【後日談】暴走する獅子
「アルフレッド様。コルネリアです。頼まれていた書類をお持ちしました」
「どっ、どうぞ。入ってください」
学園内のアルフレッドの個人部屋。届け物の書類を持ってきたコルネリアが中に入ると、アルフレッドは席から立って出迎えた。
「すっ、すまないね。コルネリア嬢も忙しいのに」
「これくらい問題ございませんわ」
「おおお、お茶でも飲んでいくかい?」
「では、お言葉に甘えて。セリアーナが悲しまないように、1杯だけいただいたら帰ります」
その言葉にアルフレッドは顔を赤くし、「せ、セリアーナが悲しむ? 僕のことで、そんなことってあるのかな」とたじろいだ。
コルネリアはニコニコしながら応接ソファに腰を下ろす。ヨセフは慣れた手つきで紅茶を淹れ、彼女の前に置いた。
「そういえば殿下。わたくしずっと気になっていたのですが、そこの本棚に入っている教科書。……セリアーナのものですよね?」
「えっ?」
ぎくりと肩を上下させるアルフレッド。
「これですわよ、これ」
コルネリアは立ち上がって本棚に向かい、おもむろに数冊の本を手に取る。白くしなやかな手が持っているのは、ぼろぼろの教科書だった。
「セリアーナが、アン様から嫌がらせを受けて使えなくなったものですわよね。わたくしがゴミ箱に捨てたものなのに、どうして殿下のお部屋にあるのでしょう?」
真っ青な顔になったアルフレッドは、ぱくぱくと口を閉じたり開いたりしていが、やがて観念したようにうつむいた。
「ごめん……。いっ、要らないならいいかと思って拾ったんだ」
「セリアーナの私物だから、ですか?」
「その通りだ……」
コルネリアははあとため息をつく。
「殿下って意外と大胆ですのね。従妹のよしみで申し上げますが、重たい男性だと思われないように気をつけた方がよろしいかと」
「わっ、わかった」
セリアーナに振られたら自分は生きていけない。そう確信できるほど彼の中でセリアーナの存在は大きくなっていて、彼女に対する好意も抑えがきかなくなるときがある。今の自分でさえそうなのだから、眼鏡が外れたときはどうなってしまうんだろうと思うと恐ろしい。
「じゃあ、わたくしは戻りますわね。お茶、ありがとうございました」
「あっ、ああ。気をつけて」
コルネリアが退室したあと、アルフレッドはシャワーを浴びることにした。王子であるアルフレッドの部屋には、授業で汗をかいたときのために浴室が備わっている。
2時間後にはセリアーナとのお茶会があるから、頭を冷やそうと思ったのだった。
◇
「授業が急に休みになるなんてラッキーね! 早めにアルフレッド様のところへ来られたわ」
うきうきしながら学園内のアルフレッドの部屋の前までやってきたセリアーナ。教師の都合で5限目の授業が休みになったため、いつもより1時間早く放課後になった。今日3年生は4限目で終わりだから、アルフレッドはもうこの部屋にいるはずだ。
「……あら? ドアが少し開いてる」
5cmほどドアが開いている。一応ノックをしてみるけれど、応答はない。近くにヨセフさんの姿も見えなかった。
ドアの隙間から中を覗くと、開いた窓と風にそよぐカーテンが見えた。人影はない。
「いらっしゃらないのかしら……」
呟いた直後に一陣の風が吹く。カーテンがふわりと舞って、執務机の書類が吹き飛ばされていく。
「あっ、書類が!」
セリアーナは慌てて中に入り、窓を閉める。床に落ちた書類をかき集めていると、背後からガチャという音が聞こえた。
「ヨセフ! タオルを切らしているよ」
「……えっ?」
セリアーナが振り返ると、そこには。
「おや? 僕の可愛いセリアーナじゃないか」
ドアからひょっこり上半身だけを出したアルフレッド。引き締まった筋肉の凹凸には水滴が流れ、銀色の髪も朝露のように水が滴っている。湯によって上気した頬は朱に染まっていて、セリアーナを見て嬉しそうに微笑んだ。
「あっ、アルフレッド様!? すみません! シャワー中だったんですね。今すぐ出ていきます!」
セリアーナは真っ赤になって顔を背けた。男性の裸を見るのは初めてで、自分がとてもいけないことをしているような気持になったからだ。
実際、このラランデル王国はどちらかというと禁欲的な国柄で、女性は淑やかであることが良いとされている。
ところがアルフレッドは彼女を引き留めた。
「だめ。セリアーナはそこにいて。っていうか、一緒に入る? 洗ってあげるよ」
「ひっ!? いっ、いいです! 大丈夫ですからっ!!」
耳を疑ったセリアーナだったが、シャワー中ということもあってアルフレッドは眼鏡を外している。だからこんなに大胆なことを口走るのだと理解した。
1秒でも早く逃げ出さないとまずい。けれども相手は王子だから無視するわけにもいかないことが難しい。
「ねえセリアーナ。何か拭くものを持ってない? タオルがなくて困ってるんだ」
「タオルですか? わたくしのものでよろしければ持っていますけど……」
魔武術の授業で使う予定だったフェイスタオルを持っている。結局授業が休みになったから使っておらず、清潔だ。
アルフレッドはぱあっと顔を明るくする。
「ありがとう! じゃあ、そっちに取りに行くね」
「いやっ!! いいです!! わたくしが行きますから、そこから一歩も動かないでください!!」
だってアルフレッド様、お着物を着ていないでしょう!? セリアーナは爆発しそうな心臓を押えながら、心の中で叫ぶ。
さっきからずいぶん楽しそうな表情を浮かべているけれど、わたしはちっとも楽しくないわよ!!
