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躍る世界と黒兎  作者: 夢梅
第1章 不思議な黒兎
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女の子たち


 このとき、少女は不思議の国で鍵を探していた。

   

 「ないわ、ないわ。宝箱の鍵なんてどこにもないじゃない」


 ここは庭園。

 咲き乱れる薔薇は、不思議の国の女王が赤一択で注文したものだ。くれないをいくつも身に纏った低木は、噴水のまわりを囲み、世にも美しいこの庭園を彩っている。

 そんな庭の小道を、一人の少女が不機嫌そうに歩く。

 何かを探すそぶりでキョロキョロとあたりを見まわしたり、ベンチの下や、石像の隙間を覗きこんだりしている。そして、ときにため息。彼女のモカブラウンのショートブーツが湿っているのは、芝生の絨毯が露に濡れているからだ。爽やかな風が吹く中、図上では嫌みたらしい小鳥のさえずりが泳いでいる。

 「こんなところまで来たのに、ただ小さな鍵を探すだけだなんて」

 どうやら彼女は鍵を探しているようだ。噴水の近くや大きな花のアーチなど、この広い庭の隅々まで探索する。が、探し物は見つからない。はじめは意気揚々と不思議の国を歩きまわっていたようだが、そろそろ体力的にも、精神的にも、疲れてしまったのだろう。

 「だめね。こんなのじゃまた――」

 困り果ててしゃがみこんだ足元に生えている、鮮やかな緑。その先端をつまむように撫でながら、少女・メルチェは悲しそうにつぶやいた。


 「姫になれない」


 メルチェは、不思議の国から少し離れた、海の見える港町で暮らしている十四歳の女の子だ。

 檸檬色の髪は生まれつきの癖毛。両耳の下で三つ編みにしているが、ぴょんと毛先が跳ねてしまっている。パフスリーブになった白いブラウスの襟元からは紐リボンが伸び、蝶のように羽を広げたそれは、この庭の薔薇よりも赤く染まっていた。

 「はあ……」

 メルチェはしゃがみこんだまま立ち上がれなかった。何年も前から履いている薄桃色のスカートが、花のように地面に広がる。

 このまま鍵を見つけられずに帰るのだと思った。また、何者にもなれないのだと。港町に帰るのは嫌だった。どこでもいい、自分の居場所が欲しい。自分が自分である意味が欲しい。だから、姫になりたかった。

 宝石のような、星影のような、飴細工のような瞳に涙が浮かぶ。瞳の色は金色だ。深く、濃く、遠くまで、いつもなら明るく輝いているはずのこの瞳は、彼女のチャームポイントだった。それが、今日は憂鬱な影を落としている。

 「あらメルチェ、無様な姿ね」

 メルチェが地面を見つめていると、勝気な声が降ってきた。

 顔を上げたメルチェは、声の主を見て「げっ」と顔を歪ませる。面倒なやつが来た。そう思ったのと同時に、滲んでいた涙も引っこんでしまった。

 「アリス!」

 アリスと呼ばれた少女は、メルチェの顔を見下げて笑う。ロングヘアを揺らし、頭につけた水色のリボンが、見上げた空の色に同化していた。

 アリスはすっかりやる気をなくしてしまったメルチェの隣に座り、ぼやき始める。

 「まったく。あたしたちはこの世界の姫になりたくって来たのに、女王ったら、鍵を探せなんて言い出すんだから。勘弁してほしいわよね」

 アリスは呆れた様子で顔をしかめていた。水色のワンピースが、今日は一段と深い水色に見える。

 メルチェも同じように顔をしかめながら「仕方ないでしょ」と、またため息交じりに言った。


 「だって鍵を探し出さなくちゃ、姫にはなれないんだもの」


 ――――“姫”。


 この世界には、姫という役職があった。


 人々が暮らす街に一人ずつ存在するのが姫であり、その街に華を添えるのが彼女たちの仕事だ。

 街のトップである王や妃のそばで煌びやかに過ごしたり、政治を手伝ったり、民に寄り添ったり、街や姫本人によってもその役割はさまざまだが、彼女たちの存在が人々を明るく活気づけることはどこの街でも一緒だった。年頃の女の子は、誰もが彼女らに憧れた。

 「夢物語みたいだけど……やっぱり諦められないのよね。姫になること」

 「夢物語なんかじゃないわよ。実際に今回だって、あたしたちみたいなふつうの女の子たちがこうやってオーディションを受けて姫になれるんだもの」

 高い声を張るアリスを、メルチェは横目で見る。


 そう、姫という役職は、単なる夢物語なんかではないのだ。


 もともとは王族の娘のみを姫と呼んでいたのだが、数年前、いわゆる“普通の女の子たち”にも姫になるチャンスが与えられた。

 それは、子どもに恵まれなかった王族夫婦の街で姫になりたい女の子を呼びかけ始めたことがきっかけだった。血筋を問わず自分たちが気に入った子を選びたいという思いがあったらしく、市民の女の子が姫に選ばれたことでとても話題になった。

