Episode2「Nameless Youth」
───どこか、暗い場所を彷徨う感覚。
どこまで歩いてもどれだけ進んでも道の見えない、何も存在しない、そんな深淵の中で延々と進み続けるだけの嫌な感覚。
そんな何も無い、何も見えない場所だからこそあの日の情景が否応なしに絶え間なく頭の中に浮かび上がってきた、今でも脳に焼き付いて離れないあの地獄が──。
燃え盛る地獄の業火に焼き尽くされた嘗ての故郷、そこに住まう友人、先輩、恩師、そして家族…そのすべてを殺した災厄。
そのような地獄とも呼べる情景が次から次へと想起されていく、そんな地獄のような記憶から頭の中から消し去りたくても己が背負った罪がそれを決して許さない、それはまさに永遠に終わることの無い悪夢を見ているかのような最悪な気分だった…。
それと同時にあの日犠牲になった大勢の見知った人間の顔が次々と浮かび頭の中に浮かび、その者達の声がまるで木霊のように耳の中に反響する。
『───なんで?なんで殺した?』
最初に聞こえてきたのはそのような言葉だった。
自分の命を奪った事に対する憎しみを孕んだ疑問を投げ掛ける声…だが聞こえてくる声はなにもそれだけには留まらない。
『なんで?ねぇなんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで』
『裏切り者…穢らわしい…』
『どの面下げて今生きてるの?』
『私達を帰してよ』
連続的に聞こえてくるのはまるで俺に対して恨み節をぶつける人々の怨嗟の声、そのような憎悪の籠った言葉が、声が、ただひたすらにこの暗い空間の中で永遠に木霊し続けている。
『最低、お前のせいで、お前がいたから、お前なんて───』
『『『───死んでしまえばいい』』』
最後には複数の声はそのような言葉として重りあって、そのすべての人の声が自分に向けての怨嗟の言葉として響いた。
同時に、浮かび上がっていた見知った人々の顔がその瞬間、あの地獄の炎で焼かれた後の死に顔に様変わりした。
「──ッハ!?!?」
その光景を最後に、アキラは即座に目を開け、跳ねるかのような勢いで上体を起こした。
「はぁ!!はぁっ!はぁっ、はぁ…はぁ…」
過呼吸が止まらない、冷や汗が滝のように流れてくる。
先程までの自分を責める無数の怨嗟の声達によってアキラは酷く寝覚めの悪い形で叩き起こされた。
あの悪夢は故郷を葬った燃え盛る炎を想起させた、そしてあの怨嗟の声は、その故郷を葬ったアキラに対する恨み節に他ならない。
そしてそれはアキラ自身の自責の念が作り出した幻聴なのか、はたまた夢に化けて出てきた怨霊達の声なのかどうかは定かではない、だがその夢を見た本人はその悪夢をただ黙って受け入れるしかなかった。
その後、アキラは顔を抑えながら乱れた息をゆっくりと整える、しばらくの間深呼吸を繰り返す事でなんとか気持ちを持ち直す事が出来た。
だが先程まで眠っていた宿泊施設のベッドはとてつもない量の寝汗でまるで水浸しのようになっていた、よく脱水症状にならなかったものだと自分でも驚くほどに。
そんな寝汗で酷く濡れたベッドからアキラは離床し立ち上がった、まだ身体は重いが、そんな体を引きずるように彼は部屋の窓際まで歩いた。
そして窓のカーテンを開き、彼は外の景色を眺める。
外は一面の雪景色だった、今は十二月。
アレからもう約一年半の月日が経っていた、それに伴い現在のアキラの年齢は十四歳となっている。本来ならばもう既に中学三年生へと上がっているどころか、既に高校受験が行われようとしている時期の年齢だ。
だが一年半前、街が崩壊した事で高校へと進めなくなったアキラは当然ながら学歴は中卒止まりとなっている、尚その中学すらもあの事件以降無くなっている為中学を卒業する事すらも出来なかったが。
そして今現在の彼は日本を転々としながら身を隠して生きている。
その弊害か、周囲を警戒するあまり公共の施設を使う事が殆どなくなった為、すっかり切らずに無造作に伸ばされた後髪を彼はヘアゴム一本で纏め上げ、部屋の壁に立て掛けてある自分の剣を手にとって握り締め、眺め始める。
そしてしばらくの間、意味有りげに目を瞑りながら何かの思いに耽った後、収納能力によって剣を粒子状に霧散させ保管した。
その後、アキラは黒いポンチョのような外套を羽織り、顔を隠すようフードを深く被り込み、そのまま宿泊所の部屋の扉を開き部屋の外に出た。
「───起きたか、アキラ」
部屋から退出し、宿泊所の廊下に出た途端、突然聞こえた自分の名を呼ぶ声の方にアキラは顔を向ける。
そこにいたのはアキラとは真逆の白い外套を羽織っており、薄く青みがかったグラデーションをした膝裏までの長さの白髪ロング、そして綺麗な赤い瞳をしたクールな雰囲気を纏う美しい容姿の女性だった。
「おはようございます───師匠」
アキラはその人を師匠と呼び、かしこまった口調で軽く朝の挨拶を済ませる。
「ああ、だが顔色が悪いな、また悪夢を見たのか?」
「ええ、まぁ…」
その白髪の女性はアキラの顔色が悪い事に即座に気がついたのか、そんな彼の調子を気遣うように声をかける、それに対しアキラはあまり思い出したくないあの光景を想起してしまう為、曖昧な返事で応えた。
そう、この人は俺の師匠だ。
名を『エマ・ディマイズ』と呼ぶ。
あの都市崩壊の後日、俺は彼女と出会い、そこから一年半もの間、今に至るまで俺はこの人に師事をしていた。
今の俺は彼女の元で修行や勉強、生活、常識等の指南をしてもらっている。
そのおかげもあってか、俺はここ一年半の厳しい特訓の末にみっちりと心身共に鍛え上げられていた。
未熟そのものだった能力やエレメントも一年半前に比べても大幅な成長を果たし、ロクに鍛錬もしていなかったフィジカルもそれなりのモノに仕上がっている。
以前までただの無力な子供に過ぎなかったそんな俺がここまで鍛えられたのは、このエマ師匠のおかげであった。
実はこの人、嘗ては世界最高峰の剣士として名を挙げていた人物であり、彼女は一昔前までは『天をも斬り裂く剣』で───『天剣』という異名で知られていた程の傑物だった。
だが、今現在の師匠は持病が悪化してしまったせいで現役を引退しているらしく、戦う事自体が困難になってしまった為か、今は後進育成の為に生きているとの事だった。
故に俺は現在、そんな彼女へと師事する事で彼女の『剣術の後継者』として剣術と能力戦闘の二つの技術を教えてもらっている最中である。
そんな俺と師匠の出会い…。
───アレは故郷が壊滅してから三日程経った時の話だった。
一年半前 崩壊都市南部 山奥の森林地帯
「………」
故郷が崩壊して三日が経った。
あの日の俺は故郷を失い、家族も友も失い、行き場を無くし、ただひたすらに彷徨い、宛もなく歩き続けていた。
歩いて、歩いて、歩き続けて…未だ燃え盛る故郷からまるで目を背けるように、出来る限り遠くへと離れるように歩き続けて…。
そして気がつけば、どこかも知らない森林地帯の奥地にある渓谷にまで到達していた。
「どこだよ…ここ…」
「いや…もうこの際、どうでもいい…」
三日ぶりに出した俺の声は非常にか細くなっていた。
その声は土砂降りの雨の中の音に簡単にかき消されてしまいそうなくらい小さく掠れた声をしていた。
現在の悪天候はおそらく都市一つが焼かれる程の規模の大炎によって生み出された超規模な火災積雲によって引き起こされていた。
空を見上げれば青空なんて見えもしない程に暗く、そして曇っている、そしてその空からはまるで土砂のように雨が降り注いでいた。
けれど、そんな状況でも今の俺の心が動く事はなかった。
今の俺の心を覆い尽くすのは街を焼いた罪悪感、信じていた人に裏切られた虚無感と怒り、大切な人達を失った絶望…それらの感情に支配されていた今の俺の心では、そんな未知の土地と前代未聞とも言える悪天候に対する衝撃さえも薄かったのだ、あの出来事があまりにも強烈過ぎた故か。
「腹……減ったな……」
だが人間は、こんな時でも腹は減る。
とはいえこの時の俺は三日三晩何も食べていないし飲んでもいない、その為かもう既に体には限界が来ており、腹は大きな音を鳴らしながら極限までに空腹を訴えていて、喉はカラカラなんて通り越して乾燥し切っておりただひたすらに水分を欲している。
他の人よりもエネルギーに溢れている能力者だからなんとか生き延びているだけで、一般人ならもう既に死んでいてもおかしくないような状態だった。
だが…そんな状況さえもこの時の俺にとってはどうでもよかった。
たとえ目眩がしても、たとえ空腹で倒れそうになっても、もう全てがどうでもよかったんだ、何もかもが。
俺はあの日、全てを失ったのだから。
友も恩師も先輩も後輩も親戚も、そして何よりも大事だった家族さえも…俺は全て一夜にして失ってしまったんだ。
アレからもう既に三日は経っていた…その間に俺も出来る限りの情報は滅びた故郷の中を走り回りながら集めていた、その時はまだ僅かな希望を持っていたんだ。
