本気の本気
暫くの間、ハクト達の真似をする形で鍛錬を進めていたユウカが、なんとなしの一言をぽつりと呟く。
「それにしても先輩の本気は強かったなぁ」
その言葉は鍛錬中のハクトとグリ子さんには届いていなかったようだが、逆さまになってポカンとしているだけのブキャナンにはしっかりと聞こえていて……それに対し思うことがあるらしいブキャナンは唸り声を上げて悩むような様子を見せて……少しの間があってから声を上げる。
「確かにあれはあれでハクトさん達の本気ではありましたが、あくまで演習という特殊なルールの中での本気でしかなく……本当の命の取り合いにおいてはもっと強く、凶悪になれるということをお忘れないように。
具体的に言えばあの布でもって相手を制圧するのではなく、相手の喉や腱を切るなどして致命的な一撃を加えることも可能なのでやすよ。
なんであれば布ではなく、黄金羊毛そのものを糸のようにして振るうことも可能なはずで、そうなればもはや暗器、見極めるのも防ぐのも簡単にはいかねぇでしょうねぇ」
それを受けてユウカは「なるほど」とそう言って鍛錬を続けながら深く考え込み……それからブキャナンへと言葉を返す。
「確かにあんな風に布を操れるのならその通りのことができるんでしょうけど、先輩は多分そんなことしませんよ。
そんなことしなくても布でぐるぐる巻きにするとか、色々な方法で制圧できるんですから。
グリ子さんだってあのクチバシを災害幻獣以外には使わないでしょうし……」
「んー……いや、どうでしょうねぇ。
グリ子さんだってゆえあれば本気を出すはずで……そうなったらあたくしでも止められるかどうか。
先日の演習であたくしが芋を引いたのはグリ子さんを本気にさせたくなかったのが一つ、あの場であたくしの正体が露見するのを避けたかったというのが一つ、そして何よりも本気でも勝てるかどうか分からなかったというのがあってのことで……うぅん、そうですね、言葉ばかりでも信用されねぇでしょうから、実際にその目でご覧になってみると良いでしょう。
幸いにしてここは魔力に満ちた原初の森……グリ子さんが本気を出しても魔力が足りなくなるということはねぇでしょう」
そんなブキャナンの言葉に対しユウカが首を傾げる中、その小さな耳をピクリピクリと動かし、鍛錬をしながらブキャナンの言葉を拾い上げたらしいグリ子さんが、ニコリと微笑んでから鍛錬をやめてその身をブルブルと震わせ始める。
するとグリ子さんの全身を覆う羽毛が逆立ち、逆立った羽毛が小刻みに震え……というよりも蠢き始め、そしてその羽毛全てが抜け落ち、ぶわりと舞い上がる。
瞬間ユウカは視線を慌ただしく巡らせる。
舞い上がった羽毛も気になる、羽毛を失ったグリ子さんも気になる、どちらを見るべきか、どちらに意識を向けるべきか、ちょっとした混乱の中でユウカは懸命に目を凝らすが、舞い上がった羽毛がグリ子さんの姿を覆い隠してしまう。
そんな中でハクトは気にせず鍛錬を続け、逆さまになるのを止めたブキャナンは静かに頷き……そしてグリ子さんの周囲を舞い飛んでいた羽毛が突然の風を受けて一気に舞い上がる。
長くまっすぐに伸びた木々の合間を縫うように舞い上がり、何メートルあるのかも分からない木々の上まで飛んでいって……それに釣られて視線を上に向けてしまったユウカは、大慌てでグリ子さんの方へと視線を戻す。
羽毛が抜け落ちたグリ子さん、全裸? のグリ子さん。
そんなグリ子さんが見られると思っていたのだが、そこにはつやつやと輝く、生えたばかりらしい羽毛で全身を包むグリ子さんの姿があり……そよ風を受けてふよふよと揺れる羽毛を見てユウカはがっくりと肩を落とす。
「はっはっは、あたくしの目でも見ることは叶いませんでしたねぇ。
そんなことよりもユウカさん、上に舞った羽毛がどうなったかを見なくてよろしいんですかい?」
そこにブキャナンの声が響いてきて、慌ててユウカが顔を上げると、そこにはまさかの光景が広がっていた。
ミニグリ子さんは羽毛から産まれる、だからミニグリ子さんがいるのだろうとは予想していたが、その数が圧倒的だったのだ。
空も木々も見えない程に一面を埋め尽くし、ふんわりと左右に揺れながら……まるで風に舞う落ち葉のようにゆっくりと落下してきていて……その数は数百どころか数千を越えるかもしれない。
いや、羽毛全てがミニグリ子さんとなっているのなら、グリ子さんの体の大きさを思えば数万さえも越えるかもしれず……それでいて一体一体が内包する魔力もかなりのものだ。
災害の時や演習の時とも比べ物にならない魔力を有し、キラキラと煌めいて、それでいて羽毛は柔らかで……その色は多種多様で。
今までも十分な魔力を有していたはず、本気であったはず……だけども今のような光景は作り出せていなくて……そんな光景を夢中で眺めていると一面を、視界全てを埋め尽くすミニグリ子さんがゆっくりと舞い降りてくる。
すると周囲の光景までもがグリ子さんの魔力の影響を受け始める。
周囲に生えていたはずの背の高い木が見えなくなる、足元に積もっていた枯れ葉が見えなくなる、そこにたまり込んでいた湿気や、独特の匂いも消え去って……見たこともないような光景が周囲に広がる。
足元には鈴蘭のような銀の花、いつのまにか周囲に生えた木々の背は低く曲がりくねっていて、煌めく緑葉に覆われていて……見たこともないようなキノコや雑草の姿も見える。
そしてその光景の中にはこれまた見たことのない生き物、幻獣達の姿があり……角が生えているウサギ、剣を構えた猫、光を蹴りながら空を舞う犬、鎧のように鉄を纏う鼠、金色に輝く毛の熊などが視界に入り込む。
それを見てユウカがまさか幻獣を召喚してしまったのかと驚く中、ミニグリ子さん達がゆっくりと目の前まで降りてきて……それらの幻獣に触れて、幻獣達がまるで手で煽られた煙のように霧散し……それを見てユウカはそれらの光景がミニグリ子さん達が作り出した、あるいは写し出した幻影であるということに気付く。
かつてグリ子さんがいた世界の光景を作り出したのか、どこかの世界の今を写し出したのか……どちらにせよそれは凄まじい力がなければ成せないことで、そのことにただただ驚くユウカの下に無数の、数え切れるはずもない、踏み場もない程に一面を埋め尽くすミニグリ子さん達が降り注ぐ。
柔らかでふかふかで温かくて、今の季節でそんなことになったら息苦しいはずなのに、全くそんなことはなく、むしろ快適なほどに爽やかで……そうしてユウカはしばらくの間、今までに見たものとは全く違う、幻想的なグリ子さんの本気を味わい続けることになるのだった。
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