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エピローグ

 キーマンにフィールを任せてハヤトが向かった場所はこの国の王が住まう場所、王城であった。

 ハヤトがここへ来なければいけない理由はただ一つ。フィールの命を保証させるためだ。シルビーと同様に通常闇精霊に侵された人間は普通には戻れない。戻れたとしても厳重な監視体制が余儀なくされる。シルビーの場合はそれがハヤトであるという書類がつい先日決まったところだった。

 そして今日、フィールが闇に侵されてしまった――本当はもっと昔から侵されている――。さらに、街をめちゃくちゃにしたとあれば処刑は免れないだろう。

 それを止めるためにハヤトはできれば二度と顔を合わせたくなかった人物のところに顔を出しに行かねばならない羽目になった。






 王城にて――

 王城では、すでにフィールの処罰に関する審議が開始されていた。参加者は各方面の長たち。貴族が大部分を占めるが、その実成り上がりの貴族や永久貴族ばかりである。

 そんな中、王がひどく頭を痛めていたのは今回審議に挙げられたのが永久貴族の娘という点だった。


「あー、アーノルド公爵? これは一体、何の冗談なのか説明を願いたいが、いいだろうか?」


 王座にてとても聞きづらそうに返答を待つのは国王である。二十代で王になっただけあって経験は豊富だが、こういう自体にはやはり苦手なようで国王は控えめに尋ねたのだ。

 国王と言えど、易々と永久貴族に文句は言えない。それはどの国でも同じことで、永久貴族はどこにいてもその効力を十分に発揮する世界が認めた貴族である。

 しかし、今回に限っては審議が難航することが誰の目から見ても明らかであった。世界が認めた貴族がよもや犯罪を犯すなど、どの国で考えるのだろうか。

 国王の言葉に重い腰を上げたアーノルド公爵はキッパリと言い放つ。


「説明も何もないでしょう、国王陛下。民が罪を犯したのです。それは罰せなければなりません。例え、それが貴族であったとしても同様です。我々は法によって守られた生物。法を違えたのなら、それを罰するほかに何がありましょう?」

「だが……よいのか? 貴殿は永久貴族。彼の悪魔王を屠った者に連ねる言わば世界救世の立役者だ。それを罰せば各国々からの批判は絶えんぞ」


 アーノルド公爵は女性である。アーノルド・クレールの妻が今はアーノルド家の長であり、生まれながらに持った精霊との高い感受性を持って勇者候補の候補にまで上がった凄腕である。

 もちろん、それだけで国王が贔屓しているのではない。逃げられる道をキッパリと切り捨てるものではないと言いたいのである。

 罪を犯した人物を罰するのは何よりも正しい。しかし、何度も言うが今回は例外である。永久貴族を罰することは永久貴族以外には存在しない。それを知ってるだろうにアーノルド公爵は此の期に及んでまでも正義を貫こうと言うのである。


「では、国王陛下。一つお尋ねしますが、陛下は犯罪を犯した者を見逃すお考えを持っているのですか?」

「それは……違う」

「ならば、今回も同じく罰するべきです。もしや、私の娘であると言うことで判断を間違おうとしているのであれば心配には及びません。私の娘であろうとも犯罪を犯せば、ただの犯罪者ですので」


 さっぱりした回答だった。いや、この場合、容赦ない回答と言うべきか。アーノルド公爵は自身の娘であろうとも犯罪は許さない。間違いはその根本から叩き直さねばならぬと訴えた。

 かくして、難航すると思われた審議は想像以上に早く切り上げて終わりを迎えるはずだった。

 ただ一人の少年が門を叩くまでは――


「失礼する」

「……誰ですか?」


 この国の重鎮たちが一同に集まるこの国の頭と言っても過言ではない場所で、ハヤトが最前線に追いついた。ハヤトは早速、対応したアーノルド公爵の言葉に答える。


「クロサキ・ハヤト。十七歳。今回の事件を起こしたカリシュトラ学園一年、アーノルド・フィールと同じ学園に通う二年です。ここへは一つだけ用があって参りました」

「……用?」

「はい。国王陛下。お久しぶりです。約『二十年』ほど経ったでしょうか。ご機嫌麗しゅうようで何よりです」


 ハヤトの笑顔に、国王は身震いした。また、心の中ではハヤトも自分の対応に吐き気を催しているのだった。

 二人はかつての国家間のいざこざで一悶着起こした関係でもある。それが、時間の経過によってこういった立場となって再びまみえることになるとは両者共々予想していなかっただろう。

