エルシュリーゼの落ちこぼれ魔女
あとは領域全体をカバーできるように、等間隔で設置していくだけ。飛び回って一つ一つ自分で設置していくのか、と作る前は軽く絶望すらしていた。しかし、呪紋デザインを考えている途中で、アミュレットと、呪紋を使って魔法の中継点になる機能を追加することを思いついたので、その心配はなくなっていた。
影絵の魔法は発動地点である私の体から離れるほどに、力や精度を失っていく。そのため広大な領域全土に観測台を設置するのは、自分が動かないと無理だと思っていた。だが、この中継機能により、お堂を発動地点として影絵の魔法を発動できるようになったのだ。
もちろん、中継発動は通常より威力が下がるが、お堂を運ばせるのだから、どこまで遠くに動かしてもそれ以上下がらない。さらに、お堂の隠蔽効果で、移動中に教われる可能性も低くなっている。これについては我ながらいい仕事をしたと思う。
「『影の国の大百足』」
というわけで運搬のために、影百足を出す。全長3メートルくらいの奴をとりあえず5匹くらい。でかくてわさわさしていて割とキモイが、真っ黒な分多少は緩和されている、ようなそうでもないような。余計キモイか?
匠か騎士にわっせわっせと神輿のごとく担がせてもいいのだが、山あり谷ありというどころではなく起伏にとんだ山々を突き進むのだから、こういう多脚系が一番だ。垂直な崖とかでなければ適当にまっすぐ進ませるだけでいいので操作も楽だし、背中が広い分積載量もばっちり。見た目がキモイ以外の欠点はない。見た目のキモさも魔女っぽいといえば誤魔化せるだろう。
匠を出してガンガンお堂を組み立てさせ、できた端から背中に乗っけて影で縛って、出荷。放射状に進ませて、一定距離歩いたら、中継発動で匠を出して、背中からお堂を下して設置。百足が足りなくなったら追加で出してとやっていると、数時間のうちに全てのお堂が完成し、領地のどこかへ設置するために運ばれていった。いやあ、なんて楽なんだ。
と思っていた時期が私にもありました。これ、凄まじくしんどい。百足の操作が楽とはいっても、崖やら沼やらマナニアの巣やら、迂回させないといけない地形が予想以上に多く、同時の操作数が多すぎることもあって、ベッドでゴロゴロ本でも読みながらと思っていたのにそんな余裕がかけらもない。
脳ミソ酷使しすぎてゲロ吐きそう。百足視点でわさわさ地を這う無数の視界を眺めているのも気持ち悪さに拍車をかける。騎士の多数操作なら視点が自分のものと、死角を補うもの2,3くらいあれば十分なのだが、車酔いのような感じか。結局耐えきれずに流しで戻した後、倒れるように眠った。
翌朝、最悪な気分で目覚めを迎え、とりあえずうがいをして、シャワーを浴びて。各地でじっと待っている大百足たちに意識を向ける。ラインが途切れていなかったのでなんとか消滅は免れていたようだ。昨日は一気にやろうとして失敗したので、同時に動かす数を5体くらいにして、ゆっくり作業することにする。そもそもそこまで急ぐ必要がないのに、なぜ特急で仕上げようとしていたのか。
砂糖とミルクドバドバの薬湯を飲んで一息。のんびりやろう。
そう決めてから結局3ヶ月ほどかかって、シュベルトベルグの山々とその麓に広がるブラウヴァルト大森林、領域の大半を占める秘境部分の観測台設置を完了させた。今の魔法の地図には、その位置を示す200以上の点と、マナ量の変遷が刻まれている。
世界にはマナの濃い場所と薄い場所があるが、マナが濃い場所というのはマナの生まれる場所である。基本的には秘境。つまりここのような場所。マナの濃い場所ではマナニアが生まれ、増えすぎると移動し、どこか遠くで死ぬ。マナニアが死ぬと溜め込まれたマナが霧散し、その土地のマナが豊かになる。
マナの大いなる流れ、の後ろに(物理)をつけたくなるくらい物理的だが、大体そんな感じで循環が保たれているそうだ。マナニアはマナを食って生きるから、マナの少ない場所に住み着くとその土地のマナが枯渇する。人間がマナの濃い場所でマナニアを狩りつくせば、マナの過飽和で恐ろしく強大なマナニアが生まれ、土地のマナを食いつくしパワーアップしながら放浪する。最終的には世界が滅ぶらしい。
だから、この作業を終えた範囲の外縁部、南西の、フロスラント北部に接するあたり、なんか微妙にマナ量が他より多い気がするのだが。これってもしかしてなんかヤバいのではないだろうか。大した量ではないといえばそうだが、誤差というには大きい。