でも俺に突きつけられた真実は、ただ絶望的で、理不尽な現実でしかなかった。
兄である凪兄さんはバイト先の同僚達と共に炭となっており、次女の愛も泊まる予定だった友達の家で友人とその家族と共に消し炭になっていた。
そして俺達四人兄妹をこれまで必死に面倒みて、愛してくれた父と母は…実家の跡地にて互いにまるで『他の誰かを抱き締めていた』かのように二人で肩を組んでいた形跡を残しながら全身焼け焦げて死亡していた。
そんな光景を見て、俺の心にはまるで亀裂のようなものが入る音が聞こえたような気がした。
炎への異常な耐性を持つ俺の体質は母方からの血筋から受け継いだもの、故に母だけは無事な可能性を、希望を…この時の俺は家の跡地に行くまでは抱いていた。
けれどそんな母でさえも…見つけた時には原型を保てず炭になっていた父とは違い、辛うじてその肉体の原型こそは保っていたもののあの地獄の炎には耐え切れなかったのか全身が真っ黒に焼け焦げて命を落としていた。
寧ろ──炎への耐性が異様に高かったからこそ、母はこの都市で一番長い間苦しみを受け続けたのかもしれない…。
俺は、そんな母の無残な亡骸を見て心が完全に折れてしまった。
しばらくの間ずっと、母の亡骸を抱き締めながら俺は泣き叫んだ。
声が枯れるまで、涙が出なくなるまでずっとずっとその場に留まり、家族の亡骸を抱き締め、謝罪の言葉を延々と叫びながら、自分の愚かな行いを酷く呪いながら…俺はもう二度と声も発さない家族のそばにい続けた。
怒ると怖いけど、心配症で愛情深くて、俺達家族の事を一番に考え支え続けてきたそんな母を俺は家族として愛していた、だからこそそのような母を失い俺の抱いていた微かな希望は完全に潰え、そこに残ったのはただ絶望だけだった。
まるで心が地の底に落ちたかのようなただただ最悪な気分だった。
そして最後に──長女の黎、あの子の報告や情報だけは何故か一切何も無かったし家の中にいた形跡すらも何故かなかった、だけどきっと黎も命を…。
そうやって家族は全員俺を置いて死んでいった…いや、それは違うな…。
俺が皆を殺したんだ。
全部、俺のせいだった、俺が家族を、友を、大切な人達を全員殺したんだ。
当たり前だと思っていた日常も、大切だった存在も、これからもずっと存在し続けるであろうと思っていたもの全てを、バカな俺が消し飛ばしたんだ。
全部、全部…俺のせいだ。
そんな考えに至った途端、俺の中の希望は悉くまで潰え、残ったのはこの世の理不尽と不条理を前にした時の絶望と虚無、そして俺自身の背負ってしまった償いきれない『大罪』ただそれだけだった。
俺には、この全てが耐えられない。
だからもういっその事全てを投げ出して俺も皆の所へ行きたいと、そう考えていた…。
だがきっと俺は皆の所へはいけない、全てを滅ぼした大罪人が行く場所は『地獄』であると決まっているから。
そう考えながら俺は一頻り生存者を探した後に諦めて街を出る事を決めた。
街から出ようとするその際に、最後に故郷の方へと目を向けると、街の中心には堂々とあの忌々しい巨大な十字架が聳え立っており、俺はそれに対して心の底から湧き上がる憎しみの視線を投げかけたのを最後に、そこからはただひたすらに行く宛も無いまま延々と歩き続けていた。
それがこの三日間の出来事だった。
出来ればもう二度と思い出したくないようなそんな悪夢のような記憶、それがこの地獄の三日間の出来事だった。
現在の俺は故郷を抜け、森林に入り、山奥を進み、峡谷を沿うようにずっと歩き続けていた、そうして長い間視界の悪い森を歩いてようやく景色が開けてきた、そこで俺が辿り着いたその先には───大きな貯水ダムがあったのだ。
生い茂った山奥に広がる一面の人造湖、そしてそれを塞き止めるように周辺を囲っている石作りの障壁、宛てなく彷徨い続けて偶然俺はここに辿り着いた。
「…………」
俺はその光景を呆然と眺めていた。
激しく降り注ぐ大雨により人造湖には無数の波紋が絶え間なく広がっており、そのダムの水位はかなり上がっている。
本来はこういう時は俺みたいな子供は近づくべきではないのだろうが、この時の俺はそんなことよりもこの崩壊した都市の近くにまだ生きている人工物を見つけたことで心なしか安堵していたのだ。
その後、俺はダムの天端にある塀に近づき少しの興味本位で塀の下へと顔を覗かせると、そこにはまるで断崖絶壁かと思うほどの相当な高さの壁面と底の深さあり、その下にはまるで滝かのようにダムの水位を下げようと激しい勢いで人造湖からの水が放流されているのを確認した。
激しく放出されていた水は壁面下の斜樋を流れながらそのまま下流の川へと向かって流れていっている、この悪天候の中下流の流れは非常に早く水の激しく流れる音が周囲に大きく響いている。
俺はしばらくの間、何一つ言葉を発することも無くただただ無心でこんな土砂降りの悪天候の中でありながら、そんなダム下の光景を高所から眺めていた。
するとどういうわけか急に頭の中には変な思考が過ぎったのだ。
きっとこの高さから落ちて、激しく流れる水に呑まれてしまったら…ひとたまりもないんだろうな…。
──と、そんな考えが頭の中に浮かび上がってきたのだ。
「……!!」
ふとそのような考えを抱いてしまった己の思考回路に驚愕し、俺は固唾を呑む、額には若干の冷や汗が流れた。
だが、それとは同時にそのダムの高所からひたすらに下を眺めていた俺の中に突如として湧き出してきた強い衝動…それが俺を無意識に突き動かそうとしたのだ。
その衝動はまさに───『死』の衝動だった。
この時どういうわけかそれを魅力的だと思ってしまった俺は、その衝動に身を委ね、深い事を何も考えずただただ一時の衝動に駆られるがままに目の前の塀の上に身を乗り出して、その場に立った。
その上から眺める光景は壮観であると同時に、先程まで何も感じる事が出来なかった心には強い恐怖心が湧いてきた。
一歩でも前に足を踏み出してしまえば落下してしまいそうな位置…もし落ちてしまえば斜面に激突し落下死するか、あるいはそのまま激しい水の流れに呑まれて溺死するかの二択。そう考えると心臓の鼓動が急激に早くなり、息使いも乱れてくる。
下から吹く強い風と土砂降りの雨の影響で少しでも意識を削いでしまえば体のバランスを崩してそのまま足を踏み外して落下してしまいそうな危うさがあった。
そんな高所からの景色を眺めていた俺は恐怖を感じ、それによってほんの少し理性を取り戻したのか足が竦んで、衝動のままに塀の上に乗り出した足を引っ込めそうになる。
だがその直後、まるでこの崖の下へと誘う引力かのように無数の怨嗟の声が頭の中に鳴り出してきたのだ。
───死ね、消えろ、地獄に落ちろ、お前がいなければ…人殺し…裏切り者、死ね、死ね、死ね…。
そのような罵詈雑言が色んな声をしながら次々と俺の中で幻聴のように聞こえ出したのだ。
それらの言葉が聞こえだした時俺の心臓は先ほどよりも更に鼓動を早め、呼吸が酷く荒くなる、自分を責める数多の声と崖の下から覗かせる死への扉、その両方に板挟みになっていた俺は酷く苦痛に苛まれた。
だがそれでも何故だか崖の下へ視線は吸い込まれていく、空が暗いせいで底が見えにくいが故に深淵のようになっている、そんな闇に俺の目は吸い寄せられていた。
己は死ぬべきではない、つい先程まではそう考えていた、だがそれでも次々と絶え間なく聞こえてくるこれらの声達が俺の死を望んでいるようにも錯覚した。
そう思うと胸には締め付けられるような圧迫感があらわれる、それと同時に強い罪悪感も。
誰も俺が生きる事を望んでなんかいない、誰もが俺が地獄へ行く事を望んでいる、もしその声達の希望に応える事こそが俺の償いになるのならば…俺はやはりここで死ぬべきなんじゃないのかと、俺の思考は次第にそんな考えへと至っていった。
そして、そのような考えへと至ったこの時の俺にはもう、目の前に現れたこの引力のように死へと導こうとする妙な魅力へと逆らう意志はすでに残ってなどいなかった。
「もう…全て、どうだっていい…」
俺は先程恐怖で引っ込めそうになった足を前へ出し、落ちるスレスレの所に立つ。
あと前に数ミリほど足を出せば前へバランスを崩して転落してしまいそうなくらいギリギリの崖っぷち、そこで俺は再度壁面の下に広がる光景を一望する。
そうして意を決した俺は、それらの糾弾するかのように俺を恨む数々の怨嗟の声達の幻聴に誘われるかのように、そして全てを投げ捨てるかのように…。
それらの声に押されるがままに俺は死への誘いに身を委ね、そして体が本能的に反応し前へ一歩踏み出す。
次の瞬間、本能に突き動かされ朦朧としていた意識が現実へと引き戻された。
意識が戻ったのも束の間、俺の足はもうとっくに塀の上から──踏み外していた。
「あっ……」
死の魅力に負け、俺の本能は誘われるがままに死へと向かうべく動いていた。
終わった。
そう感じた時、俺の心の中に現れたのは諦めの感情だった。
俺は諦め、そのまま目を瞑り、不快な落下の感覚に身構えた───。