 何はともあれ、クロサキ・ハヤトの存在を知らされていた国王はこの時が来てしまったかと痛い頭をさらに痛めた。


「ああ……貴様が絡むとロクなことにならん。昔からそうだった。それが二十年経った今でもそうだと言うのは、貴様に呪いが掛かっているのではないかと心配した方がよいことか?」

「いえ、それには及びません。これは呪いというよりは体質というべきもの。国王陛下に心配されるほどの大事ではありません。それよりも、誠に失礼ながら速やかに用を済ませたいと思うのですが、用件を申し上げてもよろしいでしょうか?」


 ハヤトの体は夢世界の創造により傷つかない。だが、精神の方はそうはいかない。むしろ、傷を負い続ける苦しみは何よりも精神を磨耗する。できることならば、国王に会うよりもフカフカのベッドで一眠りしたいというのが本音である。

 それを返上してまで来たのだ。それなりの成果というものを手に入れなければ損である。故に、ハヤトはさっさと話を終わらせるために申し出たのだ。

 もちろん、国王もそれに賛成した。一刻も早くハヤトにここから出ていってもらいたかったのだ。そう、ハヤトが余計なことを口走る前に。


「よい。話せ」

「では。今回、街を荒らしたアーノルド・フィールについての案件です。今しがたの様子を見る限り、アーノルド・フィールの処罰は決したと存じ上げますが、よろしいでしょうか?」

「そうだ。アーノルド公爵家の娘、アーノルド・フィールは闇精霊による大破壊の罪を償ってもらう」

「その代価は、命……なのでしょうか?」


 静かに国王は頷いた。それを見たハヤトはやはりとこちらも頷く。シルビーの時は校内で治っただけでなく、国としても隠しておきたいことというのもあって公にはならなかった。しかし、今回はレベルが違う。街を破壊したのだ。こればかりは隠しようがない。

 さて、どうしたものかと考えていると、アーノルド公爵がハヤトに声をかける。


「あなた。先程から妙なことを言いそうな顔ですね。あなたはアーノルド・フィールのなんだというのですか?」

「……仲間です。ええ、言葉通りの『仲間』です」


 ハヤトはアーノルド公爵だとは知らずにそう答えた。仲間。この場にいる貴族や国王にしてみれば学園の仲間であるが、ハヤトにとっては同じ穴のムジナと言う意味での仲間になる。

 その差異など、この際どうでもいい。アーノルド公爵は続けてハヤトに尋ねる。


「ならば、あなたにとってアーノルド・フィールとは一体どういうものですか? よほどのことがなければここまでやってくるなどできることではないでしょう?」

「無論、大切な人です。身を離すことは愚か、失うことなど考えるだけでも恐ろしいと思える。私にとって、彼女はなくてはならない存在です」


 もちろん、ハヤトが言っていることは全て本心だ。嘘偽りのない真実だ。ただし、根本となる意味が多少変わっているが。

 ハヤトにとってはフィールを失えば己の存在を失うという定義になる。身を離せば、フィールの安否が気になるのも当然だ。フィールがいなくなってしまったら、ハヤトという人物もまた消えるのだ。

 当然、アーノルド公爵を含め貴族たちはその意図を汲み取れていない。そのままの言葉の意味で受け取った。故に、フィールの母親――ハヤトはそうだとは知らない――に公開告白と変わらないことをしていることに驚きを隠せなかった。

 ハヤトはそうとは知らずにアーノルド公爵に語った時点で周りの反応がガラリと変わったのを感じ取ってこの中で二番目に強い権力者と話しているのだと直感した。


「故に、申し上げたい。どうか彼女にチャンスを与えて欲しいのです。再び暴れる可能性がないとは言いません。ですが、またこのようなことが起きようものならば、またしてもこの私が全力を以って鎮圧することを誓いましょう。ですから、ご忠告・・・をしに参った次第でございます」

