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躍る世界と黒兎  作者: 夢梅
第8章 深緋の雨
48/65

祝賀会

 祝賀会が近付くにつれ、不審者の目撃情報は増えていた。

 初めはただの盗賊だろうと思われていた不審者たちだが、長期にわたるその執拗な行動に、町の住民たちはどんどん不安になっていった。昔のように土地目当てで戦争を起こされるかもしれないという話も出ており、タルモは一層兵士たちを厳しく訓練することとなった。祝賀会の日も数人体制で高台を見張ることになり、ちょうど祝賀会の時間から当番を任されたテオドルが残念そうに落ち込んでいた。けれど、それでも不満を言えないほどに、町は警戒体制になっていた。


 「メルチェ、準備はできた?」

 

 祝賀会当日。

 開催される夕方までに、メルチェは朝からシャトーでドレスの試着や挨拶の最終確認、ティアラの授与式の練習などをしていた。

 「ええ、ばっちりよ!」

 メルチェは特注の赤いドレスを着てくるりと回る。

 今日のブロワは朝から大盛り上がりだった。

 夕方の祝賀会に合わせ、町の店屋はこぞってシャトーまでの道のりに屋台を出し、子供たちはオルエッタのイベントで作った飾りを町中に飾り付ける。群青色の空に雲は一つもなく、建物の屋根と屋根にかけられたカラフルな旗がよく映えた。不審者への不安をかき消すかのように、今日くらいはとびきりはしゃいでやろうとみんな張り切っているのだ。

 そんなお祭りムードの町の景色を、シャトーの窓辺から眺めるメルチェ。

 「なんだか緊張してきちゃった」

 薔薇の花びらのようなフリルのついた胸元に手を当て、深呼吸をする。

 「ふふ。みんな楽しみにしてるわよ」

 後ろからリーシュが髪をといてくれた。檸檬色の癖毛がその細い指先にからめとられ、みるみるうちに三つ編みにされる。けれど、今日はただのおさげではなく耳の上からツインテールを作り、そこから編まれていた。ドレスと同じ赤のリボンを結んで完成だ。

 「こうしていると本当の娘みたい……」

 リーシュがぼそりとつぶやいた。メルチェは思わず振り返る。

 「あ、あら! ごめんなさい。こんなこと言ったら本当のお母さんに失礼ね」

 早口になって焦っているようだった。メルチェは「いいの」と首を振る。頭に生えた二本の三つ編みがぶんぶんと振り回された。

 「私、幼い頃に両親を亡くしているの。事故で、二人のことはあんまり覚えてないから」

 メルチェはなんてことない顔で微笑んだ。リーシュは一瞬驚いたように硬直し、けれどすぐにほどけたような表情をして、メルチェの頭を優しく撫でた。

 「それでも、メルチェのお母さんはメルチェのお母さんだけよ。もちろん、わたしも本当の母親のような存在になれたらって思っているけれどね。ご両親のこと、思い出せるといいわね」

 飴色になった日差しが部屋に差し込む。ドレスに散りばめられたスパンコールがストロボになって光を反射した。

 両親のことは、よく覚えていないせいで思い出そうともあまり思わなかった。港町の家に預けられる前、医者には事故のショックで記憶に蓋をしていると言われたことは覚えているが、両親のことは思い出そうとしても、ぼんやりとしてよくわからなかった。けれど、こうしてあたたかい手で撫でられていると、なんだか懐かしい気持ちになってきて心地がいい。昔、こんなふうによく撫でてもらっていた気がする。

 「ありがとう、リーシュ」

 メルチェはリーシュの顔を見て明るく笑った。

 そして、タルモとリーシュや町の住民たちが、快くメルチェを姫として歓迎してくれていることをありがたく思った。

 港町の家で歓迎されなかったメルチェは、この世には、よそものを嫌う人がいることもよくわかっている。それなのに、コッツ・ブロワの人々は自分を受け入れてくれた。みんなにとってはまだ知り合って間もない旅人に過ぎないのに、町を歩くとみんなが声をかけてくれて、そのあたたかさに感謝せざるを得なかったのだ。

