戦場 2
シャトーは匆匆たる渦中にあった。
「泣かないで泣かないでー!」
もう時間は深夜になろうとしていた。
ホールの窓から町の南側は見えないが、爆発音や兵士たちの絶叫、武器と武器が交える響きがシャトーまで聞こえてくるようになっている。そのため、コッツの東側から、戦場がここまで広がってきていることは明白だった。もうたくさんの怪我人が運び込まれている。人々は長い時間恐怖に耐えて気が狂ってしまいそうだった。号泣する子供たちをなんとか落ち着かせるため、オルエッタはおどけたダンスを踊ってみせる。
「こんなときに、何ふざけてんだ!」
すると、住民の中から怒号が上がった。子供たちはさらに泣き喚く。プロのエンターテイナーであるオルエッタも、もう限界だった。
メルチェやソワンたちは、あれからずっと一階で怪我人の手当てを続けていた。けれど、負傷した兵士は数多にわたり、メルチェたちの人数でさばききれる数ではなかった。それでも諦めずに治療を続ける。すでに何人もの人が亡くなっており、運ばれてきたときにはもう息を引き取っていた兵士や、ここまで辿り着いた瞬間に力尽きてしまった兵士、メルチェの手を握りながら意識を失っていった兵士もいた。彼らの中には姫オーディションを見に来てくれていた者も、パーティーで声をかけてくれた者も、祝賀会でおさげのカチューシャを被ってくれていた者もいた。さっきまで、ついさっきまでは、あんなに元気で、笑顔でいたのに……
玄関のあたりは血と薬品の匂いが充満していた。床に寝転んだ兵士の呻き声がどの部屋からも聞こえてくる。磨き込まれていた白い大理石は汚れ、泥が付き、それを、走り回るメルチェたちが踏みつぶした。つらい。そんなことを考える暇もなく、爛れた皮膚に包帯を巻き、火傷の跡に薬を塗り、死体の上に布をかけていく。
「みんな、おまたせ……!」
玄関の扉が勢いよく開いた。カメリアだ。物資を持って帰ってきてくれたのだ。メルチェが乾いた血の付いた顔をあげると、あまりの惨い状況に、顔を歪めている彼女と目が合った。
「これ……」
少しコッツ・ブロワを離れている間にたくさんの人が死んでしまったということを、カメリアはすぐに察した。思わず何かを言おうとして、けれどすぐに口をつぐみ、着物の袖を捲し上げる。隣町から兵士のほかに住民も何人か連れてきてくれたようで、みんな手分けして物資を下ろし始めた。
「カメリアさん! こっちに布と薬品を!」
叫ぶソワンにカメリアは急いで物資を持っていく。
「ありがとうございます。遠いのにこんなにたくさん、大変でしたよね」
ソワンは優しい笑みでそう言った。カメリアは、大変だったのはどう見てもソワンたちの方なのに、と、胸の奥から何かがこみ上げた。首を振り、「私は何をしたらいい?」と涙目で尋ねる。
「二階でもリーシュさんたちが兵士の手当てをしているので、そちらを手伝ってあげてください」
「わかった……!」
「ちょっと待って、カメリア、こっち来て」
指示を出すソワンにカメリアが返事をすると、後ろから呼吸の乱れた声が聞こえる。クロエだ。怪我人の傷口にガーゼを貼っている。けれどその手は止まっていた。髪型もワンピースもボロボロにして、浅い呼吸を整えようとしているようだった。
「クロエ、大丈夫……?」
カメリアが歩み寄る。
「っごめん、ちょっとこれ代わって!」
クロエは持っていたガーゼをカメリアに押し付けたかと思うと、廊下の奥のお手洗いに走っていった。カメリアは心配しながらも首を傾げる。ひとまず受け取ったガーゼを慣れない手つきで傷口に当て、処置を済ませることにした。
「気にしないでください。多分、吐きにいっただけだから」
ソワンは治療をしつつお手洗いの方を見る。その顔は無表情だった。クロエはこれまでに何度もお手洗いへいっている。この状況では、気分が悪くなってしまうのも無理はなかった。
しばらくして青い顔で戻ってきたクロエに、カメリアは「ここまで終わってるから……」と残りのガーゼを手渡した。クロエは力なく頷き、処置を再開する。
「メルチェ、俺、もう現場に戻るよ……」
そんな光景を横目に、メルチェもせっせと治療を進めていた。すると、壁際で寝ていた一人の兵士が起き上がる。血ばんだ包帯の上から切り刻まれた服を着て、甲冑を被ろうとしていた。
「駄目よ! そんな怪我で……!」
メルチェは思わず兵士の肩を掴む。そのまま座らせようとしたが、兵士は「人が足りてないんだから」と言って聞かない。
