下
声の主はRYO。
スタンドマイクの前に立つ彼の両隣には、ベースのSAKUとギターのMASAがそれぞれの楽器を携えていて。さらにRYOの背後ではYUKIもドラムセットに着いている。
「これは、YUKIの言っていたシークレットね」
会場正面の左角。
現在、彼らの居る辺りは、ほんのさっきまでパーテションでさりげなく目隠しがされていたはず。
いつの間にか、十五脚ほどの椅子も並んでいるし。
「secret? 秘密?」
向かいに座っているお義父さんに尋ねられて、
「ライブを、」
『する予定のようです』と。さっきとYUKIとのやりとりを簡単に話そうとしていると、
〈メンバーの結婚式では恒例の余興を〉
RYOに答えを攫われた。
〈一人で座れるおチビたち。前にどうぞ〉
誘いをかけるRYOに従って、織音籠の子供たちが並べられた椅子へと向かう。女の子が三人に、さっきの二人の男の子たち。みんな航と大きく歳の差はない感じだなぁ、なんて考えていると
〈ワタルくん、って言ったかな? 来れそうだったら、君も前にどうぞ〉
名指しで誘われた航が、驚いた顔で私の手を握る。
「叔父ちゃんが、歌ってくれるみたいだよ? 近くで聞いておいで」
孝さんに言われた航が
「さっき……お米をバーってした時の……おじちゃんが言ってたこと?」
小さな声で尋ねる。ライスシャワーの前にSAKUと話した時のことを言っているな、これは。
「特等席よ? あそこは」
お義母さんの言葉が、航の背を押す。それをさらに後押しするように
「ワタル、来いよ」
RYOの息子のやんちゃ坊主くんに呼ばれて。
私の手を離した航が、席を立った。
子供たちに加えて、新婦とその友人たちも"特等席"へと誘ったRYOが、JINにマイクを譲る。
子供たちのバラバラな拍手に迎えられて、軽く一礼をしたJINが
〈 タカは……そこで良いのか?〉
小首を傾げてみせて。
「いや、そこまでオレ、チビじゃないんで」
新婦側の親族席から返された高校生の声に、笑いが起きる。
その日、演奏されたのは、ファンの間では"ウエディング"と呼ばれているミニアルバムから一曲。
織音籠が活動を休止した直後くらいに発売されて、一時期は結婚式場だったかのCMにも使われていたはず。
その意味では、今日のこの日にぴったりの一曲。
オリジナルは英語歌詞の曲だけど。
今日は特別アレンジらしく、日本語で綴られた詞が、部屋に満ちる。
最後の一音が、拍手に溶けた時。
「良かった……」
隣の席から、押し殺したようなお義母さんの呟きが聞こえた。
航と二人の男の子は、余興の後もしばらく座ったままで、手を振り回しながら、なにやら盛り上がっている。
つり目くんの、あの手の動きは……先月くらいに始まった特撮ヒーローの決めポーズ。のような、気がする。
あの年代の男の子って、寄ると触るとヒーローごっこなのよね。なんて、航の保育園のお友達のこととか、遥か昔の弟の姿なんかを思い浮かべて。
楽しみに置いていたプチサラダに手をつける。
ヒヨコ豆とダイスに切られたタコやキュウリが、一人分ずつ可愛らしいガラスの器に盛り付けられていて、鮮やかな色合いが目にも楽しい。
「お母さん、ただいまー」
頬を紅潮させて、航が戻ってきた。
「楽しかった?」
「うん。叔父ちゃん、"おでおんげーじ"なんだって。ハルが、言ってた」
椅子に座りながら、航が目を輝かせて報告してくれるけど。
残念。"おでおん"じゃないんだよね。"げーじ"も、何か間違えている。
ラ行を少しだけ苦手にしている航らしい言い間違いは、ともかくとして。
「ハルって?」
「あのね……青いネクタイのね」
さっき、特撮ヒーローの真似をしていた……って、航の説明からすると、MASAの息子のつり目くんのことらしい。
「赤いネクタイの子が、ショータ」
新しいお友達なんだよ。
誇らしげに言って、航は残っていたオレンジジュースを一息で飲み干した。
余興の後は、グラス片手の新郎新婦が各テーブルを回って、招待客と談笑したり写真を撮ったり。
ほどよくお酒も進んだ招待客の方も、他のテーブルを訪ねたりしつつ、和やかな時を過ごしている。
カジュアルスタイルでの披露宴も良いものだなぁ、なんて考えながら、バーカウンターでドリンクのお代わりを貰って。
カウンターから数歩離れた辺りで、美紗さんのお姉さんと行き合った。
「里香、ちゃん?」
疑問形ではあるものの、彼女の黒目がちの丸い目は、まっすぐに私を見ていて。
「本間さん?」
学生時代の先輩であることは間違いないと、確信する。
だったら……別人なのは、旦那さんの方か。
「ご無沙汰してます」
「久しぶりね。元気にしてる?」
そんな挨拶の後。
「本間さんも、ドリンクのお代わりですか?」
と訊ねた私に
「懐かしいわね。本間さんって呼ばれるのは」
かつての先輩は、くすぐったそうな顔で笑う。
そうか、息子さんが高校生なんだから。姓が変わって、もう十五年以上も経っているんだ。
かつて、彼女がOBと婚約していたことに言及するなら、このタイミングだろうけど。旦那さんが別人なら、わざわざ出すような話題でもない。
「あ……桐生、さん。でしたっけ?」
改めて正しい姓で呼んだ私に、にっこりと頷いた”桐生さん”が、
「里香ちゃんのそれは? お酒?」
私のグラスを指さす。
小柄な先輩の目の高さにグラスを掲げるようにして、窓からの明かりにかざす。
「このお酒、ちょっと珍しい色じゃないですか?」
暗い色合いの赤ワインにも見えるグラスの中身は、ブラックチェリーのお酒。
