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アンナのまほう -in The Polar Night Veil-  作者: 白ノ汽車
序章〝Polar Night Veil〟
12/17

No.12:アンナの望み

 あれから三日。ハーロルトさんとギルは隠れ家を拠点にして、魔物討伐や巡回に出ていた。そのうちここが騎士ハーロルトの自宅だと言われるようになるかもしれない。そのことを嗅ぎつけて、メッケルンの町から訪ねてきた記者には居留守を使ってやり過ごし、庭の茂みの中から明るくなってきた空を見上げる。

 明日から、いよいよ自由週間(カデンツ・ウィーク)である。ヒスタル大陸でヴェールが晴れる七日間が目前に迫り、どの町でも活気があった。

 しかし、この辺鄙な土地までその気分が届くことはない。家の前の道を通る馬車が少し増えたかなぁ……と思うことと、一番わくわくして明日を待ち望んでいるギルの姿によって、わたしにやっと実感をもたらす。わたしはこの時期にメッケルンへやってきたから、祝祭前以外の様子がわからない。

 茂みの中から見える空は、まるで朝焼けだ。ごく薄くなったヴェールが、本当の空を向こう側に透けさせて、その下にいるわたしたちへ見せている。

 夕焼けよりも青みのある光が、桃色、ライラの色、青色へと階調的に変化させるように空を染めていた。インクのような闇色の薄膜の向こうで……。

 居心地がいい茂みのなかで、朝焼けの空を眺めてぼうっとしていたみたい。土と草に囲まれていると、なんだか懐かしくて落ち着くなぁ。庭の茂みの一角を自分の工房(アトリエ)にしたいくらい。ハーロルトさんの隠れ家の庭の、枝葉がいい感じに伸び切った茂みの中がわたしのちいさな森だった。

 あまりにも居心地がいい茂みの中から立ち上がり、スカートやエプロンを名残惜しく撫でて、くっついてきた葉っぱや小虫を落とす。一枚一枚落とす毎に、手の力まで……ゆるゆると抜けていった。なんでだろう……。最近、魔力が抜けやすいのかな……。

 ううん、違う。わたし自身が、わたしの本心に気づいていないせいだよ。昔、エルフィが言っていたんだ。

 人間は、心と、言葉と、行動の生き物だって。

 これらは全部繋がっていて、誰かの行動のトリガーを引く要は、誰かの心と言葉なんだ。人間は人間同士で繋がり合って、自分の心と言葉と行動を循環させ合うんだって……。

 元気がないときは、自分の心の扉をノックして、その奥に進んで、心の奥の真ん中にあるものを見つけて、見つけたものを言葉にしてみること。

 エルフィがわたしに教えてくれたのは、魔法だけじゃない。心と言葉のことを教えてくれたんだ。

 今なら心の中をイメージして扉をノックしなくても、わたしは自分の気持ちがわかるよ。息を吸い込み直して、朝焼けの空を見上げた。

 おなかの底まで吸い込んだ、茂みと土と湿気のいい香りが、鼻腔から穏やかに抜けていく。記憶も感覚も、それを理解するときは光のように一瞬だ。

 ……やっぱり、わたしは、本当のわたしの森に……――戻りたいな。

 戻れるのかな。場所さえわかれば。そもそも〝聖域〟ってなんだろう。どこにあるの? どこかに入り口があって、なにかの鍵で開くのかな?

 長く暮らしていたのに、わたしはあの森のことをよく知らなかったんだ。いま初めて気づいたよ、エルフィ……。

 ――ふと思い出した。今ここに存在しない、どこかの秘密の扉を開けるような、ひらめきを引き寄せる魔法の朗唱を。エルフィが気まぐれに教えてくれたけれど、どんなときに使えばいいのか教えてくれなかった唯一の魔法。気を鎮めて、脳裏に魔法文字(マギアグラマ)を思い浮かべる。

 久しぶりで思い出せるか不安だったけれど、焦らないで、わたし。頭の中で書き刻むのはゆっくりでいいから、なるべく克明に想像して……――よし。

「〝開け〟」

 唱え終わったその瞬間、脳裏にピカッと強い閃光が縦断した。途端に視界がスッキリして、先ほどまで不安の雲がかかっていたわたしの視界が晴れ渡る。

 今のは……あたたかい金色の光だった。わたしの魔力が、合ってるよって教えてくれたんだね。わたしの体内に流れる金色の魔力は、たまにこうしてわたしになにかを教えてくれる。

 聖域を見つける鍵はこの呪文かもしれない。それだけが、いまのわたしの希望の光だった。

 空を見上げると、こころなしか、薄闇色のヴェールが明るく見える。……あれ、どうなっているんだろう。その疑問が浮かぶのは必然だった。

 明日から七日間、地平線まで覆うあのヴェールが消えて、このヒスタル大陸本来の柔らかくもあたたかい春の日差しが差し込むらしい。

 どうして祝祭の期間だけ? そういう疑問が湧くことは、この大陸の人なら誰でも一度はあるはず。

 たまたま、偶然、そういうおめでたい日取りと重なったというのもおかしい話だとは思わないんだろうか。

 見上げ続けてもいま隣に人間がいないことだし、答えは出ない。今日中にギルかハーロルトさんか……ああ、マリーならお昼時に行けば会えるだろう。

 それよりいまできることが、一つだけある。たなびくヴェールの、なるべく近くまで行って観察することだ。

 遠い地平線の向こうの丘に建つ家々の屋根まで見えるほど明るいと、飛んで見にいくという選択肢はない。誰かに見られてしまう。

 じゃあ、高い塔かなにかの上に……と、せっかく思いついたことだけど、残念ながらこのメッケルンの町には、近くの農場の敷地内にある風車より高いところはない。忍び込んで捕まったらハーロルトさんに迷惑をかけてしまう。