「カメリアの町から応援も来てくれたし、せめてもう少し――」
「メルチェ! コイツ見てやってくれ!」
兵士を説得している途中、またシャトーの扉が開いた。そこにはさらなる怪我人が。仲間に担がれ自分の力では立てないその兵士を、メルチェは慌てて受け止めた。抱きかかえた兵の横腹には矢が刺さっている。滝のような出血だ。これはソワンに縫ってもらわなければいけないかもしれない。
メルチェが兵士を横にならせていると、先程説得し損ねた兵士がシャトーの外へ出ていくのが見えた。
「あっ! ちょっと……!」
止めるメルチェの声を無視して、兵士はまた戦場へと走っていく。
メルチェはやるせない気持ちになった。どうか、どうかあの兵士が無事にここへ戻ってこれますように。そう祈りながら、次は目の前の息絶えそうな兵士の手当てをし始める。心配な人はたくさんいた。本当は、追いかけてでも止めに行きたかった。けれど、できることからやっていかないと、救える命を救えなくなってしまう。だから今はそうするしかなかった。
メルチェが奥歯を噛み締めたとき、虚ろな表情で兵士がメルチェの名前を呼んだ。
「メルチェ……」
メルチェは、その小さな声ににこりと笑みを返す。
「大丈夫。ここまできたら、もう大丈夫よ」
不安なんだろうと思い、甲冑を脱がしながら手を握った。すると兵士は、乾いた口をパクパクとさせ、何かを伝えようとしているようだった。なんだろう? 傷が痛むのかな。そう思い、メルチェは耳を傾けた。
すると――
「コッツ・ブロワの……姫を……メルチェを渡せと……敵兵が…………」
かろうじて聞こえたその言葉は、耳を疑うものだった。
メルチェは思わず固まってしまう。
私? 私を渡せ? 本当にそう言ったの?
この町で戦争が起こる心当たりなんて、メルチェには一つもなかった。けれど、こんな状況で仲間の兵士が嘘なんて言うはずがない。そもそも、コッツ・ブロワに姫が誕生したことを、それが自分だということを、どうしてまだ他の町に発信していないのに知っているのか。
何もかもがわからなかった。けれど一つだけ、自分が敵の元へ名乗り出れば、この戦争が終わるということだけはわかった。
「わ、私……」
「渡しません」
目が回るような眩暈がしてきたメルチェの後ろ、そう言ったのはリーシュだった。
「渡すわけないでしょう。メルチェはこの町の姫君よ」
リーシュはカメリアが来たことに気が付き、一階まで物資を取りにきていたのだ。その華奢な腕に大量の薬品や包帯を抱え、怒った顔をしている。
「リーシュ、だけど、だけど私……私が出ることで戦争が終わるなら……!」
「駄目ったら駄目!」
血の付いた甲冑を握りしめるメルチェを、リーシュは真剣に叱る。まるで、先程戦場に行く兵士を説得していた自分自身のようだった。
「メルチェ、屋根裏の物置に隠れてなさい。目的はわからないけど、狙われているなら何が起こるかわからないわ」
「でも!」
「ちょっと。アンタ馬鹿なの!?」
いつまでもリーシュの言うことを聞かないメルチェ。そんな中、話を割って怒鳴ってきた声があった。
「さっきから黙って聞いてれば……! アンタ、クロエたちを差し置いて姫になったくせに、簡単に他の国に寝返るわけ!? そんなの許さないわよ!」
まだまだ顔色の悪いクロエは、さっきまで元気がなかったはずなのに大声を出していた。彼女もメルチェが敵の元へ行くべきではないと、本気でそう思ってくれているのだろう。メルチェは何も言えなくなった。
「カメリアさんが戻ってきてくれて、物資もあります。メルチェさん、大丈夫ですから」
縫合の器具を持ってこちらへやってきたソワンも言う。メルチェの持っている甲冑を取り上げて、兵士の傷の処置するため準備をし始めた。
「み、みんな……」
メルチェはどうすればいいのかわからなくなった。
こんな地獄のような状況で自分だけ隠れているなんて、それは本当に最善なのだろうか。この町で戦争が起こったのも、こんなに人が死んだのも、自分が狙われていたからだとわかったのに。自分だけが自分の身を守ること。それが本当に……
メルチェは気持ちがぐちゃぐちゃになってしまいそうだった。
けれど、ぶんぶんと首を振る。
「……わかったわ。でも、人が足りなくなったら必ず呼んで。お願い、お願いだから……」
すがるような思いだった。
