1.無敵の才女
「アレクサンドラ・リンドバーグ様! もうこれ以上、あなたを見逃すことはできません。どうかご自分の罪を認めてください……!」
今日はアカデミーの卒業式。まるで宮殿のように豪華な学舎で繰り広げられる舞踏会に、高く澄んだ声が響いた。
声を向けられた伯爵令嬢のアレクサンドラは、何も言わず鷹揚に声の主を見る。一方、黙ったままのアレクサンドラが窮地に陥っていると勘違いした声の主の彼女は、さらに声を張り上げた。
「莫大な富をひけらかして多くの教授方を意のままに操り、婚約者のマルセル様の自由を奪って縛り付け、アカデミーに通う大勢の殿方のお家からはお金を巻き上げて……。しかもあなたには不正入学の噂までありますよね? どれも許されることではありません! ここで全てを明らかにしましょう!」
ふわふわの銀髪に結んだピンクのリボンを揺らし、凛とした様子で宣言する令嬢の名前は、オフェリー・バティーユ。平民として生まれたものの、聡明さを買われてバティーユ男爵家に養子として引き取られ、このアカデミーに入学した令嬢だ。
彼女の凛とした意思を灯すローズクオーツの瞳は宝石そのもの。次々に発せられる刺々しい言葉とは真逆の、清楚な外見。誰をも惹きつけ虜にする、素直で明るくかわいらしい彼女の評判は、アカデミーのどこにいても聞こえてくる。
そんな人気者の彼女のことだ。当然、背後には男子学生が大勢控えていて、こちらに非難の眼差しを向けていた。その中にはアレクサンドラの婚約者、侯爵令息のマルセル・ロワリエもいる。
彼も御多分に洩れず、ひどく冷たい瞳をしているのだった。
(ロワリエ侯爵家は家格としてはうちよりも上だけれど、ご実家の状況を理解しているのかしら。……何にしろ、これは私を貶めるためだけに用意された場ね)
この状況を正確に把握したアレクサンドラは、上品に微笑んだ。
「ふふふ。お互いに随分と誤解があるようですわね。私には、オフェリー様が仰る意味がひとつもわかりませんもの」
「知らないふりをしても無駄です。全てはもう調べがついているのですから!」
「オフェリー様こそ、このような場で他人を真正面から侮辱することはあってはなりませんわ。ご養父の名誉にかかわります。家名を背負う者として当然のことでないかしら?」
「ここへ来てもまだ身分の話とは……今お話ししているのはそういうことではないのですわ! そもそも、私たちは皆同じ人間です! 貴賤の差なくお互いに尊重し合って手と手を取り歩んでいかないといけないのです! どうしてそんなことがわからないのですか……!」
オフェリーの瞳には涙が浮かんでいて、彼女の取り巻きたちも、その高尚さにつられて泣きそうになっている。いや涙脆すぎでしょう、と突っ込みたくなるのを堪えて、アレクサンドラはひとつため息を吐く。
(ずっと彼女の好きにさせてきたけれど、やっぱりお互いにもう限界ね)
オフェリーはアレクサンドラにとって興味観察の対象だった。
不審な動きをしたり、こちらを貶めるような動きもあったが、それすらも興味深いと思って観察していた。キャンキャンと吠える彼女がプードルのようにかわいらしいと、本気で心から思っていたのだ。
けれど、ここまで派手に名誉を傷つけられては黙っていられない。
そもそも、ここまでの騒ぎになってしまったら、このアカデミーでアレクサンドラが本性を隠しずっと大人しくしていたのが全部水の泡なのだ。
(なんてことをしてくれたの、リーちゃん)
アレクサンドラは、心の中でこっそり付けていた彼女の渾名に別れを告げ、これまでずっと淑女然としていた表情を本来のものに変えた。
鋭い眼差しで周囲を見回したその瞬間、大広間の空気が一気に凍りつく。しかしアレクサンドラは動じない。腕組みをすると、低く凄みのある声で続けるのだった。
「――私が冤罪や謂れのない噂、人としての尊厳を失わせる侮辱に対して何の反論も報復もしないと、どうしてお思いなのかしら? オフェリー・バティーユ男爵令嬢?」
そうして、テーブルの上のリンゴを手に取り、ぐしゃりと握りつぶす。潰れたリンゴはごとん、と音を立てて皿の上へ落ちた。
「……え、えっ?」
オフェリーはアレクサンドラの行動がよほど予想外だったのか、ぱちくりと目を丸くし、無惨に皿に転がったりんごとアレクサンドラの顔を交互に見ている。
一方で、アレクサンドラの本性を知っている一部の上位貴族の令息たちがコソコソと避難を始めたのが見える。ああそうね、と淑女らしさを残そうとしたアレクサンドラは鼻で笑う。
「ああ、このリンゴは後できちんといただきますから安心なさって」
「えっ、え?」
何が起きているのかわからず、後退りをはじめたオフェリーだったが、そこへ追い討ちをかけるように涼やかで威厳のある声が響いた。
「アレクサンドラ? この騒ぎはどうしたんだ」
「……殿下」
学生ではない彼は、今日は主役ではないはずなのに、なぜか主役にしか見えない。生まれつきの主役なのだから仕方がない、と自分でよく言っている。
アレクサンドラは、そのさらりと口にされる言葉が全く誇張ではなく、ただの事実なことにわりと引いている。そして、彼に巻き込まれるよりは、この目の前でぽかんとしている令嬢の相手をするほうが数倍楽なのも知っている。関わらないでほしい。
しかし、それをわかっているはずの男は、不敵に笑いアレクサンドラの手を取った。
「美しい手が汚れているじゃないか」
「淑女の手に許可なく触れないでいただけますか?」
不機嫌さを隠さないアレクサンドラだったが、彼はそんなことは気にもとめず、リンゴの蜜が滴るアレクサンドラの手をとり、指先に口付けた。
「甘いな」
「……⁉︎」
瞬間、大広間に一部始終を見ていた観衆の悲鳴が響き渡る。
無理もない。アレクサンドラは持て囃しとはかけ離れた、堅物と呼ばれる淑女だ。にも関わらず、自分の手にキスをしたのは、泣く子も黙る美貌の王太子、ローレンス・ギーソンなのだから。
(なんてことを⁉︎)
アレクサンドラは思わずローレンスの手をパシンと叩き落とした。ローレンスが吹き出した気配がするが、構ってなどいられない。
一方、それを見たオフェリーは遠くなりかけていた意識を取り戻し、こちらを睨みつけてくるのだった。
「アレクサンドラ様、王太子殿下に酷いですわ! ……ローレンス様。信じられないかもしれませんが、そのお方には多くの余罪があります。関わり合いになることは王太子殿下の品位を下げます。どうか離れてくださいませ!」
「へえ?」
ローレンスは氷のような笑みを浮かべた。笑っているはずなのに、目が全く笑っていない。
けれど、アレクサンドラはローレンスを背に隠して一歩前へ出る。この子犬をやり込めるのは、自力でないといけない。この男に頼ることなど、あってはならないのだ。
心の中でそう確かめると、アレクサンドラは腕組みをし、アカデミーでは見せたことがない挑戦的な笑みを浮かべるのだった。
「……あなたには、いつかきちんとお教えしてさしあげないとと思っておりましたの。リーちゃ……コホン、いえ、オフェリー・バティーユ様。覚悟はよろしいかしら?」
★完結投稿、9/4に完結予定。
最大限ネタバレを避けて内容を紹介すると、私が一番好きなのはオフェリーです。
ランキングに短編たくさんですが、長編も読んでほしいです!!!
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