2024/10/4(金曜日)1/2
秋晴れの空の下、潮のにおいの混じる風が勢いよく屋上を駆け抜けた。
「……さむ」
寒さを訴える指先に、熱を込めた息を落とす。吐き出した息は、白く染まることなく空気に溶けていった。
ま、気温はまだ十五度もあるから当然か。あたしが異常に寒がりなだけだ。
風の横着が落ち着いた。あたしは、膝のうえに置いたアコースティックギターをピックで弾く。
「~♪」
音色を奏でていると、耳が敏感になる。
遅刻ギリギリで校門をくぐり息を切らす生徒の焦燥と安堵。
今日のはじまりを街に知らせる鳥の鳴き声。
サラリーマンを職場に運ぶ電車の悲鳴。
寄せては返す暢気な波の音……。
「一音下げたほうがいいかな」
雑音はノイズだけど、自然の音はいつもインスピレーションをもたらしてくれる。だから屋上を活動場所に選んでいる。ここがもっとも五感が活性化する場所だから。
風に飛ばされてしまわないよう、五線ノートのうえに置いている500gの重りをずらし、既に書かれている音符を消して、新たに一音下げたものを書き直す。
試し弾き。
……うん、いい感じ。
ふと気になってスマホの電源を入れる。
そろそろウザったいあいつがお節介を焼いてあたしにLINEしてくる時間だけど、スタート画面にその旨を示す通知は届いていなかった。
「風邪でも引いたのか」
好都合だった。さっきからアイデアが秘湯を掘り当てたように湧いている。この時間をベンガクとかいうあたしにとっては浪費以外のなんでもない時間に充てるんじゃもったいない。この進学校に通う有象無象と違って、あたしは大学進学を視野に入れていないし。
そのままぶっ続けで四時間作業した。
教室に戻る途中でLINEを立ち上げる。やっぱりあいつからは「風邪引いちゃった」という至極どうでもいい報告も「三限からは授業に参加するんだよ」という面倒極まりない窘めも届いていなかった。
それどころか、あいつとのトーク欄そのものが消滅していた。
「……いやあたしが消したんじゃないか」
昨夜スマホの容量がもったいないと思って、あいつとのトーク履歴をことごとく削除したのだった。
しかし、あいつが一報も寄こさないというのは些か不自然だ。
……なにかあったのだろうか。
気づけばあたしの歩みは自然と速まっていた。
※
弾みをつけて教室の扉を開くと、扉を隔てて聞こえていた楽しげな会話がぴたっと止まり、クラスメイトが無言の視線と慄きの瞳であたしを出迎えた。
目つきが悪く、素行不良。客観的認識と黙りこくる教室を見れば、誰もがあたしのクラスでの立ち位置を把握できるだろう。
あたし、北原伊都は、このクラスのヒエラルキーの頂点に君臨している。
席が窓際最後方にあるのは幸運だった。すぐ隣に壁がある席でなければ、ギターを置く場所に困っていたことだろう。
席につき、頬杖をついて栗色のショートウェーブヘアを探す。が、主張の強い鬱陶しい髪色は一向にあたしの視界を妨害してこない。
やや苛立ちながら視線をあいつの席に滑らせ、息を呑んだ。
あいつの席がなくなっていた。
綺麗さっぱり。
はじめから無かったかのように。
「……なぁ」
理解しがたい光景を前にして、思わず説明を求めてしまう。
あたしの隣の席の住人、手芸部部長の梶浦は、委縮しつつもあたしと相対する姿勢をみせた。
「はい、なんでしょう」
「南野は?」
「……えぇっと、誰ですか?」
ふざけているのだろうか。
息を吸って、まくしたてるように言う。
「南野ほどく。二年C組、出席番号二十八番。役職、クラス委員。あと、あたしの所有物。ほかにも情報は必要か?」
「しょ、所有物……」
絶句する梶浦に違和感を覚える。
まるで、たった今知りました、とでもいうような反応だ。しかし、あたしが南野を所有物のごとく扱っていることはクラスの誰もが認知していることである。
だから誰もあいつをいじめないのだ。あいつに手を出すことは、飼い主であるあたしに噛みつくことと同義だから。
生まれてこの方、揉み合いはともかく、殴り合いの大喧嘩をした記憶はないけど、何故かあたしは過去に同級生の女を半殺しにしたということになっている。
誰が捏造したかわからない虚構の物語だ。だけど、ちょうどいいので利用させてもらっている。噂の力は偉大なのである。
「で、南野は?」
同じ質問を繰り返す。
梶浦は居たたまれなさに耐えかねてか、きょろきょろと視線を泳がせている。
その不憫な挙動が質問に対する答えだろう。
信じがたいが、答えは得た。
「わかった。ありがとう」
座席がない。連絡先がない。クラスの誰もが、端から南野ほどくという人間がいないかのように振る舞っている。
以上の事実から浮き上がる可能性はひとつ。
――南野ほどくがこの世界からいなくなった。
……馬鹿馬鹿しい。
だけど、あたしのおつむではそれ以外の可能性を導くことができなかった。




