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蕎麦の花  作者: 星乃夢
9/9

最終話 リデザイン・ライフ



 勝手知ったる村役場の会議室。重く停滞した空気は、以前と何も変わっていないように見えた。

 

「また来たのかい。物好きなお嬢ちゃんだ」

 

 最前列に座る老人が、鼻で笑いながら吐き捨てる。

 けれど、美咲はもう怯まなかった。彼女は、土の染みが残る長靴で、しっかりと床を踏みしめている。

 

 丁寧に一人ひとりの前に、包みを置いていった。

 

「……まずは、その紐を解いてみてください」

 

 美咲の静かで落ち着いた声に、老人たちは戸惑ったように顔を見合わせた。 

 

 そこにあるのは、自分たちが何十年、何万回と繰り返してきた……あのかじかんだ指先でも結べる、実直な結び目だった。


 やがて、一人がお辞儀をするようにしてから、その男結びの紐に指をかける。

 

 パサリ、と紐が解ける音が、静まり返った部屋に連鎖していく。


 

「……ほう」

 

 誰かが小さく声を漏らした。

 

 

 箱を開け、中にあるロゴを見た老人たちの眼差しが変わる。

 そこには、自分たちが毎日、腰を伸ばす時に仰ぎ見るあの空と、不器用な背中が描かれていたからだ。

 

「これは……わしらのことじゃねえか」

「この色、裏山の土の色だな。去年、崖が崩れた時に見た、あの深い色だ……」

 

 美咲は、深く頭を下げた。

 

「デザインは、飾ることだと思っていました。でも、違いました。皆さんが守ってきたこの村の時間を、そのままの形で、次の世代に渡せるように整えること。それが私の仕事です。どうか……一緒にこの村の蕎麦を届ける手伝いをさせてください」

 

 沈黙を破ったのは、一番奥で腕を組んでいた源さんだった。

 

「……一歩も引かんぞ、と言ったはずだ」

 

 源さんは立ち上がると、並んでいる老人たちをぐるりと見渡した。

 

「だが、この娘の爪を見てみろ。わしらの土を食って、緑に染まってやがる。……これ以上、何を疑う必要がある」

 

 老人たちは、美咲の荒れた指先と、自分たちの手元にある……誇りである蕎麦を見比べた。やがて、一人、また一人と、深く頷いた。

 

 

 数ヶ月後。

 都会のクライアントから、美咲のスマホに何度も着信が入っていた。

 「戻ってこないか」「君の抜けた穴は大きい」という言葉。

 

 けれど、美咲はそれをポケットに仕舞い、縁側でトメさんと一緒にヘチマ水を瓶に詰めていた。

 

「本当に行かなくていいのかい? 都会なら、もっと高い給料がもらえるんだろう」

 

 トメさんの問いに、美咲は自分の手を見つめて笑った。

 

 爪の間には、今日も少しだけ土が残っている。しかし、その指先で描く線には、以前にはなかった血の通った温もりが宿っている。

 

「トメさん。私、ここでやりたいことが山ほどあるんです。蕎麦の次は、トメさんのヘチマ水でしょ。その次は、お爺ちゃんたちの炭焼き……。全部、この村の『命』をリデザインしたいの」


  

 村の小さな直売所の棚に、あの……男結びの蕎麦パッケージが並んだ。

 

 通りかかる観光客が『あ、これ綺麗』と足を止める。

 彼らが手に取ったのは、その表面的な美しさだけではなく、包みを解いた瞬間に溢れ出す……この土地の本当の時間そのものだ。

 

 美咲は、今日もノートパソコンを開き、新しい村の地図を広げた。

 画面に映るカーソルは、かつてないほど軽やかに、未来へのレールを描き始めていた。

 

 土の洗礼を経て、彼女は本当のデザインを手に入れたのだ……。

 

(完)



 ――――――――――――――――――――――――

 最後までこの村の風景を見守ってくださり、ありがとうございました。


 

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― 新着の感想 ―
閑かな生きる物語ですね。 美咲さんを受け入れると決めた源さんもトメさんも、頑固でいてとても素敵なふたりですね。 自分の仕事に誇りを持つ根本みたいなものを感じました。 読ませていただきありがとうございま…
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