「へぇ。初めて見た。美味しいの?」
「いやぁ、私も知らないんですけどね。せっかく面白いモノがあるわけだし。飲んでみなきゃ、って」
口にしたことのない初めての味に対する私の好奇心は、あいかわらず衰えていない。
チャレンジしてみた目新しいお酒は、少し強めの渋味が後を引く。
これは、ストライクゾーンの真ん中に近いなぁ。あとで、孝さんにも教えてあげよう。
「里香ちゃんって、私と同じ総合大だったっけ?」
「いえ、経済大の方です」
結局ビールを貰ってきた桐生さんとの立ち話は、共に過ごした学生時代のことへと繋がっていく。
当時、私たちが所属していたのは、隣接する二つの大学の合同サークルだったから、メンバーが自分と同じ大学とは限らない。さらに桐生さんとは、間に一学年を挟むから、互いに在籍していたのがどちらの大学だったか覚えていないのも仕方のないことで。
さっきの野島くん夫妻について言えば、彼のプロフィールが公になっていることと、私がサークルの世話係をしていた関係で、大学の構内で話す機会が多かったから覚えていた。
「だったら、学生時代の織音籠は知らない?」
一瞬、過った思考を読み取られたのかと、錯覚するような桐生さんの言葉に
「YUKIが後輩に居たので……」
思わずYUKI一家のテーブルへと、視線が向かったけど。誰も座っていない状況に、少しだけ肩透かしを食らった気分。
「YUKIは経済大だったんだ? それで、JINが外大よね?」
「そうですね」
孝さんとJINは兄弟揃って、高校も大学も英語専攻だったのよね。父方のお祖父さんの影響だとかで。
「メンバーのうちで、YUKIだけは学生時代に見た覚えが無いのよね」
と、残念そうな声で言っている桐生さんは、確かにYUKIが入学した年にはサークル活動を引退していたけど。
「あー、YUKIもサークルに入っていたから、一度くらいは、会ってませんか?」
引退した四年生だけじゃなく、卒業生までもが、何かと機会をみつけてはイベントに参加してくるようなサークルだったので、完全に絶縁状態になる人は限られている。
「会っているとしたら……夏合宿、かな? 追い出しコンパは行かなかったはずだし」
サークルのテニス合宿かぁ。懐かしいなぁ。
「最近は、テニスされてます?」
成り行きで、話題がテニスへと移って。
「してないねぇ。すっかり腕も鈍っていると思う。里香ちゃんは?」
「子どもが小さいと、なかなかで……」
子ども用のラケットが振れるようになったら、親子で……って、夢がないわけじゃない。
孝さんも学生時代にはテニスをしていたし。
ただ……私たち夫婦の休みが、絶望的に合わない。
思い出話がメインのおしゃべりを、しばらく楽しんで。
私のグラスの中身が半分くらいになったところで
「改めて考えると、私たちJINの”お義姉さん”になったのよねぇ」
桐生さんがしみじみと呟いた。
その言葉に二人で、新郎新婦の姿に目をやる。
今、二人はMASAと一緒にメインテーブルでお料理を指さしながら、何やら笑いあっている。
「そうですね」
なんだか、妙な気分。かつての先輩と同じ立場になるなんて。
「まだ若いから、至らないところも多い妹だけど、よろしくね。里香ちゃん」
「いえ。こちらこそ。未熟者の“姉”ですが……」
JINと美紗さんの歳の差が七歳と聞いた時には、少し驚きはしたけど。美紗さんは、私が結婚する前からJINと同棲をしていて、声の出なくなった彼を傍で支え続けた。
そんなトラブルを乗り越えて、今日のこの日を迎えた二人の、結婚を誓い合った教会での姿を思い出す。
『病める時も、健やかなる時も』という文言は、どれほど彼らに重く響いたのだろう。それはきっと、生半可な覚悟ではなかったに違いない。
披露宴も半ばを過ぎた頃。
新郎新婦によるケーキカットと、ファーストバイトが行われる。
彼らに用意されたのは、一般的なウエディングケーキではなく、プチシューがツリーのように積み上げられたクロカンブッシュ。
航はハル君やショータ君と、最前列でケーキカットを見せて貰っている。三人の女の子たちも、その後ろで目を輝かせていて。
いつの時代も、女の子が憧れるシーンなんだなぁと、微笑ましく見守る。
席に戻った航の報告によると、
「叔父ちゃんたちの持った"刀"でね、シュークリームを、ブスって刺したの」
って状況だったらしい。
そのクロカンブッシュは現在、ワゴンごと退場していて。このあと、一人分ずつに分けられて配られるとか。
「おとうさん、シュークリームツリー作って」
航からの難題に、孝さんが少し困った顔で左の耳たぶを捻る。
シュー皮を焼くのは難しいと聞く。手作りのお菓子を出している孝さんのお店で、シュークリームがメニューに載ったことはないし。
どうするのかな? って、心配していると
「一口サイズのシュークリームを買ってきて……でも、いいかな?」
妥協案が示される。
『どうしようかな?』とか言って、首を傾げてみせた航の前に、小さめのお皿にバランスよく盛り付けられたプチシューとカットフルーツが静かに置かれた。
再びマイクの前に立ったRYOから、ファーストバイトの説明が行われたけど、航にはまだ少し難しかったみたいで。
美紗さんの手からJINがシュークリームを食べさせてもらうのを見て
「叔父ちゃん、自分で食べないの?」
と、こっそり私に囁く。
「あれはね。ずっと一緒にご飯を食べようね、ってお約束をしてるの」
ほら。交代して、こんどは美紗さんが食べさせてもらっているでしょ?
