#13 堂々たる登校
結局その夜、俺はほとんど眠れないまま朝を迎えた。
昨日は色々なことがあり過ぎた。俺たちの同棲生活は部外者にバレるし、昨日初めて会った美少女からは恋人になることを強制されて、さらにはファーストキスまで奪われたのだ。
盆と正月どころかゴールデンウイークもシルバーウィークも同時にやって来たような一日だった。
あのメンヘラ女を何とかしなければ……。そんなことを考えていたら夜は明けていた。
いつもならば完全に寝坊で遅刻パターンなのだが、どうやら眠りが浅かったらしく、いつも通りの時間に目が覚めた……のだが。
目が覚めてすぐに気がついた。
どうやら今朝の先生はご機嫌斜めなようだ。
まず手始めに朝の挨拶。目が覚めて俺は開口一番、鏡の前で髪形を整える先生に「おはようございます」といつも通りの挨拶をした。
が、先生は俺のそんな挨拶にビクッと身体を震わせると、顔を真っ赤にして鏡越しに俺を見たのだが、すぐにムッとした表情を浮かべると。フンッと露骨に顔を背けたまま「おはよう……」と挨拶を返した。
結局、先生はその後、一度も俺と会話を交わさずに「行ってきます……」と小さく呟いて家を出て行ってしまった。
まあ確かに、昨日俺たちは同棲の事実を外部に漏らしてしまったのだ。幸いなことにそれを知ったのが先生と親しい人間ではあったが、彼女はなんというか色々とぶっとんでいるので内心ひやひやだ。先生がご機嫌斜めになるのも無理はない。
が、俺にはわからなかった。
どうして先生がその不機嫌の矛先を俺に向けているのかが。
同棲がバレたことについては明らかに先生と俺の連帯責任だし、昨日、廣神から一方的に恋人になることを強制されたことについては、むしろ俺は被害者の立場だ。先生が俺に腹立てる理由が見当たらない。
俺としてはなんだか腑に落ちなかった。
だが、それでも先生は俺のために栄養満点のお弁当を作ってくれていた。そして、ご飯の部分には海苔で怒りマークが描かれていた。
まあ先生らしいといえば先生らしいが……。
俺は結局、先生の不機嫌の理由を解明することはできず、解決は時間に任せることにして家を出た……のだが。
「っ…………」
扉を開いた瞬間、本気で心臓が止まるかと思った。
そこには俺の悩みの種、廣神未希が立っていた。
廣神は相変わらず猫を被ったような笑みを浮かべると、これまた猫を被ったように小さく首を横に傾けて「先輩、おはようございますっ」と挨拶してきた。
俺はしばらく、思考が停止してその場で静止していたが、不意に我に返ると彼女を無視して歩き始める。
「今日の先輩、何だかご機嫌斜めみたいですね。でも八つ当たりはよくないですよ」
背後でそんな声がしたので、俺はたまらず振り返る。
「八つ当たりじゃねえ。百パーセントお前のせいで不機嫌なんだよ……」
「まあ突然、初対面の相手に恋人になってなんて言われたら、いくら先輩だって動揺しますよね」
「なんだよ。今日は妙に聞き分けがいいじゃねえか」
「そうですか? 付き合い始めっていうのは、情緒不安定になるものです。そう少女漫画で読みました」
「別に俺はお前と付き合うなんて一言も言っていないぞ?」
そう冷たく返して、俺は彼女に背を向けようとした。が、その時、廣神の顔から表情がなくなったことに気がついた。直後、廣神はごそごそとバッグに手を突っ込むと何かを取り出す。
それは刃の部分をタオルでぐるぐる巻きにされた包丁だった。彼女はゆっくりとタオルを解いていく。
「お、おい早まるなっ!!」
俺は慌てて彼女に駆け寄ると、その手を押さえる。
「先輩は私の恋人……ですよね?」
廣神は無表情のまま低いトーンで俺にそう尋ねた。
「そ、そうだよ。もう恋人ってことでいいよ。だからその物騒な物をとっととカバンに片づけろっ!!」
そう言うと、途端、廣神は元のあざとい笑顔へと戻った。
「もう、先輩ったら冗談きついですよっ!! ほら、遅刻する前に早く行きましょ?」
そう言って廣神は俺と強引に腕を組んで歩き始めた。俺の二の腕にはワイシャツ越しによく成長した胸が押し当てられていたが、そんなことに喜ぶような余裕は今の俺にはない。
本当に油断も隙も無い先生とは正反対の女だ……。
こんな女と一緒にいたら命がいくつあっても足りない。
俺は渋々、廣神と身体を密着させながら登校することとなった。
が、当たり前だと言えば当たり前だが。こんな状態で歩いていたらとにかく目立つ。一緒に歩いているのが普通の女子生徒ならともかく、相手はあの現役アイドル廣神未希なのだ。道行く生徒たちはみんな俺たちに後ろ指を指し「あれって廣神だよな?」「ええ? なんであんな地味そうな男子と歩いてるの?」などと、ひそひそ話をしていた。
