#17 帰るべき場所
色々と波乱の二章でしたがここまでお付き合いいただきありがとうございました。
三章からはまた先生中心の話に戻します。よろしければお付き合いください。
疲れた……。
とにかく疲れた……。
電車を乗り継ぐこと十五分。ようやく最寄り駅へと戻ってきた俺は疲れ切った表情でアパートへと向かってとぼとぼ歩いていた。
なんというか目まぐるしい一日だった。廣神と仲良く登校したと思ったら、最後は某逃走番組のように黒服の男に追いかけられ、挙句の果てにはグラマラスな変態女医のジェットコースターのような暴走カーに乗せられた。とてもじゃないがたった一日の間に起こった出来事とは思えない。
だが、そんな苦痛から俺はようやく解放されたのだ。
そう言えば、帰るときに俺は弥生さんに呼び止められた。
「未希と仲良くしてくれてありがとう。できるならばこれからも友達でいてやってくれないか」
弥生さんが言ったのはたったそれだけ。だが、その顔はどこか切実で、俺に何かを託しているようだった。俺は両親から監視されて両親の敷いたレールの上を走っていかなければならない廣神を少し気の毒に思った。あいつは俺から先生のバージンを守るために付き合ったとかなんとか言っていたが、本当はそんなのはただの建前だったのではないかと今更ながらに思った。
そうだ。
と、そこで俺はその建前こそが俺と先生の中を脅かそうとしていることを思い出す。
そのことに思い出したとき、俺はすでに自宅アパートの前に立っていた。部屋を見上げるとドアの横にあるキッチンの小窓から部屋の明かりが漏れていることに気がついた。
そうだ。先生はまだ俺と廣神が付き合っていると勘違いしているのだ。そして、先生は何故かそんな俺に怒っている。その理由は俺にはわからないが、とにかく先生に謝りたかった。
そう言えば先生の作ったお弁当、まだ手つかずだったっけ……。
階段をコツコツと上がっていくたびに気持ちが重くなった。だが、俺に帰る家はここを除いて他にないのだ。俺はドアの前にたどり着くと、一度大きく深呼吸をしてドアノブを捻った。
扉を開くと見慣れた部屋が視界に入る。部屋の真ん中には扇風機。そして、その前にはバスタオルを身体に巻いてしゃがみ込む同居人の姿。
先生は俺の帰宅に気がついていないようで、扇風機に向かって「ああああああ」と言いながら自分の声が震えるのを楽しんでいた。が、俺がバタンとドアを閉めると「ひゃっ!!」と小さな悲鳴を上げて俺を見やった。
「た、ただいま……」
俺がなんとか一言、そう挨拶をすると先生は途端に頬を紅潮させて俺から顔を逸らした。
「お、お帰りなさい……」
俺は気まずさマックスでとぼとぼと部屋に入る。先生は顔を背けながらもそんな俺のことを視線で追っているようだった。
「…………」
「…………」
が、それ以上に会話は続かず地獄のような沈黙が訪れる。つい数日前まではこの扇風機の前で二人並んでパピポアイスを食べていたはずなのに、どうしてこんなことになっているんだろう。俺は悲しくて泣きそうになった。
それからどれぐらい沈黙が続いただろうか、先に口を開いたのは先生の方だった。
「た、体調が悪いから早退ってことにしておいたよ……」
「え?」
「午後の授業だよ……。だって近本くんいつまで経っても教室に戻ってこないんだもん。そう言い訳するしかないじゃん……」
「すみません……」
先生に余計な心配をかけた。先生を困らせるようなことだけはしたくなかったから、俺は申し訳なさで胸が引き裂けそうだ。が、先生はそんな俺と特に咎めようとはしなかった。
「お風呂湧いてるよ? 先にお風呂もらってごめんね……」
先生は浴室を指さした。
「ゆっくり浸かって疲れをとるといいよ。先生あっち向いてるから」
そう言って先生はしゃがんだまま体をくるりと反転させて俺に背を向けた。これは俺たちが風呂に入る前と後にする暗黙の了解だ。
「あ、ありがとうございます……」
俺はやや困惑しながらも服を脱ぐと風呂場へと向かった。
※ ※ ※
十五分ほどゆっくり風呂に浸かって浴室を出ると、先生はすでに寝間着に着替え、うつ伏せになってファッション誌を眺めていた。が、いつものようにモデルを見て指を咥えるようなことはせず、何というか気まずさを紛らわすためのカムフラージュに開いていただけのようだった。
俺はそんな先生に何か声をかけるわけでもなく、身体を拭くといつの間にか先生が用意してくれていた寝巻きを身に着けて「もう大丈夫ですよ」と告げた。
