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後編

「爺」

「殿下。挨拶は基本だと申し上げたはず。それと私は爺と言われるほどの年齢ではありません」


 五十代半ばのアーダレナ公爵は、確かに孫はいるがまだ三歳の幼児である。二十一歳のレオンに爺呼ばわりされるのは本意ではないらしい。


「まあ、お説教はやめておきましょう。最近は妃殿下とも睦まじく過ごされておいでのようですし」

「そのことだがな」


 公爵に勧められるままソファに腰を落ち着かせて、レオンはやや前のめりに口を開いた。


「俺の甘ったれた性根をどうにかしたい」

「どうにかとは。そもそも甘ったれでおられることをご自覚とは驚きましたが」


 皇后腹の一人息子である為、父も母も基本的にレオンに甘い。ブランシュも優しい。周りから苦言を呈されることはあれど、叱られた経験は殆どないのである。


「色々あって、俺は今までの態度を改めたいと思っている。ブランシュにも詫びたいが、彼女は優しいから俺が謝ればすぐ許す。それでは意味がない」

「ふむ。ご自身の意地の問題で、また妃殿下を煩わせるおつもりと」

「……そういうわけではない」

「そういうことでございます。素直に謝り、素直に許していただく。それの何が問題か。すんなり許されることに納得がいかない、という殿下のこだわりに過ぎません」


 公爵の言葉は容赦がない。守役だけあって、レオンの性格も気質も熟知している。ブランシュに惹かれていることも、多分把握済みだろう。


「腹芸はユリウスとカインに任せて、殿下は万事お気の済むようにとお育てされたのがよくなかったとは思いますが」


 その方針を決めたのは皇帝夫妻なので、守役とはいえ、臣下であるアーダレナ公爵は何も言えなかった。できるだけ自立自省の気質になるよう育てたつもりだが、生来の勝ち気さを増幅させただけの気もしている。


「俺の今の評判はどうなっている? 爺の主観でもいい」

「そうですな……突然娘御がご寵愛を失って、ラツェン男爵は理解が及ばぬ様子。皇帝派はいつもの気まぐれでいらっしゃると静観、議会派は腹案がおありなのかと探りを入れたいところでしょうか」

「俺はそんなに気まぐれか?」

「気ままにお育ちなのは事実ですな」


 否定できないので、受け止めておく。歯に衣着せない物言いでザクザクと痛いところを突いてもらうのが、公爵に会いに来た理由でもある。


「殿下が今までの態度を改められ、妃殿下を大切になさるなら、それが何よりかと存じます」

「そのつもりだ」


 深く首肯したレオンに、公爵は片眉をちょっと上げて軽い驚きを示した。まだ年若いせいか基本的には反抗的な皇太子殿下が、素直に苦言を受け入れるとは思わなかった。


「皇帝派には、俺はブランシュに許しを乞うていると言っておけ。議会派にもだ。ラツェン男爵は──ヴェルナ嬢への待遇を、調べられるならそれも頼みたい」

「そちらはお任せを」


 アーダレナ公爵家は「皇国の影」と言われるほど、皇室との繋がりが深い。その分、暗部での動きに長けている。


「それから、無駄とは思うが一応訊きたい」

「何なりと」

「ブランシュの好きな色を知っているか?」

「ええ」


 頷いて、公爵はじんわりと笑った。人を食ったような、少し意地悪な微笑みだ。


「この国にいらしたばかりの時、婚約式のティアラを選ぶ際に伺いました」

「婚約式のティアラ……?」


 思い出そうとするが、ルビーを中心にピンクダイヤやトルマリンが誂えられていたくらいしか記憶にない。


「黒がお好きなのだと、おっしゃっていましたよ」

「黒?」


 婚約式の時、ブランシュは黒を身につけていただろうか──記憶を探るレオンに、公爵は嘯くように囁いた。


「一番好きな色は黒。ただ、婚約式では最上の漆黒が隣にいらっしゃるから必要ない、と」


 ──聞いた時、耳まで赤くなったのは自意識過剰ゆえではないと思いたいレオンだった。


***


 今日で何点かしら、とブランシュは指を折って数えた。


「……十点目の日だわ……」


 好きな色、好きな音楽、好きな本、好きな飲み物、好きな花──それら全部言い当てられた。ブランシュ自身、然程意識していないことすら問題にしなくてはいけないので、無自覚に好きだった詩人まで披露することになってしまったが。


