第2話 犬猿の仲
前回、ゾンビの世界を乗り越えたセラたち。
しかし、安心も束の間――女神に導かれた先は、悪魔が蔓延る世界だった。
何も知らぬまま、人類存続を脅かす存在に立ち向かうことになる......。
第2話、ぜひ最後までお読みください。
「...いやぁ......なんなのこれ」
紫色に濁る雲の下で、彼女は呟いた。
目に映るのは無数の、ガラスのような魔法の塊。
白くくすんでおり、指先で潰すと粉状に消えてなくなる。
「大賢者様でも見当不明ですか......」
後ろに控える、一級魔法使いのバリィは溜め息を漏らした。
「最近、至るところで見受けられるのですが」
「ごめんね」
そう言って、白い絹に付いた土埃を払いながら立ち上がる。
「なんなんだろうねぇ」
上にかざしたり、匂いを確かめたり、
いくつかの方法を試したが、手応えはない。
その様子を、バリィは黙って見守っていた。
「うー...ん.......」
顎に手を当て、目を閉じる。
周囲が静まり返った、その瞬間
大賢者と呼ばれたその女性は、何かに気づいたように顔を上げた。
―――――ボフッ!!
大賢者が伸ばした腕の先で、空気が破裂したような音が弾けた。
赤い髪飾りのついた薄緑色の髪が、わずかに揺れる。
「姿見えざる者ですね」
そう言い終えるのと同時に、草むらの中で倒れる音が鳴る。
柔らかさとたくましさが同居するその立ち姿は、森の静寂さえ従えているようだった。
その一瞬の出来事に、バリィは言葉を失った。
「え?あ..、ありがとうございます」
「上位の悪魔が、こんな最前線に出てくるなんて......。
バリィさん、戦闘態勢に入ってください」
バリィは言われるがままに、杖を握る。
ブオオオォォォーーーーン!!
途端、大賢者の声に返事をしたかのように、
見張り台の方から山羊角の音が響き渡る。
(この人が敵じゃなくて、本当によかった)
バリィは、思わず苦笑いを漏らした。
――その頃。
「待ってよ、アマチ」
「待ってらんないわよ!!早く早く!」
法螺貝のような音が鳴ってから、外がやけにうるさい。
アマチは音の正体を確かめるため、ぷわぷわと先に飛んでいく。
僕は軽く息を切らしながら、螺旋状に続く石の階段を上る。
石は湿っていて、踏み外せばそのまま下まで転げ落ちそうだった。
(......それにしても、悪魔って...。)
嫌な予感しかない。
開幕早々に、憂鬱な気分に苛まれながら、周囲をざっと見まわす。
隅には蜘蛛の巣が張られ、石壁は薄くひびが入っている。
表面の石片が今にも剥がれそうで、建物の内部は静まり返っている。
僕は淡く光る松明だけを頼りに階段を上っていく。
「ねぇ、アマチ」
(?...あれ?)
返事が返ってこない。
そういえば、姿も見えない。
「おーーい、アマチ?」
不安になって、階段を軽く駆け上がる。
――その終わりに見つけた、重厚な扉を開けると、
いた。
扉の向こうで、アマチは立ち尽くしていた。
背中の羽を静かにパタつかせたまま。
「おい、一人になると危ないだろ。僕が...」
返事はない。
「ちょっと、なにをそんなに」
近づいて、肩越しに奥を覗いてみる。
(あーー......)
見たこともない生物たちが、林の中をうごめいていた。
緑色の小さい鬼。
頭がブタの、太っているやつ。
おおよそ全員、人間と同じ世界にいてはいけない生物。
いや、悪魔。
すぐにあの女神の顔が浮かんだ。
・・・・
みるみるうちに、血の気が引いていくのが分かる。
「アマチ...。救えるかな、この世界」
一拍の沈黙の後、静かに答える。
「毎回同じ質問ね.....」
「...でも大丈夫よ、きっと。私たちなら、ね?」
「そう、だよね...」
「もうほら!元気出しなって!」
アマチに促されるようにして、軽く拳を交わす。
「第三小隊!突撃ーーーー!!」
建物の下の方から、なにやら威勢のいい声が聞こえてくる。
見下ろしてみると、リーダー?の声を合図に、
剣を携えた鉄の塊が怪物の方へと雪崩れ込んでいく。
「うぉーーーー!!」
兵士たちは、各々の、特異な形の剣で化け物を斬りつけていく。
(あれ?押してる)
ということは―
あれらは脅威じゃないのかな?
