以仁王の遺児・北陸宮の越中到着と大姫の婚約
1182年(寿永元・養和2)8月末
私達が農作物を守るためにひたすら獣や鳥との戦いを続けていた秋も近い時期のことです。
「ようやく収穫の季節になりましたね。
これで、鹿や猪や狸と日夜戦わなくて済みます……」
東国は西国よりは雪解け水の恵みも有って、だいぶマシなのですが、それでも山の獣に作物を食われては意味がありませんから、今まで必死に守り続けていたのです。
「まあ、子連れの獣は見逃したりもしましたが……」
あまり獣が減りすぎても困りますし、大姫の養育を始めてからは、子供を持つ母の気持ちが何となく分かるようになったのです。
特に猿は怪我をした子供を母親が必死になってかばったりしますからね。
そんな状況の私の元へ我が兄である宮崎太郎よりの使者が参りました。
「巴御前、宮崎太郎様より、とある高貴なお方を宮崎にて預かり受けたので、義仲殿、兼遠殿とともに宮崎邸へ来てほしいとのことございます」
私は使者の真剣な表情に頷きます」
「わかりました、義仲様にお伝えしてい急ぎ向かいます」
「では私はこれにて」
兄よりの使者はすぐさま越前宮崎に戻ったようです。
私はまず父の所へと向かいました。
「父上、宮崎の兄よりとある高貴な方を宮崎で預かったの知らせがございました。
父上と義仲様にも来ていただきたいとのことでございますので同行願えますでしょうか」
「ふむ、高貴な方とな、わかった。
一緒にゆくとしようぞ」
そして私は父とともにすぐに義仲様のもとへ向かいました。
「義仲様、我が兄よりとある高貴な方を宮崎で預かったの知らせがございました。
義仲様にも来ていただきたいとのことでございますので、我が父とともにご同行願えますでしょうか?」
私と父の姿を見た義仲様はすぐに頷きました。
「うむ、分かった、すぐに準備しよう」
私たちは越後と越中の境に近い宮崎の家へ向かいました。
そして私の兄宮崎太郎が出迎えてくれたのです。
「お久しぶりです兄上、我らをお呼びとのことでこちらへ参りました」
「うむ、手間を掛けさせてすまぬな。
これより是非お会いしてほしい方を紹介するゆえ、粗相の無いようにしてくれ」
「あ、はい、分かりました」
「兼遠様と義仲様もよろしくお願いいたします」
父と義仲様も頷いたのでした。
「うむ、承知した」
「ああ、わかったぜ」
私達が通された部屋にいたのは雅な公家風の男性と若い男性でした。
「うむ、そなたらが木曽の義仲とその岳父であるか?
麿は讃岐前司藤原重秀でおじゃる」
「はは、してそちらのお方は」
我が父兼遠が受け答えをします。
この中では一番慣れていますからね。
「うむ、この方こそ以仁王様の一宮様でおじゃる」
ではこの方こそが北陸宮でありましたか。
そういえば北陸宮は以仁王が敗れたあと出家して大和国の菩提寺常興寺にかくまわれていましたが、平氏の追っ手から逃れて、その父以仁王の乳母夫である讃岐前司藤原重秀に守られて、大和国から近江国・越前国へと逃れて、宮崎太郎の館にたどり着いたのは今頃でしたね。
「それはそれは、この度は斯様に遠いところを大変苦労なさったかと思います。
暫くの内はゆっくりなさってくださいませ」
「うむ、そうさせてもらうでおじゃるよ」
藤原重秀は頷きました。
「して、しかる日において、一宮様の還俗式と元服式を執り行わさせていただきます。
信州諏訪大社下社の大祝金刺盛澄に命じてこの地に諏訪神社を分祀させ、神宮寺を建立させましょう」
一宮様は鷹揚にうなずかれました。
「うむ、よきにはからえ」
そして私たちは言葉通りに金刺盛澄に手伝ってもらい、この地に諏訪神社と神宮寺を建立させ、宮の住む御所を立てて、宮は我々の庇護を受けるかわりに、義仲軍の「錦の御旗」として奉じられることとなったのです。
そしてその冬大姫は義仲様の次男である力寿丸と婚約することが決まりました。
婿である力寿丸は松本の屋敷へとやって来ることになるのです。
「はじめまして巴御前。
今日より世話になる力寿丸でございます」
数え7歳になる力寿丸は数え5歳の大姫とは年齢的にも釣り合いますね。
「ようこそ木曽屋敷へ、今日から貴方は家族ですから仲良くしてね」
そして私は大姫を紹介します。
「この子が大姫、か弱い女の子だから優しくしてあげてね」
私の後ろから大姫がおずおずと出てきました。
「あ、あの、大姫です。
よろしくお願いします」
そういって大姫はペコと頭を下げました。
「あとは若い二人に任せましょうかね」
私は大姫と力寿丸を二人きりにしてあげました。
どうやら二人は仲良くなれそうです。
まだ婚約者というより兄弟のようではありますが。
「来年から忙しくなるだろうし、今のうちに平和な時間を楽しんでおかないとね」