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第十六話「目覚め」

※本日は内容の都合上、第十五話・第十六話を続けて更新しています。こちらは同日更新の十六話の方です。

順番にお気をつけくださいませ。


祭さんが現れた瞬間、私――ヘレネは即座に状況を切り分けました。

迷っている暇はありません。今、優先すべきはただ一つ――ミコトとにゃっぴーさんの生存です。


「祭さん!私たちを襲った黒い影は、シロが追跡できます!私はミコトたちを一刻も早く“春霞”へ連れて戻りますので、後をお願いします!」

「こっちは婆に任せておけ!シロちゃん、追えるな?」

「きゅっ!」


シロが迷いなく駆け出し、祭さんがそれを追うように飛び出していきました。

その背を視界の隅に捉えながら、私は素早く、けれど慎重に、ミコトとにゃっぴーさんを牛車へ運び上げます。


「……ヘレネ……ミコト、は……だい、じょうぶ……にゃ……?」

「息はあります!にゃっぴーさんは喋らず、回復に努めてください!」


返事を待つ間も惜しいです。

乳牛の幻影を軛としっかりと繋ぎ、私も牛車に乗り込むと――私はすぐに“牡牛座”へ命じました。


「“牡牛座”よ――そのまま全速力で“春霞”まで走りなさい!」


すると――幻影はためらいなく地を蹴りました。

牛車が大きく揺れ、景色が一気に後ろへ流れていきます。


……まるで状況を理解しているかのような、迅速な動きでした。

こういう時だけは、幻影に感情があるように見えることを、ありがたく思います。

牛車が激しく揺れる中、私はまず、にゃっぴーさんの状態を確認しました。


「にゃっぴーさん。傷は、どうやらミコトが治したようですが……念のため、確認します。“水瓶座”よ」


赤が付着していた部位を、清い水で軽く洗い流す。


……やはり。あれほどの重傷に見えた傷が、完全に塞がっています。

これほどの能力を行使したミコトは、どれほどの反動を受けたのでしょう……

考えたくもありませんが、確認しないわけにはいきません。


「……にゃっぴーさん、傷は完治しているようです。ですが、失った血液までは戻っていないはず。そのまま、回復に努めてください」


次に、ミコトへ視線を移します。

顔色が悪く、呼吸も浅いようですね……

今すぐ命が尽きる、というほどではないと思います――そう信じたいですが、身体が明らかに冷えていて不安になります。


「……にゃっぴーさん。そのままで構いませんので、里でいただいた“夜着”を出していただけますか?ミコトの体温が低下しています」


にゃっぴーさんは、自身も消耗しているはずなのに、すぐに“収納”から夜着を出してくれました。

申し訳ないと思いながらも、今は甘えるしかありません。

私は夜着でミコトとにゃっぴーさん、そして自分もまとめて包み込み、少しでも体温が逃げないようにします。

あとは、一刻も早く春霞へ辿り着くことを祈るだけでした。





“春霞”の門前には、唄さんが待ち構えていました。


「にゃっぴーさんが重傷を負いましたが、ミコトが何らかの力で治しました!その代わり、ミコトが極度に消耗しています!」


私は牛車から身を乗り出すようにして叫びます。


「……!!そのまま社へ向かってください!舞さんが寝床の準備を整えていますぽん!社であれば多少の神気が満ちています。ミコト様の回復も、わずかでも早まるはずです。道は空けてありますので、そのままお急ぎを!」

「分かりました!」


私はそのまま牛車を走らせます。

ミコト……もうすぐ休めます。だから、どうか無事でいてください……!

社へ辿り着くと、舞さんと、身の回りの世話を担うのであろう妖狸族の方々が、すでに待ち構えていました。


「舞さん!ミコトの体温が低下しています!部屋を暖めてください!」

「おう!みんな、慎重にミコト様たちを運ぶんだ!オレは火の用意をしてくる!」


妖狸族の皆さんが慣れた手つきでミコトを受け取り、すぐに寝床へ運んでいきます。

にゃっぴーさんも別の者に抱え上げられそうになりましたが、小さく首を振りました。


「……ミコトの、そばに……いるにゃ……」


その声は掠れていて、今にも消えそうでしたが、意思だけははっきりしていました。

私は頷きます。


「にゃっぴーさんも一緒に。ミコトの近くへ」


社の奥へ、慌ただしく人が出入りしていますね……

ここまで来て、ようやく――ほんの少しだけ、息を吐くことができました。


しばらくして、里への幻術を張り直した唄さんと舞さんが戻ってきました。


「……ただいま戻りました。里への幻術も万全ですので、ひとまずご安心を。それでヘレネ様、一体どういう経緯があったのですか?神託では、緊急事態だったこと、ダイダラボッチ様の封印が解けたこと、そしてミコト様たちが危ないこと――そのあたりしか伺えていないのです」