「忠告を――?」


 忠告をしに来た。ハヤトはそう言う。その言葉に眉を上げたアーノルド公爵は何を言っているのだ無礼者と切り捨てようかと思ったが、そうも行かなくなった。

 ガガガと、背後から物音が聞こえる。しかも、かすかに城が揺れているようにも感じる。時揺れかとも思ったが、そうではない。徐々に差し込む光が、時揺れの真実を語った。


「はい。邪魔をすれば、お次はこの場にいる方々の頭が飛ぶかもしれませぬというご忠告を、です」


 いつ行われたのか。いや、それ以上にどうやったのか。全くもって理解不能の荒技。ハヤトは国の頭とも呼べる王の間の屋根を『刎ねた』のだ。

 そして、邪魔をすれば今度は貴様たちの頭が飛ぶだろうと、ただそれだけを言いにここに参ったと告げる。なるほど、これは傲慢だ。アーノルド公爵はハヤトの底知れぬ力を目の当たりにして、いつの日だったか娘が言った言葉を思い出した。百八英雄の真実は違うかもしれないと、目を輝かせた娘は実に生き生きとしていた。そんな娘の姿を思い出して、同時に目の前の少年こそが娘が探していた答えなのだと悟ると、無性に嬉しくなった。


「私はこれにて失礼します。あ、送りの兵は入りません。ここに至るまでに道を覚えて来ましたので」


 言うや否や用は済んだとハヤトは歩みだそうとする。そこで、国王はつかぬ事をお聞きになった。


「おい、クロサキ。貴様は招かれざる客だ。一体どうやってここまで来たのだ?」

「もちろん、押し通って。昔も今も私に一切の変革はございませんよ、国王陛下。力尽くが黄金の国ジャパンの流儀でございます。くれぐれも、再びの大戦を起こさぬように、ここは矛をしまっていただけると幸いでございます」


 ハヤトの言い草に、国王は無駄な兵力を減らしたと呟いてハヤトを送り出したのだった。

 かくして国を脅してハヤトはフィールの命の保証を獲得したわけであるが、当の本人はすでに限界が近づいていた。精神の著しい磨耗による頭痛と目眩が同時に襲って来たのである。

 街では突如として王の間の屋根が降ってくるという前代未聞の事件が起きたことでざわめいていたが、ハヤトは事件現場に背を向けて静かにフィールがいるであろう国立病院に向かった。

 フィールに目立った怪我はなかった。むしろ、怪我一つない状態だった。だが、戦闘で蓄積された精神のへの負担はハヤトの比にならないだろう。フィールはハヤトと違い死に至るほどの激痛を感じたことがない。つまり、耐性のない精神へとダメージを著しく受けたのだ。一歩間違えば二度と目を覚まさない体になる可能性もある。その審議をハヤトは一刻も早く知りたかったのだ。

 故に、病院に急ぎ、フィールの安否を確認したかった。


「304号室……見つけた」


 ハヤトは受付の人物に今日運ばれて来たカリシュトラ学園の女生徒の病室を聞き出すと病院中を回ってやっと見つけた出した。

 扉に手をかけるとハヤトは小さく深呼吸して決心を固める。開こうと力を込めた瞬間、ハヤトは静止した。ハヤトの後ろに明らかに力を持った人物が立っているのを感じたのだ。


「……!?」

「そんなに驚かなくていいわ。先ほども出会ったばかりでしょう?」


 背後から聞こえたのは先ほど王の間にてハヤトと会話したアーノルド公爵であった。ハヤトは咄嗟にフィールの病室のドアを死守しようと力を発現しようとするが、極度の疲労によってそれは失敗した。


「想像していた以上に勘違いされているみたいだけれど、念のために言っておくわよ? 私はあなたの敵ではないわ」

「真偽の定かじゃないものは信じないようにしているんだ……。証拠を見せてくれると流石に助かるな」

「あら、王の間での言葉遣いは便宜上だったようね。そっちがあなたの本性かしら?」


 全く会話が成立していない感覚にハヤトはじれったさを持ったが、この感覚は初めてはないとどこかで思う。一体どこでこんなに豪快な不成立を感じることがあったのだろうかと必死に思い出すと、ハヤトには一人の女性しか思い当たらなかった。

 まさか。そんなはずは……などと考えても見たが、それ以外の回答はどうやら見つかるはずもなかった。


「まさか……フィールの、母親……?」

「やっと思い出したの? 私、これでも永久貴族で街では有名のはずだけれど」


 アーノルド公爵は勘違いしているが、ハヤトは今に至ってもフィールの母親の顔などわからない。当然といえば当然だが、ハヤトは自分の家族以外に全く興味を持たなかったために俗世に弱い。永久貴族など、いてもいなくてもいいだろうとしか思っていない人間だ。