───だがしかし、どういうわけか一向に落下する気配がなかったのだ。
「………?」
俺は困惑した。
浮遊感はある、けれど一向に下に向かって落ちていく重力を感じなかった上に落下の衝撃すらも、水に呑まれる苦しみさえもなかった、だが何よりも不思議だったのは…。
右手首がまるで何かに縛られたかのように力強く締められているような感触と、下じゃなく上へと向かって引っ張られているようなそんな感覚だった。
そんな違和感に気づいた俺はすぐ様閉じていた目を開けた。
そして違和感の感じた自分の右手首を見ようと視線を上に向けると。
「……え?」
俺はその先の光景を前にして思わず目を大きく見開きながら呆気にとられた。
なんとそこには、俺の右手首を掴みながら、俺の体を軽々と引き上げている白髪の女性がいたのだ。
そう、この人物こそがエマ師匠であり、この出来事が俺と師匠の初めての出会いだった。
死の衝動に駆られ、自殺に及ぼうとした俺を生かしたのは、この師匠だった。
そして時間は少し遡る。
「───この街はほぼ全滅か、たった一晩でこれだけの被害を出すとは、容赦の無い奴がいたものだ…」
ある女性は炎に包まれ、灰燼と化した凄惨な廃都を眺めている。
(このような光景を見るのは人生でこれで『二度目』になるな…)
「はぁ…」
(まさかこの生涯で二度もこんな地獄のような光景を見る事になるとは、思いもしなかった…まったくどういう因果だ)
女性は深いため息を吐きながら目の前に広がる火の海と化した凄惨で残酷な街の光景を見て、まるで何かと重ね合わせるかのようにある種の既視感のようなものを覚えていた。
(観測された情報ではどうやら雲の中から超巨大で不気味な十字架が降りてきたと聞き、気になって駆け付けて来てみたが…)
(あれは間違いないな…十年前のあの時と同じ十字架だ)
女性は街の大広場跡地に突き刺さっているだろう果てしなく巨大な十字架を遠くから眺めながら何かを想起している。
その後彼女は自身の額に手を添えながら再び深いため息をついた。
「…はぁ、まったく、嫌なことを思い出したよ」
(事件の内容もあの時と限りなく似通ってるが、規模だけで言えば軽くあの時の十数倍以上はあるか…もしあの時と同じ犯人だとしたら今回はどんな目的で起こしたんだ…)
(……そういえばこの都市には魔を狩るとされる日本の名門家系である刹那家の本殿があったような、まさかそれを狙って…?いや、考えにくいな…)
(これほどまでの力を持つやつだ、わざわざこんな狡い真似なんかしなくとも容易のはず…あくまで刹那家の消滅はついで扱いだろう…)
(色々考えていても仕方ない、生存者を探すとしよう…望み薄ではあるけどな…)
女性はそのようにしばらく思案した後、ひとまずは生存者を探すことに舵を切り、その場で目を瞑り集中する。そして彼女はまるで周囲から何かを探るように気配や大気に漂うエナジーの流れを辿っていた、だがしかし。
(……ダメだな)
(いくら広範囲に探知を伸ばしてもこれら炎の帯びたエネルギーが探知の妨害をしているせいで生存者の気配はおろか、何かしらの生体反応すらもまるで感じ取れない、これは過去最悪な事態だな)
(駆け付けるのがあまりにも遅すぎたか…)
彼女は精神を集中させ広範囲に探知をかけ生存者を見つけようと試みたものの、これだけの大惨事が起こってしまっている以上、周辺に生命反応を感じることはできなかった。
女性はこの大災害の情報を得て、急ぎこの場に駆けつけ生存者の捜索に時間を費やしていたが、現状の成果は殆ど無くほぼほぼ無駄骨だった。
辺り一帯に大きく充満する濃密な死の影の気配、彼女はそれらを感じ取り、生存者の捜索をしていたが、炎に宿る強大なエナジーによって感知を妨害されてしまっているせいで中々生存者が見つかる事がない。
「見渡せど見渡せど火の海、一体どれほどの範囲が燃えているんだ…」
「これだけの被害だ、師団長連中もきっとこの現場には訪れた筈だが、気配を感じない、おそらくはもう生存者の確保をして撤退したのか…はたまた…」
「……ん?」
女性は眉間にしわを寄せ嫌な想像を膨らませていたが、そんな時不意に女性は何かの違和感を感じ取った。
常に張り巡らせていた感知網に何かが引っかかったのか、一瞬感じ取ったその違和感が気になった彼女は再度意識を集中させてみることにする。
(…なんだ?弱々しいが、微弱な気配が街の外に向かって移動しているのを感じるな…これはもしかして生存者か?それとも…)
彼女はその違和感を頼りに街から遠く離れた位置に感じられる微弱な生体反応を認識する事ができた、その後女性はその気配の位置をより鮮明にするべく意識を向け探知をかける。
それは今にも途切れてしまいそうなくらいに弱り切っていた微弱な気配だった。
彼女はそんな気配に生存者、またはこの事件の関係者である可能性を見出した。
彼女はそう判断するや否やすぐさまその気配の位置を特定し、感じ取った方角へと向かって急ぎ移動していったのだった。
その後、女性の感じ取ったその微弱な気配は現在街を抜けており、ある山奥の森の中を彷徨っていた。
(この気配、こんな整備もされてないような森の中を歩いているのか…?)
女性は微弱な気配を頼りに森の中を歩いている。
山道の方ではない整備されていない山の奥地、道はそれなりに荒れており歩きにくい場所だった。
そんな道を通りながら進んでいるその気配を彼女は不思議に思いながらもその方へと追従するように辿っていくとやがて彼女は徐々に弱っていく気配へと追い付いた。
だが念には念を入れ、もし犯人だった場合を想定して警戒しながら彼女は勘づかれないように物陰に隠れながら対象の観察を始めようとした。
そんな陰からこっそり覗こうとした彼女の目に写ったのは、ゆっくりと身体を引きずるように、そして宛もなくただただひたすらに前進している少年の姿だった。
(あれは…子供?やはり生存者か…はぁ…よかった)
女性は視線の先にいる子供を見て安堵の息を漏らした、その後彼女はその子供を保護するべく物陰から出ようとして少年の元に近づこうとした。
だがそんな時だった。
「───ッ!?」
刹那、女性は感じてしまったのだ。
目の前にいるその少年から発せられる非常に強い───『死の影』の気配を。
(なんだ…この、気配は…!?)
(どういうことだ…こんな強烈な死の影を纏う奴なんて見たことがない…!)
歩み寄ろうとした足は一瞬にして硬直した。
そして彼女はまるで信じられないものを見たかのように目の前の光景に驚愕していた。
形容し難いおぞましい負の念の塊ともいえる代物を目の前の小さな少年が纏っているのを目の当たりにしたのだ、それは彼女自身も初めての事だった。
なぜ女性が少年を見て驚愕したのか。
それは、彼女には生来から普通の人には見ることも感じることもできないものを視認することが出来る特殊な性質が備わっていたからである。
それは他人の──『死を感じ取る』力だ。
だがあくまでそれは直近に訪れる、または訪れた死限定のみではあるものの、彼女はこれから死を迎えようとしている者からは『死の影』なるモノを認知する事が出来る特殊な性質を持ち合わせている。
そんな力を持つ彼女だからこそ目の前にいるまだ小さく幼い少年にそれと同じ、いや、これまで見てきたどの『死の影』よりも強烈で濃厚な影を認知してしまった事に驚愕したのだ。
まるで虚無なのかと思うくらいに生気の一切宿っていないその少年の瞳からは、遠目から一目見ただけで廃都から感じられる莫大な死の影にも匹敵し得る程の影…女性はそれを感じ取ってしまい、その影に気圧されたじろいでしまう。
この時彼女の直感は激しく警鐘を鳴らしていた、この少年は今一番危険な状態にあるのだと。
そう判断した彼女はより警戒心を強めながら少年の動向に注視する事にした、下手に今接触して刺激するわけにはいかなかったのだ、あくまで接触するタイミングは彼が落ち着きを見せたタイミングと彼女はそう決めた。
それからしばらくの間女性は少年の動向を様子見しながら尾行していた時、目の前の少年が途端にその場に立ち止まったのを女性は確認し、咄嗟に木の裏に隠れる。
(ここは…ダムか?あの子供、あんな所で立ち止まって一体何を…)
暫くの尾行の末、二人は森を抜けた先のダムに到着する。
相変わらずの酷い悪天候の中、少年はその場に立ち止まり土砂のように降り注ぐ雨に打たれながら周囲を見渡すようにダムを眺めている。
そんな少年の様子を不思議に思いながらも女性はしばらくの間、少年の動向を沈黙しながら観察し続けていた。
その後、少年はダムの天端の塀に近づき、その場から下の光景を眺め始めた、そこから数分間少年は微動だにもせずにただひたすらにダム下を眺めている。
そのような光景が暫くの間続いていた後、女性はそんなただ茫然としながら動かない少年を見てそろそろ声をかけるべきかと思い物陰から出ようとした、そんな時タイミングよく少年はようやく動き出した。
と、思った束の間の事だった。
(な………!?)