神託に助けられましたね……。

それがなければ、ミコトたちを休ませるのにも、もう少し時間がかかったでしょう……


「えぇ……。まず、道の途中でミコトが社を見つけたところから、お話ししましょう」


私は一つずつ、順を追って説明しました。

蛟の住処へ向かう途中で、ミコトが社を見つけたこと。

ミコトがなぜか気になると言い、私たちも祭さんを召喚できる保険があったことから、強くは止めなかったこと。

その社を見て回っている最中、大きく何かが割れる音がしたこと。

そして、次の瞬間、異常な量の“澱み”に侵された巨大な影が目の前へ降ってきたこと。

その影からミコトを守るため、にゃっぴーさんが飛び出し、重傷を負ったこと。

私が牽制として放った“水瓶座”で、巨大な影の澱みが少しだけ剥がれ、それに動揺したように北へ去っていったこと。

にゃっぴーさんの死を目前にしたミコトが取り乱し、何らかの力を行使したこと。

そして、ミコトが意識を失う寸前に、祭さんを召喚したこと――


「……その後、私たちは春霞へ急ぎ出立し、祭さんとシロは“巨大な影”を追って行き、現状に至っています」


舞さんが、沈痛な面持ちで口を開きました。


「……蛟様のところへ向かう途中の、あの社か。そこは、ダイダラボッチ様が封印されていた社だよ……元々は、ダイダラボッチ様を祀っていた社なんだ」


今は、その社そのものが封印地となってしまっているわけだけど――と、舞さんは小さく付け足します。

唄さんは、目を伏せ、静かに言いました。


「では……その巨大な影がダイダラボッチ様で、まず間違いないでしょう。先々代が追ってくれているのなら、ひとまずは安心できます。おそらく幻術により、一時的な封印のようなかたちを取ることができるはずです」


