表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
SNOW WHITE PRELUDE -白雪姫の輪舞-  作者: 二ノ宮純
第2章「流星たちの残光は尚残り」
PR
15/72

第2章 「流星たちの残光は尚残り」 第5話

レッスン室に緊張感が漂い始めたそのとき、レッスン室の重い扉が静かに開かれた。


「全員、整列」


低く、しかし鋭く響く声が部屋全体に広がった。


姿を現したのは、黒のジャケットを羽織った長身の男――ロゼ・アディンだった。


王立演劇歌劇団 アンダルシアの現役演出家兼役者。


世界最高峰の舞台で、演出と演技の両方で名を馳せる異才。


その名を聞いた瞬間、レッスン室の空気がピリリと張りつめた。


木刀を握っていた生徒たちの手が、一瞬強張るのがわかった。


ロゼはゆっくりと部屋の中央に歩み寄り、鋭い眼差しで五人のエーデルたちを見渡した。


「これより、エンドレスワルツに向けての本格的な稽古を始める。 今回、SNOW WHITEの演出及び舞台監督を担当することになった、ロゼ・アディンだ」


その言葉が落ちた瞬間、翼は思わず小さく息を呑んだ。


「この人が……アンダルシアの……」


隣で、張哪吒がほとんど唇を動かさずに呟いた。


砂月の眉が、わずかに動いた。


「なぜ、そんな方が……」


ロゼは軽く肩をすくめ、事も無げに笑ってみせた。


「なぜ?まあ、お前たちの理事長に頼まれたから、だな」


「理事長が……?」


二乃が驚いたように目を丸くした。


ロゼはそれ以上説明する気はないとばかりに、手を軽く振った。


「さあ、早速始めるぞ。 こうしている間にも、エンドレスワルツの日は確実に近づいているのだからな」


「はいっ!」


五人のエーデルが、声を揃えて返事した。


その声には、緊張と同時に強い決意が込められていた。


ロゼはすぐに指示を飛ばし始めた。


「全員、動きは頭に入ってるな? 最初から行くぞ。」


ロゼの視線は容赦なく、鋭く5人を射抜いていた。


世界最高峰の舞台で鍛えられた眼差しは、学院の稽古とは明らかに違う重みと精度を持っていた。


鏡に映る5人の姿が、急に小さく感じられた。


ここまで積み重ねてきた努力が、


今、この瞬間に、世界レベルのプロの目に晒されようとしている。


稽古場の空気が、瞬時に変わった。


五人のエーデルたちは、一斉に動き出した——はずだった。


木刀が空を切り、足が床を踏み、身体が旋回する。


しかし、動きは揃っていなかった。


足の運びのタイミング、腕の振り幅、目線の先、息の合わせ方――


微妙な、しかし致命的なズレが、鏡に映る姿の中にいくつも浮かび上がっていた。


「——ストップ」


ロゼ・アディンの声が、鋭く冷たく響き渡った。


音楽がぴたりと止まり、エーデルたちの動きが凍りついた。


生徒たちは息を整えながら、素早く整列し直した。


練習着の背中に薄く汗が浮かび、頰もわずかに紅潮している。


まだ息はそれほど切れていない。


けれど、喉元をきつく締めつける緊張感は、誰の目にも明らかだった。


ロゼはゆっくりと生徒たちの前に歩み寄り、鋭い眼差しで一人ひとりを順番に見据えた。


その視線は、容赦なく、深く、すべてを見透かしているようだった。


まず八重に、次に砂月に、哪吒に、二乃に――


そして、最後に、その視線が飛彩翼に向けられた。


翼は木刀を握る手に力を込め、背筋を伸ばした。


あの憧れの『SNOW WHITE』を演じられること。


大好きな物語の中に、自分が立てること……


それだけで、胸の奥が熱くなった。


夢が叶う。


憧れに、ようやく近づける。


舞台に、私は立てる――。


そんな純粋な高揚が、翼の小さな胸に確かに満ちていた。


……けれど、それは彼女一人だけの感情だった。


周囲の空気は重く、冷たく、どこか暗かった。


二乃の瞳には、かすかな影が落ちている。


八重は唇を固く結び、砂月は優雅な微笑みの下に微かな緊張を隠している。


哪吒の視線は、いつも以上に冷たく、鋭い。


ロゼは、世界最高峰の舞台で数え切れないほどの才能を見てきた男だ。


彼の目には、五人の動きの美しさだけでなく、


その奥に潜む「何か」の欠落が、はっきりと映っていた。


翼はまだ、その「何か」に気づいていない。


ただ、夢が近づいている喜びだけで胸がいっぱいだった。


長い、息苦しい沈黙の後、ロゼがゆっくりと口を開いた。


その声は、低く、冷たく、容赦のない響きを帯びていた。


「……八重・バートン。お前は“完璧に”動きが頭に入っているな。 でも、それだけだ。それ以上でも、それ以下でもない」


ロゼの一言は、まるで氷の刃のように鋭かった。


八重の動きは、お手本のように洗練され、正確で、美しかった。


正解のはずだった。


しかし、ここではそれが通用しなかった。


八重は静かに目を伏せ、木刀を握る手にわずかに力を込めた。


「……はい」


ロゼは表情を変えずに、次に砂月の方へ視線を移した。


「香取砂月。動きは優雅だ。それは良い。 しかし、単調な表現だ。その表現はそう何度も通用するものじゃない」


「……」


砂月は何も言わず、ただ唇を固く結んでいた。


その横顔に、いつもの気怠げな余裕はもうなかった。


ロゼは続けた。


「張哪吒。表情が固い。“感情”が流れていない。 技術だけで言えば、この中では群を抜いているだろうが、それに感情が追いついていない」