観察していた少年は突然その塀の上に乗りだし、その場に立ちあがったのだ。
それと同時に女性は途端に目の前にいる少年から漏れていた死の影の濃度が急激に濃く強くなったのを認識した、それを感知した女性は即座に状況を察した。
(まさか、ここから飛び降りる気か…!)
そう判断してからの女性の行動は早かった。
女性は即座に物陰から飛び出した。そして間一髪で女性は飛び降りようとした少年の手をすさまじい速度で一瞬にして掴み取ったのだ。
「……!?」
落下する速度を遥かに上回る速度で移動した女性は、比較的小柄ではあるとはいえ現在進行系で中学生であった少年の腕毎身体を軽々と片手で掴み、その身体を全くブレの無い安定した体幹で持ち上げている。
(……まったく、あぶなっかしい事を)
困惑と驚愕の表情を浮かべながら呆然と女性を見上げている宙吊り状態の少年は、そのまま女性のその体躯には見合わない程の圧倒的な腕力によって引き上げられ、先程落ちる為にわざと足を踏み外した地面へと再度足を付ける事となった。
そこから女性と少年の間にはしばらくの時間が空けられる。
精神が不安定となって今にも発狂しそうな少年に必要なのは頭を整理する時間、そして息をつく時間が必要だと判断した女性は少年にしばらくの時間を与える。
女性は変に刺激を与えないよう若干の距離を離した位置から少年の事を見守っていた。
少年は引き上げられてからずっとその場に座り込み、頭を抑えながら硬直していると同時に、過呼吸気味に息を乱している様子であった。
そして引き上げられてから大体十分程時間が経った時、少年の息や精神がある程度まで安定してきた事を感じ取った女性はそのまま彼へのコミュニケーションを取ろうと少年の方へとゆっくりと近づき距離を詰めていく。
そんな近づいてきた足音に気が付いたのか少年はほんの少しだけ顔を上げ、女性のほうへと視線を向けた。
近づいてきた女性はやがて少年の目の前に立ち、そして少年の目線と合わせるようにその場に片膝をついて優しい声色で問いかけた。
「小僧、お前はあの街の人間か?」
「………」
そう女性が問うも、少年は目の前の女性に警戒するあまりか沈黙を貫いた。
(まだ、会話するには不十分か…だがこっちにも立場がある、このまま見過ごす訳にはいかないな)
「お前…名前は?」
「………」
今度は名前を問う、だがそれでも少年は答えなかった。
けれどそこで女性はコミュニケーションを取る事を諦めたりはせず、少しでもその警戒心を解いてもらうためにまず彼女は自分のことを話すことから始める事にした。
「…私は傭兵をやっている…エマという者だ、今は街の生存者を探している」
「お前は、あの街の生存者で間違いないな?もしそうだったら頷いてはくれないだろうか?」
変わらず女性は安心させようと優しい声色でコミュニケーションを取ろうと自己紹介と己の目的を簡潔に話した。
しかし、そんな彼女の言葉を聞いても少年はまだ喋ろうとはしない。
そこでどうしたものかと女性は顎に手を当てながらしばらく頭を悩ませていたところで、どこからかか細く言葉にならないような呻き声に近い発声が聞こえた。
「ん…?」
女性はそのような声の聞こえた少年の方へと顔を向けると、その時少年はぎこちなくだが頷くように首を縦に動かしたのだ。
「…!!」
少年は女性の質問に返答を行った、その返答を見て都市の生存者だと確信した女性は安堵したのちに再び彼に名前を聞いてみることにした。
「……きさ、らぎ…あきら…」
酷く小さくかすれた声ではあったが今度はちゃんと少年は自分の名前を答えてくれた、それに女性は少し驚きつつもこんなにも早く順調にコミュニケーションが成立していくことに安心した。
出会って間もない相手に警戒するのは何も不思議なことじゃない、その上あの事件に巻き込まれた直後だ、普通は心を完全に閉ざしていたって不思議じゃない。
だからこそ女性はいくらでも待つつもりだった、それでありながら割とすぐに自分の素性を明かしてくれたことから元々彼は素直な性格なのであったのだろうと女性は考えた。
「如月 明か…じゃあ、年齢は?」
「……十…三」
「っ…!?」
(十三歳…あまりにも若すぎるな…)
女性はその年齢を聞いて眉間にシワを寄せた。
若干小柄な特徴からして低年齢層であることは視野に入れていたがいざそれが事実だと知ると女性はこの世の不条理さに頭を抱える。
この若さであの事件に巻き込まれ生き延びた、その上家族を連れて歩いていないことから考えればこの少年はこの若さで家族を失ったことになる。
(まったく容赦がないものだ、世界はこんな若い子供にどれほどの苦痛を味わわせたと言うんだ…まるであの時と同じではないか…)
そんな非情で残酷な現実に放り投げられた少年の姿を目の当たりにして、女性は遠い目をしながら嘗ての記憶を遡った後、まるで目の前にいるその少年に対して何かを重ね合わせてしまったのか、その女性は少年に深く同情の念を抱いた。
「そうか…よく、頑張ったな…」
女性は物哀しそうな表情を浮かべながら、優しい手つきで雨に濡れた少年の頭を撫でながらそのような言葉をかけた。
その後、女性は空を見上げ一向に止まぬ激しく降り注ぐ雨に顔から打たれる。
(取り敢えず、こんな雨晒しの山奥じゃ子供は風邪をひくし遭難もするな…取り敢えず他の街へ行くとしよう、いろいろこの小僧から聞くのはそのあとだ)
そう考えをまとめた女性はその場から立ち上がる。
そして少年に対して手を差し伸べながら、彼女はこう言った。
「───小僧、ついてこい」
その後、少年はまだ若干警戒しているものの依然として行く宛てがなかったため、恐る恐る女性から差し出されたその手を取り二人はそのまま山奥から離れ他の街へと向かった。
二人が向かったのは故郷から比較的近くにありながら奇跡的にあの災厄の被害を受けていない都市だった。
だが案の定、崩壊した都市の近くの都市というだけあって街中は常に大騒ぎであった。
どこもかしこも故郷の話でもちきりで人々は自分たちも巻き込まれるのではないのかと恐怖しているような光景ばかりだった、そんな光景を見て俺は再び罪悪感で胸が締め付けられそうだった。
だが何故だかこの時は不思議と持ちこたえられた、その理由はよく分からないが、俺と今手を繋いで歩いているこの女性の手から伝わってくる温もりがあったからなのかも知れない、そして俺はそんな温もりにどこか安心していたのかもしれない。
まだこの人がどんな人なのかはわからない、警戒だってまだしてる、でもなぜだか悪い気はしないしそれどころかこの人といると不思議と安心するような気さえしてくる。
言葉にするなら、そう…まるで母さんと一緒にいる時みたいなそんな気分だった。
そんな女性と一緒に俺は山奥からこの街にやってきた。
空を見上げると久々に普通の空を見た気がした。
あの故郷の周辺地帯は暫くの間は悪天候が続くため天気は悪く、崩壊した俺の故郷は異常事態により、空は永遠の夜に包まれているかのように常に真っ暗な闇に覆われているとのことらしかった。
そんな滅びの一途を辿った都市とは違い、俺の目の前には多少の喧騒を除けば普通の日常の光景が広がっている、そこでほんの少し張り詰めていた糸が解けたのか、俺の腹は途端に大きな音を鳴らした。
「………」
俺は空いている方の片手を腹に添える。
そこで俺は彼これ三日間は食事を取っていないことを思い出した、そんな時に町中から香る微かな食べ物の匂いに俺の腹は反応するようにうるさく音を奏でる。
そんな俺の様子を女性はジッと眺めていた、俺は彼女のそのような視線に気づきその方へと顔を向けると彼女はどこか穏やかそうな顔を浮かべていた。
「お前、いつ飯を食った?」
「……三日前」
「ふっ…よく生きていたものだな、流石能力者の生命力と言える」
そう答えた俺に対し、女性は苦笑を交えながらもその生命力に感心していた。
「取り敢えず、ここいらで適当に何かを食うとしよう、腹が減ってはなんとやらだ…ふむ、あそこでいいだろう」
そう言いながら女性は辺りを見渡した後、ちょうど自分達の近くにあった店に視線を向けていた。
「でも…あの…俺、お金…ないです…」