 それよりも、このハーロルトさんの隠れ家の屋根の上から観察するのが一番良さそう。

 物置かどこかに、はしごはあるかな。そう思ってあちこち探すうちに、いつのまにか精霊の素形であるふわふわしたあの子がわたしについて回ってきた。

「どうしたの?」

 声をかけると、わたしの真似をするかのように部屋中の家具の隙間やカーテンの裏で、何かを探すようにきょろきょろとしてみせる。

「……遊びたい? それとも、一緒に探してくれるのかな?」

 小窓にかかるカーテンポールの上からゆっくり降りてきたので手を差し伸べると、ふわりとわたしの手のひらにすっぽりおさまった。

「私には口元があるかどうか見えないけど、その光るおめめは見えてるよ。かわいいね」

 つぶらな瞳だね。指先で実体のない頬――のようなところ――を撫でると、何をされているのかよくわかっていないような雰囲気になった。

 ポケットに入る大きさだなぁと思ったとき、ふと、先ほど見つけて、ランタンが無い部屋で便利そうだから借りてきた物の存在を思い出す。

「実は、さっきね、マッチを見つけたんだ。お手伝いしてくれるかな?」

 マッチを素早く刷り、炎の揺らぎが落ち着く前に「〝光よ(フォス)〟」と唱えた。頭のなかに、はしごを思い浮かべながら。

「わたし、これを探してるの。こういうの、このお家にあるかな?」

 マッチの灯りがともる先から、あたたかい金色の光が泡のように浮かんでいる。その光の泡は輪になり、中央から広がる波紋が幾重にも層になって幻像を見せた。もちろん、はしごの現像である。

 先ほどまでのわたしの行動と照らし合わせて、問いかけも通じたようだ。ピュウッと風のように出ていったその子を追ってがらんどうの台所へ向かうと、本来は食料や日用品がおさまっているはずの倉庫にの壁に、重々しくはしごが立てかけられている。

「見つけてくれてありがとう!」

 なんだか得意げになって、天井付近をくるくると旋回している。……呼びかける名前がないと不便だ。魔法使いの名付けは、とっても特別なものなんだと思ってほしいな。

「パプ」

 なんだか……キョトンとしている。うん、きみの名前だよ。ちいさいから〝(パプ)〟ちゃんだよ。

「パプだよ、パープ」

 何度か呼びかけつつ「わたしはアンナ。ここの家の人はハーロルト。わたしの友だちはギルベルト」とマッチの幻像を出して教えてあげると、自分の名前はパプと名付けられたことを理解したようだ。どことなくうれしそうに光を強弱させ、わたしの周りをふわふわ舞っている。

 機嫌がよくなったパプを連れていこうと思ったけれど、外に出たら見つかってしまうかも。ついてきたそうにしていたパプに、待っててねと伝えてから、わたしははしごを持ちあげて外へ出た。

 朝方はまだ薄暗かったのに、昼前の現在、地平線の向こうは空の青さを感じられるほど明るくなっている。空の上で丘を飲むほど大きな渦を巻いたり、幾重にも波間を作ってたなびくヴェールをよく観察するために、わたしは屋根の上にはしごをかけた。

 木材の割れ目がキシキシと鳴くはしごを慎重にのぼっていく。ところが、義足になった左足の下がセレンに乗るときよりも高い位置にあることが酷く不安になり、はしごの中腹あたりで全身の末端に冷たさを感じた。

 指先は痛いくらい寒いのに、胸元やおなかのあたりは怖くて暑い。下だけは見ないようにして、一段一段……――と、そのときだった。

 視界の端から、やわらかい光のパプがフワフワとやってきたのだ。

「パ、プ……」

 こら、だめだよ。と続けようかと思って、やめた。パプはわたしの義足のあたりを飛んでいるらしく、義足のソケットの中の左脚の断面にあたたかさを感じる。

 これは、精霊の力のあたたかさだ……。エルフィに抱きしめられると熱いくらいなのに、パプはじんわりするやさしい熱をくれるんだね。

 でも、精霊だけじゃない。この世に生きている生き物は、人間も、動物も、植物や昆虫も、みんな熱で生かされている。この世界の生きとし生けるものには、空をあまねく照らし出すほど大きな、あたたかい光が必要だ。

 ずっと太陽が出ていてほしいなんて無茶な話じゃない。ただ、そこにあるべきものは還されなければいけないんだ。エルフィの聖域のような青空を、この大陸にも。それだけだ。

「パプ、ありがとう。いま下を見られないから、屋根の上までのぼったら一緒に空を見ようね」

 服のなかに隠したらきっとバレない。このへんの人たち、上着の下にちいさな聖火のランタンを仕込んで歩く習慣があるようだから。

 左脚がじわりとあたたかくしてくれたのは、なにもその箇所だけじゃない。怖さで冷えを感じていた指先をほぐし、寒さではなく力がこもって指先が痛んでいただけだということを、そのぬくもりで教えてくれた。

 一歩一歩、慎重に。壁の中腹あたりで木のコブのように固まっていたわたしは、パプとともに屋根まで上がった。屋根の瓦は一部一部めくれて飛んでいるし傾斜が厳しいが、かがみながら重心を低くして煙突にすがるようにして体勢を整える。

