第六話 ヘチマ水と、トメさんの知恵
「おやおや、今度はまた……立派な『百姓の手』になったもんだねぇ」
トメさんは、美咲の染まった指先を覗き込むと、しわくちゃな顔を更にクシャクシャにして笑った。
疲れ切った美咲は、泥のついた軍手を脱ぎ捨て、トメさんの家の縁側に腰を下ろしていた。
「トメさん、これ、石鹸で洗っても全然落ちなくて……」
「ははは! 土と草の汁が、あんたをこの村の人間だって認めた証拠だよ。……でも、そのままじゃペンも握りづらいだろ。ほれ、お風呂に入っておいで。湯船の中でゆっくりふやかして、この糠の袋で肌を撫でるんだよ」
トメさんに手渡されたのは、古い布に包まれた、ずっしりと重い米糠の袋だった。
薪で沸かした風呂の柔らかな熱は、慣れない労働で強張った美咲の身体を、芯から解きほぐしていった。
そして、言われた通り……湯船の中で米糠の袋を転がす。しっとりとした脂分が皮膚に浸透し、頑固な緑色の汁もゆっくりと浮かせていった。
風呂から上がると、トメさんが縁側に小さな瓶を用意して待っていた。
「はいよ。仕上げはこれだ。自家製のヘチマ水さ」
トメさんの節くれだった小さな手が、美咲の手に冷たい化粧水を塗り込んでいく。
その手つきは、まるで壊れやすい宝物を扱うかのように丁寧で、とても温かかった。
「……トメさん、私、やっとわかった気がするんです。今まで私が作ろうとしていたのは、中身のない『綺麗な箱』だけだったんだなって」
「……気づいたかい。箱を綺麗にするのは誰にでもできるけど、その中にある『想い』にまで心を染められる人は、そう多くないよ」
トメさんはそう言うと、台所から小さな盆を持ってきた。
そこには、茹でたての蕎麦と、例の『蕎麦の芽の薬味』が並んでいる。
「美咲さん、この薬味をどうやって食べるか、知ってるかい?」
トメさんは、箸を手に取った。
「ただ混ぜるんじゃないよ。まずは、蕎麦の香りを逃さないように……ほんの少しだけ薬味を箸の先にのせて、それを蕎麦に添えてから、一緒に口へ運ぶんだ。……それから、最後の一口の前に、この薬味を蕎麦湯で割って、香りを立たせてから飲み干す。これが、この村で昔から大事にされてきた『命をいただく作法』なんだよ」
美咲は、その一連の流れるような所作を見つめ、息を呑んだ。
箸を運ぶ角度、香りを嗅ぐタイミング、そして最後の一滴まで慈しむ動作。
(……これだ。私がデザインしなきゃいけないのは、この『時間』なんだ)
……都会のセレクトショップで、お洒落なパッケージをただ眺めるだけでは終わらせない。
箱を開け、包みを解き、源さんの守った蕎麦と、トメさんの繋いだ薬味が、食べる人の手の中で一つの儀式になるような仕組みを……。
「トメさん、この作法……パッケージの開け方や、食べる順番をそのままデザインします! 食べる人が、トメさんと同じ所作をなぞるようにデザインすれば、この村の『空気』も一緒に届けられますよね」
ヘチマ水で潤いを取り戻した美咲の指先に持つペンが、今、白紙のノートに何かを描きたがっていた。
「トメさん、もう一度見せてください。その、蕎麦を包む時の手の動きを!」
夜の古民家。走り書きをしたメモを片手に、美咲は再びノートパソコンを開く。
画面に映るカーソルが、今までにないほど軽やかに、そして繊細に……村の無形の文化を形として落とし込んでいく。




