その1
坂本恭子は例によって難しい顔をしている。困ったものだ。
「駒田倫太郎君、だっけ?」
「あ、はい」
俺はなるべく謙虚に答えた。が、そろそろ名前ぐらい覚えてほしいものだと強く求めるところである。彼女の立場や性格から察するに、おそらくわざとやっているのだろうとは思うのだが。
「君ね、基本人の話聞いてないよね?」
「そ、そうっすか?」
蛇ににらまれた蛙である。片手に竹刀、片手に俺の原稿を持った彼女の視線が俺に向けられるたびに生きた心地がしない。さりとて逃げるわけにもいかない。なにしろ俺は望んでここに来ているのだから。
リンボー出版と言えばそれなりに名の知れた会社である。主に少年少女むけの読み物を多く取り扱い、歴史も実績もある出版社ではあるが、最近は若者の活字離れやインターネットの普及を口実に業績不振に陥っており、有名人が書いてみた小説やちょっとエッチな漫画を出版してなんとか乗り切っているのが実情であるらしい。
そんな窮状を救ってやろうと俺はここに来ているのだ。それも一度や二度のことではない。
「前にも言ったと思うんだけど、私たちは慈善やボランティアで出版やってんじゃないの。読者が思わず手にとって読みたくなる、あわよくばそのままレジに持って行きたくなるような本を刷ることでご飯を食べてるわけよ。わかるよね?」
「はい、それはもう十分に」
「それを踏まえたうえで、貴方の原稿には決定的に足りないものがあるの。わかる?」
「忍者ですか?」
「ちがーーーう!!!」
恭子さんは持っていた竹刀を手前の机に思い切り叩きつけた。急に怒り出すので怖いったらありゃしない。
「どうしてアンタは何かっていうと忍者か番長を話に絡めてくんのよ? もう何べんも原稿見せてもらったけど、ざっくり思い返しても忍者忍者番長、番長番長忍者の繰り返しじゃないのよ!」
「ちょっと違いますね、忍者番長忍者、忍者忍者番長です」
「サンドマンッ!」
元ネタのよく分からない掛け声とともに、恭子さんの竹刀が俺の脳天に振り下ろされた。痛烈な打撃に悶絶する俺を見下ろしながら恭子さんは言った。
「いい? 貴方みたいなトンチキに何度言っても無駄かもしれないけど、時代は"萌え"を求めてるのよ。メイド、魔法少女、ガールズバンド、それからそれから……小学生!」
「小学生っすか?!」
「いや小学生はさすがに私もどうかと思うけど」
「ですよねー」
「まあなんにしろ忍者はないわ! 少しでも本気なら、せめて萌えるもの書いてきなさいな」
いやもう少しどころか全力で本気なのだが。本気で書いた挙句このザマでは、一体何を書いたらいいのか分からない。というか萌えというものがどうもよく分からない。
ひとつだけ確かなことは、どうやら俺の今度の力作『忍者番長リキマル』も彼女のおめがねにはかなわなかったらしいということだ。実に口惜しいことではあるが、ここは引き下がるほかないだろう。
「ちょっと、待ちなさい」
原稿をまとめて帰ろうとする俺を恭子さんが呼び止めた。
「なんですか?」
「前から気になってたんだけど、なんで貴方もの書きやってんの?」
「へ?」
「やる気は認めるけど、売れる気は感じられないし才能もなさそうだし」
「通常言いづらいことをザックリと言いますね……」
「早いうちにあきらめさせてあげるのも、私らの仕事でね」
「ご親切にどうも。でも、あきらめるのに理由なんて要りますか?」
恭子さんは呆気にとられたような表情を浮かべた後で、静かに言った。
「また来なさい」
「どうも」
リンボー出版のビルを出ると、冷たい木枯らしが容赦なく俺の顔に吹きかかってきた。
空は鈍色、太陽は低め、何もかもがスッキリしないこの天気が俺の心境とやけにリンクして困る。
「結構頑張って書いたんだけどな」
俺は声に出してそう言ってみた。つまり独り言である。
言い訳がましい独り言くらい空しいものはない。それが希望や可能性に満ちたものならば少しは気も晴れるだろうが、ネガティブな独白なぞ身体から熱を外に吐き出すだけの行為だ。
少し冷える。身体が寒い。ひょっとすると心も寒いのかもしれないが、それは確かめようもない。今日はバイトも無いのでさっさと我が家……六畳一間のボロアパートに戻ることにしよう。あれこれと考えるのはその後でもいいだろう。
自らの家路たる混んだ電車の中で、俺は窓の外で競うようにそそり立つビルディングの群れを眺めながらぼんやりと思い出していた。気がつけば俺が卒業して上京し、まもなく1年が経とうとしている。
友だちや同級生たちが進学や就職を決めて喜びあっていたあの春の日。俺は、俺だけがひとり途方に暮れていた。ろくすっぽ勉強も運動もせずに小説やマンガを読み漁ったり、その真似事をしたりしていたがゆえの結果と言えばそうに違いないが、それでも俺の胸の中には寂しさと悔しさと、それからいくばくかの反骨心と野心があった。
俺には進学先も就職先も、およそ約束された将来など何ひとつ無い。だが、裏を返せば無限の可能性を秘めた未来がある。そう考えることにして一念発起、上京を決意したのだ。これまで培ってきた物語に対する知識情熱、そしていくらかの才能があれば、世の中をあっと言わせるような作品を世に出せるものだと思っていた。
ところが現実はどうだ。ようやくなんとなく懇意になれた編集者にはとことんまでダメ出しをされ、拒絶されないまでも認められる気配すらない。現実は物語のようにうまくはいかないと言うけれど、俺の場合は物語すらうまくいっていないのだ。いわんや現実をや、である。
電車が駅につくと、俺は多分浮かない顔つきでホームに降りてとぼとぼと歩きはじめた。足どりは重いが胃袋は軽い。そういえばまだ昼飯も食べていなかった。独り暮らしが続くとどうも生活が不規則になってよくないが、かと言って外食をするような余裕も無い。冷蔵庫に何か買い置きがあっただろうかなどと考えているうちに俺の住むアパートが見えてきた。どこから見ても完全無欠の昭和建築である。風情は満載だが高級感は一切無い。
しっかりと錆びて今にも抜け落ちそうな階段を昇り、西日のよく当たる部屋の鍵を開ける。すると小汚く散らかっていたはずの俺の"城"はどういうわけかひどく小ざっぱりと整理されていた。そして狭い部屋に無理やり設備された流し場を見た瞬間、俺の認識は軽い混乱を生じた。
何故か若い女がいる。どうやら部屋を間違えたようだ。俺の気配に気づいた若い女というより少女たる彼女がこちらを振り返りしばし目が合うと、俺は「これは失礼」と言わんばかりに軽く頭を下げて部屋のドアを閉じた。それから少し考えた。
おかしい。ドアの鍵が開けられたということは多分俺の部屋に違いはない。違いはないのだが中には知らない少女がいた。いやいや待て待て待て。鍵のかかった部屋に彼女はどうやって入ったのだ?それはここが彼女の部屋だからだろうか?だとしたら俺の鍵でドアが開いたという事実に説明がつかない。
などと考えていると部屋の内側から扉が開かれ、少女がひょっこりと顔を出した。鮮やかな栗毛の長い髪が強い印象を与える実に可愛らしい感じの女の子である。彼女は僕と目をあわせるとにかっと歯を見せて笑うと、さも当然のように声をかけてきた。