セリアーナは後ろを向いたまま浴室のドアに近づき、腕を後ろに向けてタオルを差し出した。
「ありがとう。助かったよ。……いい香りのタオルだね。セリアーナの匂いがする」
恍惚としたアルフレッドの声。思わずドキッとするような色っぽい声だった。
さっとその場を離れたセリアーナは、執務室の隅で着替えが終わるのを待っていた。
「ごめんごめん、お待たせ」
思ったより早く浴室のドアが開く。ほっとしたセリアーナが振り返ると、出てきたアルフレッドはスラックスこそ履いているが、上半身は相変わらずなにも着ていなかった。
「ち、ちょっとアルフレッド様! お着物はどうしたんですかっ!! あと眼鏡もっ!!」
「え? だってすぐに着ると暑いから。眼鏡も曇るしね。少しこのままでいさせてよ」
面白そうに笑ったアルフレッドは、ソファに腰を下ろして隣をポンポンと叩く。
「こちらにおいで。セリアーナの可愛い顔が近くで見たい」
「~~~~っ」
有無を言わせない笑顔。やむなくセリアーナが隣に座ると、アルフレッドはぎゅっと彼女を抱き寄せた。
「はあ。落ち着くなあ。結婚したら、いつでもこうして二人でいられるんだよね」
「結婚!?!?」
緊張しっぱなしのセリアーナが肩をびくつかせると、アルフレッドはすっと目を細め、不穏な笑みを浮かべた。
「なに? セリアーナは僕と結婚してくれないの?」
「そっ、そういうわけではありません。ただちょっと、話が急で驚いたというか」
湯上りのアルフレッドに密着しているせいで、彼の熱が直に伝わってくる。緊張と羞恥でセリアーナは頭がおかしくなりそうだった。
「君は僕の妻になるんだよ。嫌とは言わせない。もし僕から逃げ出そうものなら、いろいろ分かってもらうことになっちゃうからね?」
アルフレッドは端正な顔を近づける。セリアーナはぎゅっと目をつむり、とうとう思考を放棄した。
アルフレッドの長い睫毛の先がセリアーナの頬に触れると同時に、ふたつの唇が重なった。
その時間は永遠のようにも思われた。ゆっくりとアルフレッドが顔を離したときには、セリアーナは頭のてっぺんからつま先まで真っ赤になっていた。
「……赤くなってる。ほんとうに愛らしいね、僕のお姫様は。ああ、我慢ができなくなりそうだ」
セリアーナはもう何も考えることができなかった。自分の全身がすべて心臓になってしまったみたいに、ただひたすらにドキドキしている。アルフレッドが自分をソファに押し倒し、妖艶な目をして、制服の襟元に手をかけたとき――。
「ちょっと殿下! 何をなさっているのですか!」
部屋に飛び込んできたのはタオルを抱えたヨセフだった。彼は慌ててセリアーナからアルフレッドを引き剥がす。
「どうしたヨセフ。邪魔をしないでくれ」
「どうしたじゃないですよ! セリアーナ様を見てください! 頭から湯気が出てるじゃないですか! 殿下が暴走しているだけですよね!?」
「大丈夫だよ。僕はセリアーナのことならなんでもわかる。ただ緊張しちゃっているだけだ」
「それでもだめです殿下! ここは学園ですし、なにより正式な婚約前なんですから!」
――またもヨセフによって救われたセリアーナ。
真っ赤な顔で屋敷に帰り、何事かと心配したコルネリアにぽつりぽつりと事情を打ち明けた。
コルネリアによってアルフレッドはこってりと絞られ、教科書とタオルは没収されてしまう。獲物を失った獅子の暴走によって、セリアーナに更なる受難が降りかかるのはまた別のお話。
がんばれセリアーナ!