だが、生憎この時の俺はあの一件のせいで持ち合わせがなく何も買うことすら出来ない一文無しの状態だった。
そんな俺の言葉を聞いた女性は軽く鼻を鳴らす。
「フッ、ハナからそんなのは期待しちゃいない、好きなのを言え、私が奢る」
「じゃ、じゃあ……肉、食いたいです」
「ほお~?案外図太いチョイスじゃないか、面白い、いいだろう」
そうやって女性は面白がりながら軽く承諾した後、俺と女性は近くにある店に入り食事を取ることにした。
女性は好きなだけ頼んでいいと言ったので俺は食べたい物を注文する、そしてしばらくしてから目の前に置かれていった食べ物を前に腹の虫の音はより激しく鳴り、あまりの空腹に我慢出来なくなった俺はそのまま気の済むままに食事をすることにした。
「お~お~、中々食うものだな」
女性は無我夢中で3日振りの食べ物を食していた俺の姿をジュース片手に眺めている。
あまりにも栄養が不足していた身体は食べる度に次々と栄養を求めるので気づけば自分でも想像以上な量を食べていたと思う。
だがおかげですっかり飢えていた体には栄養が行き渡り、カラカラだった喉も潤った。
「少しは、元気出たか?」
女性は机に片肘を付けながら微笑みながら気遣うようにそう聞いてきた。
「………はい」
「ありがとう……ござい…ます…」
そんな彼女に俺は頭を下げ礼を言う、初対面でありながらここまでしてくれた彼女は俺にとって恩人だった。
彼女のおかげでそれなりに腹も満たしたし、喉も潤い、身体面で言えばもう既に普段通りのところまでは回復してきていた。
「………」
だが、それでもやはり心だけは違っていたようだ。
「ッ……!」
俺の脳裏には再びあの光景が想起された、まるでフラッシュバックするように数シーンが一気に脳に映し出される。
故郷が滅んだ事によるトラウマは今もまだ俺の心を深く蝕んでいた、それはそう簡単には癒えるものではなかった。
やはりどうしたって、それだけは自分の中で消化する事は出来なかった。
肉体的な極限状態を脱した事によって多少頭の中に考え事をする余裕が生まれたからなのか、俺の頭にはあの時の悲しみや苦痛、絶望が頭の中に次々と湧き出して来る。
だがそれよりももっときついのは大切な人達との別れの記憶だった。
いつの間にか食事を取っていた俺の手は自然と止まっており、次の瞬間から何故だか瞳からは涙が零れ落ちた。
最初の涙の雫が頬を伝い、その雫が下へと落ちたのを皮切りに、徐々に涙が数滴、もう数滴と落ちていき、次第には拭っても拭ってももうどうしようもないくらいに次々と溢れ出していた。
その後、俺は酷く顔面を歪ませながら出てくる声を必死に抑え、嗚咽を漏らした。
女性はそんな俺の様子を見て、ただ何も言わずに再び俺の頭を撫でてくれた。
この時、俺達の間に会話はなかったけれど少しだけ、会って間もないこの人と打ち解けたような気がした。
その後、食事を終え店から出た俺達は適当に街を二人で歩いていた。
すっかり体は活気を取り戻し、先程までふらついてぎこちない足取りも普段通りに戻っていた。
「小僧……いや、お前は確かアキラという名前だったな」
「は、はい…」
そうやって二人で歩いている途中、女性は俺の名前を口にしながら話しかけてきた。
「そうか、ならアキラ、お前から少し事情を聞かせてもらうが構わないな?」
「………話せること、だけなら」
「ああ、それでいいさ」
彼女は俺から事情を聞こうとしてきた、きっとそれが彼女本来の目的であり義務なのだろうから仕方のない事だった。
それに対し俺は事情が事情なだけに少し返答には躊躇うものの、先程の恩義に対して仇で返すわけにはいかなかったので話せる事だけなら話す事に決めた。
だがまずはそれ以前に俺自身も気になっていた事があった為、俺はそれを先に彼女に聞いてみることにしたのだ。
「それなら俺も、聞きたい事が…あなたは……えっと……確か……」
「エマだ」
「そうだ…エマ…さん…?どうしてあなたは、あの場に…」
「さっきも言ったように街の生存者を探していたんだ、そこで偶然お前の気配を探知した、だから追いかけてきた」
彼女は俺の問いに対しそのように経緯を話した、だがそれ自体は先程のダムでも聞いていた事だったので覚えている、だから俺が聞きたい事は他にあった。
「じゃあ、他に、生存者は…」
俺は恐る恐る彼女にその事を聞いた、だがしかし、彼女はそのような問いに対し。
「───私が来た時はいなかったな」
「っ……」
少しの間を置いた後、彼女はそう答える。
そう、俺が聞きたかったのは生存者の存在だった、彼女が生存者を探して街に来ていたのならもしかすれば他にも生存者が見つかっていたのではないかという僅かな希望を俺は感じていた。
だが、よくよく考えてみれば、軍に預けたというケースでもない限り、俺の所に誰も一緒に連れて来ていない時点でそんな希望はそうあるわけがないと知った俺は歩ませていた足を止め、顔を下にして歯を噛み締め、両の拳を強く握る。
「…そもそも私は出遅れてやってきた身だ、仮に生存者がいたとしたら連合軍の連中が既に保護しているだろう、まだ気を落とすには早い、探せばきっと見つかる」
そんな俺の険しい表情を見た女性は俺の方へと近づき、肩を手を添えながらそのような励ます言葉をかけた。
「……そう、ですね…きっと、そうです…」
そうだ、まだ諦めるには早い。
彼女…エマさんが言うように連合軍が保護している可能性だって十二分に存在している、まだ気を落とすには早すぎた。
俺はそんな彼女の言葉により心を奮い立たせる、まだ諦めてはダメなのだと。
あの日家族は失ったけれど、それでも他に生きている人がいるのならば俺はそれでいい。
浅慮な考えで街を滅ぼしてしまったからこそ、少しでも生存者がいてくれればと当時の俺はそう考えていた。
何かその人達が望む償いが今の俺に出来るというわけではないが、せめてそういう人達がいてくれさえすればと、そのような小さな希望を抱いていたからだ。
「そうだ、生存者もきっと見つかる…私はその為に動いているんだ」
「そこでだ…単刀直入に聞こうか」
そう言いながら彼女は一拍の間を置いた後、口を開く。
「お前は───あの事件の犯人を知っているか?」
「……!!」
そう彼女が聞いてきたその言葉を聞き、一瞬俺の心臓は跳ね上がった。
それも当然の事だ、あの事件を引き起こした犯人はまさに目の前にいる自分自身なのだから。
「………」
だからこそこの時の俺はその問いにどう返すべきかを迷った。
この場で自分が犯人だとはとてもじゃないが言えるわけがない、けれど本当の事だからこそ言うしかない、そのような葛藤に俺の頭の中は苛まれていた、もし仮にここで言ってしまえば俺はこれからどうなるのかがわからない、今はそんな状況だった。
そのような葛藤に苛まれていたそんな時、俺の脳裏にはあいつの顔が浮かんだ。
そう、シンだった。
あいつも言わばあの事件の黒幕のようなものであった。
世界の英雄を騙り、世界の人々をこれまでずっと騙し続けてきた真の悪党…そんな奴のことを思い出した俺はせめてあの女の事だけでもこの人に知らせるべきだと思うに至った。
「はい、知っています…」
「…!?ごほん…そうか…なら、お前が良ければ教えてくれるか?」
「それは───」
女性はただの確認半分程度のつもりで聞いてきた為か俺がそう答えると目を見開いて非常に驚いた表情を浮かべた後、取り繕うように咳払いをした後に表情を切り替え、真剣な眼差しを向けながら犯人についてのことを聞いてくる。
そこで俺は意を決してシンの名前を口に出そうとした。
だが───。
「……それは?」
「おい、アキラ?」
エマさんは困惑していた。
そして彼女は俺の名前を呼びかけながら俺の方を見ている、それもそうだろう、本来ならこのまま続けて聞こえてくるはずだったであろうその先の言葉がいつまでも聞こえてこないのだ。
そう、その通り俺はその先の言葉が出なかった。
「あ………あっ……?」
それには俺自身も酷く困惑していた。
何故ならシンの名前が一切口から出てこなかったのだから。
(どういう、事だ……?シンの名前が、口から…出てこない…!?)