何が最善かなんて、今は誰にもわからない。だけど、みんなのことを信じよう。自分を守ろうとしてくれているみんなのことを、裏切ったりなんてしたくない。
メルチェは階段をあがって屋根裏へと向かった。二階も、ホールのある三階も、怪我人や死人、疲弊した人々で溢れていた。胸が抉れるように痛くなる。地の底から引っ張られているように、身体も心も重かった。
「……ここ、よね」
最上階の扉を開く。
屋根裏は埃っぽいが広く、ガランとしていた。古いピアノや使われなくなったタンスなどが隅に置かれ、物置にされているのがわかった。南側に小さい窓があり、町を見下ろすことができるようになっているようだった。
メルチェはゆっくりと足を進める。
怖かった。
だって、本当は薄々気付いていたから。
町が、もう元の姿のままではなくなっていることに。
「そんな……!」
窓の外に広がっていたのは、変わり果てたコッツ・ブロワの風景だった。
焼かれた木々。消し炭になった薔薇や果実。それらは、焦げて崩れて道に倒れてしまっている。時々建物の屋根に残り火が燃えて、黒い煙を上げていた。遠くの方、コッツの町にも炎が見える。
あんな、あんなに綺麗な町だったのに。どうしてこんな。
戦う兵士たちは小さくて、誰がどこにいるのかはわからなかった。けれど、たくさんの人が横たわっているのが見えた。町の人は。さっきシャトーを出て行った兵士は。……レビウとアシッドは、無事なのだろうか。こんな戦場で、冷たい雨に打たれて動けなくなってはいないだろうか。
メルチェの胸が押しつぶされる。
メルチェは、理由はわからずとも、自分のせいで町やみんなを巻き込んでしまったことが、心底、ひどく、どうしようもないくらいに苦しかった。それでいて、何もできないことが悔しかった。
下の階からは今も絶えず騒がしい声が聞こえてくる。普段は静かに話すソワンが聞いたことのない大声で指示を出し、普段は高飛車なクロエが泣きながらソワンの言うことに従っている。リーシュも、カメリアも、オルエッタも、みんなが自分にできることをしている。メルチェの心臓はよじれるほどの思いだった。
「守るって、幸せにするって、決めたのに……」
メルチェは泣きそうになって俯いた。自分のふがいなさが、無力さが、絶望となって押し寄せる。ずっと我慢していた涙がこぼれてしまいそうになった。もう、どうすればいいのかわからない。誰か、誰か助けて。神様、どうにかして。私は、一体どうしたら――――
息ができず、手で顔を覆った。そのときだった。
――自分の思いが届かなかったとき、自分の願いが叶わなかったとき、その悲しみに耐えられる覚悟はあるか。
ふと、いつかの言葉を思い出す。
「あ……」
――この先、いくつもの悲しみが訪れたとしても。それでも、人々を守りたいと思うか。自分がつらいときでも、いつもと同じように、誰かを抱きしめることができるか。
メルチェはゆっくりと顔を上げた。
それは、ダンスを教えてくれることになった日の、魔女の言葉だった。
あのとき、覚悟を決めたのだ。自分の気持ちを曲げないと。この町を大切に思う気持ち。人々を大切に思う気持ち。姫になって、たくさんの人を幸せにしたい、どんな人にも居場所をあげたいと思ったことを曲げないと。
メルチェは流れかけた涙を押し込め、自分の頬を両手で叩く。
ここでも、何かできることをしよう。落ち込んでいる暇があったらみんなのために自分にできることをしよう。隠れている間にもできることが、きっとあるはずだ。
メルチェは一度下の階に戻って、兵士が持ち帰ってきた武器や防具を集めてきた。壊れた部分を直したり、汚れてしまった部分を磨いたりする。
自分自身に、負けたくはなかった。
戦争が早く終わるよう、メルチェは祈りながら武器の手入れをする。磨いた部分が輝きを取り戻し、強いまなざしをした自分の顔が金属に映っていた。
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戦場ではまだまだ戦闘が続いていた。
コッツとブロワを繋ぐ橋の手前、タルモはまわりの兵士に指揮を出している。それでいて、自分も戦いの手を抜くことはない。長い槍を両手で力強く回転させると、何人もの兵士が一気に倒されていく。地面に転がった彼らはもう二度と起き上がれなかった。なぜなら、胸の心臓をタルモが素早く突くからだ。その槍先は何よりも鋭く磨かれている。遠くから向かってきた相手の中にも、至近距離で襲ってきた相手の中にも、タルモに敵うものは誰一人いなかった。