シュークリームで甘くなった口の中を、一緒に配られたコーヒーで整える。
うん。孝さんのお店で出しているブレンドコーヒーとよく似た味わいは、ストライクゾーンど真ん中。
ブラックが美味しいなぁ、と思わずため息がこぼれて。
ソーサーにカップを置いた孝さんと目が合う。
あ、これはきっと。孝さんも、私好みの味だと気付いたんだろう。アーモンド型の目が、柔らかい笑みを浮かべている。
デザートを食べ終えた航が、『ごちそうさま』をする。
「航くん、おいしかった?」
「うんっ」
満足そうな航の口元に付いているクリームを、発見。
拭かなきゃ、と思っていると、
「本当、良かったわよね」
感極まったようなお義母さんの声に
「一時はどうなるかと、思ったなぁ」
お義父さんが応える。
これは……JINの声の件だろうな、と思いつつ航の口の周りを拭く。
「孝は会社を辞めるし、仁はそもそも就職しないって言うし」
うわ、そこ? その話なんだ。
どうも時々、義父母の会話の展開についていけないことがある。
それは、ともかく。
「まあ、本人の意思だから、と思うようにはしたけどな」
「それでも、こう……ね」
お義父さんの言葉を受けて、黒留袖の帯の辺りをゆるく撫でるお義母さん。その仕草に、モヤモヤと、わだかまるモノがあったのだと伝わってくるけど。
「二人とも不安定な仕事だし。『孫の顔を見ることは、たぶん無いだろうな』と母さんとは、話していたんだ」
想定外のモヤモヤが、お義父さんの口から溢れてきた。
「その節は、ご心配をおかけしました」
孝さんがまじめな顔で、頭を下げる。私の知らない数年前には、いろんな葛藤が親子の間であったのだろう。
そう思いながら、話の邪魔にならないように、静かにコーヒーカップに口をつける。
「だから、里香さんがお嫁に来てくれることになった時は、嬉しかったのよ。とても」
コーヒーを飲み込んだタイミングで、私へと話を振ったお義母さんに、慌ててカップを置いて頭を下げる。
確かに、私達の結婚について、私の両親は渋い顔をした。孝さんの職業は、将来が不安だと。
祖母の口添えで、結果的に両親は折れてくれたけど、その時に祖母に指摘された私の"欠点"は、あれから数年が経ってもまだ、心の奥底で小さな傷になっている気がする。
「里香さん、ありがとう。孝と出会ってくれて。航くんと、出会わせてくれて」
お義母さんの言葉に、胸が熱くなる。
「こちらこそ、ありがとうございます。そう言っていただいて」
滲みそうになった涙を、瞬きで乾かす。
祖母が気にした干支という名の"欠点"を、お義父さんは『前時代的だ』と、笑い飛ばしてくれた。
私の方も、お義父さん、お義母さんと出会えて良かった。
改めて、会場内を見渡す。
昔の知り合い。
初めて会った人。
今日、一日で幾つの出会いがあったのだろう。
式の後、SAKUが言っていた。『人生は、出会いと変化』だと。
過去の出会いがあって。
関係の変わる人たちがいて。
後輩だったYUKI夫妻は、義弟の友人になった。
先輩だった本間さんとは、JINの義姉同士になった。
義弟の先輩だった人は、JINの義兄になる。
今日の出会いがあって
未来の変わる人たちが居る。
この先、二度と会うことはないだろう航の"新しいお友達"にも航自身にも、今日の出会いが何かを残すのかもしれない。
JINと美紗さん。
二人の出会いが生み出した変化が、確かに在って。
二人の結びつきが、この先も何かを生み出していく。
END.