最終話 先輩、僕は英雄になります
目が覚めた。部屋の中はまだ薄暗い。身体には深い疲労と、甘い快楽の余韻が残っている。僕はゆっくりと体を起こすと、寝ぼけた頭の中でベッドの上を見回した。僕のそばで眠りに就く女性たちの中に、探している人物はいない。
「あ......」
───先輩は死んでしまったのだと思い出して、思わず苦笑いする。
悲しくはなかった。ただ、世界からあの人がいなくなってしまったことが、今更とても不思議だった。
ベッドのそばに散らばった服を着て、寝室を出る。玄関の扉を開けようとすると、後ろから声をかけられた。
「......……マスター……どこへ、行かれるのですか……」
振り向くと、しどけない姿のチルカがあくびをしながら立っていた。
「先輩に会いに行こうと思って。……色々、二人で話したい事もあるし」
「………………。お気を付けて、いってらっしゃいませ……」
「うん。起こしてごめんね」
庭の花畑で花を摘み、先輩へたむける花束を作る。それを片手に夜明け前の街を歩く。大気はまだ少し肌寒いが、たまに吹く風は、春の訪れを予感させるようなほのかな温かさがあった。
先輩の像の前に置かれていた献花台は取り払われ、台座の足元に何束かの花が置かれているだけだった。それを持ってきた自分のものとまとめて脇に寄せ、台座に寄りかかって座り込む。
「……先輩、聞いてくださいよ、みんな酷いんっすよ。僕に怪しげな媚薬を飲ませて、ぎゅうぎゅうに絞ってきて……まあ、満足してくれたみたいだからよかったっすけど……はあ。なんか命を削ってる気がするっす。ハーレムも楽じゃないっすね……。
……みんなには言えないけど、なんか最近、学校にいると独りぼっちみたいに感じるんです。僕ももう三年で、周りはみんなどこの大学へ行くか、みたいな話してて……なんか先生たちも事あるごとに集会とかして、受験生の心構え~とか、この一年が人生を決める~とか言ってくるし。ほら、うちの学校、進学校じゃないっすか。就職する人すらほとんどいないのに、僕みたいに異世界で冒険者やりますって人が浮かないわけなくて。
なんかたまに、知らない人に話しかけられたりもするんですよね。俺も異世界で冒険者になりたい、パーティーに入れてくれ~!みたいな感じで……。そういう人には、僕はそんなに強くないし、この春に政府が始めたプログラムに参加した方が、補償とかついてお得ですよって言うんですけど、たまにコネでギルドに入れてくれ、って言われる事もあって……正直、うんざりしてます。
.....友達は、お前はこの一年間遊びまくれていいなとか、ハーレムパーティーじゃんとか、羨まし過ぎるから来世はカタツムリに生まれ変わる呪いかけたぞとか、そんなこと言っていじってくれるんっすけど、あいつらも受験だし、この一年は段々遊ぶことが減っていって、卒業したら会わなくなっちゃうのかなとか考えると……なんか、寂しいっす。
───すんません、暗い話ばっかりしちゃって。両親とはちゃんと話し合って、進路については認めてもらってるんで……安心してください。……まあ、冬休みに遅れて帰って来た時はしこたま怒られて……今回は絶対に予定通りに帰ってくるって、誓約書まで書かされちゃったんっすけど。
親と言えば……僕、ついに先輩の家に行って、伝えてきました。……あなたが、亡くなったって。先輩のお父さんは仕事でいなかったので、お母さんにだけですけど。先輩が僕にしてくれたこととか、獅童を止めるために頑張ってたこととか、色々話したんですけど……あんまり興味ないみたいで。なんで今更そんなこと教えるんだ、異世界で死なれたら手続きがめんどくさいじゃないかみたいなこと言われて、追い出されちゃって……先輩があの人のこと苦手だったのも、わかる気がしました。
まあ、何はともあれ筋は通したってことで……遅れてた宿題を一つ終わらせた気分っす。
...…あ、そう言えば、二人でよく眺めてた、図書室の窓の外でよくひなたぼっこしてた猫、いるじゃないっすか。あの猫、子供ができてましたよ。なんかこっそりエサをあげてる人がいるみたいで......ホントは駄目なんでしょうけどね。誰かの飼い猫になれれば、一番いいんだろうけど……どうなるんだろうな、あいつら。今年の冬を越せるのかとか、ちょっと心配です。……とか言って、自分が助ける気はないんっすよね、僕は。ずるいやつっすよ、我ながら」
心にわだかまっていたことを全部話してしまうと、僕は一息ついて、像を見上げた。彼女が空へと差し出した右手は、固まったまま動かない。
「ああ……やっぱり、不思議だなあ。世界はどんどん進んでいくのに……先輩の時間は、これからずっと、止まったままなんですね……」
と、暖かな春風が吹いて、僕の摘んできた花を吹き飛ばしてしまった。
「あわわ……」
慌てて拾い集めようと立ち上がるが、色とりどりの花はそのまま風に舞い上がり、先輩の銅像の周りをぐるりと回ると、そのまま空へと消えてしまった。それを目で追った僕は、空の端に昇った新しい光に気が付く。目に沁みるほど強く輝くその白い光は、東の空を黄金色に染めながら、今日の始まりを世界に告げていた。
「綺麗な朝焼けですね……先輩」
僕はお尻に付いた土を払うと、背伸びを一つしてから言った。
「うん……そうだな……。
決めた!僕英雄になります!人間も獣人もオートマタも精霊も幸せにして、みんなが楽しく笑い合って暮らせる世界を作れるように頑張ってみます!
あなたと過ごした時間で、あなたのくれた愛で、あなたが繋いでくれた命で……ずっと僕の胸の中にあるこの温もりで、世界を素敵な場所に変えていきたいんです。だってそうしたら、僕だけじゃなくて先輩の時間も、止まらず前に進み続けてるってことになる気がするから!
よーし、やる気でてきました!英雄ペプシ君の名を世界中にとどろかせてやります!じゃ、また、先輩!僕……あなたを愛せてよかったです!」
朝日は夢のなごりに終わりを運び、世界は春へと向かって花開く。
駆けだした僕は振り向くことなく、愛する人たちの待つ家へと真っすぐに進んだ。