「アンタすげーな、さすが将軍様って感じだぜ」
その隣、ついさっき合流したアシッドが感心したように言う。
「そんなことないさ」
褒められたはずなのに、将軍様は力なく苦笑いした。
「もう何人もの仲間が死んでいる。町だってこの有様だ」
町のトップなのに、と、タルモは責任を感じているようだった。アシッドはそんな彼の顔を見て、「それじゃあ、これ以上悪くならないようにするしかねえな」と敵兵の中に突っ込んでいく。軽やかに敵の武器攻撃を避けるアシッド。四足の脚のバネを使ってジャンプしたり、逆に低い姿勢を作って走ったりして、敵兵を惑わせていた。その隙に素早く噛みつくのは立派な牙。人間の何倍もある顎の力で、噛みつかれた部分は重症になる。
「君は癖のある戦い方をするな。森育ちか?」
「いや、こう見えてブリランテ育ちだ」
背中を合わせた二人はこれ以上ブロワに敵兵が入らないよう、橋への道を死守する。タルモが敵を突きながら「へえ! そいつは驚いた」と会話を続けると、アシッドはナックルでパンチを繰り出しながらしたり顔をした。
「ここ数年は森で獲物を捕って暮らしてたからな。王国にいた頃は戦闘なんざ縁がなかったけどよ」
「センスがある。旅が終わったら兵士にならないか」
「ははっ! ありがたいが断らせてもらうぜ」
向かってきた敵に槍を突きつけながらタルモがアシッドを兵に勧誘するが、その誘いは迷いなく断られてしまった。二人の背中と背中が離れる。そして、またお互い複数人の敵を相手に戦い始めた。身軽でスピードのある動きをするアシッドは、ぶん回される長い槍に捕まらない。そのためタルモも気兼ねなく攻撃を繰り出せた。槍の柄に引っかかって転んだ兵士の急所を、アシッドがすかさずしとめていく。
「惜しいなあ」
タルモは、兵士にならないアシッドのことをまだ欲しがっているようだった。すると、アシッドは「アイツの方が強いと思うけど?」と別の人物を推薦する。
敵が減ったこのあたりで、もう一人戦うものがいた。
壊れてしまった頭の甲冑を脱ぎ捨て、黒い長耳が露になっている。けれど、彼に触れられるものは一人もいなかった。あまりにも研ぎ澄まされた動きと洞察力。こびりついている血は自分のものではなく、すべて返り血だ。血刀を目にも見えぬ速さで振りかざし、向かってくるものも、彼を見て逃げ出すものも、命を乞うものも関係なく、目についた敵は容赦なくぶった切っていく。
アシッドの見る先にいるのはレビウだった。それは、兵士たちとの訓練のときとはまったく違う、本当の戦場での姿だった。
「彼は……兵士、という枠に収まるような子じゃなさそうだ」
いつもの優しい表情からは想像もできないような冷たい目をしているレビウを見て、タルモは遠慮したように身をすくめた。アシッドは自分で推薦したにも関わらず「だよな」とつぶやく。
「……それに、メルチェにあの姿はとても見せられない」
タルモがそう言ったとき、身体のちぎれる音をさせて、敵の首を斬ったレビウと目が合った。すると彼はいつも通りの少年の顔に戻り、「そっちは大丈夫かい?」と自分たちを心配してくれる。
「まあ、あの子自身も思っていることかもしれないが」
黙って話を聞いていたアシッドにだけ聞こえるように囁いたタルモは、「ああ、平気だ」とレビウに駆け寄っていった。アシッドも黙ったままでついていく。
「……」
メルチェに見せられないというタルモの言葉に、アシッドは共感していた。
たくさんの敵に囲まれて戦っているときのレビウは、砂漠の魔女の迷宮で攻撃してきた、虚像のレビウのようだった。感情がなく、光も宿さない、まるで作業のように人を殺しているようだった。もしかしたら砂漠で見たレビウは、ただの虚像ではなかったのかもしれない。そんなことを考えて、アシッドは分厚い毛並みの下少し鳥肌が立つ。
けれどすぐに、その日と同じ日の夜を思い出した。
メルチェの回復を待つ病室で、普段は自分のことを話さない彼が、旅の理由を「いつか言わせて欲しい」と言ってくれたこと。信頼していると言ってくれたこと。そのときの、レビウの顔を思い出した。
「……俺もお前を信頼してるぜ」
誰にも聞こえないようなつぶやきを口にする。そのときまた現れた敵たちに、アシッドは勢いよく嚙みついていった。
.