 うわぁ、危ない。落ちたらさすがに痛いよね……。下を見そうでグッと我慢し、空を見上げた。

「パプ……見える? 空のあれってなんだと思う?」

 曇り空より暗いけれど、ヴェールの影に飲まれているというには明るいいま、なんというか――地平線の自然や家々の姿形がくっきり見え始めて、綺麗だ。青暗い世界の下で物体の影が落ち、太陽があるはずの上空の遥か向こうを示すように伸びている。

 そして、ヴェールだ。風に吹かれたカーテンのように揺らいで、雲が風に流されて変化するように形を変えながら丘の向こうの草原一帯に帯状の明暗を落としている。ごく浅い小川の底に敷き詰められた石に沿って細かい波を立てるように、絶え間なく変化していた。

 ここから段々薄くなるのを認めるには、長い時間が必要かもしれない。ヴェールのひだは小刻みに薄く伸びたり濃く縮んだりしながら、勝手気ままな遊びのように空を覆っている。

 わたしはパプを服の下で抱えながら、しばらく薄暗闇と青空の狭間を作るように波打つ空を観察することにした。

 手元に時計がなく、屋根の上でこうしていたのが何十分だったのか、もっと経って何時間なのかわからなかったが、ヴェールについて三つほどわかったことがある。

 一つ目は、地平線の端から端まで切れ目のようなものがないこと。大陸とは途方もなく広いものなのに、ヴェールはそのさらに先まで広がっている。地平線の下側へ潜っているのかと思うほど深く、ヴェールはこの大地を覆っているのだ。

 二つ目は、やはり太陽が明日へ向かうにつれて薄くなっているということ。屋根の上にのぼってから考えるとヴェールの様子は変わらないが、朝の空を思い出すとやはり確実に明るくなっている。

 最後の三つ目は――確認のために目を細めた、そのとき。草原の向こうのムーエン村の方角から、わたしの頭上を通って黒い影が彗星のように空を縦断した。

 耳の中にキンと弾かれた銀のような響きを残し、とっさに動けなかったわたしの背後の街へ向かった影には見覚えがある……。脳裏に浮かんだのは、あの魔法使いが纏う襤褸布だった。

 場の雰囲気が変わったのを察したパプが、わたしの胸元からふわりと出ていく。

「パプ。わたし、行くね。危ないからついてきちゃだめだよ」

 うんと頷くパプは、わたしとの少ないやり取りのなかで、人間の仕草や行動の意味をすっかり解しはじめた。なんて賢い精霊の素形なんだろう。聖域の森にいた素形は意思疎通ができないただの光の玉や、殻を突き破る前のタマゴタケのようなもので、話し相手やペットではなく、聖域という名の〝魔力が濃い自然世界〟が生みだす純粋な〝現象〟そのものだった。

 聖域の森について、外側の立場で疑問に思ったことは一度としてない。エルフィのもとで生まれてからずっと、そういうものだと受け入れていたから。

 だが、あのヴェールは違う。ここまで規模の大きい魔法はエルフィも知らないかもしれないが、襤褸の魔法使いが引き起こした――いや、この大地に自分の黒い襤褸布を広げて乗っ取るかのように魔法をかけたのだ。

 あのヴェールの観察結果からわかったことの、三つ目。ヴェールは魔法だ。それも、エルフィに匹敵するほど強い魔法使いによる、この大陸丸ごとを覆えるほどの――――これは、〝聖域を作る魔法〟だ。

 根拠ならある。わたしは十六になったら、エルフィの聖域の守り人になるはずだった。だから、聖域の境目だけなら知っている。

 エルフィは地上のどこかの森を魔法でつつみこみ、魔法使いなら誰でも持ちえる聖域に持ち去って出現させていた。本来なら持ち去れるものには限りがあるが、エルフィは森一つや市場一つくらいなら、人間や動物ごとつつむのも容易だ。

 そう、何かをカーテンのようにつつみこむ魔法の境目は、天にある。空に透明のオーロラが浮かび、淡い虹色で輝いているのを、いまでも鮮明に覚えている。

 脳裏から離れないオーロラの光景を思い浮かべながら空を見て、先ほどの黒い襤褸布の彗星を追って屋根から飛び降りた。

 義足とかかとが地面にぶつかるギリギリのところで空中に浮かんだから、周りに人がいたら目立ってしまっただろう。幸いにも、いまわたしの周りには人一人の影すらない。祝祭前でにぎわっているのは、メッケルンの家々や周りの道だ。住宅が密集している村から外れたここには、まったく人通りがない。

 地面に靴と義足の裏をくっつけたが、あの黒い襤褸布の彗星が向かった先へは……走っていくしかないか。飛んでいけたら早いのに。

 移動手段に悩んでいる暇はない。わたしは地面を蹴って、首都の街方面へ向かって駆け出した。

 走る人間が飛ぶ鳥に追いつけないのと同じように、わたしもまた彗星には追いつけない。

 それでも、走るしかない。

 あの日よりも明るくなった昼の空、あっという間に消えてしまった黒い彗星の方角だけを見つめながら。少しでも早く辿りつけたなら、襤褸布の切れ端だけでも手がかりになったなら。

 ソケットの中で痛みを思い出したように脈動するところを振り切るように、義足になったこの脚で、走るしかない。



 根城の焦げた黒いカーテンを引っ剥がし、肩にかけて申し訳程度のタッセル付きロープでぐるぐる巻いただけのお粗末な姿とも今日でおしまいだ。この明るい空の下じゃ金糸がやたら映えて胸元でプラプラ揺れるのが鬱陶しく、指で背中側に弾き飛ばす。

