タコ焼き
旅行を終えて帰宅し、連休が明けて……日常が戻ってきて出勤となって、グリ子さんはいつもの工場前の特等席で、暖かな日差しの下、ぼんやりとした時間を過ごしていた。
これこそがグリ子さんにとっての日常で、いつもの日々で……本来であれば穏やかなこの時間を楽しむべきなのだろうが、色々と刺激的で楽しかった旅行の日々が頭の中に浮かんできて、どうしても素直に楽しむことが出来ない。
美容マッサージに、タコにイノシシに炉端焼きに、ああ、なんと甘美な日々だったのだろうかと旅行の思い出に浸り、素晴らしい味を思い出して反芻し……そのまま意識を手放して夢の世界へと旅立ってしまう。
そうしてグリ子さんが夢の世界の中でもう一度の旅行を楽しんでいると「グリ子さーん」「グリ子さーん」なんて声が聞こえてきて、その体を誰かがゆさゆさと揺らしてくる。
「クキュン?」
と、そんな声を上げながら目を覚ましたグリ子さんは、下校途中の……いつもここに遊びに来てくれる子供達が目の前にいることに気付いて……懐かしい顔を嬉しそうに見回し、皆が浮かべている笑みをたっぷりと堪能し、そうしてから子供達と遊び始める。
黄色い帽子を被り、色とりどりのランドセルを背負った子供達とお互いのことをハグし合ったり、追いかけっ子をしたり、クチバシや爪を器用に使って土の地面に絵を描いたり、クイズをしたり、マルバツゲームをしたり……何をするわけでもなくお互いの体に寄り添って日光浴をしたり。
そうやってたっぷりと遊んで……日が暮れ始めて、子供達が慌てて「家に帰る!」と、そんな声を上げながら駆け出して……「またねー!」と道の先の曲がり角を曲がる直前に声をかけてくれて。
そんな子供達のことを見送りながら、ああ、いつもの日常も悪くないもんだなーと、グリ子さんが考えていると……帰り支度を整えた作業服姿のハクトがグリ子さんの側へとやってくる。
「そろそろ帰ろうか」
そしていつもの声をかけてくれて、グリ子さんもまた「クキュン!」といつもの声を返して……二人で夕暮れの、車通りの少ない住宅街の道をゆっくりと歩いていく。
カァカァとカラスの鳴く声が響いてきて、温かくなってきたからかチチチチと名も知らない虫の声が聞こえてきて。
そこらの家々からは美味しい夕ご飯の匂いが漂ってきて……カチャカチャと食器が立てる音や、バシャバシャとお風呂のお湯が立てる音や、ワイワイと家族団欒での夕食を楽しむ声が響いてきて……そして段々と賑やかな、騒がしいとも言える人々の声が、道の向こうから聞こえてくる。
それは二人がいつも通る商店街の大通りから聞こえてくる声で……竜鐙町商店街との文字が書かれた大きな看板を構える、大きなアーチをくぐったなら……人でいっぱいで賑やかで美味しい香りが漂う、夢のような世界が一気に広がる。
「おや、グリ子さん、久しぶりだったじゃないか」
「旅行にでも行ってたのかい?」
「これ、新作のカレーコロッケだよ」
するとすぐに大通りの両脇に店や屋台を構える人々からそんな声がかかってきて、グリ子さんは右を見て左を見て、ハクトを見て……ハクトが「良いよ」と頷いたならまた左を見て右を見て、どれから食べようかと頭を悩ませるという、忙しない仕草を見せる。
すると商店街の人々が微笑んでくれて、グリ子さんはその理由がよく分からないままに微笑み返して、それを受けて皆が笑顔になるという不思議な空間が出来上がって……そんな中をグリ子さんは、買い食いという、ちょっとだけはしたないが、楽しくて美味しいことをしながら歩いていく。
そうして大通りの中ほどまでやってきた時のことだった、大通り脇の屋台から香ばしくて甘くて少し酸っぱさのある、ソースの焼ける匂いが漂ってくる。
そのソースは鉄板の上でまん丸に焼き上がったタコ焼きにかけられているもので、ソースの上に青ノリがかけられるともうたまらない香りが出来上がってしまって……その中に封じ込められたタコの正体を旅行先で知ることになったグリ子さんは、スススッとそちらへと自然な流れで引き寄せられていって、屋台の主人へとじぃっと……潤んだ瞳を向ける。
「おや、グリ子さん、久しぶりじゃないか……タコ焼き食べたくなったのかい?」
屋台の主人がそう言ってくるとグリ子さんはコクコクと激しく何度も頷いて……そんな姿を見て苦笑したハクトがグリ子さんの隣に立ち、4パック分という破格の支払いを済ませてくれる。
「クキュン!?」
4パックも!? そんなグリ子さんの驚愕の声に対してハクトは、屋台の脇にあるベンチを指差しながら言葉を返す。
「そこに座って1パックずつ食べて、残り2パックは持って帰るとしよう。
家で食べるのもよし、風切君の所に行って食べるもよし……どうせグリ子さんのことだ、1パックだけじゃ満足出来ないんだろう?」
そんなハクトの言葉にグリ子さんは、またも何度も何度も頷いて……支払いを受けた主人はからからと笑いながらパック詰め作業を始めてくれて……まずは2パックを作り上げ、持ち帰り用の後でかけるソースと青のりのパックと一緒に手提げ袋に入れてくれて……残り2パックは蓋が閉まらない程の大盛りにしてから、何本かの串と一緒に渡してくれる。
「グリ子さんが買ってくれると、その後どういう訳かじゃんじゃか売れるようになるからねぇ、これはオマケだよ。
特にそこのベンチで食べてくれた日にゃぁ、材料が早々売り切れてくれるんだから、ありがたいったら無いよ」
蓋が閉まりきらないパックを苦労しながらハクトが受け取っていると、主人はそんな事を言ってくれて……グリ子さんは早々とベンチの下へと向かい、ベンチに座るのではなく、ベンチの前に、ベンチの方へと向かってちょこんと座る。
するとハクトはそんなグリ子さんの目の前のベンチにタコ焼きのパックをそっと置いて……その隣に腰を下ろしたなら、串を器用に操り、まずはグリ子さんのクチバシへとあつあつのタコ焼きを運び、それから自分の口へと運ぶ。
そうしてから二人ではふはふと言いながらタコ焼きを食べ……食べ終えたならまたハクトが、まずはグリ子さんに、それから自分にとタコ焼きを運び続ける。
そうやって食べるタコ焼きはソースの味がたまらなくて、大きすぎてはみ出す程のタコの味と食感がたまらなくて、刻んだネギや紅生姜の味もしっかり仕事をしていて……グリ子さんの目はキラキラと輝き、こんなに幸せそうな顔があるものかというような顔になって……クチバシだけが忙しなく動き続ける。
ハクトとグリ子さんがそうやっていると、その顔に惹かれたのか、それとも漂うソースの香りに惹かれたのか、あっという間に数え切れない程の客が集まってきて……そうして屋台の前には長い長い行列が出来上がるのだった。
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