さらに、戦況を後押しすように、後方から甲高い声が響く。
「どうか神様、私に獄炎の力を分け与え給え――
獄炎噴出!」
後ろで謎の呪文が唱えられた瞬間、悪魔を中心に炎の渦が巻きあがった。
「熱っ!」
熱気がここまで伝わり、僕たちは咄嗟に石柵の裏へ腰を落とした。
「おい!俺らを殺す気かよ!」
「今の、味方ごと焼く気だったろ!」
下の方でも一斉に怒号が飛び交っている。
その矛先は、ローブ集団の、呪文を放った一人の女性に向けられていた。
女性は、二本に束ねられた金色の髪を震わせて、怒号で返事をする。
「あんたたちが前に出すぎなのよ!
射線ぐらい考えながら戦いなさい!
これだから単細胞は..」
彼女は宙に浮いたまま、一歩も引く気配がない。
「ふざけんなよ!!」
「は?ふざけてんのはあんたたちでしょ?!」
「お前もう一遍言ってみろや!」
さっきまで悪魔を斬っていた剣は、今や味方に向きかけている。
――その時だった。
戦場のさらに奥。
悪魔の群れの向こうから、ものすごい勢いで何かが飛来する。
そしてそれは、すぐにローブ姿の彼女に直撃した。
咄嗟の出来事に、呪文を発する間もなく、逆さまに落ちていく。
(何が起こった...?)
場は、一瞬で凍り付く。
僕はただ、彼女が落ちていく様を目で追うことしかできなかった。
「なに、あれ...?」
アマチの声が震えている。久しぶりに聞いた...。
視線を戻すと、彼女は怯えながら一点を指さしている。
三メートルほどの、人型の『悪魔』。
鋭い爪を垂らし、人間の三倍以上はある白い目で、
こちらの様子を窺っている。
あんなに遠くに見えるのに、息が詰まる。
「ア、アマチ...」
一瞬、目を逸らしただけだった。
次に視線を戻したとき、そこに悪魔の姿はない。
「うゔぁーー」
地上の方で、一人の剣士が喉元を掴まれたまま、泡の噴くような声を上げている。
「どうか、神様、分け与え給え――
空断雷!!」
呪文が唱えられると、空気を断ち切るようにして真上から雷が悪魔へ落下する。
稲光が触れた瞬間、その周囲の空気がわずかに弾けた、気がした。
途轍もない轟音とともに、土煙が舞い上がる。
霧散する草土から、曖昧だった輪郭が、次第に定まっていく。
悪魔はそこに悠然と立っている。
「は?魔法の効かない悪魔なんて...」
後ろの方で、杖を握った人は呆然と言葉を漏らした。
何をしているのか、正直まったく分からない。
ただ、その焦った声が、あの悪魔の異様さを一際強く感じられた。
悪魔は高く飛んだかと思うと、
呪文の出どころまで、空気を蹴って一直線に飛んでいく。
僕は思わず、目を背けてしまう。
ガギンッ――
想像していたものとは違う、鉄同士がぶつかるような音。
(え...?)
見上げると、
悪魔の爪が、大きな大剣で止められていた。
「グィギ...?」
青いマントが特徴的なその男は、
片腕だけで止め、笑みすらこぼしている。
「グギキギィギ、キィーーーーー!!!」
その悪魔は首を横に曲げた途端、
急に暴れ出した。
「おうおう!威勢がいいな!」
男はそう言うと、剣の柄を悪魔の肩にぶつける。
それだけで、悪魔は勢いよく地面に叩きつけられた。
「固ったいなー、何だこいつ」
手を振りながら、どこか楽しそうにしている。
周囲が、妙に静まり返った。
次の瞬間、地表のあちこちから息を呑む音が漏れる。
「...まさか......」
「剣帝様!?」
空気が反転したように、戦場が一気に湧き立つ。
「剣帝様ー、遠征はどうされたんですか?!」
「あー、今さっき帰ったところだよ」
軽く返事を返しながらも、次々に痛恨の一撃を決めていく。
「グギギギギギィィーーー!!」
悪魔は天にも届く奇声を発っしたかと思うと、目を赤く変色させた。
その姿に、ローブ姿の男はすぐさま口をはさむ。
「いやいや。コバルトさんでも無理でしょ!大賢者様を待たないと!」
「うるせぇよ。そんな心配は、あそこに倒れてる魔法の嬢ちゃんにでもやったらどうだ。
てか俺の方が強ーぞ。魔道省の奴らにもそう伝えておけ」
「はっ!そんなわけ...」
助けてもらったはずなのに、男は挑発的に言葉を発する。
剣帝と呼ばれるその男は気にも留めず、悪魔へと追い打ちをかけていく。
人間のどこにそんな力があるのか、目にもとまらぬ速さで剣劇を繰り出していく。
「グィンギ!!」
悪魔は宙に軽く飛び、お腹の底から吐き出すような素振りをする。
口をいっぱいに膨らませたかと思うと、ドロッとした炎を撒き散らす。
そしてその一部は、僕たちのいる建物、すなわち塔の、下の方に付着する。
すると石壁は徐々に溶け出し、くの字に折れていく。
石柵の縁にしがみつくのも虚しく、
次の瞬間には風が耳を切り、宙で足をバタつかせる。
(やばい!)