 マリー、といったか。あの針子、ちゃんと綺麗に縫っておいてくれたんだろうな。ツラ隠しで帽子でも被ってくれば良かったが、魔法使いが被る帽子なんざ明日から七日も飽きるほど見るのだ。いまからオレが擬態していても変な目で注目を浴びるだけ。頭巾じゃまるで農夫だし、他の帽子で人間らしく振る舞うのもとっくに飽きている。

 街の中央に向かうにつれて、うざったい人波のカサは増した。ここにヒトなんかいませんよと伝える隙もなく去るように隙間を縫って歩く。誰かがオレのことに気づいた空間に穴をあけて。

 オレを避けあってぶつかった男と子どもを尻目に、目的の店の前まで到着した。〝仕立て屋ミーツ〟の看板は今日も雨垂れの一筋も見せずピカピカだ。毎朝誰かがはしごに登って磨いているかのように。その甲斐はあるのだろう。白木をさらに塗装で白くした木造りの外観を、聖火の街灯が照らしだしているのだ。

 祝祭前でもこんなに煌々と光らせなくてもいいというのに、〝自由週間(カデンツ・ウィーク)〟中も変わらず照っているからまぶしくてかなわない。上は見ないようにして店のドアを開けた。

「いらっしゃ……あらっ、コートのお受け取りですね?」

「ああ」

「仕上がっておりますよ。どうぞこちらへ。マリー! お客さまお願い!」

「はぁーい」

 自分こそ真の看板です、とでも言いたげな長身の女装男にうながされたマリーが、店の奥からひょっこり出てきた。男と入れ違えたマリーに「あれは店長か?」と聞くと「そうです」と答える。……よそ行きの声だ。話しやすくしてやろう。

「〝マリー〟。いい名だ」

「あ、また名前を褒めてくれるのね。ありがとう、ルカ。あなたも素敵な名前だね」

 店の注文書とオレが持つ控えの欄で対照された名を見なくても、覚えているんだな。かけた魔法を呼び覚ます呪文なんかいらない。ただ目を見ながら名前を呼ぶだけだ。

 今日は人手が多いとか、明るくてお客さんも自分たちも気分がいいとか……そういうくだらない雑談に合の手を入れるだけの時間は悪くない。なにも考えなくてもいい相手なら。

 再び奥へ引っこんだマリーは、両手いっぱいにオレのコートを抱えて帰ってきた。ほつれのすべてをつくろえずとも、取れかかっていたフードやポケットの穴はきちんと仕上がっていたし、ブラシもかけられて布地の表面は整えられている。上出来だ。

「着てきたこいつはそっちで処分してくれるか?」

 タッセルを引きちぎるように引っ張って脱ぎ捨てたカーテンをマリーへ渡すと、嫌そうな顔をしながら「えっ……そういうのやってないけど、まぁいいよ。ルカの頼みだし」と受け取る。払いきれなかった煤でエプロンが汚れそうだ。人間の世界において、お友だちというのは円滑に事が運んでいい。

「じゃあな、マリー」

「ルカ、また来てね」

 ありがとう、だけどもう来ない。店を出るときに「そのコート、もう限界だよ」と余計なお世話をかけられなかったとしても、オレが一度入った店に再び入るときは忘れ物を取りに戻るときだけだ。得意客へそうするように、見送るために店を出てきても意味はない。

 後ろで「マリー、あのお客さまと友だちなの?」「いえ、知りません……。あれ? やだ、なにこれっ? きったない……カーテン?」というやり取りが聞こえてほくそ笑む。代金の礼ならイヴァーノとかいう貧乏な騎士と、糸くずにまみれたエプロンのポケットにそっと忍ばせた財布に言ってくれ。

 あの軽い中身じゃ足りていなかったかもしれないが、そんなことより……街で探したいものがある。肩越しにマリーへ手を振り返し、目だけで周囲を探った。



 街まで来てみたけれど、中央街へ近づくにつれ人が多くなって、いまはもう人探しどころじゃない。あちこちが活気であふれかえり、みんないままでどこにいたのかと聞きたいくらい。この国の家々の地下室や天井裏にまで、この人波を形成する一人一人が収納されていたに違いない。

 そして、襤褸を着ている人々はやはり裏通りから出てこない。ひとけのないさみしげな橋の下や、聖火の街灯が一本しかない路地の一部屋ずつ積み上げられたレンガ造りの住居から。

 裏通りなら歩きやすそうだけれど、たぶんハーロルトさんは良しとしないだろう。そちらの道を行こうか悩んで立ち止まっていると、このあたりの住人らしいおばさんがわたしを上から下までジロジロ眺めて歩き去っていった。彼女の向かった先にも、地べたに座りこんでいるおじいさんや、階段にたむろして手のなかでなにかをいじりながら煙草をふかしている若者たちが何人かいる。

 やはり怖くなって後ずさりし、建物のひさしに隠れるようにしながら表通りを歩くことに。バルコニーやテラスで薄い日光を浴びながら飲み物を片手に談笑している人々や、明日の準備で手際よく店先の飾りつけをする人、買った野菜と果物を荷車に詰めこむ人。みんなが思い思いに動いているおかげで、わたしが一人一人の服装をまばたきの一瞬ほどの時間で確認しても気に留める人はいない。