舞さんも、それを引き継ぐように続けます。


「それに……たぶん、他の神託巫女にも神託が降りてる。すぐに、対策は取られるはずさ」


“その対策がいつまで保つかは分からないけどね”と、舞さんは苦く笑いました。


「状況は逼迫していますが、今は次の神託を待ちましょう。先々代も、あまり無理をしていないと良いのですが……」

「……あのオババなら大丈夫だよ。何せ亡くなったはずなのに、けろっとした顔で里に戻ってきたんだからね!」


シロのことも心配ですが、祭さんと一緒であれば、仮に何かあっても逃げるくらいは容易くこなすでしょう。

これ以上、何事も無ければ良いのですが――





「シロちゃん、この方角で間違いないんじゃな?」

「きゅっ」


大陸中央の山岳地帯――それも、“原初の谷”の方角じゃ。

間違いなく、あのお方は動揺されておる。

それでもなお、誰もおらぬであろう場所へ向かっておるのじゃ……

幻術で、道なき場所に“道”を通し、最短距離で原初の谷へ向かった。


そこにいたのは――


「ダイダラボッチ様……」


原初の谷の中央あたり。

何かに耐えるように蹲る、ダイダラボッチ様の姿が見えた。


「……まったく、最後まで一人で抱え込むお方じゃ」


じゃが……その優しさが、仇になっておる。

本当に、難儀なお方じゃ……


「申し訳ありませんが、少しの間はここでじっとしていてもらいますぞ。じゃが――いずれ、貴方様の澱みを祓いに参ります。ミコト様と共に」


原初の谷を中心に、今の婆にできる最高の幻術を張る。

……これで、この幻術の内に入った者は、いかに進もうと原初の谷から出られぬ。

あとは、他の里の者が更なる対策を取るじゃろう。

……それでも、婆の見立てでは……長くは持つまい……

ミコト様だけが頼りじゃ。

どうか、無事であってくれぃ……





私たちが急遽、里に戻ってきてから、春霞では誰もが張りつめたまま、日々を過ごしていました。


ミコトの意識が短時間だけ戻る時、“牡牛座”の牛乳を飲ませて栄養を補給させ、妖狸族の薬師さんが調合してくれた薬湯を飲ませ――


ミコトの意識があれば、意地でも“自力でどうにかする!”とでも言いそうな排泄介助を行い、“水瓶座”を使って身体全体の衛生状態を保ち続け――


褥瘡(床ずれ)にならないように、妖狸族の皆さんと一緒に交代しながら、体位交換も行い続けて――


目覚めたあとのことも考え、“蠍座”を使って筋力が落ち過ぎないように管理しました。

……“蠍座”を使った瞬間は……他の皆さんに、私の気が狂ったのかと思われたのは心外……“とても”心外でしたが。


そういう日々が、三十一日も続いて――





――瞼が、重い。

開けたくないわけじゃないのに、開かない。

身体が、鉛みたいだった。

遠くで、かすかに水の音がする。

……水瓶座の音だ。たぶん。


「……ミコト……」


聞き慣れた声が、震えていた。


「……にゃっぴー……?」


喉が痛い。声が掠れる。

それでも、私は必死に視界を探した。

黒い毛並み。丸い耳。

肩の上じゃなくて、すぐ目の前。

にゃっぴーは、私を見た瞬間――泣きそうな顔で笑った。


「……起きたにゃ……!起きたにゃぁ……!」

「……よかった……にゃっぴー、生きてる……」


口にした途端、今度は自分の涙が出た。

視界がにじむ。鼻がつんとする。

ヘレネが、いつもよりずっと柔らかい声で言った。


「……一ヶ月です。ミコト」

「……え?」

「眠ってから、正確には……三十一日。途中で目を開けることはありましたが、会話できる状態ではありませんでした」


一ヶ月。

たったそれだけが、じわりと胸の奥に沈んだ。

長い。長すぎる。


「……私……そんなに……」


身体を起こそうとして、失敗する。

腕に力が入らない。指先すら重い。


「だめにゃ、まだ動いちゃだめにゃ」


にゃっぴーが、慌てて私の胸元に前足を置いた。

その爪が、ほんの少し震えている。


「……私、にゃっぴーを……助けられた?」

「助かったにゃ。……ミコトが、助けたにゃ」


にゃっぴーは言い切って、次に言葉を落とした。


「でも……ミコトは……自分の命、削ったにゃ」


その瞬間、ステータスの“透明な板”が、何の前触れもなく浮かんだ。


───────

副職:ヒーニャー

スキル

小回復の祈祷(熟練度 0/50)

治癒の祈祷(※緊急時のみ。“死”以外の全ての状態を治癒する/代償:生命力)


状態:極度の消耗(回復まで日数を要します)

───────



「……やっぱり、代償でこうなってるんじゃん……!」


思わずツッコむと、喉が痛んだ。

それでも、にゃっぴーが小さく笑った。


「ツッコめるなら、戻ってきた証拠にゃ」


ヘレネが、静かに頷く。


「ミコトは“祈り”で無理やり扉をこじ開けました。だから今は、回復するまで……ゆっくりでいいのです」


私は、天井――いや、梁を見つめた。

怖かった。本当に怖かった。


でも、それ以上に――


「……にゃっぴーが生きてるなら、よかった」


言った瞬間、にゃっぴーの耳がぴく、と動いた。


「……ミコト」

「なに?」

「……ひとつだけ……見せたいものがあるにゃ」


にゃっぴーは自分の胸元――首のあたりにいつも巻いていたスカーフを捲り……前足でちょん、と叩いた。

そこに、ほんの小さな“印”があった。

丸い印が、いくつか。

……数えようとした瞬間、頭がぼんやりして、うまく数えられない。

でも、不自然に“欠けている”のだけは分かった。


「……なに、それ」


にゃっぴーは、少しだけ視線を逸らして言った。


「……わかんないにゃ。けど……最初より、減ってる気がするにゃ」


ヘレネが、息を止めるみたいに静かになる。


「……まさか……“Cats have nine lives.(猫は九つの命を持つ)”……」


ヘレネの囁きに、私の背筋が冷えた。


「……もしかして……」


にゃっぴーは一度――

その先を言葉にしようとしたけど……できなかった。


にゃっぴーは一度顔を伏せて――すぐに頭を振って笑って見せた。


「もしかしてもなにもないにゃ!ミコトが助けてくれたにゃ!だから今は、ミコトが休む番にゃ」


……その笑い方が、ちょっと無理をしているのが分かった。

私の胸の奥に、別の“誓い”が落ちる。


(次は、絶対に――)


