第一話「高鳴る胸」
夏樹隼人は、放課後の教室に残っていた。
窓の外では、十月の夕方が少しずつ青く沈んでいく。
校庭からは部活の掛け声が聞こえていたが、隼人の耳には遠かった。
机の上には開いたままのノートと、古生物学を学べる大学をまとめた紙が何枚か広がっている。
高校一年の秋。
まだ進路を決めるには早いと、担任には言われた。
けれど隼人にとって、恐竜や化石は小さい頃からずっと隣にあったものだった。
好きなものを、ただ好きなままで終わらせたくない。
できることなら、学問としてきちんと向き合いたい。
そう思うようになったのは、冬樹先生の影響が大きかった。
―冬樹翔真
隼人が小学生の頃から通っている博物館の館長で、獣脚類恐竜を専門にしている古生物学者だ。
白いシャツに黒いスラックス、少し長めの髪、眼鏡の奥の穏やかな目。
難しい話を、子どもにも届く言葉で話してくれる人だった。
化石は、ただの石ではない。
過去に生きていたものが、時間の底から残してくれた証拠なのだと、冬樹先生は教えてくれた。
隼人はその言葉を、今でもよく思い出す。
スマートフォンの画面に視線を落とす。
検索欄には、さっきから何度も似たような言葉を打ち込んでいた。
化石 販売店
恐竜の歯 販売
アンモナイト 本物 見分け方
化石は博物館で見るもの、という感覚が隼人の中には強かった。
もちろん個人で買える化石があることは知っている。
アンモナイトや三葉虫、植物化石。小さなものなら、標本として手元に置けるものもある。
画面には、きれいに磨かれたアンモナイトの写真や、琥珀、鉱物、恐竜の歯と書かれた商品画像が並んでいる。見ているだけで、胸の奥がそわそわした。
標本箱に入った三葉虫。
渦巻き模様がくっきり残ったアンモナイト。
小さな歯の化石。
どれも、ただの飾りではない。大昔に本当に生きていたものの痕跡だと思うと、画面越しでも指先が少し熱くなる。
化石は、古いから価値があるのではない。
どの地層から、どのような状態で見つかり、何を語っているのか。そこまで含めて意味がある。冬樹先生なら、きっとそう言う。
隼人は検索結果を一つずつ見ていった。
そのとき、検索結果の少し下に、ひとつの店名が目に入った。
【化石堂ミドウ】
隼人は指を止めた。
個人経営の化石販売店らしい。
紹介文には、初心者歓迎、アンモナイト、三葉虫、恐竜の歯、植物化石、鉱物各種、と書かれている。写真に写っている店先は少し古びていたが、ガラス棚の中には標本箱が整然と並んでいた。
「こんなところに、化石販売店があるんだ」
思わず声が漏れた。
場所を調べる。最寄り駅までは電車を乗り継いで片道一時間半ほど。
高校生がふらりと行くには、少し遠い。けれど行けない距離ではなかった。
営業時間を見る。
営業日:月・火・木・金・土・日
定休日:水曜
営業時間:9時〜18時
明日は土曜日だ。
画面を見つめたまま、隼人はしばらく動かなかった。
教室にはもう誰もいない。廊下を誰かが走る音がして、それもすぐに遠ざかる。
胸の奥に、小さな期待が灯る。
本物の化石を手に取れるかもしれない。
博物館とは違う距離で、過去の命に触れられるかもしれない。
もしかしたら、冬樹先生に話せるような発見があるかもしれない。
そう考えるだけで、隼人の指先はまた画面へ伸びた。
店の写真を拡大する。
ガラス棚には、アンモナイトらしい丸い化石や、細長い鉱物、ラベルのついた小さな標本が並んでいた。店内は広くなさそうだったが、そのぶん一つひとつを近くで見られそうだった。
入口のガラスには、白い文字が貼られている。
【化石は過去からの贈り物です】
隼人は、その言葉をじっと見た。
少しだけ大げさな宣伝文句かもしれない。
けれど、嫌いではなかった。むしろ、店主が化石を好きでいてくれる人ならいいな、と思った。
化石を売る店と聞くと、少し敷居が高い気もする。
けれど紹介文には初心者歓迎とある。見るだけでも大丈夫だろうか。
高校生一人で入って、変に思われないだろうか。
そんな心配も浮かんだが、期待の方が勝った。
隼人は店の住所を保存し、乗換案内を調べる。朝出れば、昼前には着ける。
帰りに博物館へ寄るのは難しいかもしれないが、冬樹先生には次に会ったとき話せばいい。
明日は学ランではなく、恐竜がプリントされたTシャツで行こう。
そんなことまで考えている自分に気づいて、隼人は少しだけ笑った。
黒髪が額にかかる。画面に映った自分の顔は、背ばかり伸びて、まだどこか頼りない。
それでも、好きなものへ向かうときだけは、足が前に出る。
ノートを鞄にしまい、教室の電気を消した。
暗くなった窓に、自分の姿がぼんやり映る。
明日、あの店の扉を開けたら、どんな化石が待っているのだろう。
アンモナイトを手に取れるだろうか。
三葉虫の細かな節を近くで見られるだろうか。
恐竜の歯の化石なんて、本当に置いてあるのだろうか。
考え始めると、駅までの道のりさえ少し短く感じた。
「化石は嘘をつかない」
冬樹先生の言葉を胸の中で繰り返す。だからこそ、自分の目で見てみたかった。画面越しではなく、誰かの説明だけでもなく、そこにあるものを、自分で確かめたかった。
隼人は、化石堂ミドウへ行ってみよう、と決めた。




