花と酒と墓参り
【キルヒア・ライン】の兵舎をオルナと共に出た俺は母さんの墓前に供える花を買うべく、帝都の中心街へ足を運んだ。
正直言うと、俺は花が好きじゃない。だが、お供え用の献花だしな、致し方ない。
そういえば、半年前、オルナに花束を贈った新米騎士がいたっけ…。
彼女は花を見るや否や、烈火の如く怒り狂い、新米を激しく睨みつけたんだよな。
奴はそれ以来、オルナに対する恐怖心が植えつけられてしまって、フォローが大変だったのを覚えている。
まあ、そいつは【キルヒア・ライン】に今も在籍はしているが…、その恐怖心を克服出来なければ、残念だが大成はしないな。こればかりは本人の奮起と日々の積み重ねでどうにかしてもらわなきゃいかん問題だ。
新米には悪いが、オルナが花を好まない事を教える生贄になってくれたわけだ。
俺もそうだが父さんと母さんも実は花が好きじゃない。ただ一つ、キキョウを除いては…。
父さんが母さんへのプロポーズの際に贈ったもの、と俺も聞かされていた
―――やさしい愛情、誠実、従順、変わらぬ愛、変わらぬ心、清楚、気品、正義
それがキキョウの花言葉だ。母さんは特に「変わらぬ愛」の花言葉に感動し、父さんのプロポーズを受けたとよく聞かされたものだ。
そんな俺は幼い頃から父さんによって半ば無理矢理、道場に通わされていた。そりゃ、嫌だった時もあるさ。その度に…
―――父さんに何かあった時、お前が母さんを守れるようになれ。そのために道場に行かせてるんだ。
こう言われて、思い直して通うようになったんだよな。父さんの口癖だった言葉だ。
母さんからは生前、戦う者の心得を説かれていた。母さんはかつては父さんと一緒に傭兵として戦っていたという。実際にその姿は見た事ないが、家に置かれていた女性用にあつらえた鎧がそれを物語っていた。
しかも父さんと母さんは、見ててこっちが恥ずかしくなるくらい仲睦まじい夫婦だった。
その花言葉が影響したのかは遂に聞けなかったが、一年に一度、つまり結婚記念日には必ず、キキョウの花が飾られていたのを俺は今でも忘れない。けれど…
ささやかな幸せは最悪の形で引き裂かれる事になった。
それは今から14年前、国家同士による武力衝突、謀略や暗殺、犯罪が横行した、凄惨な時代が始まった事による。
俺が15歳の時だった。
―――【十年地獄】
後にそう呼ばれる、まさしく地獄の日々の幕開けを告げるかのように…、母さんは殺されてしまった。
青い目に両の頬に十字傷のある男だったのを覚えている。母さんを凌辱しようとした下種野郎だった。俺が飛びかかって防いだ事に激怒したのだろう、俺に殺意を向けて襲いかかって来たのを庇い、母さんは凶刃に倒れてしまった。
盗賊ギルドのはみ出し者とか他国からの暗殺者、とも想像はしていたが、結局は分からなかった。そいつは母さんが刺されたのを見ると、舌打ちしながら逃げて行ったからだ。
無力だった。
最期まで母さんに助けられた。守るどころか守られた。
駆けつけた父さんの腕の中で、俺達の手を握りながら…
―――私はあなたに会えて、リュウガを生んで幸せだったよ
そう告げた刹那に息を引き取った。
悲しみが体の中を駆け巡ったのを、父さんと二人で泣き明かした事を…忘れる事は出来ない。
父さんは「兵士同士よりも、母さんと飲む酒が一番美味しい」と言ってた。
俺と父さんの二人だけで密葬を済ませた日の夜、初めての酒を飲む事になった。
「通夜振舞い」という奴だ。
その一連の出来事で初めて見た父さんの涙…、ずっと母さんだけを愛していたという証だった。
【十年地獄】は四年前にようやく終結したものの、父さんは「死んだ妻以外の女性を娶る気は無い」と再婚話をことごとく蹴り、兵士としての職務に今ものめり込んでいる。
父さんらしいと言えば、父さんらしいんだけど…。
戦う者の心得を説いてくれた母さんは、父さんと共に尊敬出来る人だ。
あ、くれぐれも言っとくが俺はマザコンじゃない。これは断言しとく! …と、話が逸れたが、今はこれに筆頭、そして帝王様が加わっている。
父さんの思いと母さんの教え、この二つがあったからこそ、今の―――【キルヒア・ライン】の騎士としての―――自分がある。それは疑いようのない事実なのだから。
さて…と、思い出に浸ってる内に目的の花屋に着いた。