言葉にすると壊れてしまいそうで――そのまま飲み込むことにした。

代わりに私は、ものすごく小さく言った。


「……ねぇ。私さ。副職を解禁しても、名前がふざけてるのは変わらないんだね……」


にゃっぴーが、吹き出した。


「そこ突っ込むのにゃ!?」


ヘレネも、困ったように笑う。


「ミコトが戻りましたね。……よかったです」


その声を聞いて、私はようやく息ができた。

外では風が鳴っている。

でも――この場所だけは、少しだけ温かかった。





昼を少し過ぎた頃。

唄ちゃんが、改めて私の枕元へやってきた。


「ミコト様……まだ体調が万全ではないとは思いますが……現在の状況が知りたいとのことなので、お話しします」

「唄ちゃん……お願いするよ。動けるようになったら、すぐにでも動き始めたいんだ」

「ミコト様……決して無理だけはなさらぬように……では――」


私が倒れたあと、すぐに祭ちゃんがダイダラボッチを追い、その場に“惑いの幻術”を張ってくれたらしい。そして、祭ちゃんをダイダラボッチの元に案内したのはシロだってこと。

……ダイダラボッチが放つプレッシャーにも怯まず、頑張ってくれたんだね……

ありがとう……シロ。


さらに、他の里の神託巫女たちにも神託が降りた。

妖狐族の里からは禰宜の双子姉妹が派遣され、“惑いの幻術”の外側にさらに結界を張ったこと。

鬼人族と猫又族からは見張りの人員が派遣され、交代制で監視を続けていること。


そして――伊邪那美命様の見立てでは、それだけの対策をしても、もって一年とのことだった。


「それは……なおのこと、急ぐ必要があるみたいだね……」

「申し訳ありません……ミコト様を焦らせるつもりではないのですが……そういった次第ですぽん……」


ふふっ……“ぽん”が出てるよ、唄ちゃん。

でも、どうにか急いで体調を戻す方法はないのかな……


「ミコト、無理をしてはいけませんが……この一ヶ月、毎日“蠍座”にて、擬似的に筋肉を動かしています。しっかりと栄養を摂取できるようになれば、通常より回復は早いはずです」


“蠍座”……鍼治療ができる蠍の幻影が呼べるやつだね……寝たきりの人に対して、ぐさぐさ尾針を刺す蠍……絵面が悪い!


「絵面はアレだけど、助かったよ、ヘレネちゃん。……とりあえず牛乳もらって良いかな?」


完全栄養食ってことだし、弱った胃にも合ってるはずだ。


「えぇ。“牡牛座”よ」


いつも通り元気に鳴いた牛さんが現れ――何故かそのまま消えず、私の頬をひと舐めしてから、ふっと消えていった。

……心配してくれてたのかな?


「……全く意図していない行動をされましたが、牛乳です」


そう言ってヘレネちゃんが口元に瓶を運んでくれる。

私はそれをゆっくり飲み込んだ。


「ありがとう、ヘレネちゃん。……うん、確かに一ヶ月寝たきりだったわりには、動ける気がする」


今日はまだ厳しい。

でも、明日から少しずつ――リハビリを始めよう。





その夜。

ふと目が覚めると、にゃっぴーとヘレネちゃんが、心配そうにこちらを覗き込んでいた。


「ミコト……もう大丈夫にゃ?」

「それはこっちの台詞だよ、にゃっぴー。にゃっぴーはもう、ちゃんと回復した?……ごめんね……私のせいで……」


足元の方に目を向けると、シロも心配した様子でこちらを見ていた。


「シロ」


名前を呼ぶと、白い小さな身体が、とことこと近寄ってくる。

私はまだ勢いよく抱き上げることはできなかったから、そっと手を伸ばして、その頭を撫でた。


「ありがとう、シロ。追いかけてくれたんだってね。すごく頑張ったね。本当に……ありがとう」

「きゅぅ……」


シロは気持ちよさそうに目を細めると、安心したみたいに私の顔へ身体を擦り寄せてきた。

シロも、極限状態の中、この小さな身体で頑張ってくれたんだ……


シロのぬくもりを感じながら、改めて思う。

やっぱり、私が油断しすぎていた。

祭ちゃんを呼ぶことすらできないほど、パニックになっちゃうなんて思ってもみなかった。


次からは“絶対”に油断しない。


危険が近いなら、最初から“適切”な誰かを召喚しておく。

にゃっぴーとヘレネちゃんの助言も、ちゃんと聞く。


「ミコト。私もですが、ここは“命の危険がある世界”なのだと、しっかり認識して動きましょう」

「きゅきゅっ!」


シロも同意するみたいに鳴く。


「僕も、祭ちゃんっていう保険があることで油断してたにゃ。……それに、ミコトが普通の現代女子だってこと、忘れてたにゃ。次があったら、もっと強めにミコトを止めるにゃ」


それこそ、引っかいてでもにゃ――と、にゃっぴーは少しだけ笑って言った。


「時間制限はできちゃったけど、それでも私たちがやることは変わらない。次は、もっと上手くやる」


私たち、みんなで、最後までやり切るんだ。

この世界の浄化を――

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