2.リンドバーグの大災厄
きっかけは、3年前のアカデミー入学だった。
濃いブルネットの艶やかな髪と、燃えるようなルビーの瞳の美貌を誇るアレクサンドラ・リンドバーグは、いくつもの大事業を抱える豪商リンドバーグ伯爵家の娘だ。
「アレクサンドラ! アカデミーに首席入学なんてすごいじゃないか。新入生代表挨拶も見事なものだったよ」
アカデミーの入学式、式典を終え、講堂を出たところで待ち構えていた父からの言葉に、アレクサンドラは微笑む。
「お父様、ありがとうございます。アカデミーへの入学と試験の成績を褒めていただけるなんて感慨深いですわ」
「私がアカデミーへの入学を反対していたことを根に持っているんだな? いい加減許してくれ。あれも父親としての愛情なんだよ」
「わかっていますわ」
ふふふ、と微笑むアレクサンドラを誇らしげな笑顔で見守る父は、数年前までアカデミーへの進学を反対していた。にもかかわらず、なぜ進学を許可したのかというと。
「お前は幼い頃から賢く聡明で有名だった。学を積んでは嫁ぎ先がなくなる……と思っていたが、お前が大人しくい続けてくれるならと許可したんだ。これからも理想的な淑女でいてくれるな?」
「……お、お父様?」
てっきり、アレクサンドラは父が自分のアカデミーへの情熱に絆されてくれたのだと思っていた。しかし、実際は想像していたのとは全然違ったらしい。アレクサンドラは顔を引き攣らせるが、父親は目を瞑り感慨深げである。
「お前は二歳で大人と流暢に会話を交わし、三歳の誕生日にはお前の兄が音読に苦戦していた詩をすらすら暗誦し、四歳の時には自分で国王陛下に手紙を書いたんだ……しかも内容が『将来、自分の名前で事業を始めるのに国王陛下の名前と後ろ盾がほしい』だったか? 四歳なのに面の皮厚すぎるだろう? あの後、家も王宮も大騒ぎで……うっ、思い出すだけで胃が痛くなってきた……」
「その節は申し訳ございませんでした」
件の話はアレクサンドラ自身も確かに覚えている。
国王が大変に寛容で、アレクサンドラからの手紙を読み笑い飛ばしてくれたからいいものの、普通なら一家没落していてもおかしくないほどの不敬さだった。
後日、アレクサンドラは国王陛下から直々に呼び出しを受け、なぜか褒められてお菓子をもらった。
感想を正直に言えと言われたので、素直に「お菓子よりも王宮にしかない珍しい本の方がほしいです」と言えば、国王はまた笑い飛ばし、同席していた父親は顔面蒼白になり泡を吹いて倒れた。心底申し訳なかったと思う。
国王陛下への不敬な手紙の話をきっかけに、いろいろなことを思い出したらしい父親はお腹の上の方を両手で押さえ、猫背になりながら苦しげに続ける。
「お前は他にも……格上の上位貴族の方々――それもあらゆる分野で一目置かれる家を見極めて『スポンサーになってくれ』という手紙を書き、実際にスポンサーをゲットしてヒット商品を作り出したり、求婚してくださったやんごとなきお方を無限足蹴にしたり、そして一人で生きていくんだと宣言した後はなぜか力まで鍛えてしまって片手でリンゴを潰してしまう……。しかも気が短いものだから、いつ潰されるのがリンゴから人間になるのかと私は生きた心地がせず」
「どれも、豪商リンドバーグ伯爵家の者としては当然のことと存じますけれど?」
いつものお説教が始まってしまった。さらりと受け流せば、父は涙目で叫び訴える。
「いや⁉︎ かわいい娘よ! 前半は譲るとして、後半は当然じゃないからね!? そういうところが……うっ」
「大丈夫ですか」
心労による腹痛が激しさを増す父親を支えようとすると、彼はアレクサンドラの手を両手で握り、必死で懇願するのだった。
「とにかく、問題を起こさずに卒業してくれ。お願いだ。じゃないと、お前の人生は望まない形になってしまうかもしれない。くれぐれも頼んだぞ……っ」
「そのことは自分がよくわかっておりますわ」
冷静に頷けば、父親はお腹を押さえたまま心底心配そうな表情で何度も振り返りながら去っていく。その後ろ姿を見ながら、アレクサンドラは自分が置かれた立場を認識し直すのだった。
(悔しいけれど、お父様の仰る通りなのよね。私がアカデミーで学び自由な人生を歩んでいくためには、もう少し大人しくしないと)
――“リンドバーグの大災厄”。
アレクサンドラには、そんなふうに呼ばれていた過去がある。父親が言うように、アレクサンドラは幼い頃から群を抜いて優秀だった。その上、子供という特性を武器に物おじせず発言するものだから、行く先々で聡明さに感動されたりあるいは眉を顰められたりした。
そのたびに両親は腹痛を患った。アレクサンドラは学んだ。思った疑問を素直に口にしてはならないと。
自分の振る舞い一つで両親の健康が悪化することを知った後は、慎みを覚えた。
あまり表情を変えず、淑女のように振る舞うことにしたのだ。その甲斐あって、ひそひそと囁かれていた『リンドバーグの大災厄』の渾名はいつしか消え、『堅物令嬢』に変わったのだった。
しかし、アレクサンドラはもう大人だ。侯爵家の次男という婚約者もいる。けれど。
(それでも、あの男は油断ならないわ……)
脳裏に、婚約者とは別の男の姿が思い浮かぶ。男の名はローレンス・ギーソン。不敬を働いたアレクサンドラを笑い飛ばしてくれた国王の息子であり、過去、アレクサンドラに求婚したことがある王太子だ。
彼は幼い頃からアレクサンドラを甚く気に入っていて、ことあるごとに軽口で結婚を申し込んでくる。これは敵わないと、半ば意図的に正式な求婚の場を設けさせ、それを断った後も、ことあるごとにちょっかいをかけてくるのだ。
父親が『大人しくしていないと、人生が望まぬ形になるかも』というのは彼のことを指していた。
(あの男から逃れるため、半ば見切り発車でマルセル様と婚約したのだけれど。それでも安心できない感じがするこの焦燥感は何なの)
アレクサンドラの思いとは真逆に、残念だが王太子ローレンス・ギーソンの評判はすこぶるいい。頭脳明晰、才気煥発、才学非凡。悔しいことに、幼い頃は天才アレクサンドラが話が噛み合うと感じた唯一の子供だった。
加えて、王族にしか持ち得ない高貴さと圧倒的な風格を持ち合わせており、国内の重鎮でさえ彼には子供扱いされている。その上、王室始まって以来の美貌の持ち主ときていて、社交界では令嬢のみならず夫人方からの人気も高い。
(私はアカデミーへの進学を理由に彼からの求婚をお断りしているわ。今はマルセル様と婚約しているからいいけれど、もし婚約破棄なんてことになったら……!)
王族からの正式な求婚を二度断ることはありえない。となれば、ローレンスが誰か高貴な令嬢と婚約するまでは、油断できない。つまり、アレクサンドラは婚約者がいないフリーの状態になるわけにはいかないのだ。
ますます気を引き締めて、淑女でいなければいけない。そんなことを考えていると、かわいらしい声とともに肩を叩かれた。
「アレクサンドラ・リンドバーグ様?」