 メルチェはリーシュと共に町の景色を愛おしそうに見つめる。美しいこの町を、ずっと大切にしたいと思った。


 ――そのとき。部屋の扉をノックする音が、三回聞こえた。


 「一足先に、姫の晴れ姿を見に来た人がいるみたいね」

 何のことかと首を傾げるメルチェに楽しそうなリーシュ。ヒールを響かせながら扉を開けに行くと、そこには、兎と狼が立っていた。

 「レビウにアシッド!?」

 メルチェは驚いて目を丸くする。今日は朝から準備で忙しくしており、会えるのは祝賀会の会場になるかと思っていたのに、ここまで顔を見に来てくれたのだ。

 「まーた今日も気合い入ったドレスじゃねえか!」

 「メルチェ、すっごく似合ってるよ」

 軽口を言うアシッドに褒めてくれるレビウ。メルチェは二人に会えたことがとても嬉しくて、さっきまでの緊張が少し和らいだ。

 「髪、いつもと少し違う形で可愛いね」

 笑顔で駆け寄ったメルチェの姿を見て、レビウは優しく微笑を浮かべた。メルチェは「嬉しいわ!」とまたくるくる回り、ドレスのスカートを泳がせる。

 「あの白い衣装と違って裾が長えんだから、こけたりすんなよ」

 「もちろんよ!」

 頭の後ろで腕を組むアシッドに自信満々で返事をするメルチェ。「本当かよ」と呆れた様子のアシッドは、「転びそうになったら僕が支えるよ」とキザなセリフを言ったレビウを見て、さらに呆れ顔になった。

 「じゃあ、僕たちはそろそろ会場に向かうよ」

 「もう行っちゃうの?」

 「先にちょっと顔見に来ただけだからな」

 しばらく立ち話をした後、思ったよりも早く二人はおいとまするようだった。なんでも会場にはおいしそうなオードブルが準備されているらしく、もう食べ始めている人もいるとのことだ。

 アシッドが「早く行かねえとなくなるだろ!」とマントの下で尻尾を振る。食べ物のため!? と怒りそうになったメルチェをなだめるように、「メルチェもバタバタするといけないし」とレビウが付け足した。その様子を見てリーシュは思わずおかしくなってしまう。

 なんだか腑に落ちないが、レビウがそういうなら……と仕方なく手を振ったメルチェ。レビウとアシッドも手を振り返し、「またあとで!」と部屋をあとにした。


.


 「さーて、料理はまだまだいっぱいあるな。何から食うか迷っちまうぜ」

 会場はオーディションの舞踏会と同じシャトーのホールだった。

 料理はいろんな種類が並んでいたが、まだ手を付けられているものは少ない。

 「そりゃあ、まだ始まってないんだから当たり前だよ」

 辟易するレビウの隣で、アシッドは、肉、揚げ物に麺類、ごはんものなどガッツリとした食べ物をとっていっている。まわりに食事をしている人は全然おらず、いても屋台でちょっとしたものを買った人くらいだ。レビウは段々アシッドのそばにいるのが恥ずかしくなってくる。

 「やあやあお二人さん! もうごはん食べてんの?」

 少し距離を取って狼を見張っていたレビウに、知っている声が飛んでくる。振り向くと、ジャスターがニヤニヤしながら立っていた。その背にはソワン。

 「ぼ、僕は違うよ!」

 一緒にしないでくれ、とでも言いたげにレビウは否定する。ジャスターはおかしそうに笑いながら「あれ、そうなのー?」と長い髪を払った。ソワンが「わかってたくせに……」と眼鏡を上げる。

 「ようやく祝賀会始まるね。ついにメルチェも正式なお姫様かあー」

 モリモリ料理を頬張っているアシッドの肩に手を置き、ジャスターは「感慨深いから一杯いくか」ともう片方の手で酒を飲む仕草を見せた。アシッドは「わかってんじゃねえか」とフォークを持ったままの手をジャスターの肩に置き返す。

 「二人とも、人の晴れ舞台で羽目を外すのだけは本当にやめてくださいね」

 するとソワンが釘を刺してきた。レビウもうんうんと頷く。

 「もー、冗談じゃん!」

 本当に冗談だったのかどうかはわからないが、ジャスターはまたおかしそうに笑った。その横で、アシッドが「冗談かよ」と残念そうにからあげを丸呑みする。


 「ちょっとアンタ! いいところに!」


 しばらくみんなで談笑していると、人混みを掻き分けるように女の子が走ってきた。

 「クロエじゃん! どうし――わっ!」

 「しー! 静かにして!」

 女の子はクロエだった。両手を上げて挨拶しようとしたジャスターの半馬の身体の影に隠れ、あたりをキョロキョロと見まわしている。

 「なになに? マジでどうしたの?」

 「ロンに見つからないようにしてんの! アイツいい加減うざい!」

 ジャスターたちは「ああ~」と声を揃えて顔を見合わせた。クロエは長いツインテールの髪で顔を隠しながら、ふう、と息を吐く。まわりの人々はようやく料理に手を付け始め、ざわざわと賑わっていた。近くにロンはいなさそうだ。