早速、花屋の主にキキョウの花束を頼むとしよう。キキョウ自体も今では数が少なくなり、扱ってる所も俺はこの一軒くらいしか知らない。
「外にいる女性にプレゼントですか? 若いですねぇ」
「バ、バカ!そうじゃない! 母さんの墓に供える奴だ!」
オルナへのプレゼントだと思い込んだんだろう。いきなり言われて思わず反抗してしまった。
謝罪ついでに付け足しておこうか…。
「ああ、すまない。 あいつは花の類が好きじゃないんだ。 …無理に付き合ってもらってるからな」
「そうでしたか。 それは大変ですね…、と、はい。 出来ましたよ」
「ありがとう。 じゃ、お代はこれに」
「はい、ありがとうございます。 また何かありましたら、よろしくどうぞ」
花代を払い、花屋を後にした俺は、店の前で待つオルナを促して墓地へと向かう。
おっと、母さんが好きだった果実酒も買わないといけない。
墓参りが終わったら行く予定の酒場にも寄り、安めの果実酒とカップを3つ買っておく事にしよう。
オルナを歩き詰めにさせてそうで、どうにもバツが悪い。
だが、彼女は何食わぬ顔をしながら、黙々とついてきてくれてる。
*
夏も半ばを過ぎ、秋を迎えようとする季節になっても、墓地と言うのは厳かな空気に包まれている。
目的の物を買った俺は母さんの墓の前に来た。いつもと違うのは、オルナが傍にいた事。
俺は花束を墓の前に置くと、果実酒の蓋を空けてカップに注ぎ、これも墓の前に置いた後、俺の分のカップにも酒を注いだ。
「貴公は一体何をしている?」
何事かとオルナは俺を見て、訪ねてくる。まあ…普通やらないよな、こういう事。
「母さんは果実酒が好きだったんだ。 そして墓参りの時にはこうして一緒に酒を飲むのさ。 あ、そうだ、もう一つ買ったんだっけ」
そう、カップを3つ買ったのは、墓参りに付き合ってくれたオルナへのお礼も兼ねてのものだ。
俺の分のカップを地面に置き、3つ目の彼女の分のカップに酒を注いで差し出す。
途端に彼女は驚いた表情をしていた。
「な…、墓前で不謹慎だろう!」
「言ったろ、墓参りの時にはこうして酒を飲むって。 今日はお前も付き合ってもらうぞ」
俺はそう言いながら、ちょっと強引にカップをオルナへ渡す。
何事か言おうとしてる彼女を一先ず無視し、俺は墓前に向き直って報告する。
「母さん、そっちでは元気にしてますか? 俺は【キルヒア・ライン】で今も頑張ってるよ。 今日はもう一つ報告があって…、頼れる仲間が出来たんだ。今ここにいる人がそうだよ。 だから父さんに少し楽になってもらって…、いつでもここに、母さんの墓参りが出来るようにするから、もう少しだけ待ってて。 寂しくないように母さんの好きなキキョウの花と果実酒を持って来たから、一緒に飲もう。 …乾杯」
俺は手にしたカップを墓前に向けて掲げると、酒を一口含んで喉を潤す。この様子にオルナは「何をしてるんだ」って言いたげな表情でこっちを見たままだ。
「ほら、オルナも」
「ななな、仲間、とは一体どういう事だ?! 私は…」
「こうして来てくれた、その事実は変わらない。 だから仲間だ。 俺なりの考え、だがな」
「…こんな私だぞ? 貴公は本当に良いのか?」
「騎士が騎士を頼るのがいけないか?」
「騎士が…騎士を…。 …分かった、後悔するなよ」
「後悔するなら、始めからこうしてない」
「…つくづく『変人』だな、貴公…、いや、お前は」
観念したのか、それとも納得してくれたのかは分からないけど、オルナは渡されたカップの酒を口にしてくれた。
俺もそれに合わせて残りの酒を一気に飲み干した。
この果実酒は割と度数が低いから、簡単には酔わない。だからと言って調子こいて飲み過ぎたり、下戸に飲ませれば悪酔いしてしまうが…。
「ぷふぅ…。 これが、『仲間』と飲む酒の味、というものか…」
見るとオルナはカップの酒を飲み干していた。少なからず、認めてくれたと思いたい。
「ありがとう。 ならば、今度は俺がオルナに付き合う番だな」
「ふふ、いよいよ酒場だな。 楽しみだ」
さあ、次は酒場へ繰り出すとしようか!
本来、法事や弔事に使う言葉は「献杯」と言うそうですが、ちょっと語呂合わせが悪いと感じ、敢えて「乾杯」にしました。
次回はオルナの視点となります。