5「デカブツ、こっちだ!遊んでやるからかかってこいよ!」
イビル・スパイダーについては、一応知識としてはちゃんと勉強してきている。そういう意味では、初心者向けなのかもしれない――モンスターとしては相当有名どころではあるからだ。
何故なら、昔からこのモンスターによる被害が絶えないからである。最も強力なモンスターはダンジョンとその周辺にしか出没しないのだが、一部のモンスターは森やダンジョンの食糧事情、あるいは縄張り争いに敗れて町にやって来てしまうことがあるのだ。
イビル・スパイダーは、そうやって町に来て被害を齎すことが少なくないモンスターの一種だった。というのも、このモンスターは非常に“大食い”であることで有名なのである。バランスを考えずに縄張りの昆虫や動物をほぼ食い尽くしてしまい、やむなく食糧を求めて町の田畑を荒らすのだ。場合によっては、八百屋などの食料品を売る店を襲撃することもあるという。
蜘蛛一匹一匹の食欲もさることながら、一度に大量の子蜘蛛を産むのも問題だった。数の暴力で、あっという間にたくさんの獲物を狩りつくしてしまうのである。
――その点、今回は……まだ幼体の蜘蛛が一匹。しかも見たところオスだから、腹の中に大量に卵がー、なんてオチもない分温情なんだけど。
獣使い、こんなモンスターまでけしかけてくるのかい。ロークがドン引いているうちに、モンスターの攻撃が飛んできた。その口元がふるふると震えると、白い糸を吐きだしてきたのである。
「うっ!」
あれに捕まったら最後、粘着糸に絡め取られて蜘蛛のご飯にされてしまう。慌てて避けた結果、魔力防御の魔法が大きく乱れてしまった。完全に解けたわけではないが――情けない、やはりまだ訓練不足は否めない。
聖剣を手に入れて安定して戦えるようにするためにも、まずはこの試験を突破しなければ。
「イビル・スパイダーの特徴はわかってるね!?」
カナンが鋭く叫んだ。
「粘着糸で獲物をぐるぐる巻きにして捕食する!ただし、一定距離まで近づくと直接噛みつき攻撃もしてくる!パワーそのものは大したことないけど粘着糸に絡め取られたら逃げ場はないし、牙も鋭いから噛みつかれたら普通に致命傷になる!」
「わ、わかってる!でも幼体なら、まだ毒は弱いよな?それにパワーもスピードも耐久も成体よりだいぶマシなはず。オスだから卵も産まないし」
「だけど、粘着糸吐かれまくったら、狭い闘技場の中では逃げ場がなくなる。さっさと勝負を決めた方がいい」
「デスヨネー!」
ぶわっ、とカナンの魔力が高まったのがわかった。仕掛けるつもりだ。
「プランCで行く。俺があいつの気を引きつけるから、ロークは魔力強化に集中!あいつの隙をついて後ろに回ってぶっ叩いて!」
「……了解。無茶すんなよ」
「そっちもね。こんなところで死ぬんじゃないよ!」
こういう時、可愛い顔しておいてカナンはロークよりずっと男前だし、決断力がある。正直、友人を囮にして美味しいところを持っていくというのは気が引けるのだが――適材適所というものは自分だってわかっているつもりなのだ。
足の速さ、回避率、器用さは全てカナンの方が上である。ロークと比べて火力は足らないが、それでも敵を引きつけて逃げるのはカナンの方がずっと向いているのは間違いない。ロークがまだ、一撃の威力さこそあれ、魔力を安定するための“溜め”が必要だとわかっているから尚更に。
「デカブツ、こっちだ!遊んでやるからかかってこいよ!」
モンスターの多くは、ニンゲンの言葉をある程度理解できているというのは証明されている。カナンが挑発しながら走れば、モンスターは彼の方に首を向けた。その隙に、ロークはイビル・スパイダーのお尻側に移動する。
イビル・スパイダーは凶悪なモンスターだが、それでも攻略法がないわけではない。例えば、多くの虫系モンスターとは違い、攻撃は前の方にしか飛んでこないのだ。粘着糸も口から吐き出してくるため、背後に回れば比較的安全なのである。ただしいくつもの複眼のために視界は広いので、ほぼ真後ろ以外に死角がないという難点はあるが。
「“Thunder-shot”!」
魔導書を開いた状態で、カナンが雷系の魔法を放つ。小さな雷の光球を連続で放つ魔法。一発一発の威力は低いものの、手数が多いので相手の気を引きつけるには最適である。ちまちまと撃つので速射性が高く、相手が回避しづらいをいう利点もある。