 「てか、そんなに派手な格好してたらすぐ見つかっちゃうんじゃないの?」

 初手からデザートを食べ始めたジャスターが小さいケーキを口に放り込みながら言った。一同はクロエの姿を改めて見る。たしかに、今日のクロエはまるで自分が主役かのような可愛らしいワンピースだった。髪色よりも濃い色のピンクのチェック。リボンのついたカーディガン。この町のアイドルとしてはふさわしい衣装だろう。

 「ふふん。姫よりも目立ってやろうと思ってね!」

 そんな意地の悪い魂胆に、ジャスターは「そういうとこだよね~」とつぶやく。

 「ちょっと! どういう意味よ!」

 「ほら、そんな大声出してたら見つかっちゃうよ」

 クロエは悔しそうに歯を食いしばる。その様子をおかずに、ジャスターは嬉しそうにグラスに手を付けていた。その中身はもちろん酒である。ハッとしてレビウがアシッドを見ると、彼もまたいつの間にかジョッキを片手に持っていた。諦めも肝心かと、レビウはいつかソワンが言っていた言葉を思い出す。

 祝賀会まではあと少しだった。レビウは先にお手洗いに行っておこうと、一声かけてその場を離れた。

 

 「はいはいみなさーん! あなたもメルチェになりきれる! お姫様セット販売中でーす!」


 お手洗いに行く途中、ホールの入口でオルエッタがカウンター越しに何かを売っているのを見かけた。レビウが声をかけると、「レビウじゃーん!」とオルエッタはいつものように変なポーズをしながら挨拶をしてくれた。どうやら広場での飾り付けのイベントだけでなく、今日は会場で売店まで開いているようだ。

 「レビウも買ってってよー! メルチェなりきりセット!」

 意味の分からない商品名に、メルチェの名前が入っている。

 カウンターを見ると、檸檬色の毛糸でつくられたおさげになれるカチューシャや、赤いリボンが並べられていた。その摩訶不思議な商売に、レビウは苦笑いをする。

 「こ、これ売れるの?」

 「ああ~! 馬鹿にしてるでしょ! 結構人気なんだからー!」

 ほら! と指をさすオルエッタ。その先には、子供たちがおさげカチューシャと赤いリボンをつけて集まっている光景があった。よく見ると、ちらほら大人もカチューシャを被っている。男の人まで……

 レビウはなんだか複雑な気分だった。なんて商売をするんだ、と、長年友達であるオルエッタのことが少し怖くなった。

 「僕は被らないからね」

 「ちゃんとメルチェの許可とってあるんだから、そう言わずにさあ~!」

 「何かを失う!」

 「あれ、レビウさん何やってるんすか?」

 オルエッタとの攻防を遮ってくれた声。

 救世主だ――そう思って声の方を見ると、そこには何かを失ったロンが立っていた。

 「えっ……」

 「レビウさんもメルチェさんカチューシャ買うっすか!?」

 ロンは嬉しそうに毛糸のおさげを揺らしている。レビウは思わず後ずさりをした。すると、後ろにいた人にぶつかってしまう。

 「あ、すみませ……」

 「ご、ごめんなさい……!」

 そこにいたのはカメリアだった。

 「……あれ? たしか、メルチェと一緒に旅をしてる……」

 「えっと、君はカメリア、だよね。僕はレビ――」

 どうやら顔を知られていたようなので自己紹介をしようと思った。が、彼女の綺麗な黒髪には、例によって檸檬色のおさげがはめられていたので、レビウは固まってしまう。彼女まで何かを失っている。

 「お! カメリアじゃないっすかー!」

 「ロンくん……!」

 二人は顔見知りらしく、素敵な笑顔で挨拶をした。二人の頭からぶら下がるおさげ越しに、オルエッタが満足そうに笑っている。気付けばまわりはメルチェなりきりセットを身に着けている人でいっぱいだった。レビウは自分の大切な女の子の偽物がわんさか沸いているようで喉の奥がひゅっとなる。