 そんなハヤトが学友の母親など知る由もないだろう。


「そうか……そういえば、フィールって永久貴族だったな……」

「まさか、そこから忘れていたの? 呆れた……こんな人が勇者候補だったなんて……」


 ピタリと、ハヤトの動きが止まった。嫌な汗まで出てくる。勇者候補という言葉にここまで拒否反応を示すのは珍しいが、それは永久貴族に知られたからだろう。

 永久貴族とは、周知の事実として百八英雄の末裔はそれに連なる者たちのことを指す。そして、百八英雄とはハヤトがなることを拒否した十七年前の人類最大の試練を命を賭して突破した者たちのことだ。さらにいえば、その中にハヤトが入っていたことがここでは重要になってくる。

 目の前にいるのは生き残れなかった者の妻。そして、その前にいるのは仲間を見殺しにして生き残ったハヤトだ。気まずくないわけがない。

 それを悟ってか、アーノルド公爵は首を振った。


「あなたが気に病むことではないわ。彼は自分の意思で向かったのだもの。それに文句を言えるのは彼の娘だけよ」

「……」

「ところで、さっき王の間でジャパンって言っていたけれど。あなたの出身は――」

「聞かれるまでもなく、今は地図に載っていない場所、です」

「敬語はいいわ。一応、あなたは救世者だもの」


 一応とつけるあたり、アーノルド公爵は多少ハヤトのことをわかっているようであった。

 なので、ハヤトもそれなりの態度で接することを決める。


「そう、今でこそ覚えている人は少なくなった島、ね。あなたは恨んではいないのかしら?」

「恨む? 一体何を?」

「この国は違ったけれど、他国ではジャパンと秘密裏に同盟を組んでいるところもあったでしょう? ジャパン滅亡の際に手助けをした国は一切ないと記述されていたわ。そのことに関してよ」

「そのことなら、恨んではいない。むしろ、クシナダ――姫の考えが十二分に当たっていることは誰の目から見ても分かりきっていた」


 クシナダが生前、ハヤトには語ったのは他国に友人はいれど助け船はないということだった。友人は助けてくれる者ではないのかと聞き返すと、かすかに微笑んで友人は遊ぶ者でしょう? と返されたのはハヤトにとって鮮明に思い出される。

 だから、ジャパンが闇に攻められていたと知った時、ハヤトはやはり自力で乗り越えるしかないと思ったのである。それでも結局は滅んだ。それは自身たちが弱かったからである。それについて恨みを持つなど、ハヤトにはできない。

 ハヤトの意見を聞くと、アーノルド公爵は「そう」と返して、手に持っていた花束をハヤトに持たせた。


「これは?」

「餞別よ。あなたが退散してから再度フィールは審議されたわ。その結果、フィールはアーノルド家を追い出すことで全て丸く収まったの」

「丸く……?」


 一体どこが丸く収まったのだろうと思っていると、ハヤトは一つの結論に至る。

 フィールは永久貴族だ。今回はそこが一番のネックだった。永久貴族は国が影響を及ぼしてはいけないという暗黙の了解がある。故に容易に・・・観察対象にはできない。だから、回りくどいがアーノルド家をやめさせたのだ。そうすることでフィールは一般人――悪ければ奴隷――と同様になり、適応範囲が広がる。つまりこれは――。


「あなたにフィールを一任すると国は決定したの。あなた以外にそれをできそうな人もいなさそうなのでね。だから、ここに来たのはただの気まぐれ。花束をあなたに渡そうと思っただけのことで――」

「じゃあ、お返しします。これは、あなたがフィールに渡すべきだ。今生の別れではないにしても、母娘の別れに言葉は絶対に必要だ。何よりも、あなたは大切な人との別れの悲しさを知りすぎている」


 花束を返すと、ハヤトはドアを譲った。そんなことをされるとは思っていなかったアーノルド公爵は目を丸くしていた。かすかに笑うと、ほんの少し楽しそうに呟いた。


「まるで青い月を見た気分よ」


 言って、アーノルド公爵は病室へと入って行った。直後フィールの言葉が聞こえたので目を覚ましていることはハヤトにもわかった。安堵した。ハヤトはフィールの意識回復を知って、その場から退散した。


「青い月……久々に聞いたよ、アーノルド。お前の魂は本当に受け継がれているってことだな」


 アーノルド公爵が言った言葉は、間違いなくアーノルド・クレールが幸せなことがあった時に口癖のように言っていた言葉だった。

 確か意味は、と。ハヤトはかつて教えられたものを思い出す。


「滅多にないこと。あるいは『奇跡』だったかな?」


 はは、と。笑ってハヤトは重い体を近くのベンチに座らせるのだった。


 □■□


 世界はかくも美しい。こんな言葉を残したのは、はて誰であったことだろうか。夢を起こすハヤトは夢を見ることはない。その特性上、ハヤトは見たくても夢を起こしてしまう。だから、どれだけの素晴らしく美しい夢も儚いままに消えてしまう。まさしく、人の見る夢である。

