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越前攻防・水津合戦

  さて我々木曽軍は北陸道を制圧し平氏の目代は捕らえ、牢へ入れ、北陸の諸豪族を木曽の配下として従えていきました。


 しかし、北陸は平家にとっても知行国が多く京都への重要な食料補給路であり、兵站地として確保しなければならない地域だったのです。


 特に前年からの旱魃に西日本は襲われており、食料の確保のためにも北陸を手放すわけには行かなかったようです。


 8月15日に宗盛は平通盛(たいらのみちもり)及び、平経正(たいらのつねまさ)にそれぞれ兵1000づつを率いさせ、北陸へ派遣し平定しようとしました。


 この時派遣された平経正は、平家一門のなかでも家人の俊才として知られ、詩歌管弦に優れた人物でした。


 彼は、琵琶湖の辺りを通りがかったとき北部に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)を見渡し、数人の共を連れを連れ小舟に乗り、竹生島へ渡りました。


 竹生島の僧が彼らを迎え『仙人の琵琶』と呼ばれる島の逸品である琵琶を渡すと、経正は受け取り、秘曲・琵琶三曲の中から「上玄」「石上」を弾きすると、経正の袖の上に白龍が姿を現しました。


 経正は、あまりのかたじけなさに、しばらく琵琶を置き、このように詠いました。


 ちはやぶる神に祈りの叶へばやしるくも色の顕はれにけり


 経正は、朝敵を目の前に平らげ、凶徒を退けることは疑いないとよろこび、船に乗り竹生島をあとにしたそうです。


 一方、信濃より越前へは増援として、根井行親、根井小弥太、楯親忠らが派遣されてきました。


 平重盛と根井行親は対面しともに戦う事になったのです。


「お初にお目にかかる、私は木曽の将にて根井行親と申します。

 都の平氏を討つためにともに戦いましょうぞ」


「うむ、よろしく頼む」


 根井の兵1000、重盛の兵1000、私の兵1000の合計3000の兵は越前の水津で通盛らを迎え撃ちました。


「奴らを、都へ押し返すのだ! ゆけ!」


 根井行親の檄が配下の兵に飛びます。


「木曽のものに遅れを取るな! 我らこそが嫡流であることを思い知らせよ!」


 重盛も負けじと激を飛ばしました。


「相手の馬に味方の馬を体当たりさせ、奴らを落馬させるのだ!」


 これは、馬当てという戦法で、馬上射撃の訓練が十分でないものが、戦闘に参加するようになった結果として生み出されたものです。


 その一方、重盛の兵は整然と居並び弓を構えておりました。


「皆のもの弓を構えよ!

 狙いを定めよ!

 よし放て!」


 平家軍は、騎射術に長けた武士により構成されており、武官としての伝統的な騎射術を駆使していたのはむしろ平家でした。


 この合戦は、組討や馬当てのような新たな騎馬戦術の我々木曽と、西国の平家宗家軍の伝統的な弓矢の騎射術とが正面からぶつかりあった初めての戦でした。


 富士川では奇襲でかたがつきましたからね。


「そろそろ頃合いは、よし打って出て平家軍の背後を衝け!」


 平泉寺長吏斎明へいせんじちょうりさいみょうが叫びました。


 斎明らは最初は平家軍に属すと見せて、燧石城(ひうちいしじょう)を守っていたのでしたが、頃合いを見てこちらの動きに内応したのです。


「越前の稲津新介実澄いなづしんすけさねずみ殿にも合図を送れ!

 内応を約しておるゆえな!」


 斎明の郎党が陣中を走り、実澄のもとへと走りました。。


「斎明殿から連絡が来たか!

 よし、城から打って出て平家軍の側面を衝け!」


 斎明の手勢1000騎と実澄の手勢800騎がそれぞれ平家軍の背後と側面を衝いたのです。


「さ、斎明殿、稲津殿、う、裏切ぎり、ぐわぁ!」


 そう叫んだ平家軍の郎党らもたちどころに、討ち取られ、予測していない裏切りによる攻撃に、平家軍は潰走し、若狭へと逃げ延びてゆきました。


 このようにして、越前水津の戦いは私達の勝利で終わったのです。


 9月平教経、行盛が北陸に派遣される予定だったのですが、私達はその前に若狭を攻撃、平通盛は敦賀を放棄して逃亡したのです。


 更に10月になると宗盛は、北陸道に知度・清房・重衡・教経・行盛。


 熊野に頼盛の子息2名を派遣するという大規模な遠征計画を立てました。


 しかし『官兵の兵糧尽きた』と度々貴族の日記に出てくるように、兵糧が集まらず遠征計画は延期を繰り返して結局は実施されませんでした。

 

 北陸は京に近い分多少は不安定でしたが、概ね我が木曽に従うもので占められたのです。

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