 「ぼ、僕行くよ! もうすぐ祝賀会始まっちゃうし!」

 青い顔をしながら逃げるようにホールを出ていったレビウ。そんな友達の姿を見て、「レビウは繊細だなー!」とオルエッタはケタケタ笑った。そして、そのあともいくつもメルチェなりきりセットを売りさばいたのだった。


 「はあ……怖かった」

 無事にあの場を退場し、お手洗いを済ませたレビウ。

 早くしないと祝賀会が始まってしまう。メルチェの晴れ舞台を見逃すわけにはいかないな、と、早足になるが、身だしなみは整えておこうと、廊下の途中にあった掛鏡で服装を整える。赤い紐リボンを結びなおしていると、掛鏡の隣に猫の絵画が飾られているのが目に入った。

 「……」

 思わず絵画を見つめてしまう。

 レビウには、一つ気になっていることがあった。猫。白猫。エシャのことだ。

 いつもそばにいてくれていたはずのエシャを、当分見かけていない。彼は基本的に姿を消しているし、初めは透明で見えないだけかと思っていた。けれど、最近は何度呼んでも姿を現さないのだ。メルチェが姫に選ばれた日ですら、お祝いをあげにきたっていいのに姿は見せなかった。気まぐれな猫のことだから、またすぐに姿を現すかもしれないが――


 「レビウ……」


 そのとき、声が聞こえた。

 「……エシャ?」

 誰もいない廊下。

 見えない姿。

 けれど、レビウは今の声がエシャだとすぐにわかった。


 「エシャ! エシャ!」


 なぜだか、とんでもなく彼が心配だった。

 何度か呼びかけると鏡の中の自分の後ろにキラキラと光の線が出ているのが見えた。レビウは急いで振り向く。すると、それはレビウの胸のあたりにやってきて、円を描きながら回転した。その光を抱きしめると、線は猫の形になる。ゆっくりと幻のように光が塵になって、エシャが姿を現した。

 「エ、エシャ……」

 しかし、レビウはその姿を見て戦慄する。

 なぜなら、レビウに抱かれたその身体は、傷跡、打撲跡、血痕……誰かに襲われたようにボロボロだったからだ。

 「ど、どうして……」

 狼狽するレビウの腕の中、エシャは重い瞼を開ける。

 「レビウ……メルチェが……メルチェが危ないよ〜……」

 発されたのは思いもよらない言葉だった。痛々しい身体を撫でながら、レビウは「どういうこと?」と詳しい話を聞きたがる。

 「しばらく王国に……様子を見にいってたんだ〜……この町では魔女がメルチェを守ってくれてたから〜……」

 初めて聞くことばかりだった。

 ずっといなくなっていたエシャは、一人で王国まで行っていたのか。レビウの脈が速くなる。それに、魔女って。なんのことだ?

 「エシャ、それって……」

 「だけど、だけど魔法使いが……アイツがすぐそこまで来てる……とにかくメルチェ……メルチェを守らないと〜……」

 とぎれとぎれの言葉。レビウはもっと話を聞きたかったが、エシャはそのまま光に包まれて消えてしまった。おそらく身体を痛めつけられた誰かとの戦いで魔力を使いすぎたのだろう。

 レビウはひとり廊下に立ち尽くす。

 ひどく混乱していた。今のエシャの話。王国。魔女。魔法使い。メルチェが危ない。聞いた言葉を反芻し、そして、一つの答えにたどり着いた。これまで目撃されていた町の不審者って、もしかして――――

 「メルチェ……メルチェ!」

 レビウは走り出した。メルチェが危ない。血の気が引いていく。早く、早く知らせないと。


 .


 「ったく、レビウのやつトイレ長すぎだろ。糞か?」

 「アシッド、汚いよ」

 帰りの遅いレビウを悪い言い方で心配するアシッドを、ジャスターが注意する。

 祝賀会はとっくに始まっていた。タルモとリーシュの挨拶が終わり、今からついにメルチェが挨拶するところだ。

 もう夕日も沈んだ日没後の空が見える天窓の下、眩しいスポットライトが登壇するメルチェを照らす。メルチェは思い切り緊張しているようだった。ロボットのような動きで、手と足が同時に出ている。数段しかない階段の途中ではドレスの裾を踏んでつまずいていた。アシッドは「言わんこっちゃない」と呆れた顔で腕組をする。