 そうして同じように血筋を問わず姫を募る街が増え、姫という存在は一種の役職として成立していった。姫を目指す女の子たちはその街の募集を“姫オーディション”と呼び始めた。


 「だけど、たくさん受けたオーディションの中で鍵探しなんて初めてだわ。しかも女王が失くした鍵を見つけるだなんて、ただ自分で探すのが面倒なだけじゃない」

 「ほんとにそうね。不思議の国は景観が可愛いから、もっとこう……女の子らしさとかを審査するんだと思ってた」

 露が乾きつつある芝生に座り、愚痴を吐きだす彼女たち。

 まさに今、不思議の国では姫オーディションが行われていた。今回のオーディション内容は鍵探し。いつもならば、自分の長所をアピールしたり、自分の特技を披露したり、そういった自分らしさを審査された結果、姫が決まることが多い。しかし今回は女王の失くした鍵を探しだすというもの。そんな運だけで姫が決まるなんて納得できない! ……と、姫候補の女の子たちはみんな不満を感じているのだ。

 「あたし、さっさと鍵を見つけ出してこのオーディションを終わらせるわ!」

 お城の大時計がカチンと針を重ねたとき、アリスは急に立ち上がった。

 ひとひらの赤い花びらが、女王に気づかれないようゆっくりと地面に舞い落ちる。空の青は真昼の空気をたっぷりと含み、時間が経つにつれて、それはもっと濃くなっていく気がした。

 「……そうね!」

 勝気に笑ったライバルを見て、メルチェも立ち上がる。

 弱気になっていても、不満を言っていても、どうにもならない。姫になりたいのならば、アリスの精神力を見習わなければ。

 そう思い、メルチェがスカートについた芝をパンパンと払っていると、アリスは「あら」と腕組みをする。

 「何を言っているのかしら。鍵を見つけるのはアンタじゃないわ」

 ふふんと鼻を鳴らすアリス。スカートの芝を払い終わったメルチェは「え?」と腑抜けた声を出し、何やら得意げな顔をしている彼女に首を傾げた。するとアリスは腕組みをしたまま仁王立ちになり、胸を張ってみせる。

 「あたしが今日までどれほど女王のところへ通ったと思ってるの? はじめは白かったこの薔薇を、赤く塗り替えてやったのはあたし。トランプの兵隊を裁判で助けたのもあたしよ。フラミンゴとハリネズミのお遊びに付き合ってあげたこともあったわ!」

 あまりにもすごい、惜しまない努力。

 つぎつぎと語られるエピソードに、メルチェは唖然としていた。まさかオーディションの前からここへ通っていたなんて。ライバルであるはずの彼女に尊敬の念まで抱き始めたくらいだ。

 「い、いつもはもっといい加減だったじゃない! なんで今回はそんな……」

 「だってこの街って、今まで見てきた中でも断トツであたしにぴったりじゃない。誰かに姫の座を渡すわけにはいかないわよ」

 どうやらアリスは、ここ、不思議の国のことをとても気に入っているらしい。いつもなら自分が面倒なことだと手を抜いたり、やっているふりをしたり、要領よくオーディションをこなしてきた彼女だが――いずれも落選しているが――今回に関しては本気のようだった。

 「それに、投げだすにはまだ早いもの。探してない場所もあるしね、っと!」

 そう言って芝生と小道の境界線をぴょんと越えたアリス。彼女の言葉を聞いたメルチェは、「え!?」と声を上げた。

 「も、もしかして……」

 そして、恐る恐るライバルの顔を覗きこむ。

 メルチェにも一か所、まだ鍵を探しに行っていない場所があった。その場所はおそらく誰も手をつけられていない場所で。広くて真っ暗な森の奥にあって。そこへ行くには、あの――

 「まずいお薬を飲んでまで、行くの!?」

 そう、その必要があるのだ。

 アリスが今から向かう場所――それは怪しい森の廃屋だった。

 そこは一歩でも足を踏み入れると、ある薬を飲まずに外へは出られない。廃屋に入った途端、体が大きく巨大化してしまうからだ。女王の作った薬を飲むともとに戻るらしいが、薬には森の薬草やきのこ、さらにはトカゲの尻尾やテントウムシなど、想像するだけでも気分が悪くなってしまいそうな食材までミックスされている。

 「あんな場所へ……」

 メルチェがごくりと唾を飲みこむと、アリスはやはり勝気に笑ってみせた。迷い一つない、自信に満ちた表情。

 「価値のあるものを手に入れるには何かとリスクがつきものよ。メルチェも精々頑張りなさい」

 アリスは「じゃあね」と言って花壇の柵を軽やかに飛び越えた。着地したそばの土が跳ね上がり、蟻が驚く。

 庭から出て森へ駆けだしたアリスの背中は、あっという間に見えなくなった。静かになった庭園で一人、メルチェはぽつんと佇んでいる。

 「……そうよ。アリスの言うとおり。私も鍵を探さなくちゃ!」

 メルチェは自分で自分の背中を押すようににこりと笑った。それはアリスのように勝気で自信満々な笑みではなかったが、ひだまりのような、明るい笑みだった。庭をあとにしたメルチェの、金色の瞳に光が戻っていた。

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