こんなに注目されながら登校したのは初めてだ。
俺は居心地の悪さを感じながらも、廣神を見やる。
廣神は笑みを浮かべながら「照れちゃうので、あんまり見つめないでください」と心にもないことを言ってきた。
「おい」
「なんですか?」
「お前、確かアイドルだったよな?」
「そうですが……何か?」
「アイドルってのは、恋愛はご法度なんじゃないのか?」
先生の話によれば、廣神は少なくともテレビに出演したことがある程度には活躍しているはずだ。
「俺は芸能界のことはわからないけど、こういうのを週刊誌の記者に見られたりしたらまずいんじゃないのか?」
「私はまだ駆け出しのアイドルですよ? それに仮に撮られたところで、そんなの揉み消しちゃえば終わりじゃないですか」
「簡単に言ってくれるじゃねえか」
俺がそう答えると廣神は「え?」と驚いたように立ち止まった。
「先輩、私のこと何も知らないんですか?」
「そりゃ、初対面だからなぁ」
「いや、初対面でも、廣神って名前を聞けばピンとくると思いますが……」
「はあ?」
俺は首を傾げる。
廣神? まあ珍しい名前ではあるがそれがどうしたというのだ。
廣神……廣神……廣神……廣神重工っ!?
俺はそこでようやくピンときた。
「お前、もしかして廣神重工の……」
目を丸くする俺を見て廣神はクスクスと笑う。
「先輩って、本当に私のこと何も知らないんですね。学校でそのことを知らない人なんてきっと先輩ぐらいですよ? でも、私はそういうところを含めて先輩のこと大好きですよ」
大好きかどうかどうでもいいとして、廣神重工の子息だというのは俺にとって衝撃的な事実だった。こいつとんでもない金持ちじゃねえか。そんな奴がただ先生の処女を守るためだけにこんなことをしているのか……。
廣神の執念にぞっとする。
「ってか、そんなに先生のことが好きなら、お前のお父様のお力で先生の借金ぐらいなんとかできるんじゃないのか?」
「ええ、できますよ」
「ならどうして……」
「私も、もう何度も先輩と同じことを考えて行動に移そうとしました。ですが、当のさくらが私からお金を受け取ろうとはしませんので」
まあ、先生の選択は賢明かもしれない。こいつに借りなんて作ったら、その恩義を逆手にとって何をしてくるかわからない。
そんな会話をしているうちに校門が見えてきた。校舎からはどこから噂を聞きつけたのか、学園のアイドルと腕を組んで奴の確かめようと大勢の生徒が俺を凝視している。
ただこいつと登校をするだけで、ここまでの苦行を強いられるのか……。
いつか誰かに刺されるな。もちろんその誰かの中には廣神も含まれているけど。
と、そこで俺は気がついた。
校門の前では俺の担任、織平さくらが他の教員とともに生徒たちに朝の挨拶をしていることに。
そして、先生はすぐに俺と廣神の姿を視界に捉え、動揺したように肩をビクつかせた。
先生は慌てふためくように、校門を通る俺たちの顔を交互に見やった。が、すぐにまた朝のようにムッとした表情で、何故か廣神ではなく俺だけを睨みつけてきた。
俺はそんな先生に全ての事情を説明したかったが、廣神が強引に俺を引っ張っていくのでその機会を逃した。
悲しい。あの優しくて大好きな先生からの冷たい視線は何よりも心にグサッと突き刺さる。
見ないでくれ。そんな目で俺を見ないでくれ……。
俺は泣きそうになりながら遠ざかっていく先生を眺めていたが、少し歩いたところで不意に足を止めると、密着していた身体を離して俺の正面に立った。
「先輩、私はこっちなんで、ここでお別れですねっ」
「そう言えば一年はあっちの校舎だったっけ?」
「はい、それでは先輩、また昼休みに校庭で会いましょうね。もしも会えなかったら……もう説明はいらないですよね?」
と、いたいけな笑みを浮かべる。
「はい」
と、答えるしか俺に選択肢はなかった。
俺がそう答えさせられると、廣神は小さく俺に手を振って自分の校舎の方へと歩いていく。
が、不意に何かを思い出したように踵を返すと俺のもとへと駆け寄ってきた。
「そうだ。忘れていました」
「はあ?」
と、そこで廣神は唐突に背伸びをして俺と唇を交わした。
あまりに突然だったので逃げることができなかった。が、廣神は俺の唖然とした表情を確認することなく、俺に背を向けると校舎へと駆けていった。
直後、学校中に全校生徒の叫び声が響きわたった。




