ベスティアとパトラの出会い
ベスティアはレイズとジルクを医務室に案内した後、寮に下がっていた。
普段は公爵家の一室を借りているが、あの方々にお仕えする以上、公爵家に戻るわけにはいかない。ベスティアは夜勤の侍女に話をしに行くと、既に部屋は手配されていた。ベスティア用の部屋に案内され、そこで夜が明けるまで疲れた体を癒すように眠った。
朝を迎えてすぐにベアーノから書物伝令届いたので、昼前に公爵家に向かう手筈を整える。レイズにその旨を伝えてから向かう。ベアーノがわざわざ迎えに来てくれたので、渋々ベスティアは馬車に乗った。
公爵家に向かう間、ベスティアは馬車の中でパトラと出会う前のことを思い出していた。
「貴族院中等部1年、キャット候爵家のベスティアです。皆さん、よろしくお願いいたします」
小等部から中等部に上がったばかりのベスティアは期待に胸を躍らせていた。なぜなら、今日からこの国の王子が中等部から貴族院に通うことになったからだ。王族は皆中等部に上がるまでは家庭教師の元で学業を学ぶ。なんでも力の使い方が王家は特殊らしく、座学だけのベスティア達のような一般貴族とは違って、幼少期から学ぶ必要があるらしい。力のコントロールが上手くなってから、交友関係を築くために中等部へ入学するのだ。
他の生徒が挨拶するのを、ベスティアは上の空で聞いていた。誰かが言った、殿下よ、という声が聞こえてベスティアはハッと我に返った。
「ヨアフパロ王家の王太子であるリオン・ヨアフパロです。ここでは身分は関係ありません。気兼ねなく話しかけて下さいね」
ベスティアはリオンに目を奪われた。この方が殿下……!今まで一般の目の前にはほとんど姿を見せなかったリオン。王宮で働いている者の子息はなんとなく顔を知っている、その程度だ。さっき声を上げた女生徒も、それで知っていたのだろう。
濃いブラウンの髪に黄金に輝く瞳が美しかった。
王族は中等部から高等部に上がるまでの期間、婚約者候補を探している。リオンもその例外ではなかった。私こそが次期王妃だと貴族令嬢達は皆はりきっていた。
ベスティアも父親から殿下と仲良くしなさい、と最近良く言い聞かせられていた。幸いベスティアの年齢で公爵令嬢は1人もいない。チャンスだ、と思った。王族と婚姻関係を結ぶ最有力候補はいつだってまずは公爵家から選ばれる。同じ学年ではいないが、上や下の学年には公爵家の令嬢がいる。しかし同じ学年で同じクラスであるほうがお近づきになりやすいのは間違いない。
何よりリオンは美しく、強さを宿した瞳の中には優しさが満ち溢れていた。
ベスティアには、結婚するなら、こんな人が良い!という乙女の願いを体現している存在のように思えた。
それからベスティアは積極的にリオンへアプローチした。常に笑顔で接し、困っていそうなら手を差し伸べた。一緒に並んでいて恥ずかしい存在にはならないよう、成績も常にトップを維持して勉強にも力を入れた。
そうしてベスティアが14歳を迎える頃には既にリオンの事を好きになっていた。王太子妃なんて別に興味はなかった。ただリオンの側にいたかった。
もし自分がリオンの妻となる日が来たら、夫の防具に守護の刺繍が出来なくてはならない。それが妻となる者の役目の内の一つだ。
だがベスティアには一つ難点がある。それは魔力の強さだ。ベスティアは一般的な貴族令嬢より少しだけ魔力値が劣る。だが貴族に嫁げないほどではない。王族に嫁ぐとなった場合、それが足枷にはなりそうだが、強力な守護さえ防具に刺繍できれば、問題はないはずだ。ベスティアは魔力値の低さを魔力の扱い、器用さで補おうと決めた。
器用さも、良い道具が無ければ最良を発揮できない。ベスティアは魔力値を補うため、良質な魔道具針を探し回ってヨアフパロ王国中を調べた。その結果、獣人族の国にはないことがわかり、もしあるとしたら人族の国にある、と噂で聞いた。そして人族の国で店を出している、変わった老婆の魔道具針の評判を知った。
父親にそれを伝えると、喜んで家族旅行で人族の国に行かせてくれた。こうしてアメリゴ都市で魔道具針を手に入れた。
その際、購入して店を出た時に店の外で立っていた魔族の女性に強烈に惹かれて仲良くなったのを今でも覚えている。初めての訪れる国で、初めて魔族のお友達ができた事が嬉しくて、今後はすべて上手くいく気がした。実際、その女性とは未だに書物伝令のやり取りをしているぐらいには仲が良い。
この行動は全ては王子にプレゼントをあげて告白したかったからだ。魔力が低いので、勧められた手芸用ではなく、お店にあった最も良質な魔道具針を手に入れた。それからベスティアは一生懸命、刺繍を練習した。こうして渡しても恥ずかしくないものができるようになった頃、ベスティアは高等部に入学していた。
順調にリオンとの仲は深まり、プライベートな、お茶会にまで誘われるようになっていた。まだリオンの婚約者は発表されていない。ベスティアはいつか渡そうと思って大事にしまってあるハンカチを渡すタイミングに悩んでいた。
そして今から3暦前、高等部1年になってから少しリオンが執務で忙しくなり、あまり2人では会えなくなった。貴族院でも会えば挨拶はするが、以前ほどの親密さはない。
「ハンカチを渡すタイミングが中々ありませんわ……」
あれは高等部1年になってから数ヶ月が過ぎた時の事だった。
リオンの後ろに隠れて編入生が入って来たのだ。クラス全員の前で挨拶をした後、次の教室に移動する時間でベスティアはリオンの元に駆け寄った。
