臨床
かなり抑えたつもりですが少しグロい表現があります。注意して下さい。
研究室の時計が午後四時半を回っている。
研究室の窓から向かいの校舎の窓ガラスに反射した夕陽が部屋を紅く染めている。
珍しく誰も居ない研究室の実験室。
壁に有ったはずのシミが床にあった。
良く見るとモゾモゾと蠢いていた。
意思を持つかの様に移動している。
床から元あった壁の位置へ移動して行く。
床から壁に辿り着いた時、移動がピタリと止まった。
研究室のドアが開き、ペチャクチャと笑いながら三人の学生が入って来た。
「だーれだ、ここのドア、開けっ放し」
女学生の一人がドアを閉めようとノブを握った時、実験室の奥に倒れている人の片足と手前にひっくり返った靴が見えた。
「あれ?」と言い、実験室のドアを大きく開く。
「どうしたの」一緒に研究室に入って来た一人が聞くと
「人が倒れてる」と言いながら女学生は
「どうしたんですか? 大丈夫ですか」
と言いながら入って行く。
研究室に入った他の二人も後を追う。
「キャー」先に入った女学生が叫び、続いて入った女学生も叫び声を上げる。
男子生徒一人は 声を上げなかったが 目を丸くしてガタガタと震え出し、女学生二人の手を取ってドアの方へ引っ張った。
廊下で声を聞きつけた学生達が 研究室に走り込んで来て
「どうした。何があった」大きな声で聞く。
「警察を、それと相馬教授を、人が血塗れで倒れている」
男子生徒が大声で言いながら女学生二人を連れてドアから研究室に戻る。
「警察だな」飛び込んで来た学生の一人が近くの電話器を掴み 受話器を取りながら
「相馬教授を、今ならうちの教授と一緒に第三会議室に居る筈だ、呼んで来てくれ」
そばに居る学生達に言うと学生一人が頷き、駆け出して行く。
15分程して聡と安藤が駆けて来た。
「人が倒れてるって?」
聞きながら研究室を通り、実験室のドアから二人が中に入った。そして凡そ人間技で出来た死体で無い遺体を目の当たりにした。
遺体の主は 助手であった。
かつて助手であったその体は 首は鋭利な刃物で切られた様に綺麗に切断され、腕は引きちぎられ体の両側の壁際にあった。
腹は大きく裂けていた。
見た二人は其々が 口を手で押さえ吐くのを堪えながら腰を曲げヨロヨロと研究室に戻る。
研究室の長机周辺に置いてある椅子に腰掛けて呼吸が整うのを待った。
丁度、呼吸が整った頃、警察官が二名現れて
「どうしたんですか」質問をして来る。
「遺体がこの奥に」聡が答えると
「おい」と警察官の一人がもう一人を促しながら実験室に入って行き、直ぐに戻ると無線で本部に問い掛け、刑事と鑑識を要請して救急車を一台、遺体搬送用と告げ、遺体が猟奇的な状態で有る事を告げる。
「第一発見者の方は貴方ですか」
警察官が聡を見て言うと
隣に座って青い顔をした男子生徒が
「僕と彼女らの三名です」
と、男子生徒の前で未だガタガタと震え真っ青な血の気の無い顔色をした女学生二人を手のひらを上に向けて指す。
「警察に電話したのは?」
「俺です」と電話器のそばに立っている男子生徒が手を挙げた。
彼らの顔を見た警察官が又、無線で
「臨床心理士の先生をお願いします。第一発見者の精神状態が不安定なので」
「本部、了解しました。手配します」
臨床心理士の安倍は、センターでの講義が終わりホッとしながら事務所に戻ると事務員の出して呉れた熱いコーヒーを目を細めて応接用の丸いテーブルの脇にある椅子に腰掛けてススっていた。
「最近、変な事件 多いねー」
同僚の一人に問いかける。
「あー、あの超大型犬の事ですかね」
「うん、其れもそうだけど。高熱で焼かれた原っぱとこの時期に凍った大地」
「どうやったらあんなの出来るんですかね」
「テレビで言ってたけど 8千度以上の高熱でないとあんな風に成らないって、そんな装置、何の目的であんな何も無い場所に持って行ったんでしょうね。其れに凍った木や大地、液体酸素でもあそこ迄凍る事は有り得ないらしいですよ、何でも絶対零度で分子、電子に至るまで凍らせてあって少しの衝撃で粉々に成ってしまうらしいですよ」
「あの広大な所だと相当、電気代要るね」
「先生、電気代の心配ですか」
クスクス笑う。
「電力会社に問い合わせてもそんな電力を消費した履歴が無いそうだよ」
「じゃ、電池?、どんだけ大きい電池だろ」
「問題は動機だよね」
「唯一の被害者がいたらしいです」
ニヤニヤしながら同僚が言う。
「被害者だって。死亡記事は無かったからなー、凍傷か火傷でもしたかな?」
