#11 廣神未希という生徒
ここから二章に入ります。今後ともよろしくお願いします。
ある日の夜のこと。
俺と先生はここのところ二人の間で流行っている風呂上がりのささやかな楽しみに、ささやかな幸せを感じていた。
「美味しいね……」
「美味しいっすね……」
「一日でこの時間が一番幸せだね……」
「そうですね……」
先生は顔を綻ばせて、幸せを共有するように俺を見つめた。
なんて素敵な笑顔だ。先生の幸せそうな笑顔は学校生活のストレスとか心からどうでもよくなってしまうような、そんな不思議な魅力があった。
夜十時、それぞれ風呂から上がった先生と俺は、仲良く二つに割ったパピポアイスをちゅーちゅーと吸いながら、全開の窓から流れてくる心地よい風で涼をとっていた。
本当にコスパのいい幸せだ。
人間はスーパーの半額セールで買った箱入りアイスでこんなにも幸せになれるのだ。何て安い買い物だ。
先生は先週、押入れから引っ張り出してきた扇風機のスイッチを入れるとドライヤー代わりに髪を靡かせる。そして、先生は扇風機に向かって「あああああああ」と言う今どき小学生でもやらない古典的な遊びを始めて、一人でクスクスと笑っている。
「あ、そうだ近本くん、知ってる?」
と、そこで先生は不意に何かを思い出しように俺を見やった。
「突然、知ってる? って聞かれても答えようがないですよ」
「それもそうだね。近本くんは一年生の廣神未希ちゃんっていう女の子のこと知っている?」
「廣神?」
俺は記憶を巡らせる。が、そもそもクラスで女子とはほとんど接点のない俺に、一学年下の女子生徒のことなど知っているわけがない……はずなのだが、その名前に何やら聞き覚えがあるような気がした。
「あれ? 知らないの? 凄く可愛い女の子で、男子生徒ならみんな知っていると思ったんだけどな……」
と、そこまで言われて俺はようやくピンときた。そういえば、クラスの連中が休み時間にそんな名前のやつのことを話していたような気がする。確か、先生が言うようにかなり可愛い顔をしているらしく、最近、男子生徒から注目の的になっているとかなっていないとか。
「その廣神さんが、どうかしたんですか?」
「彼女、可愛いしスタイルもいいから、中学生のころから読者モデルの仕事とか、ちょくちょくやってたんだけど、最近なんとかっていう音楽ユニットに所属するようになって、アイドル活動も始めたんだよ……」
「へえ……そうなんですね……」
何やら目を輝かせながらそんなことを言う先生だが、俺の方は正直なところ全く興味がなかった。その廣神何とかって子がどれだけ可愛くてアイドルをやっていたところで俺とは全く無縁な話だ。
「この間、たまたま職員室のテレビに彼女が映っていて見てたんだけど、歌も、表情の作り方も前よりも上手くなってたし、先生嬉しいなあ……」
と、まるで自分のことのように悦ぶ先生を見て少し不思議に思った。確かに、その廣神とやらは広い意味で見れば先生の教え子だし、先生自身元アイドルだから自分と同じような境遇の生徒に感情移入しているのかもしれない。が、先生は二年の担任だし、彼女と深い接点があるようには思えなかった。それに先生が口にした“前よりも”という言葉が少し引っかかった。
「私もあれぐらい可愛かったら、もっと有名になれたかなあ……」
「先生だって可愛いじゃないですか」
俺は素直に思ったことを口にした。
すると、先生は少しだけ恥ずかしそうな表情を浮かべる。が、すぐにニヤリと悪戯な笑みを浮かべると持っていたパピポアイスを俺の頬に当てた。
急に頬を襲う冷たさに、思わず身体がビクッと震える。
「な、何するんっすかっ!?」
「きみもなかなか隅に置けない生徒だな。先生にお世辞を言っても課題の答えは教えてあげないよっ」
そう言ってクスクスと笑った。
とまあ、こんな感じで俺と先生は貧乏ながらも、それなりに幸せにやっていた。そして、俺は漠然とこんな先生との共同生活がこれからもつつがなく続くのだと思っていた。が、そんな俺の予想は数日後、ものの見事に打ち砕かれることになる。
いや、今になってみれば、この先生と俺の会話は重要な伏線だったのかもしれない。だけど、この時の俺にはそんな伏線にこれっぽっちも気がつく余裕はなかった。
※ ※ ※
そして、ついにその日がやって来た。
日曜日だというのに、俺も先生も特にお出かけをするわけでもなく、だらだらと寝転がりながら束の間の安息の日を楽しんでいた。先生は相変わらず、ファッション誌のモデルを羨ましそうに指を咥えながら眺めていた。そんな先生は誕生日にプレゼントした例のワンピースを身に着けている。どうやら気に入ってくれたようだ。
俺はというと最近クラスで流行っているカードゲームを題材にしたスマホアプリを付き合いのために渋々進めていた。
そんな時、不意に俺の家のドアをコンコンとノックする音が聞こえ、俺はスマホから顔を上げる。そうそう、言い忘れていたが家にはインターホンなどという近未来的なガジェットは存在しない。
俺は顔を上げていたが、しばらくすると再びスマホへと目を戻す。
「出ないの?」
そんな俺に先生がそう尋ねる。
「出ないですよ。どうせ、出たところでMHKか宗教の勧誘でしょうし……」
「まあ、それもそうだよね……」
と、先生は苦笑を浮かべると再びファッション誌へと目を落とす。
