきた。
三角高校1年3組グループライン。
うちのクラスのだ。
確か入学式の日に女子に誘われたけど俺はスマホを持っていないので断った。
「これどういうことだよ!!!」
晶太が突きつけた画面では世話しなく文が流れていく。
「どれ?」
「え?ああっ」
晶太は急いでスクロールして画面を戻した。
「これだよ」
晶太が指差したのは「後本」という名前と後本さんの顔写真のアイコンから出た文だった。
『蒼真咲君とお付き合いすることになりました❤応援よろしくお願いします!』
そう、書かれていた。