この時、どういうわけかシンの名前、それどころかシンに関連する情報の類が発音として外部に発する事が出来ないようになっていた。
俺は我ながらに必死な形相を浮かべながらなんとか発声しようと試みるが、海の中で溺れそうになって苦しまぎれに藻掻いている時かのように、あるいは喉にビッシリと何か粘着性のモノが詰まっていてそれが発声の妨げになっているのか…俺はその発声の妨げとなっている異物を必死に吐き出そうとするようにどうにかして声を出そうとはしてみたのだが…やはりその声自体が一切として出てこない。
別のワードを出そうとしてもシンに関連する情報であればすべてが発言不可能な状態にあった。
俺はそんな異常事態に思わず精神を取り乱してしまう。
「な、なんで…言えない…!?」
「言えない…?」
「しゃ、喋ろうとしても、そいつに関する情報の全てが、口から出ない…!!」
「!………そうか、なるほどな」
そんな取り乱していた俺の反応と発言を見ていた彼女は少しの間を置いた後にハッとした表情を浮かべ、彼女は何かに納得したような顔をしながら怪訝そうに眉間にシワを寄せていた。
「呪いの類…か…」
「お前、どうやら相当用意周到な奴に会ってしまったようだな」
「え…?」
「お前はその犯人に呪いをかけられたんだよ、情報漏洩対策としてな」
間抜けな声を出し困惑する俺を前に、エマさんは確信したようにそう断言する。
彼女曰く、俺はいつの間にかシンに呪いのようなものをかけられていたとの事らしい。
あの事件の日、あれだけのことをしでかしたシンは当然ながら俺経由で自身の情報が漏れないよう予めその布石を置いていたのだ。
それがこの俺の身にかけられた呪いとのことだった。
「例えば真相を話せない呪い、そして犯人に関連するワードを言えない呪い、そういった類のものがお前にはかけられていると私は思う」
「そういったのは大抵素性や真相を知られたくない制限系能力を持つ犯罪者がよく使う手法だ、こういう類の力の影響で迷宮入りした事件も数多く存在している」
「そして、それら呪いは総じて情報漏洩を防ぐ為に、事情を知る者には沈黙の制約が課せられる」
「そ、そんな…じゃあ、他の手段は…!!」
俺は彼女のそんな説明を聞き、慌てた様子で彼女に他の手段の有無について聞いた。
そこで女性は顎に手を当てながら腕を組み、俺に背を向ける。
「……呪いの解呪、または能力無効化系の能力を使うか、だな…口で喋るのがダメなら思考盗聴で読み取ってもらう、なんてのも駄目だ。その場合…呪いの力が溢れだし、呪いをかけられたもの、またはそれを覗いたものが殺される」
「そういったケースが過去に存在した」
「じゃあ、俺が無理やりにでも情報を引き出そうとすれば…」
「ああ───死ぬ」
再び俺の方へと振り返ったエマさんはそう断言した。
その言葉を聞き、変な汗が額を伝うのを感じた、それと同時に俺は確信した。
あの事件の真相を話すのは絶対に不可能なのだと…そしてそれが意味するのは結局は俺があの事件の全ての責任を取り、主犯として幕引きするくらいしかあの事件を終わらせる手段が無い状態、つまりは詰みというわけだったのだ。
別に俺が責任を負うこと自体はどうでもいい、けれどあいつがあの事件に関与していたことが最後まであやふやにされて終わるのだ、俺はそれが解せなかった。
「能力者の歴史は長いんだ、当然そのような事態に対する対策は練ろうとしてきた、だが解呪も無効化も出来る能力者なんてのはほとんどいない、希少だからだ」
「くっ……」
けれど現状今の俺にどうにかする手立ては当然無く、彼女のその言葉を聞いて俺は何もできずに立ち尽くすことしかできない。
「ふっ…」
だがそんな時、エマさんは鼻を鳴らした。
その音を聞いて困惑した俺は彼女の方へと視線を向けると、彼女はなにやら自信ありげに笑みを浮かべていたのだ。
「───だが解決策がないとは言わん、なぜなら」
「私の能力であれば解除が可能だからだ」
「え!?」
彼女は得意げな表情を浮かべながら自信満々にそう言った。
それに対し素っ頓狂な声をあげ驚く俺を前に「少し見せてみろ」と言いながら彼女は俺に近づき、その場に片膝をついた。
「……まあ、このくらいであれば別に支障はないだろ」
そして、彼女は俺には聞こえないくらいの声量でそのような意味深な言葉を口から零しながら俺の胸に手を当てる。
彼女はそのまま目を瞑り、しばらくの間意識を集中するように息を吐いて精神統一を始める。
俺はよくわからないままその場に突っ立っている状態だが、ひとまずはエマさんのその行動に身を委ね、終わるのを待つ事にした。
そこから数秒ほど時間が経過し、しばらく動かなかったエマさんが何かしらの反応を示した。
そこでもう終わったのか?と思い彼女の顔を伺おうとした、だがそこで俺が見たのは…。
「ッ…!!」
どういうわけか額に汗を滲ませながら驚愕の表情を浮かべていた彼女の顔だったのだ。
その後、彼女は眉をひそめながら非常に怪訝な顔を浮かべ、その場に硬直していた。
そして彼女の口からは小さく言葉が零れる。
「どういう事だ…私の能力でも、消せない…?それどころか、呪いが酷く反発してくる…」
彼女はそのようにありえないものを見たかのように困惑しながらそのような言葉を発したのだった。
結局、それからいくら策を講じても呪いの解除は不発に終わり、俺は彼女にシンのことを伝えることはできず、普段ならこういうことも解決してきたと自負していた彼女の中にも謎が膨らんでいくような結果に着地した。
あの事件の真相を教えるには足枷が多く、現状俺一人しか知らない状態のままこの話は終わる。
それからあの都市崩壊が起こってから一週間が経過した。
エマさんと共に俺はしばらくの間この街に滞在する事となり、世間の情勢の流れを見ながら彼女の計らいで俺は酷く乱れていた精神の療養をする日々を過ごしていた。
そんなある時、俺の故郷である崩壊都市は軍や日本政府の決定によって正式に禁域として指定され、早急に都市の周囲には高いフェンスで封鎖網が敷かれたとの事らしい。
あの日以来、未だ街を覆う火は消えておらず、それどころか勢いは当時のままであり範囲があれ以上広がる事はなかったものの永遠と街を燃やし尽くしているとのことだった。
そんな現状を放置するわけにはいかなかった政府の指示により、万が一にでも一般人が興味本位で入る事や街の炎が外へと出ていかないようにと、非常に頑強で加護の施された特注の金網フェンスを都市全体の周辺に張り巡らせたのだ。
当然その道の能力者達を使ったので作業は始めてから3日程で終わったとのことだった。
正直俺はその事実から目を背けたかった、けれどそんな事をするわけにはいかなかった、俺はあの事件を絶対に覚えていなくちゃいけないのだから。
なにせアレら全ては俺のせいで起きたモノなのだから、俺は決して忘れる事など出来なかった、いや、忘れることは許されない。
だから俺は必ずこの呪いを解いてシンの悪事を世間に晒してみせるのだと心に誓った。
心の療養を行ってから精神的にも少し落ち着きが戻ってきたのか、エマさんと出会ってから数日経ったころには彼女とは普通に日常的な会話が出来るようになっていた。
その間、彼女からはいろんなことを聞かせてもらっていた、主にエマさんの生業にしてる傭兵の仕事についてや、あの事件のことなど…そんな会話を行って俺は彼女を段々信頼するようになっていった。
そうしてそんな日々を過ごしていた俺は数日ぶりにエマさんと共に外へと出かけることとなった。
ずっと療養のためとはいえ籠っていたら健康に悪いとのことらしく、俺は彼女と散歩をしていた。
二人で街を歩いていると、あの時から時間もそれなりに経っていたからなのかここに来た当初よりも騒ぎはかなり収まっていて、まるであの事件がなかったのではないかと思うくらいの普通の日常が広がっている。
そんな街で俺はエマさんと共にいろんな景色を見て回っていた、そこで俺は感じた。
ここにはまだ、平和が残っているんだなと。
───だが、そう感じたのも束の間…こんな現状にまるで水を差すかのように再びあの顔が現れたのだ。
『───皆様、突然の放送を申し訳なく思います』
普段は色んなコマーシャル動画を垂れ流しながら街中のビルに引っついてある大型モニターからは、緊急速報の音を鳴らしながらそのような謝罪する女性の声が聞こえてきたのだ。
そして俺は唐突に聞こえてきたその声に聞き覚えがあった、直近で聞いた憶えのある最も聞きたくないあの声によく似た声が。
散歩をしていた最中だった俺とエマさんはその声に思わず足を止め、体の底からは一瞬のうちにゾワゾワとなにか嫌な予感らしきものが湧きあがっては全身へと駆け巡っていく気持ち悪い感覚が訪れた、そこで俺は恐る恐るその大型モニターへと顔を向けると…。
そこにはある人物の姿が映し出されていたのだ。
───そう、絶対に忘れる事の無い憎きあの女の顔が映っている。
(シン……ッ!!)
その人物の顔を見た時、一瞬にして脳裏にはあの時の情景が蘇り、俺は反射的に拳を握り、歯を力強く噛み締め、眉間にシワを寄せては、額には自身の心の底から滾る怒りを表すかのように青筋を浮かべながらその表情を徐々に険しくしていった。
今はただ、彼は激しい怒りに打ち震えている。
だがそんな彼の反応とは真反対に人々の視線が一斉にモニターへと注がれると、途端に歓声の嵐が湧き上がっていた。
突如として映し出された英雄の姿に歓喜する人々の声は、先程まで静まりかえっていた街を一瞬にして明るく彩る。
そしてそんなアキラの隣にいたエマもまたそのモニターに映し出された顔を見て、何やら懐かしんでいるような様子を浮かべながらシンの映し出されているモニターを見上げていた。
「シンか、やつの顔も随分久しく見たな…おいアキラ……ん?」
「………」
そんな時、エマは周りとは違ってやけに静かな様子だった横にいるアキラの方へと視線を投げると、そこで彼女はアキラの急激な表情の変化に気がついたのだ。
(……アキラ…?)