 何人の若い男性の服装を確認しただろうか。みんなくたっとした明るい色のシャツか茶色いコートを着てばかりで、黒っぽい服はあまり見つけられない。あとは見回りで軽装備姿の兵士くらいだった。

 下を向きそうな顔をなんとか上にあげつつ道を歩いていたが、いつの間にか〝仕立て屋ミーツ〟の看板が見えるところまできたみたい。

 ――しかし、街灯で照らされるその看板で足を止めた瞬間、わたしの目に飛びこんできたのは、小汚いカーテンを嫌そうに片手でつかみ、自分の体から引き離して持ったマリーだった。

「マリー、それ!」

「え? あ、アンナ」

「その……カーテン? どこで?」

「お客さんが置いていっちゃって」

 これ捨てなきゃいけないの、とマリーが続けたような気がしたが、わたしはそれよりもカーテンの裾をつかんで、その小汚さを確認する。間違いないと断言するにはあの彗星は遠すぎたが、これを見ていると胸がザワザワしてやまない。

「ねえマリー、これわたしにくれない?」

「いいけど……こんなのどうするの?」

「え、えっと」

 洗ったらきっと綺麗になるでしょう、とか咄嗟に言えたら良かったのに「これ焦げてるから使いものにはならないよ」と言うマリーにはなんにも返せなかった。

 ところが、視線はわたしに向いていない。マリーは煤まみれで焦げたカーテンをじいっと見つめている。いまから捨てる物に対して見せる目つきというより、わけのわからない物に対して焦点を合わせているような。

「これ、不思議なんだよね……」

「なんで?」

「これを置いていったお客さんの顔を思い出せないの」

 うーん……と首をひねりながら眉を寄せて考えこむマリーは店長の呼びかけに気づき、やっと自分が店先に立ちっぱなしになっていることに気づいた。

「なーにして……ヤダわマリー、ばっちぃの持ってなにしてんの?」

「店長、さっききたお客さまが誰だったのか覚えてますか?」

「覚えてないけど……たしか、お直しの引き取りじゃなかった?」

 どうしたんだろう、変な物を置いていった相手をそんなにすぐ忘れちゃうものかなぁ。店長さんは「ちょっと、それ店に入れないでよね」と言ったので、今度こそ堂々とわたしがカーテンを引き取ることにした。

 そして、マリーと店長さんのふたりが店内のある一点を見つめる。その先にある物は……紙だ。四つの視線がわたしからそれた隙に、お店のドアから吹く風を起こして紙が自分のもとへ自然に舞って落ちるように指先で魔法を使った。カーテンの下に隠した指で引っ張ると、それには日付と名前が書かれている。

「ああ、ごめんなさいね。ありがとうございます」

「いえいえ」

 こちらこそ。こっそり魔法を使わせていただきました。

 控えの紙にはやけに崩れた達筆で名前が書かれている。綺麗に引かれた薔薇色の口紅でにこりと笑う店長さんに紙を返し、わたしはマリーに「また来るね」とあいさつをして帰ることにした。いまは声を発するのも緊張する。手に汗がにじんでいる。名前、が。

「いい祝祭を、アンナ」

 マリー、今日はそうやって別れのあいさつをする日なんだね。店長さんも、この前はありがとう。いい祝祭を。ふたりにあいさつをしたあとドアを閉めただけなのに、ドアよりもやけに重たいものを閉ざしたような気がした。周囲の音が遠い。

 カーテンを抱えて足早にこの場を去ると、歩くごとに速度と心臓の鼓動が高くなっていく。名前だ。紙に書かれていた、その名前は――――

「ルカ・プセウティス……ッ」



 今日はいい日だ。朝から空がほんのり明るく、朝食後には遠くの地平線が見え始めた。ぼくは見送りに出てきたアンナに「明日は楽しみだな」と話し、ハーロルトさんが用意してくれた新しい馬にまたがって、見回りの任務に随従した。

 魔物討伐のためというよりも、浮き足立つこの頃に事故や犯罪などに備えた公務である。それなのにぼくは、馬にまたがるたびにグラズルのことを思い出した。集中力が足りていないようで申し訳なかったが、

昼食の帰りの道でそのことをハーロルトさんに話すと「祝祭中はおれの名で借りられるように、今日訪ねてみよう」と言ってくれたのだ。

「いいんですか? ありがとうございます!」

「気が合う馬と乗った方が集中力を保てるだろうしな」

 ハーロルトさんはセレンの黒い首を撫でた。こんなに外が明るくなると、神々しいほどつややかな黒い毛皮がより際立つ。

 グラズルと店主に会うため、さっそく貸し馬屋へ向かおうとハーロルトさんは大通りの路地手前で進路を変えようとした。……しかし、手綱で操られたセレンの脚は旋回途中で止まる。

「あれ、アンナか?」

「アンナはこんなところには……あっ、本当ですね……」

 それにしても、だ。

「なんで汚い物を持ってるんだろうな。あれはカーテンか?」

 おっしゃるとおり。

 人混みのなかを独りでぽつんと歩くアンナはなんだか真剣な眼差しをして、かんたんに畳んだだけの真っ黒いカーテンを抱えている。それにしても、カーテンごと煙突掃除にでも駆り出されたかのようなたたずまいだ。そんなアンナを避けて人波が割れていたから、すぐにわかった。

 アンナがこちらに気づかず道の先へ歩いていってしまいそうだったので、ぼくはすぐに馬を降りる。人波に揉まれそうになりながらも、なんとか避けてアンナに声をかけたら「ギル!」と驚き、黒いカーテンを抱えて駆け寄ってきた。