が、その訪問者はなんというか……しつこかった。まるで俺たちが居留守を使っていることをはっきりと理解しているかの如く、コンコン、コンコンと執拗にノックを続ける。
そんな訪問者に俺と先生は顔を見合わせた。
「誰だろう……」
先生は少し不安そうに俺を見やった。流石の俺もここまでしつこくされると、いったい誰なのか気になってくる。
というわけで、俺は渋々ながらもスマホを床に置いて立ち上がると玄関へと向かった。
この時、俺は何だか胸騒ぎがすることに気がついていた。が、もはや玄関まで来てしまったため、扉を開くという選択肢を選んだ。
扉を半分だけ開いて顔を出す。すると、そこには一人の制服姿の少女が立っていた。どうやら、うちの学校の生徒のようだ。が、俺はその少女に見覚えはなかった。
「だ、誰?」
俺はその見覚えのない訪問者にやや警戒心を抱きながらもそう尋ねる。すると、ボブヘアのその少女はなにやら笑みを浮かべている。
「ここって、近本先輩のご自宅ですか?」
「え? そ、そうだけど……」
いきなり見ず知らずの生徒に名前を言い当てられて、俺の警戒心はさらに大きくなっていく。
それはそうと……。
目の前に立つこの謎の女子生徒はかなり可愛い顔をしていた。いや、かなりなんてレベルではない。とびっきり可愛い顔をしていた。が、そんな可愛い女子生徒が俺の家に用があるなんて、これっぽっちも思えなかった。
「何か……用かな?」
俺がそう尋ねると女子生徒は「ええ。とっても大事な用があるんです」と、笑顔のまま答えた。
「ってか、きみ……だれ?」
俺は宗教の勧誘の相手でもするように冷めた目で彼女を見やる。すると、彼女は妙にわざとらしくハッとした表情を浮かべる。
「ごめんなさい。先輩とこうやって顔を合わせて会話をするのは初めてでしたね。私、一年の廣神未希っていいます。先輩、初めましてっ」
そう言って廣神とやらは、馬鹿丁寧に俺にお辞儀をする。
廣神?
俺はその名前に妙に聞き覚えがあるような気がして、数秒後に思い出した。
「廣神って確か……」
「おや? もしかして、私のことご存知なんですか? それなら話は早いですね」
「いや、知ってるって言っても名前を聞いたことがある程度だけど……」
そうだ。確か彼女は数日前に先生が言っていた最近、アイドルになったとかいう女子生徒だ。どうりで可愛いわけである。が、そんな現役のアイドルが俺に何の用だ?
そんな俺の思いが表情に出たのだろうか廣神は唐突に、一歩前に進み俺にぬっと顔を近づけると俺の目をじっと見つめた。
俺と廣神の顔は息がかかりそうなほどに近づき、思わず俺は頬が紅潮する。
廣神は何やら不敵な笑みを浮かべながらしばらく俺の目を見つめていた。まるで俺の心を読み取るかの如く。そして、不意に口を開く。
「そこに織平さくらがいることはわかっているんですよ」
「なっ!?」
そんな言葉に俺は思わず目を見開いた。しまったと瞬時に思ったが、その直球すぎる言葉に驚かずにはいられなかった。
「先輩ってわかりやすい方ですね」
そんな俺に廣神は表情一つ変えずにそう言った。
やばい。かなりやばいことが起きている。
「な、何の話かな?」
俺はバレバレとわかっていても、白を切る以外に選択肢がなかった。
「用がないなら、帰ってくれよ」
パニックに陥った俺は強引に扉を閉めようとした。が、その直後、廣神はローファーをドアの隙間に差し込みそれを阻止する。
「へえ……白を切るつもりですか……。別に私はそれでも構わないのですが、そんなことをしても先輩の首を絞めるだけのように思いますが」
廣神はまたわざとらしく、困ったような顔をした。が、不意に彼女は俺から視線を逸らすと、俺の肩越し、つまり部屋の中へと向かって「いるのはわかっているんですよ。さくらっ」と、先生に向かって直接声を掛け始めた。
直後、背後でバサッと雑誌が床に落ちる音がした。
俺は慌てて廣神の肩を掴むとやや強引に彼女を押し戻した。
「あ、あのさあ……。何の話をしているのかさっぱりわからないけど、先生は俺の家になんていないから、とっとと帰ってくれないかな?」
苦し紛れにそう答えると廣神は妙に聞き分けがよく「そうですか……」とこれまたわざとらしく悲しそうな顔をした。
「いないのであれば、きっと私の勘違いだったみたいですね」
「そ、そういうことだから……」
と、そこで俺は再びドアを閉めようとする。
が、
「あ、そうそう先輩。面白いお話があるんですよ」
と、再び笑顔で俺にそう言う。
「面白い話?」
「ええ、実はさくら、いや織平さくら先生は中学の頃、想いを寄せていた先輩がいて――」
「その話はだめええええええっ!!」
と、そこで部屋から叫び声が聞こえてきた。直後、ドタドタと玄関へと駆けてくる音が聞こえた。
先生の顔がぬっと俺の肩越しに現れた。
「ちょ、ちょっと未希。その話は二人だけの秘密だって約束したでしょっ!?」
先生は自分の胸を俺の背中に押しつけていることにも気がつかずに、何やら慌てた様子で廣神を見つめていた。
先生の顔を見た廣神はそこで初めてクスクスっと自然な笑みを一瞬浮かべた。
が、それも束の間。
「おや? さくらはここにはいないんじゃなかったでしたっけ?」
と、何やら不敵な笑みで俺を見つめた。
この日、俺たちは初めて同棲していることを部外者に知られた。