 「えっと、コッツ・ブロワのみなさん、こんばんは」

 メルチェは控えめに話し始めた。

 小さな舞台に登って見渡すホールはとても広く思える。人の顔がたくさん見えて、本来ならばさらに緊張を高めるところだが、おさげのカチューシャを被っている人がたくさんいて吹き出してしまいそうになった。みんなは挨拶の続きをわくわくしながら待っている。メルチェはバレないように深呼吸をして、練習した文章を思い出す。

 そして、次の言葉を言おうとしたときだった。


 「メルチェ!」


 どこからか、大声が聞こえた。


 何事かと思ってホールの入口を見ると、そこにはレビウがいた。慌てた様子でこちらに走ってくる。

 「レビウ!?」

 「アイツ何やってんだよ!」

 中断されてしまった一番の見せ場である姫の挨拶に、会場の人々はざわめき始める。アシッドたちも意味が分からず戸惑った。何かの演出かと思った人もいたようだが、タルモとリーシュが困惑している姿を見て、そうではないと気が付いたようだ。

 「レ、レビウどうしたの!?」

 人だかりを進み、メルチェが立っている舞台までやってきたレビウは、血相を変えてメルチェの腕を引っ張る。

 「メルチェ、ここにいちゃ駄目だ、どこかに隠れて!」

 会場のざわつきはさらに加速した。みんな、レビウを変な目で見ている。メルチェはそんな会場の様子とレビウの言葉の板挟みになりながら、どうすればいいかわからなくなっていた。タルモとリーシュが心配そうな顔でこちらへ来る。レビウは舞台から降りない。滲む汗。やっぱりみんなレビウの行動をおかしく思い、「その子を降ろせ!」と野次を飛ばす人もした。

 けれど、メルチェは何かが変だと気が付いていた。だって、レビウの目はまっすぐだったから。いつも優しくまわりを見ているレビウがこんなに必死に自分を止めている。きっと本当なんだ。ここから離れなくては。レビウの顔を見て、メルチェは頷いた。

 「わかったわ」

 そしてそう言う。

 レビウは安心したように「こっちへ!」と舞台からメルチェを降ろそうと誘導しようとした。


 そのときだった。


 「きゃああー!」


 会場の観客から悲鳴が上がる。

 そして、ある場所を中心に人々は逃げ惑い始めた。見ると、ホールの入口に見慣れない軍服の男。その手には弓矢が持たれている。

 「誰だ!」

 タルモが叫ぶ。

 男が弓を構え、メルチェの方へ向けた。反射的にレビウはメルチェを庇って抱きしめる。リーシュやそれを見ていた住民たちは思わず目を瞑った。男が矢を引くその瞬間、タルモが体当たりをした。床を転がって壁にぶつかる男を力づくで押さえ、タルモは弓を取り上げる。

 「やっぱ一人で乗り込むのは難しいかあ……」

 男の独り言にタルモが「なに?」と言った刹那、むせかえるような量の霧があたり一面に立ち込めた。タルモが咳をしながら手で霧を払うと、取り押さえていたはずの男の身体は弓と共に消えてしまっている。

 「なんだ、これ、魔法……?」

 どうやら男は本当の人間ではなく、魔法で作られた存在のようだった。タルモはすぐに立ち上がり、まだ仲間が潜んでいないか会場を見回す。


 「タルモ様! タルモ様ー!」


 人々が恐怖で静まり返っていると、そこに一人の兵士がやってきた。

 「テオドル!」

 ホールに駆け込んできたのは、この時間高台の見張りを任されているはずのテオドルだった。いつもは綺麗にしている髪をぐちゃぐちゃにして、顔を蒼白させながら息を切らせてその場に崩れこむ。タルモが「どうした!?」とその身体を支えた。


 「て……敵襲だ! コッツの南側から、軍隊が攻めてきた!」


 その言葉に、ホールにいた人々全員が言葉を失った。

 「襲撃……!?」

 「どこの国かはわからない。今、バルバラク隊長と何人かの兵士で戦ってるけど圧倒的に数が足りない! 早く応援を!」

 住民たちは予想もできない出来事にしんとしていたが、徐々にざわざわと話し声が聞こえ始め、会場中パニックになる。「どういうこと!?」「なんでコッツ・ブロワが!」と飛び交う当惑の声。子供は泣き、こんな事態に過呼吸になってしまう人もいた。