「巡回中?」

「そうだけど、いいからこっち来てくれ」

「うん」

 近くまでくると、カーテンの黒さの理由がよく見える。火事かなにかで焦げたような……布地の表面が煤で汚れた襤褸のカーテンである。なんだか……これを見ていると、胸の中がざわめいてきた。

 ぼくの馬が待つ道の端まで行くと、ハーロルトさんは通行人から隠すようにセレンを操りアンナとぼくの後ろに回る。怪訝な顔をして馬上から見下ろす彼の目は、アンナが持つ煤まみれのカーテンを縫い止めていた。

「アンナ、それは?」

 先ほどの真剣な眼差しに影を落としたアンナは、少しためらったように唇を結んだあとに、ゆっくりと、しかしはっきりと言葉を発した。

「これ、は……襤褸の魔法使いのカーテンです……」

 周囲の喧騒が、一瞬遠のく。なんだって?などと聞き返すよりも、驚いて空気を飲みそうだった。アンナがぼくたちの前に現れたあの日見た、鷹のような魔物の姿を思い起こす。

 そんなぼくよりもずっと、ハーロルトさんは冷静だった。セレンの背から風に乗ったように軽く降り、アンナと目線を合わせるようにかがんで声をひそめる。

「会ったのか?」

「いいえ、これは仕立て屋さんで……」

「いや、待て。アンナはセレンに乗れ。話は……そうだな、いったん街を離れよう」

 ハーロルトさんは騎馬を見に集まりがちだった人々を気にして、この場所から離れることを選んだ。巨躯のセレンは目立つ。そして、騎士であるハーロルトさんの軽装備の出で立ちや、遠くからでもわかる精悍な顔立ちも。

 事情を早く聞き出したかったぼくはむずがゆいような気分だが、馬に乗り直し、体の大きなセレンに合わせて速歩(はやあし)で道を行くことにした。公務中に隊列は乱せない。

 街を離れてしばらく。ハーロルトさんの隠れ家までの帰路ではなく、ちょっとした川の近くまでそれて、ぼくたちは立ち止まった。なにかを待ち遠しく走っていると、いつもより到着時間が遅いような気がする。

 ハーロルトさんの手で支えられてセレンから降りたアンナは、草原の上でカーテンを広げてみせた。

 煤で黒ずみ汚れたカーテンの端々は焦げており、おおよそ火事で焼けたということがわかる。くすぶった繊維のにおいが広がったが、すぐに草原の風がかき消した。半日かけて雲と風に押し流されたように空のヴェールは畳まれ、だんだんと明るくなっていく。

 アンナ曰く、隠れ家の屋根の上でヴェールの観察をしていたところ、街へ向かって黒い彗星が流れていった。その黒い彗星は、このカーテンのような襤褸を着ていたらしい。それを追いかけて街まで来て、仕立て屋で廃棄されるはずのカーテンを受け取った。

 それは火を放たれた森で、あの襤褸の魔法使いが着ていたものによく似ていて……。だが、話の内容的に、確実ではない。ハーロルトさんは腕を組んで考えこんでいたが、ふとぼくと目が合った。

「どう思う、ギル」

 ぼくに意見を求めたハーロルトさんと、きっと同意見だ。

「……確実とは言い難いです」

「ああ」

 だが、黒い襤褸の彗星。想像した限りでは、一致する。そのカーテンと、仕立て屋の控えの紙は証拠になり得るだろうか。

「ぼくは……このカーテンを見ていると、嫌な予感がします」

 いい予感とはとても言えない。アンナによって広げられたカーテンの裾が風に吹かれてはためき、地平線と空の境目がはっきりしてきたこの草原では異質な黒さを放っていた。

 それを持つ彼女の指は煤まみれで、顔はいまにも泣き出しそうなのを必死で留めている。眉根を寄せて、苔色の目はいつもより潤んでいた。どうかまだ泣かないでくれ。なにも決まってはいないけれど、これしか手がかりはないけれど。

 ハーロルトさんはいつもどおりの静かな双眸でアンナを見ている。彼は「ルカ・プセウティス……この名を調べよう」と言って、カーテンをもっとよく見るためにつかんで裏と表を確認した。

「痕跡はないみたいだな。……なんのにおいも気配も残されていないとは」

 ああ、そういえばハーロルトさんは狼の姿で育ってきた半人半精だった。彼は自分の鼻を親指でぬぐい、前髪の下で悔しそうな顔をした。表情が大きく変わるなんて、珍しい。

「アンナ、ギル。おれと仕立て屋ミーツまで来てくれ」

「はい、もちろん、ハーロルトさん」

 いまのぼくの返事がアンナと一言一句違わず重なり、つい顔を見合わせて驚いた。そんなぼくたちを見たハーロルトさんは、息だけで「ふふっ」と微笑んだことに気づかれていないと思って、平然とした顔でセレンにまたがる。

「ほらふたりとも、行くぞ。アンナ、手を」

「はい」

 カーテンを畳んだアンナが片手だけでセレンにまたがろうとしたので、セレンはいつもより身をかがめ、ハーロルトさんはアンナの細い腰を抱えて鞍に乗せた。

「仕立て屋の件が片づいたら、黒い彗星についての目撃証言を集めたい」

 ぼくはハーロルトさんの言葉に頷き、馬たちはゆっくり歩きだす。すると、うつむきがちだったアンナはセレンと並行して騎馬にまたがるぼくをまっすぐ見つめてこう言った。

「ギル、わたし、襤褸の魔法使いを捕まえたい!」

「ぼくもだ!」

 鐙に引っかけるものがないアンナの左脚を見ると、もちろん彼女もぼくに負けない気持ちだろう。しかし、騎士見習いであっても剣を取って馬にまたがる以上、民間人に気持ちで後れを取ることはできない。