先生はその声にぱたりとファッション誌を閉じる。
そして、突然立ち上がった。そのままキッチンへと向かうと冷凍庫のドアを開けて中からパピポアイスを一組とりだした。
先生は俺のもとへと歩み寄るとそれをパキッと割って片方を俺に差し出した。
「とりあえず美味しいものを食べれば、お互い素直な気持ちでいられるんじゃないかな……」
そう言うと先生は扇風機の前にしゃがみ込むとチューチューとパピポアイスを吸い始めた。俺も黙ったまま先生の隣にしゃがみ込むと先生と同じようにパピポアイスを吸う。
「幸せだね……」
先生は少しぎこちないながらもそう言った。
「そうっすね……」
俺もぎこちなく答える。
「私、こうやって二人でパピポを食べているときが一番幸せだな……」
先生は扇風機のプロペラを眺めたままそう呟いた。
「俺もですよ……」
「ごめんね近本くん……」
と、そこで先生が唐突に謝るので俺は慌てて彼女を見やる。が、やっぱり先生はプロペラを見つめたままだ。
「先生ね、年甲斐もなく今日は未希にやきもち焼いちゃったんだ……」
「やきもち……ですか?」
「うん、今になって考えたらあれは立派なやきもちだったと思う」
「なんで先生が廣神にやきもちを焼くんですか?」
すると先生は「それはなかなか答えづらい質問だなぁ……」と困ったような顔をした。
「きっとね、近本くんと仲良くしている未希のことを見ていたら、先生バカだから今の楽しい生活を全部、未希に取られちゃうのかなって思っちゃったんだよ……」
「そんなわけないじゃないですか」
「ありがとう。でも、あの時は頭が真っ白になって、冷静でいられなかったの」
なんだか自分でもよくわからないが、俺はそんな先生の言葉が嬉しかった。先生が俺との生活を幸せに思っていてくれることが嬉しかった。
「実はさっきね。電話で弥生ちゃんから近本くんが色々大変な目に遭ったって教えてもらったの」
と、そこで唐突に弥生さんの名前が先生の口から飛び出して俺は面食らう。
「弥生ちゃん? もしかして先生、弥生さんのこと知っているんですか?」
「知り合いも何も、私と弥生ちゃんは昔からの親友だよ」
「そうだったんですか……」
そう言えば先生と弥生さんは同じ年だったっけ。
「それでね、今日一日、色々と近本くんが大変な目に遭ったことや、未希を助けるために頑張ったってことを教えてもらったんだ。あと、いい年してやきもち妬くなって、怒られちゃったよ」
と、そこで先生は「要するにね……」と、何やら恥ずかしそうに頬を赤らめながら俺を見つめる。
「要するに先生が今一番言いたいことはね…………近本くんと仲直りしたいってことなんだよ……」
きっと先生はその簡単な一言を口にするために、相当な勇気を振り絞ったのだと思う。気がつくと先生の瞳には少し涙が浮かんでいた。
「もしも近本くんに寛大な心があるなら、こんなバカな先生とこれからも仲良くして欲しいな……」
そんな先生の顔を見ていると、俺まで泣けてくる。
先生は本当にバカだ。先生は本気で俺が渋々先生を居候させているとでも思っているのだろうか?
そんなはずはない。
俺は先生と一緒にパピポアイスを食べたり、バカなことを言い合ったりするのが大好きなんだ。俺だってこれからもずっと先生と仲良くしていたい。
だけど、不器用な俺にはそのことをうまく先生に伝えることができないんだ。
だから……。
「デザートの後に主食ってのも変な話なんですが……」
と、俺は床に転がっていたカバンのファスナーを開けると、そこからまだ手つかずだった先生の作ってくれたお弁当を取り出した。
「捨てるのはあまりに勿体ないので、一緒に食べませんか?」
そう言ってテーブルの上に弁当箱を広げた。
先生はそんな俺のことをしばらくポカンと眺めていたが、その顔にだんだんと笑みが戻ってきた。
「そ、そうだね。食べないと勿体ないよね」
そう言うとテーブルの前に腰を下ろした俺の隣に、先生も腰を下ろした。
俺は弁当の蓋を開ける。すると、例の海苔で怒りマークが描かれた弁当が二人の前に現れる。
「なっ!!」
と、そこで先生は自身がそんな洒落た弁当を作ったことを思い出し、慌てて箸をとると海苔の部分を掴んで口に放り込んだ。
もぐもぐと咀嚼しながらもなんとか「い、今のは見なかったことで」と言って俺に箸を渡した。
そんな先生の姿を見て、俺は先生との関係が平常運転に戻ったことに気がついて安心した。
やっぱり先生との生活が一番だ。