「……申し訳ありません」


哪吒でさえ、短く頭を下げた。


その声には、悔しさと苛立ちがわずかに混じっていた。


次にロゼの視線が向いたのは、二乃だった。


「鎌田二乃。お前は最低限、合っていた。 だが、最低限だ。もっとついてこい」


「……はい」


二乃は明るさを失わないように努めながらも、声が少し小さくなった。


そして――


ロゼはゆっくりと飛彩翼の前に立った。


翼は思わず背筋を伸ばし、木刀を握る手に汗がにじむのを感じた。


「そして――、飛彩翼」


ロゼの声は、静かでありながら、教室全体に重く響いた。


翼が少しだけ身構える。


「……“白雪姫”は、舞台の中心に立つ者だ。その瞳、その声、その一歩、すべてが“物語の中心”にならなければならない」


「…………」


「お前の白雪姫は、“存在していなかった”。ただ空気の中で、皆に流されていただけだ」


翼の胸が、大きく締めつけられた。


「……そんな……わたし、全力で……!」


声が震えた。


ロゼは冷たく、しかしはっきりと言い切った。


「“全力”なんて、観客には関係ない。必要なのは“真実”だ」


彼は一歩も引かず、翼の瞳をまっすぐに見据えた。


「お前の中に“白雪姫”はいない。 ただ、“白雪姫に酔いしれている自分自身”しかない」


その言葉は、翼の心に深く突き刺さった。


翼の顔が、みるみるうちに曇っていった。


(そんな…… 私、SNOW WHITEを……白雪姫をやりたいだけなのに……)


胸の奥で、熱かったはずの夢が、急に冷たく重くなった。


エーデルたちは皆、沈黙したままだった。


誰も翼を庇う言葉をかけられない。


誰も、反論できない。


ロゼは静かに、しかし容赦なく続けた。


「このままでは、お前は“穴”になる。 群の中で、“無”を演じてしまう存在だ」


翼の視界が、わずかに揺れた。


ずっと憧れていたSNOW WHITE。


大帝都劇場で見たあの日から、心に灯し続けてきた夢。


それが、今、目の前で否定された気がした。


レッスン室の鏡に映る五人の姿は、


先ほどまでよりも、はるかに小さく、頼りなく見えた。


ロゼは一歩ゆっくりと後ろに下がり、鋭い視線を5人のエーデルたち、そして部屋にいる全員に向けた。


その瞳には、容赦のない光が宿っていた。


「今のお前らは、アンダルシアの影騎士〈ジェイド・ナイト〉……見習い以下だ。 最低限、アンダルシアの端役くらいまでは持っていく。エーデルは無論、アンサンブルも裏方含め全員だ」


アンダルシアでは、見習いでさえエーデルと同等か、それ以上の実力を持つ者たちがごまんと存在する。


ロゼが目指しているのは、そのさらに上だった。


「お前らにとってSNOW WHITEは、ただやれば良いという訳じゃない。


流星を超えなきゃやる意味がない」


その言葉は、重く、冷たく、レッスン室の空気に沈み込んだ。


全員が、ただそれを噛み締めるしかなかった。


「SNOW WHITEをやるだけなら簡単だ。だがな、悲しいことにお前らは比較される。 過ぎ去りし流星たちが残した“栄光”に」


流星たちが刻んだ栄光――


それは今の彼女たちにとって、憧れであり、いつか超えたいと心に誓った目標だった。


しかし、いざその名を正面から突きつけられると、壁のあまりの大きさに息が詰まる思いがした。


ロゼの声はさらに低くなった。


「同じ舞台は二度とできない。再演は、それ以上のものを作るか、それ以下のものを作るかの二択だけだ。お前らは後者になるのか?」


言葉は冷たかった。


しかし、それは紛れもない事実だった。


だから誰も、言い返すことができなかった。


八重は静かに目を伏せ、砂月は唇を強く結び、哪吒は木刀を握る手に力を込めた。


二乃はいつもの明るさを必死に保とうとしていたが、その瞳には影が落ちていた。


そして翼――


彼女はただ、胸の奥がざわつくのを感じながら、ロゼの言葉を聞いていた。


夢が近づいているはずだったのに、今はまるで遠ざかっていくように感じられた。


ロゼは最後に全員をもう一度見渡し、静かに告げた。


「明日、この続きから行く。残りの時間は各自で、今やったところを完璧にしておけ」


そう言い残すと、ロゼは背を向け、レッスン室から出て行った。


扉が閉まる音が響いた後、部屋には長い、重い沈黙だけが残された。


誰もが言葉を失っていた。


鏡に映る5人の姿は、先ほどよりさらに小さく見えた。


木刀を握った手が、わずかに震えている者もいた。


翼は胸の奥で、静かに繰り返した。


(流星を超える……? 私たちが……?)


憧れの舞台。


大好きな白雪姫。


それが今、想像以上に高い壁として立ちはだかっていることを、


彼女は初めて、はっきりと実感した。


レッスン室の窓から差し込む光が、


生徒たちの影を長く、静かに床に落としていた。


SNOW WHITEの稽古は、まだ始まったばかりだった。


そしてその道のりは、思っていたよりも遙かに険しく、深いものになりそうだった。


これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。そして……


夢を叶える物語である。


第5話 完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