 煤まみれのカーテンを抱いて黒くなった指先で、アンナは風に吹かれてあおられる髪をおさえた。

「わたしね、本当の春をみんなに見せたい!」

 たったの七日間だけじゃない、穏やかな風にいざなわれて生命が芽吹き、花や人間も彩りあざやかに飾った頭や服で歌のリズムに乗るような日々の邪魔をさせない、暗がりじゃない春を。そうか、ぼくは、ぼくたちは、本来の季節を知らない。

「春だけじゃないよ……っ! 家のなかのドアノブが冷たくない夏も知らないでしょう!」

 ああ、そうだ。そして秋になれば、すぐに氷すら熱く舌を麻痺させる日々になる。毎年のその季節が近づかないと思い出さないような、ちいさなことがぼくの脳裏を横切っていった。

 夏に日光浴や日焼けをするシーンが出てくる本は、どこか夢物語のよう。日が長くても聖火に照らされた茨の影が伸びるように、迷子や犯罪の件数が加算され続けるばかり。

 秋は恵みの季節だという。室内栽培の野菜や果実が大きな実をつけても、市場に流れるのはそれじゃない。大きな実は大きな家へ。惑わすようにたなびくヴェールがすっぽり覆い隠してくれると誰かが一言そそのかし、野菜や果実に高額の予約票が配られていく。

 長い冬。秋に採れた巨大なカボチャの種を割って震える唇へ運び、甘い氷菓子が熱く舌を麻痺させる季節を暖炉の前とサウナだけでやりすごす。それすら無ければ、沸かした湯が人間の肌より早く冷めていく。

 種を食べ尽くさずに迎えられそうな春を前に、人々はいっせいに家の外で活動し始めるのだ。今日見た光景は、アンナにとって胸が痛むものだったらしい。

「元気な人だけが、大通りにいたの。飾りつけをしたり、買い物に出かけたり……」

 そう、種が足りた家の者だけだ。毎年少しずつ下降しているのは、ぼくたちが知ってる。ぼくと、騎士たちが知っている。

「裏町も見てきた……みんな上着が一枚多くて……」

 防寒着の下で痩せた体を隠しているふうに猫背で、手のひらも見えないだろう。彼ら彼女らは一様に、穴があきそうなくらいすり減った手袋をしていなかったか? 金具が取れていないブーツは履けていたか? へたったマフラーに歪んだ帽子をつける鼻をすすった子どもがにぎるのは、ちゃんと自分の母親のコートだっただろうか。

 証拠品のカーテンを抱いていたアンナがいつの間にか爪を立ててにぎりしめ、そのまま引き裂いてしまいそうだったのをハーロルトさんがその肩から肘をそっとなだめてやめさせた。馬にするそれというよりも、タンポポの綿毛を吹き飛ばさないように指先で撫でるかのように。

 アンナの目尻に灰色の涙が流れているのが見えるほど、空は明るくなっていた。

「わたし、聖域に戻りたいんです。本はもう燃えてるかもしれないけど、エルフィなら火事の森なんか一瞬でしずめられるはず」

 そして、力を借りたいのだという。

 ――一人の魔法使い曰く、ヴェールの魔法は〝聖域を作る魔法〟だ。

「……たしかか?」

「はい。でも、本物の聖域はこんなんじゃありません! もっと……もっと綺麗で……」

 百年近く前のこのヴェールを美化する詩人曰く、終末期に世界を覆うオーロラはこんな姿をしているとかなんとか。ぼくはそのオーロラだって見たことがない。アンナの肩は震えている。

「アンナ、おれもオーロラをまた見てみたいと思っている」

「わたしも……ふたりと見たいです……っ」

「そう泣くな」

 そして、まぶたをこすらないでくれ。溶けた煤が目に入る。ハーロルトさんもぼくと同じようなことを思っていたようだ。ぼくは騎士団から借りた賢い馬をあやつり、少しセレンに近づけてアンナの顔を見た。

「なぁアンナ、ぼくと一緒に星空とオーロラを見よう。約束してもいい。ぼくが捕まえてみせる」

 絶対とは言えない。走っても跳んでも、ハーロルトさんとセレンの方が速いから。この小指はアンナに届かないが、ぼくの言葉は届いたようだ。泣いたあとの赤い顔をしたアンナの口元は、朝のように微笑んでいる。

 そういえば、薄明るくなって聖火のランタン無しの足元がよく見えたその時間は、アンナも変化に感動していたな。

「そのときは、わたしも一緒だよ」

「捕縛を手伝ってくれるのか?」

「うん。今日みたいに、犯人を見逃さない」

 犯人を見逃さないどころか、犯人の持ち物と思われるカーテンと名前――おそらく、偽名――の収穫までしてきたんだ。ここ数年、いや百年間で大手柄である。ぼくは「頼もしいな」と褒めたハーロルトさんに同意した。

 街に戻って仕立て屋に行くと、やはり店主も店員も、カーテンの持ち主の顔や姿をよく覚えていないようだった。そして街の人に黒い彗星の聞き込み調査をしたところ、空を見ていた子どもたちのグループがそれを見ていたという。