王国の中では辺境と言っていい土地で、ブラウヴァルト大森林からマナニアが流出するせいでほとんど人は住んでいなかったはずなのだが、果たして。
「えぇ……?」
そこには、立派な街ができていた。夜の闇にまぎれて数時間、箒に乗って飛んできたところ、何もない草原だったはずの場所には、月明かりに照らされる民家の屋根が連なっているのであった。町外れの盛り場と思しき通りでは、深夜に近いというのに、いくつもの明かりがともされ、酒を飲んで騒ぐ、喧噪も空の上まで届くほどであった。
最後にこの辺りに来たのはいつだっただろうか。6才か7才か、そのくらいだったと思うが。たぶん、この辺のどこかに小さな村があって、私はそこで生まれたんだ。狩りと牧畜、少しの畑作を生業とする吹けば飛ぶようなコミュニティ。師匠の腰につかまって、箒で二人乗り。結局、降りることなく上から眺めるだけで帰ったっけ。
それはともかく、この街を調べてみることにしよう。これほど森に近いところに、この規模の町ができているということは、しっかりマナニアを駆除しているはず。それは結構マズイ。場合によっては手を下す必要があるかもしれない。
盛り場の反対側に静かに降下し、とりあえず目立たなそうな場所にお堂を設置。体感でもすでに分かっているが、人が住むにしてはマナの量が多い。やはりこの近くでかなりマナニアを殺しているようだ。多少なら問題ないが、恒常的に大量に、となると、遠からず破局を迎えることとなる。どうするべきか。
「よぉ、お嬢ちゃん」
「っ!?」
突然背後から声をかけられ、飛び退きながら身構える。同時に、月明かりで照らされた私の影が、人気のない町外れの地面の上で、爆発するように膨張する。振り返った先にいたのは、軽装で腰に剣を下げた冒険者風の男だった。
年は二十代半ばくらいだろうか。珍しくもない焦げ茶色の髪に、少し垂れ気味の目を除けば大した特徴もない、三日で忘れそうな地味な顔の男だ。だが、その立ち姿はどうにも隙がない、ような気がする。達人でもないのにそんなのは分からない。ただ、なんとなく、ヤバそうな気がする。
「そんなにビビらんでも、オバケとかじゃないぜ。ほら、足もちゃんとある」
「……」
男はおどけたように言う。特に敵意はないようだが。お堂を組み立てているところを見られただろうか。影から木材をポンポン出して、ペラペラの人影がそれを組み立てていく姿というのは限りなく怪しい謎の儀式にも見えるだろう。
「ううん、嫌われちゃったかね。まあ、いいや。お嬢ちゃん、魔女さんだろう?」
やっぱ見られてたのか。それとも見た目から判断したか。とんがり帽子にローブ、片手に箒の魔女スタイルだし。否定しても仕方がないので頷いておく。
「そうかそうか。何か妙なことをしているから、悪さをしてるなら叩き斬ってやろうと思ったが……」
怖い。柔和な笑顔だったのに、斬るといった瞬間、一瞬ギラリと眼光が光り、こちらを睨む。もうダッシュで逃げたい気分だけど動けない。
「それも別に悪いもんでもなさそうな感じだし、大丈夫そうだな。だからまあ、物騒なのを引っ込めてくれよ」
再び雰囲気が元に戻る。こっちをビビらせてくれたお礼に、ざわざわと蠢いている影で威嚇を続けてもいいのだが、相手に敵意がないのは確かなようだし引っ込めることにする。
「ありがとよ。……お嬢ちゃんは、同じ魔女でも薬屋の魔女ちゃんと違っておっかねえな。あっちのお嬢ちゃんがおかしいんだろうが。魔女と言えばおっかないもんだしな」
男は肩をすくめながら言った。この街には私のほかに魔女がいるのか。ここは私の、というか師匠の縄張りの中のはずだが。無断で住み着いているのか、それとも師匠が私に黙っていただけか。一応訪ねてみる必要があるだろう。ついでにこの街のことも聞ければ良し。この物騒な男との会話は早々に切り上げたい。見知らぬ魔女との会話も同レベルだろうが。
「薬屋の魔女、どこ?」
「夜更かし通りの東の端だ。少し奥まったとこにこじんまりした店を構えてる。もしかして友達かい?」
頷き、箒にまたがって飛び上がる。場合によってはお友達料を徴収することになるので、半分くらいは本当だ。夜更かし通りというのはたぶんさっきの明かりがついていた通りだろう。分かりやすくて結構なことだ。さっさと行くことにする。
マナとはまた異なる生命エネルギー、「オド」を扱う超人。初めて見たが、あれがそうなのだろう。さえない見た目に反して厄介そうだ。ちらりと下を見ると目があった。ひらひらと手を振る男は、無害そうな笑顔で、品定めをするような視線をこちらに向けていた。