 「み、みんな落ち着いて……!」

 レビウに抱きしめられたままのメルチェの後ろで、リーシュが一生懸命大声を出す。けれど、その声は人々の叫喚に消されてしまっていた。


 「みんな落ち着いてー!」


 すると、メガホン越しにオルエッタの声が響いた。

 音割れしたその声に人々は静かになる。舞台の前までやってきたオルエッタが「はい!」とリーシュにメガホンを渡す。「ありがとう」とそれを受け取った手は震えていた。

 「みんな、聞いて。まだどんな状況かわからないけれど、幸いなことに、町の住民は今、ほとんどこのシャトーにいるわ」

 メルチェとレビウは舞台から降り、その下でリーシュの話を聞く。

 「このシャトーは町の中心。だからここを避難所にします。ここにいない、町にいる人の救助は兵士たちに任せて――」

 「駄目!」

 リーシュの話の途中、舞台下でオルエッタが叫んだ。

 「兵士さんたちは現場に向かって! 誘導はオイラたちがする!」

 「だ、だけど……」

 「こんなときに戦力削っちゃ駄目だよ! この町の人とかそうじゃないとか関係ない! 協力してこの町を守るの!」

 オルエッタの言葉に、リーシュは何も言えなくなった。嬉しさと、不安とで、何を言えばいいのかわからなかったのだ。

 「オルエッタの言う通りだね!」

 すると、会場から声が上がった。ジャスターだ。「あたしも現場に加勢する」と言った彼女に誰もが驚いたが、元軍人の彼女は何てことない顔をしている。

 「僕も行くよ」

 メルチェの目を見て、レビウも同じように言った。

 メルチェは、この状況を飲み込めずにいた。とても不安だった。きっとみんなも同じだろう。そんな中、タルモやリーシュ、オルエッタもジャスターもレビウも、この町を守ろうとしてくれている。わかっている。わかっているけれど、胸が押しつぶされそうだった。

 そんなメルチェの顔を見て、レビウはそっと手を握る。

 「メルチェの町を守りたいから」

 赤い瞳が強い決意で燃えていた。

 「戦える人は加勢をお願いする! シャトーの倉庫に甲冑がある! 兵士のみんなは現場に向かう途中、訓練場で自分の甲冑を着てくれ!」

 ホール中に響き渡る大声でタルモが指示を出した。それを境に会場は別の意味で騒がしくなる。兵士たちは大きな返事をしながら走り出し、急いでシャトーを出ていった。

 オルエッタたち水色トラックのエンターテイナーは、町にいる人の救助隊と、このシャトーの人々をまとめるための誘導隊に分かれて動き出した。メルチェやリーシュを含む何人かの住民たちはシャトーの倉庫から甲冑や武器を引っ張り出し、戦闘経験のある人々に配っていく。

 「へえー、めっちゃいい武器じゃん」

 「昔、この土地を狙って起きていた戦争で使われていたものよ。また使う日が来るとは思わなかったけれど……」

 甲冑を着たジャスターがしっかりとしたつくりの大きな弓を持ち上げると、リーシュが悲しそうな顔で矢を渡してくれる。すると、ジャスターは「大丈夫」と弓を構えた。

 「あたし、軍にいるとき天才アーチャーって言われてたから。拳だけでも強いけど、こんなにいい武器があるなら誰にも負けないよ」

 そして頭にも甲冑を被る。「ねっ、ソワちゃん!」と近くで武器の手入れをしていたソワンに話を振った。

 「当たり前です!」

 ソワンは力強く返事を返す。

 「じゃあ行ってくるねー!」

 重い鎧をものともせずに走り出したジャスター。リーシュはその姿を見て、自分の頬を両手で叩いた。この町を守ろうとしている人がいる。その気持ちを無駄にできるものか。

 リーシュは幼い頃、兵士としてこの町を守っていた父のことを思い出した。父はこの土地を目当てにしかけられた戦争で死んでいった。あれがこの町最後の戦争になると思っていたのに、まさかこんなことになるなんて。だけど次は自分が町を守る番だった。この町を、人々を守る。リーシュは覚悟を決めた。