「でもねぇ、あのねー、こっちにはね、ぜんぜん来なかったんだよ」

 その中の一人がそう言うと、鳥の巣のなかの雛が餌を欲しがってピヨピヨ鳴くように口々に「あっちに落ちた!」とか「ちがうよ?」とか。ちょっと喧嘩を売られたような拗ね具合で「でも見たもん」まではいい。「ねぇねぇ、剣見せてー」はだめだ。

「剣はだめだ、ごめんな。調査へのご協力ありがとうございます。それじゃあ」

 期待に応えられなくてすまなかったが、子どもの前で剣を見せれば、その次に「さわらしてー」が来る予感がして仕方ないんだ。

 子どもたちにも話を聞かせてくれた親御さん方に敬礼し、ぼくはハーロルトさんとアンナが待つ街灯の下へ駆け足で戻り、話の概要をかいつまんで説明する。

「街にはいる手前で空から降り立ったのではないかと思われます」

「よくやった」

 この日は空を見ている人々も多いのに、油断したのだろうか。目撃情報はちらほら上がった。他に聞き取れたことといえば、巡回していた年嵩の兵士による、ここ数年、襤褸の魔法使いらしき人物の影も形もなかったということだけだった。

 もう日も落ちてきて、空は赤っぽくくすみ、極夜じゃなくても暗い夜が訪れる時間だろう。ハーロルトさんが慣れた手つきで書いた調査の報告書と襤褸の魔法使いのカーテンという荷を運ぶ大任を受けたぼくは、セレンに乗るハーロルトさんと黒い彗星の目撃者とカーテンの発見者であるアンナと暗くなりつつある道を行く。

 麻袋のなかでずっしりと重たいカーテンの存在は大きく、これを身近に置いているだけで気分が滅入ってくる。つい昨日まで、いまより暗い世界に閉じ込められていたというのに。

「アンナ!」

「えっ、なにー?」

 ハーロルトさんに支えられながらセレンに乗るアンナは、身を少しこちら側にかたむけて、馬の蹄にかき消されそうなぼくの声がよく聞こえるようにした。

「ぼくは騎士になって、この国の闇を晴らすのが自分の使命だと思ってる!」

 腰につけた聖火のランタンの輝きがするどく増すように、ぼくの身体も冴えわたる。毎日、その日の目的と明日の目標を考えるのは日課だった。それが淡々と続くと未来がある。

「応援してるよ!」

 そしてアンナは、自分はこの国に太陽と季節を取り戻すと宣言した。この国――いや、大陸にかけられた悪しき魔法を解くために。

 魔物を呼ぶ暗闇と、黒く生い茂る茨に、増え続ける犯罪、減る一方の人口……まだまだ多くの問題が残されている。それらを食い止めたい。ハーロルトさんは、ぼくたちの話を静かに聞いていた。



 ああ、いい場所を見つけた。ここにしよう。この広場にしよう。明日の見回りのために空を飛んで、錨を撃ち込む場所探しは大当たりした。目印になる〝魔法文字(マギアグリフ)〟を刻み、息を大きく吸って吐いた。

 首都の広場を照らす時計塔の円盤がはまる階層よりも上は、灯台のようにひときわ大きい聖火になっている。長雨や吹雪でも消えない、本物の魔法だ。ちゃちな魔法使いや小精霊じゃ、その魂ごと燃料にしたってなしえない……唯一無二の。もはや神器と呼んで差し支えない。

 明日の祝祭で始まるんだ。おれの長年の夢……。ヒスタル大陸を丸々おれの工房にする。その着工の儀式が、明日の祝祭だ。

 今日というこの世界をよく見ておこうと顔隠しのフードを取って塔の壁を歩いてのぼり、コートが重力に従ってフラフラ揺れるのを肩と袖で感じた。

 オレの姿を見て騒がしくなりそうな広場の連中は鬱陶しいな。ただの小川にむらがる虫なんかは焼け尽くしてしまいたい。まだなんにもしてないだろう。奴らにとって、塔の垂直な面を歩いて登ることなんか夢でも見ているような気分になるから仕方がないか。

 この大陸、いや、このテオセアにいる魔法使いはオレとあともう一人しか知らないな。また会いに行くとしよう。とにかく広場の人間にとって、オレは珍しいことこの上ないというのは変わらないのだから。

 時計の針のうち一本をブーツのとがったつま先で蹴り、クルクルと勢いよく回しておかしくしてやった。飛んで聖火を越えて塔のてっぺんまで登り、手のひらに適切なマークを描いて、思いっきり、パァンッ。広場に響き渡らせるほどの破裂音を出すために手を叩く。

 ほら、オレの姿は察知されなくなった。急に消えたように見えただろう。ただちょっとオレは……光を多めに浴びて、目眩ましをしているだけ。裸で歩いても見えやしないさ。

 ああ、楽しみだな。懐に忍ばせた缶詰めのクッキーは、中身よりも空き缶の方に興味がある。オレじゃなくて、ケーテが。空き缶を集めて石ころや蝶々の容れ物にするはずである。

 ケーテがやわらかくともった蝋燭の火のような橙色のちいさな頭をオレの腹に押しつけて、腕を腰に回してぎゅっと抱きしめてから送り出してくれたから、手土産だ。喧嘩して無視されたって土産はやるけど、今日は特に気分がいい。

 なにせ、見つけたからな。それは向こうもそうなんだろうけど。アンナとやらの居場所をな。

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