同僚はクスクス笑いながら
「被害者は 狐 ですよ。なんでも身体中に穴が何ヶ所も空いて死んでたらしいですよ。それと今朝の新聞、見ました?」
と言いながら 同僚は鞄から新聞を取り出し、現場の空撮された写真を手渡すと
「焼かれた部分と凍った部分が入り乱れて、まるで何かが争った様なイメージでしょ」
「まるで・・・そうだな」
阿部はその写真を見て答えながら 幼少の頃、田舎で同じ様な物を見た記憶が蘇る。
(あの時、爺ちゃんと婆ちゃんが 御狐様が遊んでいらっしゃるから邪魔するんじゃないよ とか言って怒られたな・・・そう、稲刈りの終わった田で此処も危ないから逃げようって言うと、こっちには決して来ないから良いんじゃ今日は家の中で遊んでおれ、とか言われたな)
コーヒーを持った手をじっと見ながら阿部が考え、思いを馳せていると
「先生、大丈夫ですか」
「あ、う、うん。写真を見て昔の事を思い出してね。祖父や祖母が【お狐様】って言っていた事をね。似ているんだ、この現場・・・似ている・・・あの頃見た景色に・・・ホント、そっくりだ。其れと死んだ狐、関係が有るのかな〜」
阿部が答える。
事務所の電話が鳴り事務員が対応している。
同僚が「田舎の昔話の狐ですか?、おっと、電話だ」笑いながら内線に掛かった電話に出て
「先生、警察から目撃者のセラピーの依頼です」と言って受話器を阿部に手渡した。
「はい、安部です。・・・・はい、・・・わかりました現場に行けば良いんですね」
と答え、電話を切った。
「また猟奇殺人だって。発見者は女子大生二名と男子生徒一名。今度のは今までに無く凄惨な惨殺体だそうだ。第一発見者三人は、其れを見て全身が震えているそうだ」
安部は言い、「可哀そうだ。PTSDを発症しなきゃいいが・・・じゃ、行ってくるね」
と言うと「僕も一緒に行きましょうか」
同僚が言ったが、安部は、警察が出来るだけ内密にしたいそうだと言う理由で断り出掛けて行った。
安倍は、現場へ向う車を運転しながら妙にあの写真の炎と氷の惨状が自分の記憶の中と似ているのが気になって仕方が無かった。
大学に着き、相馬教授の研究室は、パトカーや学生達の喧騒で容易に見つける事が出来た。
いつもの合皮で出来た角や持手の剥げた鞄を持って安部は研究室へ急いだ。
研究室のある建屋の前の警官に挨拶すると、奥から警官の1人が走って来て
「臨床心理士の先生ですね」と声を掛けて来たので
「はい、要請頂き寄らせて頂きました」安部は答えながら名刺を差し出した。
差し出された名刺を見て警官が「こちらへどうぞ」とテープを上げ招き入れ、
「聞こうにも 男の子の方はまだ良いんですが、女学生二人は、体自体も硬直してどうにも」
警官は部屋へ案内しながらしゃべる。
警官は安部を研究室の向かいの部屋へ招いた。
長机に椅子が六つあり、入って左側に女学生が二人座っていた。
安部は女学生の向かいの椅子に座ると
「臨床心理士の安部と申します」と言い、女学生の反応を見る。
「うーん、ショックだよね」暫く様子を見てから自分の鞄から一冊のファイルを取り出すと
「手を合わせているけど、両手、離せる?」と聞くと
「えっ」と言いながら上を向き安部の顔を見る、そして机の上に置かれた一枚の名刺を見て
「こ、こんにちは」女学生が返事をした。
「僕はそこの名刺にある様に臨床心理士の安部です。よろしく御願いします」
にこやかに微笑みながら女学生二人の目を見る。
「手を離せる? ぎゅって握ったままなんだけど、痛くないの?」安部が聞くと
「あ、ほんとだ」と二人の女学生は自分の両手を見て言った。
「肩を後ろに回そうか、僕の合図で回してね、三回だよ。良い?」
「手は?」
「そのままで良いよ。さぁ、行くよ。深呼吸してね、いーーち、にーーい、さーーん」
「どうだい? 指、動くだろ?」安部が聞くと
「あ、あれ? 簡単にほぐれちゃった」二人の女学生は、顔を見合わせてびっくりしている。
「うん、もう大丈夫。 両手を机の上に置いて少し揉んでおくと良いよ」
「はい」二人は両手を机の上に置いて両手でぐにぐにと揉み始めた。
「ちょっと、コーヒーでも貰おうか。君達は、手を揉んでいてね」安部が言うと
「あ、はい」と言いながら作業を続ける。
安部がコーヒーを持って部屋に入ると 二人の顔色は、大分と良くなっていた。
(さぁ、ここからだ。彼女達にPTSDが残らなきゃ良いけど)
心の中でぐっと拳を握るが、顔は穏やかに微笑んでいた。




