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9 朝焼けと少年たち

朝六時半過ぎ。


私と闇無さんは県警から借りた警察車両で明智高校近くの道に車を停めていた。校門からは見えづらく、こちらからは校舎と校舎の間が見える位置。

学校なのだから早朝はもちろんセキュリティで守られているけれど、朝早い部活が一つでも活動して顧問の先生がいれば、その後は生徒とのために空きっぱなしという話。形だけのセキュリティだ。

一応青少年を守る立場の課としては、もうちょっとしっかりしてほしい気もする。


日の出から一時間経って空は明るく、美しい朝焼けが薄い雲を彩っている。


「闇無さん、空、綺麗ですよ」


助手席に声をかける。


「あー……そうですね」


闇無さんはまだぼんやりした表情のまま、視線を上げた。朝が弱いっていうのは本当みたい。

私は水筒を取り出した。


「アイスコーヒー入れてきたんですけど、飲みます?」

「コーヒー……いただきます」


フタに注いで彼女に渡す。

受け取った闇無さんはズズズっと音を立てて飲み干し、頭をブンブン振った。



昨晩。



彼女の壮絶な過去を聞いてしまった私は、なかなか眠ることができなかった。

過去につらい経験をした人みんなが暗いというのは偏見だと思う。それでも、心に傷を持つ人たちはどこかピリピリして自分を守ろうとする。私はそんな人たちを仕事でたくさん見てきた。

それはきっと、一度深く傷ついた人が同じ目にあわないようにという学習能力であり、処世術でもあると思う。決して間違っていない。


なのに彼女は、一日中明るくて元気だ。


「崑野さん」

「は、はいっ!」


思わず焦ってしまった。


「ありがとうございます。だいぶ目が覚めました」


闇無さんが水筒のフタを返しながら言った。


「いえ、それならよかったです」

「崑野さん」

「はい?」

「昨日の夜のことですけど」

「は、はいっ」


一瞬身を固くして闇無さんの顔を見る。ついさっきまでとは別人のような目つきだ。

私は言った。


「あの、私、自分で言うのもなんですけど、口は堅い方で」

「いえ、それは信じてますから心配してません」

「はあ……」


じゃあ、何?


「……私、父を、その、あ、愛してると言ったと思うんですけど」

「ええ、い、言いました」


闇無さんはキッとこちらを向いた。


「あれはその、深夜のノリで言ってしまっただけで、私、普段あんな恥ずかしいこと絶対言わない人間なんです」

「はあ」

「だから忘れてください」

「……」


耳まで赤くしながら真剣な顔をしている闇無さんと視線を合わせ。

私は。


つい噴き出してしまった。


「何がおかしいんですか!私は真面目に言ってるんですよ」

「ごめんなさい……そんなことと思わなくて」

「そんなこととは何ですか。一大事ですよ。灰川さんにバレたりしたらずっとからかわれます」


口をとがらせてすっかり拗ねてしまった。

その横顔も、やっぱり可愛いなとか思ってしまう。


私は笑いをこらえながら、


「別に恥ずかしいことじゃないですよ。私も家族を愛してますし」


と言った。

あまり気をつかわずに、言った。きっとその方がいいのだ、彼女には。


「そういう問題じゃないんですよお、もう」

「あ」


視界の端に、何かが動いた。


「誰か来ましたか?」


闇無さんの目つきが変わる。私は首に下げていた双眼鏡を構える。


「ええ、男の先生です。校門の横の小さい通用門を開けました。持ち物からして野球部の顧問のようです。新興の進学校の割には熱心ですね」

「体育会系の部活経験者は、将来就職に有利と言う調査結果があるんですよ」

「何かイヤな調査ですね」


先生が敷地に入った後、野球部らしき少年たちがチラホラと登校してくる。すでに練習用のユニフォームを着て来ている。私も高校生の時、着替えるのが面倒くさくて制服の下に練習着仕込んで朝練行ってたっけ。バレたら先生に怒られたけど。



10分くらい経って野球部員が大体そろって来た頃、別の人影がふらりと現れた。

夏服を着た、きゃしゃな男子生徒。


「あの子……」

「崑野さん、双眼鏡パス!」

「あ、はい」


首から外そうとする前に、闇無さんが私と双眼鏡の間に頭をねじこんだ。


「あれは……お待ちかねのピアノ少年ですね」


闇無さんの口調に熱がこもる。目の前の彼女の後頭部がある。近い。昨晩は同じシャンプーを使ったはずなのに、なぜか闇無さんだけいいにおいがする。


「名前は……崑野さん、何でしたっけ?」

「深津理人君です」


昨日、私たち警察が来たことで極端に動揺した吹奏楽部員。

吹奏楽部は夜遅い分、朝練は無いと聞いている。住宅街が近いので苦情を避けるため、とも言っていた。顧問の武藤先生からの情報だ。


「やっぱり動いてきましたね」

「闇無さん、あれ」


深津君が落ち着きなく周りをキョロキョロと見ながら校舎裏に歩いていく。

それを追いかけるように、もう一人別の男子生徒が通用門から入り、深津君を追っていく。


「崑野さん、誰だと思います?」


頭を私の前から抜いて、闇無さんは双眼鏡を返した。なぜか嬉しそうに笑っている。


私は急いで双眼鏡を構える。


「……生徒会長?」


昨日生徒会室で会った、生徒会長の兼子行広君。何で?何で彼がこの時間に。しかも深津君を待ってたかのように。

兼子君はすぐに深津君に追いついて、肩に手をかけた。振り向いた深津君がこわばった表情で腕を振り払い、何か言い返す。


「何て言ってるんでしょう?闇無さん、唇読めますか?」

「貸して下さい」


今度は首からひもを外して、闇無さんに双眼鏡を渡す。


「でも読唇術ってアテにならないんですよね。結局母音が同じ言葉を状況に合わせて選ぶことがほとんどなので、ミスや思い込みが多いんです」

「なるほど」


私も肉眼で目をこらす。


「あ」


兼子君が深津君の胸倉をつかみ、校舎の壁に押し付けた。


「崑野さん、行きましょう。何て言ってるか以前に、傷害未遂の可能性だけで出張る理由ができます!」

「はい!」


私たちは車を降りて、走り出した。







つづく

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