「今日の質問は、どうしましょうか」


 一人呟いて、刺繍の針を一針刺す。リーズが淹れてくれた茶はすっかり冷めてしまっているが、それを飲んで息をついた。

 手元の鈴を鳴らすと、すぐに扉がノックされ、リーズが入ってきた。


「お呼びでございますか」

「話し相手になって。気持ちを整理したいの」

「かしこまりました」


 リーズは直立不動のまま頷いた。その様子を見つめながら、ブランシュは途切れ途切れに話し始める。


「今更、優しくされても困るの」

「はい」

「睦まじい夫婦になるなんて、とうに諦めていたことだし……そもそも切っ掛けがよくないわ、何なの、前世の記憶って」

「受け入れたのではありませんか?」

「受け入れたけれど、納得はしていないのだもの。では、今世の殿下はわたくしを疎んじたままということでしょう? ヴェルナ嬢に夢中のまま!」


 ぷすっと針を突き刺して、ブランシュは苛立ちを言葉にした。今まで口にしなかった鬱憤は、結構深く溜まっているらしいと自覚する。


「今更なのに……なのに、わたくしは嬉しいの! 殿下がわたくしを気遣い、話しかけてくださることが!」


 我ながら度し難いと、ブランシュは自分を罵倒したくなる。報われない初恋を抱えて生きていくつもりだったのに、レオンはあっさりとその境界を踏み越えてきた。二人の間に障害などないかのように。


「では、そのように申し上げられては?」

「……駄目。嫌われたくないもの」


 最初から冷たかった時は平気だった。ただ、レオンの不器用な優しさを知った今は耐えられそうにない。


「殿下は、姫さまをお好きだと思いますが。でなければ、こんな面倒なことをせずに『名を呼べ』と命じられればよいだけですし」

「そんなこと、わからないでしょう。ヴェルナ嬢が嫌だから、その逃避先としてわたくしをお望みなのかもしれない」

「そんなに怖いですかね、ヴェルナ嬢。前世の記憶を持っているというだけでは?」

「怖かったとはっきりおっしゃっていたし……国を傾けかねない欲望は恐ろしいものだとわたくしも思うわ」


 窓辺に移動して、右手を胸元に当てる。眼下に広がる中庭を眺めながら、深く呼吸した。レオンの言葉通りなら、ここ一ヶ月ほど接触を断たれているラツェン男爵令嬢が何か仕掛けてきてもおかしくない。


「そちらの対処も必要でしょう殿下に、わたくしの好きなものを当てる遊びをさせて、その時間を愛しいと思っているなんて、わたくしは最低だわ」

「ならば普通にお名前をお呼びすればよいのではないかと」


 至極尤もなリーズの言葉に、ブランシュは少し拗ねたように呟いた。


「……わたくしの為にお悩みくださっているお姿を、嬉しいと思ってしまうのよ」

「姫さま、初恋を拗らせていますからね……」

「だって好きなんですもの。好きな方に気にかけていただけて、嬉しくないわけがな──きゃああああ!」


 ブランシュの悲鳴を、リーズは両手で耳を塞いで無視した。護衛女官としてあるまじき態度だ。が、ブランシュが叫んだ理由の方も、真っ赤になって口元を押さえている。


「……すまない。ノックしたが、返事がなかったから……」

「私は聞こえていましたが、姫さまが興奮なさっていたのでそちらを優先したまでです」

「それで、何か言い争うような声がしたから、君が取り乱すようなことがあったのかと……案内なしで扉を開けて……」


 ブランシュの言葉を聞いてしまったレオンが、真っ赤な顔のまま言い訳する。ブランシュは羞恥で死にそうだ。


「その……立ち聞きするつもりはなかったが……つい……」


 言葉を重ねようとしたレオンが一瞬息を呑み、首を横に振った。


「──君の本心を聞きたかったから、そのままにした。すまない」

「……あ、謝らないでくださいませ……!」


 ブランシュは、両手で顔を覆いたい。はしたないのでできないから、せめて俯くことは見逃してほしい。


「──その、ブランシュ」


 そっと名前を呼んで、レオンが室内に入ってきた。その動きに合わせるように、リーズがするりと抜け出ていく。


「俺は、君が好きだ。──君は?」


 正面に立ったレオンが、ブランシュの手を取って跪く。誘うように甘く問われ、ブランシュは真っ赤な顔を隠すこともできずに深く俯いた。


「……い、しています」

「聞こえない」

「お慕い、しています……!」


 半ば自棄になって告げた言葉に、レオンが破顔した。そのまま、ブランシュの手の甲に口づける。


「こんな言葉は『今更』と思われてもいい。事実今更だ。けれど俺は、これからの人生は君と一緒に過ごしたい」

「……ずっとですわ」

「ブランシュ?」

「今までも、わたくしは殿下とずっと一緒でしたわ」

「そうだな。傍にいても心が離れているのではなく、心も共に在りたい」


 ブランシュの拗ねた気持ちを正確に把握して、レオンが微笑んだ。金の瞳が、優しく緩む。その微笑みを見た時、きゅっと胸が痛くなる。


「俺に愛されることを、受け入れてほしい」


 はい、と答えたブランシュの声は微かなものだったが、レオンの耳には届いたらしい。


「だから、名前で呼んでほしい」

「……はい、レオンさま」


 結婚から三年。ローゼンシュティール皇国皇太子夫妻は、ようやく「夫婦」になった。



 その後、名実ともに夫婦になった二人は子ども達の目から見てもいつまでも仲睦まじく、「父上の運命の番は母上だと思う」と見做された。

 二人が統治した御代は、ラツェン男爵令嬢の暗躍もあったが、概ね平和であったという。

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