その時彼女が見たのはモニターに映し出されていたシンに対してまるで敵意、いや殺意に近いような感情を向けながら激しく睨み付けているアキラの姿だった。
そんな彼の異様な様子に困惑をしながらもエマは怒りに満ちた少年の目線の先にあるものに目を向ける。
(──シン…?)
エマはシンの映るモニターへと顔を向ける、そして彼女はアキラとモニターの方へと交互に視線を向けながら違和感の様なものを感じていた。
(この子からは微かに殺意と憎悪が感じられる…しかもそれを彼女に大して向けているのか…?一体、どういうことだ?)
エマは経験則と感覚の鋭さから、アキラがシンに対して憎しみの感情を向けている事に気づきはしたものの、困惑するあまりそれがどうしてなのかを理解する事までは出来ずにいた。
大型モニターに大々的に映されたシンの顔に対しアキラは憎しみの表情を浮かべているが、対象的に周囲の人間はその顔を見て急に興奮しだしたり、仲間内でわちゃわちゃと盛り上がっていたり、中には黄色い声援を投げかけていたりする者までもいた。
エマはそんなアキラと周りの人物の間にある空気間や矛盾に対して強い疑問を抱いた。
それもそのはずだ、何故ならエマ含め周りの彼らも等しく知らないからだ、あのシンという女が隠し持っている本性を…。
『えぇ──本日は急遽としてこのような場をお借りしてお知らせする形になり大変申し訳ございませんが───』
シンはそのように畏まった様子で複数の押し寄せるフラッシュを浴びながらメディアを通し、彼女は長々と建前を並べていた。
周りの人々はそんなシンの映像に食い入るように見入っており道行く人々はみんながその場に足を止めて映像を見ている、今この瞬間だけはまるでシンがこの世を支配しているかのような…。
そんな誰もがシンを見つめている異様な光景だった。
そのような調子でしばらくの間、シンの記者会見は進んでいきようやく本題に入ろうとしていたところで、俺はどこか酷く嫌の予感のようなものを感じてしまった。
だが、それはこの後すぐに的中することとなったのだ。
『そこで本日は、皆様の恐怖を想起させてしまうこととなりますが…今から一週間程前に日本のとある都市で起きた大規模テロ事件の───』
『───犯人の素性を遂に特定する事が出来た為、この放送を以て皆様に情報を共有させていただきたく、軍の代表として私はこの場に馳せ参じる事に致しました』
「ッ……!?」
緊張感のある雰囲気の中、シンはマイクの前でそのように告げると更に多くのシャッター音が鳴り響き、周囲の人達もモニターの先の会場もざわめく様子を見せ始める。
そして、そのような言葉を聞いて先程まで俺の中で滾っていた怒りの炎が一気に鎮火されるのを感じたのと同時に、心臓がドクドクと激しく脈拍を早め、顔からは血の気がすさまじい勢いで引いてきている感覚が訪れた。
シン、あいつのその発言を聞いて俺は確信してしまった、さっきから感じていたこの嫌な予感の正体に……。
(まさか、ここで…言う気なのか…?)
俺は何となくだがこれからあいつが言わんとしていることが想像できたのだ。
このメディア広報という場を借りてまでシンはあの事件の話題を取り上げたのだ、そしてあの事件の黒幕である彼女自身が自分の名をわざわざ語る訳がない、故にそこで出される犯人とされる名前があるとすれば───
その先を予想した俺の顔からは更に血の気が引いてくるような感覚が巡り、それに伴い手足も酷く震え出してきた。
だがモニターの先に映るその女は止まることなく続け様に発言を行っていた。
『まずはあの事件で亡くなった方々、そしてその遺族の方々には大変お悔やみ申し上げます…そして未だあの日の恐怖に苦しめられている皆様の傷口をえぐるような真似をさせて頂くことに謝罪申し上げます』
『ですが安心してください。たとえどんな危機が訪れようとも必ずや我々大世界連合軍団の者達が皆様の日常生活をお守りするとここに誓います』
まるで悔やむような表情を浮かべながらその道化師は連合軍を代表し、心にも思っていないであろう発言を次々と繰り返す。
だがそんな道化の言葉にまんまと踊らされている周りの人々はすっかり安心したような表情を浮かべていた、そして次第に周りからは英雄を称える声や賞賛する声が溢れ出していた。
皆勘違いしている…騙されているんだ、あの女の口車に乗るな!。
と、そこでどうにか周囲の人間へシンの言葉には耳を貸させない為にそのような言葉が喉元まで出かかっていたが。
「ッッ───!!?」
この呪いはどうもそういうのを許さない、まるで口止めでもするかのようにズキリと心臓と頭には鋭い痛みが走ったのだ。
「ぐぅっ…!?ツゥっ!!」
唐突に走ってきた刺すような痛みにより、俺は頭と心臓を手で抑えながら酷くよろめいた。
「アキラ…!」
エマはそんなアキラの異常に気づき即座に駆け寄って、バランスを崩して倒れそうなアキラの体を支える。
「平気か?どうしたんだ?一体何が……っ!!」
エマはアキラの体を支えた際、間近でアキラの表情を見た時、彼の顔が酷く青ざめている事に気がついた。
体温も急激に冷めており、微かにだが呼吸も乱れていて、それはとてもじゃないが普通の状態では無かった。
エマはそんな彼の姿を見てより深く疑念を抱いた。
(一体どうしたと言うんだ、シンが出てきてからというもの、アキラの様子が明らかに変だぞ…)
(先程までのピリピリとした気配に、シンの言葉を聞いてから突然苦しみだした異常事態…そして何より、シンへと向けていた猛烈な敵意の感情…)
(……もし、何かあるのだとするのなら)
エマは目を瞑り、一週間前の事件の事を思い返す、アキラはその街の出身であり、唯一判明している生き残りである事。
そしてその街にはどういう要件かは知らないがシンが来ていたとの情報があった事…更にはシンが来たその日に都市が陥落した事。
最後に、その都市の生き残りであるアキラがシンに対し強い敵対心を抱いていること。
それらの情報と、自分の知っている事を並べ、思考を巡らせていたエマは、暫く長考した後にやがて一つの考えに辿り着く事となった。
(今はただの仮説に過ぎない、だがもしかするならば…アキラとシンの間には何か良からぬ接点があるのではないのか…?)
エマは決して多くはない要素を組み合わせながら考察した後、そう考えるに至った、けれどまだ確証があるわけではない、だからこそエマは再度屋外モニターへと顔を向け。
(この放送を見れば、何か分かるのか…?)
そうして彼女はこの放送の裏に隠されているであろう事実を知る為に最後まで視聴する事にした。
エマがしばらく考えていた間にもシンは何かと長くご機嫌取りをするかのように希望に満ちた言葉を巧みに市民を元気づける為の文言として吐き出している。
その後は政治に関連する話やあの事件の後に起きた事の詳細を話していきながら放送は順調に進んでいっていた。
そして、粗方の事を喋り終えたシンは遂にあの事件の核心について触れる事となったのだ。
『そして、つい先日このような大規模テロを起こした主犯格の素性が連合軍や政府の調査により明らかとなりました』
『日本崩壊都市事件のテロ容疑者の名前は───』
エマは固唾を呑んで静かに見ている。
そして、数拍を置いた後にシンの口からはその先の言葉が告げられたのだ。
『───如月 明』
「ッ…!?」
その名を聞いた瞬間、エマは目を見開いて驚愕した。
周囲にいる人々も、モニターの先にいる記者達もざわめき立ち、彼女に浴びせられるフラッシュやシャッター音の量が増え、騒々しくなる。
そこでアキラの嫌な予感は見事に的中した。
連合軍の統括であるシンがこのようなメディアで自身の名前を公表するはずがない、とすればここで公表されるのは自ずとアキラとなるのは当然のことだった。
彼女はアキラに呪いをかけておきながら彼が自分の事を誰かに打ち明ける前に先手を打ったのだ、己の持つ権力を最大限利用することで。
こうしてシンはアキラを犯人として据えることでこの事件の終息を試みたのだ。
『本日急遽メサイア中央政府機関にて国際的に執り行われた世界会議により、この者の驚異的な危険度を鑑みたメサイア大連邦政府…並びに世界各国の重役の方々の総意によって、今回最悪な悲劇を齎したこの人物には…』
『【人類史上最悪の大罪人】として、世界で最も危険とされるS級指名手配犯へと認定するとし、日本円にして───【500億】の懸賞をかけることをここに公表致します』
「な…!?」
エマはそれらの情報を聞き、額に冷や汗を滲ませる。
そうやって次々と述べられていくアキラへの罪状の追及や国、政府の決定などの諸々の要素により…たったそれだけの宣言によってあっという間に如月明という存在は、全世界へと大悪党という不名誉な称号と共に広まったのだ。
(こ、これは一体…どういうことだ…!?)