「アマチ!!」
「いゃーーーー!もう次から次へと!!」
アマチは羽をバタつかせて、僕の小指を掴んで踏ん張ってくれている。
「痛っ、痛い!千切れるって!」
「アマチ!妖法は!?」
「無理無理無理!両手ふさがってるし」
バキ!バキバキバキッッ!!
すぐに、耳元で枝の折れる音が次々に鳴った。
「...痛っ.......。背骨、折れたかも」
「ごめん、重すぎて放しちゃった」
アマチは上の方から応える。
(痛い、疲れた...)
耳鳴りがひどい。
背中に鈍痛が響いて、もう動きたくない。
「......っと」
「ちょっとセラ!!危ないって!」
咄嗟の声に、僕は反応することができなかった。
すぐ隣に塔の瓦礫が飛び込んでくる。
辺りは粉塵に包まれ、破片も四方八方に飛んでいく。
その一つが横腹を掠めた。
「痛っ」
「グイギギギギギギィィ、ギャーー」
「おうおう!今度はなんだ?」
「いけいけー!剣帝様ー!!」
「す、すげぇ。またうまく躱した!」
遠くで歓声が上がる。
「セラ!!!」
「悪ぃ!」
言葉を理解するには遅かった。
粉塵の向こうから、赤いもの。
空気が、歪む。
重い。
視界が焼ける。
(......あ)
息が吸えない。
喉が塞がる。
「セ...!!...ラー!!...ラ、セ...!!!!」
名前だけが、やけに近い。
何も見えない。
聞こえない。
光の奥が、黒い。
―――――
開くはずのなかった目が、開いていた。
天井の木目が死神のようにも見える。
(ここは...?)
「なんで先にあいつなんだ!?」
「だから、さっきからも言ってるけど」
「まあまあまあ、お二人様とも落ち着きなさってください」
「そうよ!喧嘩ばっかりして!」
こじんまりとしてた部屋の、扉の向こうからアマチの声が聞こえる。
(たしか...悪魔の世界に来て...落っこちて...)
......うぅ!?
急に、胃の中から何かがこみ上げてくる。
「おえ、えぇっ」
透明な吐瀉物が床を濡らした。
「セラ!!」
この音が聞こえたのか、アマチは扉を勢いよく開け、僕の頭元に飛び込んでくる。
「良かった、起きたのね」
扉に手をかけ、白い服の女性は安堵した。
肩に沿って整えられた薄緑色の髪、目元には泣き黒子が浮かんでいる。
「大丈夫?魔法酔い...かな?」
「...マホウヨイ?」
アマチに頭を擦り付けられながら、聞き慣れない言葉に首を傾げる。
「チッ!なんでお前なんかが!!」
扉の向こうで男が叫ぶ。
勢いよく床を蹴ったかと思うと、その人は椅子を後ろに投げて距離を詰めてくる。
僕は胸ぐらを掴まれ、頭は天井すれすれになっていた。
何の理解も進まないまま、状況だけが流れ去っていく。
「ちょっと止めてよ!」
アマチは必死に男の腕を引っ張る。
しかし男は恵体ゆえに、びくともしない。
「やめろマーガン」
低く、静かな声。だがその一言に確かな威圧が宿っていた。
青いマントを床に広げると、男は奥の椅子に腰を下ろしている。
肩の力を抜き、背もたれにもたれかかるその姿は、余裕を見せつつも、
圧倒的な風格を漂わせていた。
剣帝――
この世界で、皆の注目を集めていた人物
僕は目を丸くした。
「チッ」
マーガンは素直に従い、胸ぐらを放した。
その勢いで、僕は布団の上で尻もちをつく。
「......相変わらずですね」
目を細め、薄緑髪の女性は男たちに冷たい言葉を放った。
「だから仲間の一人も守れないんですよ」
「お前ぇ!」
「ほら行くぞ」
逆上するマーガンを、剣帝は冷静に引っ張って連れて行く。
...嵐のようだった。
「ごめんなさいね、起きてそうそうにこんなことになっちゃって」
「いえそんな、救っていただいた、の、ですよね?
...ありがとうございます......。その..、あなたは...?」
彼女はそっと微笑み、小さな赤い髪飾りを揺らした。
「紹介が遅れました。私はエスメラと言います。
魔道省を預かっています」
第2話、最後までご覧いただきありがとうございます。
セラたちは未知の悪魔の世界に足を踏み入れました。
徐々に明らかになっていく、この世界の現状と苦悩――
次回、第3話をぜひお待ちください。




