馬に蹴られるまでもなく
時間をかけてゆっくりとデパートの中を眺めていって……茶碗などの小さな品を買い、いくつかの家具の値段や大きさなどをチェックして……そうしてまた今度、家の何処に置くのかなどを決めたら買いに来ようと、ハクトとユウカがそんな会話をしながらデパートの玄関へと向かう中……そんな二人の後を静かに、邪魔にならないようにと気遣いながら追いかけているグリ子さんは、二人へと怪しげな視線を向けている不審者の存在に気付いていた。
結構な距離を取りながら、こちらに気付かれないようにと気配を消してコソコソとしていて……サングラスに黒いスーツという、見るからに怪しい格好をしていて……そんな不審者に意識をやりながらグリ子さんは、さて、どうしたものだろうかと頭を悩ませる。
ここは自分の縄張りではなく、様々な幻獣が住まう場で……人目の多さもあって、自分の力を使うというのはどうにも躊躇してしまう。
そもそも相手が本当に不審者なのかという問題もあり、ハクト達を狙っている敵なのかも定かではなく……人の多い繁華街の中にたまたま紛れ込んだ、普通ではないおかしな人、という可能性も無いとは言い切れない。
そんな相手にいきなり力を使っての攻撃をするというのは、流石にどうかと思われるものがあり……結局グリ子さんは、変質者への警戒心を最大限に高めて、いつでも力を発動出来るようにしながら、神経を尖らせるだけに留めて……ハクトとユウカの邪魔をしないように、表向きは笑顔で何事もなかったかのように装うことにした。
そうやって繁華街の中を、笑顔で歩いていく二人の後を追いかけていって……そろそろ昼食にしようかと、二人が人通りの多い道から外れて、人通りの少ない道へと入った……その時だった。
まずは構えを取ったユウカがバッと後ろへと振り返り、続いてハクトもまた構えを取りながら、後ろへと……不審者の方へと向かって戦闘態勢を取る。
グリ子さんはすっかりと忘れていたことだが、ユウカは国内トップクラスの学院で、トップの戦闘力を誇る学院生であり……ハクトもまたユウカには負けるものの、上位に食い込んでいた実力者だ。
今までは人混みに紛れていたのと、不審者がしっかりと気配を消していたことで気づけていなかったが……人通りが少なくなり、それを受けて不審者が油断したのもあって、その存在にあっさりと気付いてしまう。
それを受けてグリ子さんが、せっかく楽しんでいたのになぁと、心の底からの残念そうな顔をする中……ハクト達に気付かれてしまったことを受けて不審者が行動を起こす。
「矢縫ハクトさん! お父上がお会いしたいそうで……ご同行いただけませんか!」
姿を見せて、ハクト達に対抗しようとしているのか、構えを取りながらそう言ってくる不審者に……ハクトは顔をしかめながら言葉を返す。
「実家を追い出され、代わりとばかりにあてがわれた家を出た時から、もはや矢縫との縁は切れている。
他人となった彼が今更自分に何の用かは知らないが、どうしてもというのであれば、まずは手紙などで一体どんな用なのか、どんな話をしたいのかの旨を伝えた上で、相応しい場を用意して頂くのが道理だろう。
私用で外出中のところを付け回し、拳を構えて拉致同然の同行を望むなど、言語道断であり、到底受け入れることは出来ませんね」
その言葉を受けて今度は不審者が顔をしかめる。
言っていることは全く正論で、それでいて条件を満たせば会うと妥協もしていて……普通であればここは一旦引いて雇い主の判断を仰ぐべきなのだが……だが、その雇い主はあの矢縫家当主だ。
悪名高いあの矢縫の当主が、縁を切って捨てた相手にわざわざ手紙など書きはしないだろうし、相応しい場の用意の用意などという手間と金がかかることも当然しないだろう。
何より不審者が何日も何度も失敗を繰り返していたせいで、依頼主の我慢は限界に達しており……ここでまたも連行に失敗した上に、ターゲットが条件をつけてきたなんて報告をしたなら、どれだけの怒りを爆発させてしまうのか予想もつかない。
そしてその怒りが不審者に向いてしまうことも明白で……不審者は仕方ないかと舌打ちをしてから、口をつぐみ……己の中に眠る魔力をたぎらせて、代々伝わる術式を発動させる。
不審者は若い頃、己の未熟さから幻獣の召喚に失敗してしまっていたが……それでもかなりの魔力を有しており、その上所有する術式は、代々千年以上も前から受け継いできた、長い歴史と伝統の中で鍛え上げられたものであり……龍や鬼といった最強格の幻獣と相対したとしても、苦なく勝てるだろう程の実力者であった。
そしてその術式は、自らよりも数段強い、魔力で構成された何体もの分身を生み出すというもので……周囲一帯に生み出された10体ほどの分身が、物凄い勢いでもってハクト達へと襲いかかる。
「クキュン!」
それを受けてグリ子さんは、大きく翼を広げながら、ハクト達の前へと立ちはだかる。
ハクト達は自分が守る! ハクト達には手出しさせない!
それはそんな強い想いを抱いての行動だったのだが……そんなグリ子さんの背後で構えていたユウカは「グリ子さん、ありがとう!」と優しい声で礼を言ってから地面を蹴って飛び上がり、そうして自ら分身へと……凄まじい魔力を放っている不審者達へと襲いかかってしまう。
「クキュン!?」
それを受けてグリ子さんは、目を丸くしての驚愕の声を上げる。
守ろうとした相手がまさかそんなことをするなんて……まさか自ら敵の下へと向かっていってしまうなんて。
早く追いついてユウカを守らなければと、グリ子さんが駆け出そうとした……その時。
凄まじい勢いでユウカに襲いかかろうとしていた分身のうちの4体が、それ以上の勢いのユウカの拳と回し蹴りと刺突を受けて、あっさりと消滅してしまう。
「弱い!!」
更にそう言ってユウカは更なる攻撃を繰り出し……流れるように美しく、一切の乱れがない連続蹴りでもって更に4体の分身を消滅させる。
「相変わらずの強さだな……あれでも全力ではないのだから、全く驚かされるな」
今度は構えながらその光景を見ていたハクトがそんなことを言って駆け出し……駆けた勢いを乗せての掌底突きと、裏拳でもって残り2体の分身を消滅させる。
「ま、まさか俺の分身が一瞬で!?」
それは不審者にとっても全く予想外の光景だった。
楽な相手では無いとは覚悟をしていたし、負けることも覚悟をしていたが、負けるにしても少しはダメージを与えられるはずで、スタミナを奪えるはずで、捕獲出来る程度に痛めつけられるはずだったのに……それがまさかこんな一瞬でやられてしまうとは……。
だがそれでも諦める訳にはいかず、引く訳にはいかず、不審者が次なる手を打とうとする……が、そうするよりも早くユウカが、不審者に向かって……数十メートル先にいる不審者に向かって、魔力を込めた正拳突きをアスファルトの道路を踏み割る程の踏み込みでもって放つ。
それを見て不審者は、反射的に本能的に、自らの両腕を交差させて自らの頭を守ろうとする……が、ユウカが放った衝撃は不審者の全身を覆う程の大きさとなっていて……それを全身で受けることになった不審者は……両手を交差させたまま気を失い、その場に崩れ落ちるのだった。
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