「アキラ!!」
エマはかつてないほどの焦った様子で咄嗟にアキラの方へと顔を向ける。
「……アキラ?」
「あ……あぁ……」
アキラは呆然とその場に立ち尽くしていた。
だが、その時にエマが見たアキラの表情は、まるで絶望のどん底に落ちたかのような凄惨なものとなっていた、そしてその表情にエマは見覚えがあった。
それはまるであの事件を経て出会った時のアキラと同じ表情、ここ数日である程度まで持ち直したかに思えたアキラの精神は、再び壊れかけてしまっていた。
そして、そんなアキラに追撃をかけるかのようにシンは更に言葉を紡ぐ。
『連合軍だけでは捜索しきれないケースもある為、力を持つ軍の外部の方々にもどうかご協力をお願い致します、もしこの者を捕らえ連合軍に引き渡してくれた方には大連邦政府から500億の報奨をお渡しする事を約束致しましょう』
『一刻も早く、現状野放しにされているこの危険人物が捕まることを私共大世界連合軍団全隊員は切に願っております』
『そして必ずや正義の名の下にかの者を捕らえてみせましょう!もう二度とこのような残酷な悲劇が起きないように…!!』
『我々連合軍はみなの平和を守る為の組織、私達がいる限りあなた達は恐怖は怯える必要はない!だからこそあなた達も勇気を、希望を胸に前を向いてください』
『私達世界は共に手を取り合い、最後まで立ち上がるべきなのです!!!』
シンはマイクを強く握りしめ、カメラに向かって世界に住むすべての人々を鼓舞するかのように力強くそう言い切った。
「「「うおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」」」
そして、そんな世界的大英雄たるシンの言葉に聞き、心の底から感銘を受けた人々達からは更なる歓声が沸き上がった。
彼女のカリスマ性と強さをこれまで見てきた世界中の人達は、英雄シンのその世界を守らんとする高貴で勇猛果敢な心に勇気をもらったのだ。
英雄を称賛する声はさらに強くなる、それと同時に人々はその顔に怒りの表情を浮かべながら大罪人 如月明へと憤怒の声を上げた。
「さっさと捕まえろー!!」
「そいつのせいで地元に帰った恋人が死んだんだー!」
「私の家族を返してよ!!犯罪者!!」
「死刑!死刑!」
「犯罪者は全員死刑にしろー!殺せー!!」
そのようなシンの扇動によりすっかり士気の上がった周りから聞こ出してきたのは容赦の無い如月 明という個人を非難する怨嗟の声だった、アキラとエマはそんな四方八方から罵声の嵐が響き渡る騒音の渦中にいる。
「はぁ…はぁっ!はぁ!はぁっっ!!」
それら数々の声に当の本人であるアキラは、当時の事件のトラウマを激しく刺激されたのか過呼吸になり耳を両手で抑えながら苦しんでいる。
「こーろーせ!!こーろーせ!!こーろーせ!!こーろーせ!!」
更に周りは一致団結するかのように息を合わせながら空へと拳を何度も突き上げながら、如月明への殺意と憎悪を込めて声を上げ続ける。
シンは己の持つ強大かつ盤石な影響力を利用し、アキラを人類の共通の敵として据える事で、シンは人々の集団心理へと漬け込み、連帯感を生み出してみせた。
更にその連帯感は彼女の影響力によって世界規模のモノとして昇華し、彼という敵を以て今日この日、世界はより強固に団結したのだ。
そんな人々の抱く強い憎悪や怒りは、たった十三歳の少年へと向けられ…少年はこの日───世界の敵となった。
「あ、ああ…ああああああああ!!!!!」
それら激化していく人々の叫びを聞き、遂に耐えかねたアキラは発狂するように声を荒げる。
「アキラ…!大丈夫、大丈夫だ…こんなの聞かなくていい、きっと大丈夫だ、私がついてる…気にするな」
エマはそんな衝撃的な放送を聞いてもなお目の前で苦しみ、涙を浮かべて泣いていたアキラを周囲の心の無い言葉から庇うように強く抱き締め、優しく彼の頭を撫でながら慰める。
エマはこの時、自身の仮説に基づいた結果、この放送で語られた言葉を現状一切信じていなかった。
何故なら彼女はここ数日如月明という人間を間近で見てきたからだ、だからこそ彼女の目にはこの子供がそのような人間であるとは到底思えなかった。
「こーろーせ!!こーろーせ!!こーろーせ!!こーろーせ!!こーろーせ!!こーろーせ!!」
だが、たとえ彼女一人が信じなかろうともう既に、シンを盲目的に信じる人々の声はさらに大きく激しくなっていく。
エマはそんな光景を目の当たりにして、この世の理不尽さと残酷さを垣間見た。
(……世界よ、この子が一体何をしたと言うんだ…こんなにも幼い子供を傷つけてまで、何がしたいんだ…)
(私にはとてもこの子がそんな事をするようには見えない、こんなにも怯え、苦しんで泣いている子供が…)
(絶対に何かがあるはずだ、この事件の裏には何か…だから私が…)
人々が怒りを滲ませ叫びを上げる中、彼女は一人この世の無情さを憂いている。
だが、それでもエマはこの残酷なまでに理不尽な世界を見捨てる真似はせず、決意を秘めた面持ちを浮かべた。
そうして彼女は決断を下した。
(私が、この事件の真相を解明しよう…)
(この子と、一緒に───)
エマは視線をアキラの方へと向ける、ここにいるのは大罪人なんかではない、ただ怖くて怯えているだけの子供だ。
だからこそせめて、自分だけでも最後までこの子供の味方でいてあげようと…。
そして、この最も悲惨で最も謎の多い事件の真相を突き止めてみせようと。
エマは己の正義に、そう誓いを立てたのであった。
───この日を境に、俺の名はある意味有名になった。
だがそれは嘗て望んだかの英雄達のように賞賛されるようなものではなく…世界に仇なす最悪の大罪人として…。
そして現代世紀最悪の大罪人という汚名は世界最高額の懸賞額と共に瞬く間に世界へと広まっていった。
加えて、シンの扇動により人々は駆り立てられ、如月明という個人に対し酷く敵意を向けるようになった。
だが…どういうイタズラか、シンはあえてなのかそれ以外の素性等の情報をこの場で公開することは一切無かった、あくまでもこのメディア放送の中で明かされたのはただ名前だけ。
だが、それだけでも俺がこの世界で生き延びていくには十分に苦労するに足り得る理由だった。
名前を指名手配された事で俺は自分の戸籍を使えなくなったのだから、少なくとも今後表で活動する以上は正規の事は殆ど出来なくなると言ってもいい。
俺の今の立ち位置は、ほぼ裏社会の連中と同じ立場になってしまったのだ。
だが、そんな事はどうだっていい事だった、そんなことよりも俺は…シンに対する怒りが抑えられなかった。
俺に故郷を滅ぼすキッカケを与えるだけに飽き足らず、自分の罪を全て俺に被せた事で帳消しにしたあいつの所業に、その上でまだ世界の英雄と騙り、人類の代表者を気取って人々を騙した事を…。
俺はそのどれもが許せなかった。
だからこそ、俺は今回の一件を経て更に固く決意する。
(───せめて、俺は死ぬときは誰よりも苦しんで死なないといけない、俺が幸せになるなんて夢は見ちゃいけないんだ)
(あれだけ大勢を殺しておいて、そんな願いを持ってしまうのは…傲慢でしかないんだから)
(だがそれでも俺は最後まで生き続けるつもりだ、ただ一人を殺す為に…)
俺の目には、心には、激しく燃え盛る復讐の炎が宿った。
そしてその目はただ一人を獲物として見据える。
(───シン…お前には必ず血で償ってもらう)
(俺がお前に望むのは、『死』だけだ)
そして俺は心に決めた、これから先に待ち受けるのがどれだけ過酷な道であろうと、必ずやあの偽りの英雄をこの手で裁いてみせると。
たとえこの命を賭す事になってでも、最後には必ずヤツをこの世から消し去ってやるのだと…。
あの日、死んだ者達の命が少しでも報われるように、そして俺自身の背負ってしまった咎にケジメをつける為に。
(いいぜ、やってやるよ)
(俺はこの名前を捨て、ただお前を殺す為の復讐者になってやる)
(そんな人間に名前なんて必要ない、だから俺は───)
そして、俺はこう名乗る事にした。
何者でもなく、何者にもなれない…己の本来の名すらも捨て去り、果てしない虚無を歩みし…喪失の旅を征く者として───
───ナナシと。
To Be Continued…
記念すべき第二話、あまりにも投稿頻度がカスです
過去回想の一人称視点が思いのほか難しすぎてもう書きたくないです(絶望)
所々描写が稚拙なところはありますが、どんだけ頭こねくり回しても作者自身のボキャブラリーが貧弱なのでご容赦ください
でも数年前の構想初期段階からずっと好きだったエマ師匠を出せて大変満足です^^