 だから、ハヤトは現実を見る。見ることが叶わない美しい幻想よりも今、目の前で輝いているものに目を向ける。それが一番美しいのだと思っていないと、どこかで自分を失ってしまうそうになるのだ。

 目を閉じれば暗闇が、目を開ければ絶望が待つ、そんな妄想。それが、どれだけ過酷であるかなど想像も及ばない。思いも及ばない。故に、誰も自分の苦しみを分かち合える者はいないと、そう自負していた時期が誰しもあるように、ハヤトも今まさにその境地に立とうとしている最中であった。


 だが――――


「ん…………ぅ…………」

「おはようございます。先輩」


 目を開ければそこに絶望はなく、あるのは輝きの中から見下ろす一人少女の微笑みであった。ハヤトは瞬時にそれをフィールだと認識すると、優しく頬を撫でた。そして、体は大丈夫なのか。闇精霊はどうなった。精神は。みんなは。と、たくさんの言葉が溢れてきた。しかし、ハヤトが選んだのはそのどれでもなく、いつものように……いや、一日遡ったかのように言葉を読んだ。


「どうしてお前がここにいる?」

「……ふふっ」


 ハヤトの意図を読み取ったらしいフィールは笑った後に、頬を撫でた手に触れて笑顔で返す。仄かな温かさがハヤトの手に伝わることでハヤトは更なる安心感を得た。


「先輩、ここは病院ですよ? 先輩のお家じゃありません」

「そうか。そりゃあ、とんでもない場所で寝てたもんだな」


 フィールは「お互い様」と、そう付け加えて、また笑った。

 ハヤトが寝ていたのはフィールの病室に近いベンチだった。どうやら、少し休憩をするつもりが朝まで寝ていたようだ。そして、朝になってフィールに起こされたことを知って、ハヤトは自身が想像を超える疲労を抱えていたのに少しだけ焦りを持った。

 そんなハヤトの思考などもちろんわかるはずもないフィールは起き上がったことでできたスペースに腰を落とすと、ハヤトに寄りかかった。


「どうした?」

「いえ、その……本当に生きているんだなぁと思いまして」

「死ぬほうがよかったのか? ……そんなわけないか」

「もちろんです。死ぬのは嫌ですけど、あの時の私は普通じゃなかったですし、その……殺処分だって覚悟していました」

「つくづく運がないな。お前は」

「ええ、先輩と出会ってからというもの不運続きですよ」


 失敬な。とも言いたかったが、事実そうなのでハヤトは言い返すことができなかった。随分とフィールに迷惑をかけた、という思いがあるため、今回の件に関してもハヤトは堂々としてはいられなかった。とはいえ、結局巻き込まれているのは本当のため、少しだけハヤトも褒美が欲しいところである。

 ハヤトは周りに人の気配が少ないことを確認してから、隣に座っているフィールを抱き寄せた。徐々に高まるお互いの体温。温度が上がる度にフィールの現状理解が深まっていき、結果唐突な行為に耐性がないフィールは顔を真っ赤にして固まってしまった。


「なあ、フィール」

「は、はい。な、なんですか、先輩?」

「なんだってみんな、いるかどうかもわからないものに愛されたがるんだろうな」

「は、はい? え……っと。愛されるのが幸福だからじゃ、ないんですか? だからみんな、世界に愛されたいと思うんです……よね?」


 ハヤトの意味不明な問いに戸惑いつつも、フィールはそれに返した。そして、その返答は概ねあっている。人は美しいものに恋をする。そして、綺麗なものに愛を注ぐ。一瞬にして恋をし、一生をかけて愛を育む。だから、人の生は美麗と評される。

 だが、本質は自分勝手なものである。人が美しいものに恋をするのはそれを美しいと感じる心を持った自分を美しいと証明したいから。人が綺麗なものに愛を注ぐのはその愛に見合った愛を返還してもらいたいから。

 なら、そんな生き物が美麗であるというのなら。どれだけ周りの生き物は醜悪な恋愛を持つのだろうか。ハヤトは不思議だった。犬も人間も変わらず生きているのに、どうして人は犬を飼うのだろうかと。そして気がついた。それが、恋愛の有無であることに相違ないのだと。