 「メルチェ、すぐに戻るから」


 メルチェが知っている人の中で、甲冑を着ていたのはジャスターだけではなかった。

 レビウとアシッド。

 彼らも戦闘経験があるため、町のために戦場へ向かおうとしていた。

 メルチェは不安でいっぱいだった。二人が怪我をしたら、もう戻ってこなかったら……そう考えると、ここに残っていてほしいと思ってしまっていた。今戦っている人たちも、戦いに向かった人たちも、すぐに戻ってきてほしい。誰も傷付いてほしくない。だけど、戦わなければ町がどうなるかはわからない。

 メルチェは、どうして突然こんなことになってしまったのか、神様に問いただしたかった。あんなに幸せだった毎日を、今日を、返してほしいと思った。

 「大丈夫だよ」

 泣きそうなメルチェに、甲冑を着たレビウが笑いかけた。

 分厚い鎧を身に着けた彼の姿は見慣れなく、現実ではないような、なんだか変な感じだった。銀色の金属に、自分の不安にまみれた表情が映りこんでいる。

 レビウはたくさんある武器の中から持ちやすく振りやすい、自分の背丈に会った大きさの剣を選んだ。メルチェは黙ったままそれを磨く。

 「重てえ! こんなんいらねえよ!」

 一方アシッドは、その隣で駄々をこねていた。身軽に戦いたい狼は、甲冑を着るのを嫌がっている。

 「そんなこと言われたって、どうすればいいのよ!」

 甲冑を用意しているクロエがぐずぐず泣いていた。伝う涙をしきりに拭い、甲冑を受け取らないアシッドに文句を言っている。

 「俺にはこの姿があんだよ」

 すると、アシッドはその場で目を瞑る。メルチェはもしかして、と思った。

 途端に風が巻き起こり、紫色の煙が漂い始めたかと思えば、それはアシッドの身体を包んでいく。しだいに煙は薄くなっていき、視界が晴れるころ、青年だった彼の姿は凶暴そうな獣――狼の姿に変わっていた。

 「久々にこの姿になれたぜ」

 人の言葉をしゃべる狼は大きく伸びをする。

 三角の耳や尻尾は見覚えがあるが、フサフサの身体に鋭い牙、釣り上がった目つきはやはり獣特有の迫力がある。光る瞳の青だけが、人間の姿のアシッドと変わらない色味を見せていた。

 「ぎゃー! 狼! 狼が……!」

 獣の姿になったアシッドを見てクロエは慌てふためく。レビウに剣を手渡すメルチェの後ろに隠れ、動かなくなってしまった。

 「クロエ、あれアシッドよ」

 「ア、アシッド? あの狼が?」

 メルチェの言葉にクロエは目をぱちくりさせる。

 この町で狼族は少なく、木苺屋のエミナと他数人、片手で数えられるくらいの人数だ。彼女たちは町で暮らしているため滅多に獣の姿にならない。そのため、クロエは狼族の獣の姿を見るのは初めてだった。メルチェも初めはアシッドの狼姿にびびらされたものだ。

 「せめて胴体の鎧だけでも着たら?」

 人間の姿よりも俊敏に動ける身体になったアシッドだが、レビウにそう言われてしぶしぶ甲冑を受け取った。手にいかついナックルをはめ、にぎにぎと肉球を動かしたあと、満足げに前脚を振る。

 「よっしゃ、早く行くぞ!」

 駆け出したアシッド。レビウも剣を鞘に納めながら「ちょっと待ってよ!」と続いて走り出した。甲冑の金属が重なり合う音がメルチェの鼓膜を響かせる。去って行くその背中に、気持ちが切なくなった。

 「ふ、二人とも……!」

 メルチェは二人を引き留める。

 不安だったのだ。もう会えないような気がして。だけど――

 「……気を付けて!」

 強い気持ちで見送ろうと心に決めた。

 私はこの町の姫。いつまでも不安がっているわけにはいかない。

 「あとでね!」

 いつものように笑うレビウに、メルチェも笑ってみせた。その前を行くアシッドは、ナックルをつけた拳を高く上げる。

 「シャトーは任せて!」

 元気よく手を振った。信じよう。レビウのこともアシッドのことも、この町の未来のことも。

 「……よしっ、私にできることをしなくっちゃ!」

 メルチェは気合いを入れ、赤いドレスのスカートを捲り上げた。裾を結んで、動きやすくする。

 シャトーにいた住民の中から戦闘に出掛ける人はもうあらかた現場に向かったようで、甲冑を身につけにやってくる人はもういなかった。メルチェとクロエ、リーシュ、ソワンたちは、残りの甲冑や武器も予備としていつでも使えるよう念入りに手入れをした。住民たちは怯えながらも互いを励まし合い、まとまって待機している。泣いている子供を、町から数人の住民を連れて戻ってきたオルエッタたちがあやしてくれた。シャトーの窓から戦場は見えない。状況を確認できないのは怖かった。けれど信じて、戦いが終わるのを祈るように待つしかなかった。


 .