「グウウウウウ!」
てめえうざいんだよ!とばかりにイビル・スパイダーがカナンに突進した。ちまちまと足に光球をぶつけられてイラっときたのだろう。
――なるほど、雷系魔法にしたのは追加効果を狙ってのことか。
何で焔や氷の魔法にしないのかと思ったら、イビル・スパイダーの動きを鈍らせるためであったらしい。雷魔法を当てられた足の動きが遅く、移動速度が落ちている。これなら、カナンの足で充分逃げ切れる範囲だ。
ただ、彼も体力が無尽蔵というわけではない。普通の十六歳よりは体力があるだろうが、元より彼は体力に自信があまりないからこそ魔法ジョブを選んだという背景があるのだ。
ロークは自分の技に集中することにする。全身に魔力をもう一度しっかりと行き渡らせる。それから、腕と肩、足腰を中心に魔力を最適な配分へ。そして、剣の耐久が上がるようにしっかりと強化を施す。
「ローク!」
闘技場の壁際で、カナンが叫んだ。わざと壁際まで追い詰められたのだと知る――全ては、ロークが安全には背後から叩けるようにするために。
「うおおおおおおお!」
ロークは大剣を振りかぶって、大地を蹴った。
「食らえ――!!」
そして。ロークの剣が、巨大な蜘蛛の背中を捉えたのだった。
***
「あいつ……」
その時。エリアは、観客席で様子を見ていた。
元々ちょっとからかってやろう、くらいのつもりで先日近づいた少年。自分と同年代だったのもあるし、明らかに友人の足を引っ張っているお粗末な修行をしているようだったので、叶わない夢を諦めさせてやろうと思ったのである。
だが、その結果彼は大木をなぎ倒すという凄まじい怪力を見せた。確かに相棒の少年よりは大柄であるようだし筋肉もついていたが、それでも大人の海賊ジョブや拳士ジョブほどゴリゴリのマッチョというわけではない。見た目とパワーの違いに、流石に面食らったものである。
それで、自分の試験をこなすと同時に、こいつの実技試験を見学してやろうと思ったわけだ。――己の“お眼鏡に叶う”存在かどうかを確認する意味も含めて。
――あの相棒の赤魔導師っぽい子もなかなかのもんよね。魔力も高いみたいだし……逃げながら魔法を連射するなんて、そうそうできる芸当じゃないわ。
そして、あのロークという少年は。
――凄まじい怪力。……恐らく、何らかの女神の加護を受けたけど、それを自分で制御するのに苦労してるってところかしら。なるほど、それであんなお粗末な修行してたわけね。
力が安定していないし、一発放つまでにかなり時間がかかる。そのために、相棒が囮になって逃げ回る羽目になったわけだ。
ただし、一度振り下ろしてしまえば、威力は絶大。なるほど、あの攻撃力は役に立ちそうである。
だが。
「もうちょっと、コントロールを鍛えておくべきだったわね」
思わず、口に出して呟いた。
「真芯で捉えられてないじゃない。……その蜘蛛、まだ生きてるわよ。しかも」
イビル・スパイダーは背中を切り裂かれ、その場で悲鳴を上げて沈んだ。だが、まだ死んでいない。全身をぶるぶると震わせて、まだ立ち上がろうとしている。
しかも。
「お、おい!?よせ、やめろ!」
慌てた声を上げたのはロークでもカナンでもなく、イビル・スパイダーを操っていたはずの審判であり獣使いでもある男だった。
観客席がざわつく。イビル・スパイダーの割れた背中と腹から――ぬめぬめとした体液にまみれた、黒と赤の甲殻が覗いたからだ。
あれが何を意味するのかは、ちょっと知識がある者なら誰でも知っている。幼体から、今まさに脱皮して成体へと進化を遂げようとしているのだ。
しかも獣使いの様子からして、これはアクシデントなのだろう。さすがに冒険者の資格も持っていない受験者に、成体のイビル・スパイダーをぶつけるつもりはなかったと見える。
――この様子だと、獣使いの指示も無視してるわね。……生体のイビル・スパイダーはベテランの冒険者でも手こずる難敵。さあ、あんた達どうするの?
ここで死ぬなら、その程度の連中だったというだけのこと。同時に、アクシデントである以上ここで試験を中止して撤退しても、ロークとカナンの評価に傷がつくようなことはないだろうが。
「ふうん、戦うんだ」
少年達は、驚きながらも戦意を喪失していないようだった。二人揃って、巨大な蜘蛛に改めて向き合ったのである。