 結局、人間が欲するのは世界に愛されたいという醜い感情なのだ。世界に愛されたいから世界に愛された生物を愛する。世界が美しく生み出したものに恋をして、それに愛を注ぐ。そうすることで、寵愛を恵んでもらえると信じてやまない。故に人類は美麗なる愚者なのだ。

 だからこそ、ハヤトは不思議だった。


「それが幸福だって言うなら。俺は不幸なまま生きていくよ」

「え? その、どうしました?」

「誰も彼もが世界に愛されたいだなんて思うなよ。俺は、お前だけに愛されたいんだよ」


 な、フィール? と。ハヤトはフィールの頭を撫でた。ハヤトが言葉にしたのは前世ですら扱ったことのない愛の告白であった。フィールに持った感情は『形のないアイ』だった。多少の時をかけて、なんとか練り上げ考えたそれは徐々に形を作っていく。それが愛に変わったのはつい昨日のことだった。フィールを失うことに怒りを覚え、フィールに好かれていることを知り、かつてを否定することを否定したそれらが全て、『愛』であることに気がつくのに随分と時間がかかったとハヤト自身が思う。

 それでも、悪くはない。この感情は悪くはない。居心地は少しだけ悪いが、それでもそれから生じる幸福感はそれの比にならない。ハヤトは恋をした。輝ける太陽のような笑顔を持つ英雄の娘に一瞬で恋をした。そして、ともに育んだアイは今日、『愛』に変わった。

 フィールの返事はもちろんわからない。リルの言う通りの答えが返ってくるとは思わない。少なくともハヤトはそう思っていた。しかし、意外にも意外な答えが迷い込んできたのは本当に意外な話であった。


「……っ!! 青い月を見ているようです。せ、先輩。その……えっと、どう答えていいのかわからないん、ですけど。その……わ、私も――」


 キュゥゥ、と。顔から湯気が出そうな勢いで真っ赤になるフィールの口から辛うじて出てきた言葉はハヤトのキスによって打ち止めされた。

 口を離したあと、ハヤトはこないだのお返しだと言って、席を立つ。


「せ、先輩!?」

「お前の答えは知らないけど、お前の気持ちはリル先輩からもう聞いてある。それに、もう二人きりってわけでもないらしい」

「はい?」


 見れば、近くに隠れているように――実際はバレバレである――身を潜めている特別担任生諸君とシルビーがいた。つまり、先ほどのキスシーンも見られていたことに違いなく。故に、フィールの恥ずかしさが頂点に達しようとしていた。


「み、みみみ、皆さん!? いつからそこに?!」

「『お前だけに愛されたいんだよ』ってところからすっよ。いやぁ、フィーもやっと彼氏が――」

「それ、重要なところ全部見られてません!? あの、全部見てましたよね?!」

「もちろんじゃないっすか〜」


 急に騒がしくなったことで、ハヤトはここが病院なのを忘れているのではないかと思ってしまったが、まあそれはそれでフィールたちらしいと考えて笑った。その様子をどうやら見ていたらしいアキが、ハヤトの横っ腹を突く。


「お兄が笑うなんて珍しいじゃん。よっぽど嬉しかったんだ?」

「さぁてな。飲み物買ってくるよ」

「え、でもお兄、お金……」

「安心しろ」


 そう言って、ハヤトが見せたのは給料袋と書かれた封筒だった。それは、フィールがハヤトに渡そうと思ってずっと忘れていたものであり、その中にはサラリーマンの三ヶ月分の給料が入っていた。それをどこで手に入れたのかといえば、フィールが持っていたのをスったわけであるが、元々渡されるものであるのなら致し方ないと割り切ってしまった。

 それに、何よりこの場から離れたいのが一番だった。何故なら、ハヤトが本当に珍しく照れていたのだから。


「まったく、お兄ったら。ほら、先輩たち。お兄が飲み物を買いに行ったので病室に戻りましょう。それと、もう少し静かにしてください」


 関係は変わり、季節も変わる。さらに変わるものといえば、物の見方と感じ方くらいだろうか。どれにしたって現実であることに変わりはない。人が生きるとはそれすなわち人生。もう、英雄にも勇者にもなれない人であるが、人生を生き直しているハヤトから見れば、新しい世界はいと美しい物で溢れていた。だからハヤトは思う。


 ――青い月を見ているようだ、と。


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