 「兵士が帰ってきたぞ!」

 しばらくして、シャトーの一階にいた住民が大声で言った。メルチェは急いでシャトーの玄関に走る。

 人々は戦いが終わったのかと一瞬だけ喜んだけれど、帰ってきたのは数人の兵士のみだった。それも、戦えないほどの怪我を負った、息も絶え絶えの兵士たちだ。

 「ひ、ひどい……」

 甲冑の間から血が大量に流れている。唇の色は青く、意識がない人もいた。

 メルチェは目の前がくらむ。さっきまで祝賀会を楽しんでいた人たちが、こんな変わり果てた姿で帰ってくるなんて。手も足も震えが止まらない。

 メルチェは怪我をした兵士を支え、床に寝かしていく。ここまで怪我人たちを運んでくれた兵士は急いで戦場へ戻っていってしまい、一緒に一階まで降りてきていたクロエはまた泣きじゃくり、メルチェの意識は遠のいてしまいそうだった。

 戦争って、言葉だけでは怖いものだと知っていたけれど、こんな怪我を負うものなの?

 どうして、何のためにコッツ・ブロワが。

 視界が揺れる。倒れそうになった自分に気が付いて、ハッと意識を取り戻した。

 「……ソ、ソワン! ソワンを呼んで!」

 駄目だ。しっかりしなくては。

 メルチェは気を持ち直し、怪我をした兵士を抱いてそう叫んだ。

 「クロエ! 早く!」

 目を腫らして涙を流すクロエ。いつもなら強気に言い返してくる彼女は、メルチェに言われるがままホールにソワンを呼びに行った。

 戦場の様子が直接見えるわけではなかったが、敵軍に押されているのだということは嫌でもわかった。階段を何段もとばして降りてきたソワンは、広い玄関に横たわる兵士たちを見て顔をしかめる。

 「状態の悪い人から診ていきます。まずはこの人。傷口を縫います」

 ソワンはすぐに兵士たちの傷を処置し始めた。メルチェとクロエ、そのほかにも協力しようと来てくれた住民たちにも指示を出し、順番に治療をこなしていく。その間にも次々と兵士たちが運ばれてきた。みんないつも町で会えば元気に挨拶をしてくれる人ばかりだった。

 「メルチェさん、あと包帯巻いておいてください」

 「わかったわ!」

 「もう無理よこんなの~!」

 「クロエさんは泣かずに手を動かしてください」

 命を救うため、ソワンに従って懸命に手当てをする。メルチェが兵士の腕、抉れた皮膚を縫合した箇所に必死に包帯を巻いていると、兵士が手を握ってきた。

 「メル、チェ……」

 半開きの目は朧気で、焦点が定まっていない。

 「大丈夫。もう大丈夫よ」

 メルチェは手を握り返す。ほどけないよう、傷が早く治るよう、ぎゅっと包帯の端を結んだ。


 「みんな……!」


 ホールから、オルエッタたちと一緒に子供たちや住民の相手をしてくれていたカメリアが降りてきた。聞いたことのない大声を出している。

 「今から、私の住んでいる隣町まで行って応援を呼んでくる……! 物資も調達してこようと思うんだけど、足りないものはある?」

 もうとっくに着崩れた着物の袖を振り乱し、黒髪を耳にかける。帯にはおさげのカチューシャが挟んであった。

 「ありがとうございます。助かります」

 ソワンから一通り物資調達の注文を聞いた後、カメリアはそれを紙にメモしてシャトーを出ていく。馬にまたがり、北の方から町を抜けるようだった。

 メルチェたちは帰ってくる兵士の治療をし続ける。ドレスに怪我人の血がたくさん染み込んでいたが、赤いドレスなので気にならなかった。歩ける人は二階やホールで休んでもらっている。帰ってきた人々の中に、レビウとアシッドは見当たらなかった。きっとまだ戦っているのだ。だから、私も頑張ろう。この町のためにできることをするんだ。メルチェは目の前の怪我の手当てに集中した。赤いドレスにまた血が滲んだ。

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