「彼女の件で、最近はお忙しそうになさっていたのですね、リオン様」
「ええ、そうなんです。最近、私たち王族の遠縁から公爵家に養女として迎えられた、パトラと言います。今までは人族の国に住んでいたのですが……。だからこの国には知り合いがいないのです。よかったら仲良くしてやってくれませんか?ほら、パトラ。ベスティア嬢に挨拶は?」
リオンの背中に隠れて、コソコソしながらパトラはベスティアに話しかけた。
「ティグレ公爵家のパトラ……ですわ」
そう、この時にパトラが編入してきたのだ。
「ほら、パトラ。私の後ろに隠れていないで、キチンと挨拶をしなきゃ」
リオンはパトラの振る舞いを注意した。パトラの耳元で練習しただろ、大丈夫、とリオンがコソコソ言っているのが聞こえる。
「だって、リオン。あたしっ、どうしよう、力が暴走しないかな?」
パトラも小声でリオンに言い返すものの、結局オドオドしながら助けを求めるように瞳を潤めた。
「わ・た・く・し、だろ?大丈夫、一緒に沢山練習したじゃないか。自分を信じて」
「ううっ!リオン……頑張る」
「ほら、もう一回最初から。ベスティア嬢、失礼しました。まだこっちの文化にパトラは慣れていないものでして……ハハッ!」
誤魔化すようにして言われた気がしたが、その時は殿下に期待されていると思って、そして頼ってもらえた事が嬉しくて、それで頭がいっぱいだった。パトラに対しては砕けた話し方をしているのも、親族であれば当然か、ぐらいにしか思っていなかった。
そう、その時ベスティアの目には映っていなかったのだ。パトラの腰を支えるようにしてリオンは手を添えていたのを。蕩けるような優しい眼差しをパトラにフッとした瞬間に向けているのを……。
だからベスティアはリオンに言われた通り、表面上は仲良く接した。
時折、パトラが発する
「マジ意味分かんないんだけど!」と言った不思議な話し方を注意したり、「簡単すぎる……常識じゃん」という物言いを嗜めたりすることもあった。男子生徒に気安く話しかけるのも、淑女たるもの、もう少し控えなさいなどと幼児に注意するようなこともわざわざ口にすることもあった。
「ベスティアが厳しいよう、リオン!」
「ベスティアはパトラのことを思って、この国に馴染めるように親切で言ってくれているんだよ。良かったね」
リオンがそうやってベスティアの意図を汲んでくれている事が分かっていたので、イラッとすることはあっても苦にはならなかった。
だって殿下が見てくれているから……。
それでもパトラの成績は非常に優秀で、言わずもがな、魔力に関しては最高値を叩き出し、見事にそれを操った見惚れるほどの体術には言葉を失った。
「ですわ、を語尾に付けておけばそれほど難しく考えなくてすみますよ、パトラさん」
「おおー!さっすがベスティア!良いね、それ!これから使わせてもらうわ!」
「仲が良いんだな、2人は。安心した」
心底安堵したという顔をして、リオンがパトラに向かって言った。
「うん!わたくし、ベスティアとなら上手くやっていけそうですわ!」
思えばこの時にはもう2人の行く末は決まっていたのだろう。
「お!完璧じゃないか?」
リオンに褒められて、
「えへへ」とパトラは照れ笑いをした。
「ありがとうございます、ベスティア嬢。お陰でパトラが立派な淑女になれたよ。表面上はね?」
「もう!わたくしだって頑張っていますですわ!」
「ハハハ!これからもよろしく頼みますね、ベスティア嬢」
「はい!」
ベスティアは淑女として試されているのだとこの時は思っていた。
だからベスティアからすると、その時は突然やって来た。パトラが編入して来てほんの数ヶ月後。ベスティアが家族と夕食を一緒にとっている時の事だった。
「ベスティア、お前は侍女になりなさい」
一瞬父親がなんと言ったのか分からなかったベスティアは、ん?と首を傾げた。
「お父様、なんとおっしゃいましたか?」
「侍女になりなさい。ティグレ公爵家のパトラ様と王太子であるリオン様がお望みだ。条件もかなり良くてな。喜びなさい、お前は成績が優秀だから、次期王太子妃の侍女に選ばれたんだぞ。年頃になれば嫁ぎ先も王太子妃侍女ならば選び放題だ。今夜は祝いだな」
父親が言った言葉が信じられなくて、ベスティアは擦れる声でなんとか言葉を紡いだ。
「殿下のこ、婚約者の件はどうなったんです?」
「ああ、先日陛下から発表があったよ。ディグレ公爵家に養女として迎えられたパトラ様を殿下はお見初めになられたとのことだ。これで我が国も安泰だな!」
リオン様がパトラを見初めた?わたくしは侍女?まさか!
「侍女になる話はもう、決定事項ですの?」
「お前はパトラ様と仲が良いんだろう?その上、成績が優秀だ。パトラ様は人族にいた時間が長い所為か、この国の作法に疎いらしい。だからお前に白羽の矢が立ったんだ」
パトラは堪らず叫んだ。父親に向かってこんな口を聞いたのは後にも先にもこの時だけだった。
「なぜわたくしが侍女などと!」殿下の隣は私がいる場所だったのに、という思いで胸が張り裂けそうだった。
「次期国王となられるリオン殿下はパトラ様を見初められた。お前はその方の侍女となり、この家と王家の間に縁を繋いで来なさい。分かったね?」
それはもはや命令だった。拒否権など最初から用意されていなかったのだ。
ベスティアのプライドがズタズタになった瞬間だった。
パトラが編入してきてから僅か数ヶ月の高等部1年でベスティアはパトラの侍女兼友人となることになった。