「はあっ……はあっ……ぞ、増援だ。カメリアの町からだ!」
ブロワの南側。焼け落ちた薔薇の木々を後目に訓練場の近くで戦うのはテオドルだ。
カメリアの町から増援がやってきたことに多少の安堵を覚える。これで少しは戦況がましになるだろう。刃の欠けた剣を振るい、敵兵をまいた。右腕を怪我している。さっきやり合ったときに斬られた傷だ。出血が止まらない。どこか陰に隠れて止血しなくては……仲間の屍を踏みながら、テオドルは崩れていない建物の裏に座り込む。
「はあ、はあ……なんでこんな……」
甲冑を脱ぎ、服を破いてできた布で腕を結んだ。鉄のにおいがする。自分の怪我からかはわからなかった。もう町中が血まみれだ。瓦礫の世界になってしまったブロワでも、人がたくさん死んでいた。テオドルは汗だくになって湿った髪をかき上げ、大きく息を吐く。綺麗な顔に血が飛び散っている。こんなはずじゃなかったのに。
テオドルは、コッツ・ブロワの兵士になる前もなった後も、何事もほどほどに、頑張りすぎず、楽しい気持ちをモットーに過ごしてきた。彼女をたくさん作って、訓練もサボれるときはサボって。けれどそれで損をすることなんて何もなかった。昔から少しやればある程度上手くやれる質だったし、怒られることもあったけど、だけど、みんな優しかったんだ。コッツ・ブロワのみんなは自分のことをよくわかってくれていた。呆れながらも、仕方ないなあと、優しく包み込んでくれた。あの、思想の押し売りばかりしてきた故郷の国とは大違い――
「……このあたりも、燃えちゃったか」
訓練場の窓からいつも見えていた薔薇畑の景色を思い出すテオドル。それももう過去の話だ。今は燃え尽き、花びらひとつ残っていない。
「いてっ」
立ち上がろうとしたとき、足首が痛んだ。戦っているときは必至で気が付かなかったが、どうやら足も痛めていたみたいだ。今、敵がやってきたら満足に戦うことはできないだろう。かといって、ここにいても見つからないとは限らない。テオドルは足の甲冑をどうにか固定し、できるだけ動かないようにさせた。びっこを引いてシャトーの方へと歩き出す。一度手当てしてもらうことにしたのだ。そのあとまたすぐに戦場へと戻ることになるだろうが。
「ちゃんと訓練してないからだって……怒られるかな……」
テオドルは一人苦笑する。ロンにもバルバラク隊長にも、タルモ将軍にだって怒られそうだ。
テオドルがいつも手を抜いていたのは、故郷の戦争で、一生懸命やっても結局死んでいく仲間たちを見てきたからだ。死ぬために頑張っているのが馬鹿らしかった。生きていれば楽しいことがたくさんあるのに、「自国を捨てるのは恥だ」「戦い続けるこそが美徳だ」「国のために死ぬことは素晴らしい」という考えが国にははびこっている。
あるとき、絶対的な軍の隙を見てようやく国から出ていくことができた。見つからないうちにできるだけ遠くまで逃げてきて、たどり着いたのがコッツ・ブロワだった。美しい町。優しい住民。戦いのないのどかな日々。せっかく楽しく暮らしていたのに、どうしてこんなことに……
そんなことを考えながら歩いていると、後ろから仲間たちの悲鳴が聞こえてくる。やばい。敵が来たらしい。テオドルは鞘に入った剣を握りしめる。まだまだ楽しい日々を送るために戦わなくては。どれだけ怪我が痛くても、この町を守るためなら手を抜いて逃げだしたくはなかった。テオドルは恐る恐る振り向く。
そこには山ほどの死体が積み上げられていた。
その前に大きな馬に乗った少年が佇んでいる。
頭には、純白の長い耳。
「まだ子供じゃないか……」
テオドルの足が動かなくなる。怪我をしているからではない。恐ろしいのだ。この数の兵士を、この少年が一人で倒してしまったというのか? 訓練でピーピー泣いているロンよりも幼い年頃に見えるのに。
少年は立ちすくむテオドルを見た。後ろで結んだ黒髪が揺れ、その切れ長の目には、ブロワを燃やす炎の色がいつまでも映り込んでいた。今宵は月の光が美しく、星もたくさん見える。けれど人々は気が付かなかった。いつ終わるかわからない戦いの中、必死に町の未来を祈っていたから。




